見通しの悪い森の中を、一人と一頭は休憩も無くひた走る。
 高くなった日が傾いて沈む頃になっても、速度を緩めなかった。

 いつもは適度な休養を取らないと機嫌を損ねる愛馬も、今日はむしろ積極的にその力強い馬蹄を響かせていた。
 ただ一言、「アイツのとこに行く」と告げただけだと言うのに。
 馬はとても聡い生き物だ。
 主人である彼の胸中を敏感に察しているのかもしれない。
 それとも、白斗自身の意思なのだろうか……そう思う程正確に、目的である"アイツ"――の所在地・白石への道を辿っていた。

 ――「馬鹿げてなんかいません! 私は真剣に……っ」
 ――「あの子が何の為にここに居ると思ってる!?」

 ――「……泣いてるよ。きっと、は泣いてる」

「……Damn it!」

 頭の中で繰り返し蘇るものたちに、彼――政宗は風圧の中で毒づいた。

 速く……もっと速く……!
 脳裏に焼きついた鮮やかな紅蓮と泣きそうな瞳――

 ただ胸を苛む想いに焼かれながら、薄闇の中を衝動のままに駆けた。

95.prayer -祈り-

 ――「やぁやぁ皆さん、どうもどうも! 前田慶次のお通りだよ!」

 ある日突然、奇襲のように城に殴りこんできたのは、前田家の風来坊・慶次だった。
 前田家は伊達の傘下で、慶次自身も小田原に来たことはある。
 殴り込みと言っても相手もほんの挨拶代わりだったらしく、政宗自ら適当に相手をして城の一室に向かい合って落ち着いたのだが。

 ――「慶次様、お会いしとうございました!」

 突然乱入してきて目の前で慶次に抱きついた――そして紡がれた言葉に、政宗の思考は停止した。
 そしてゆるゆると這い上がってくるどす黒い感情……

 ――「私にも……命をかけられるくらい好きな人は居ます!」

 数日前に聞いた言葉と重なって導き出されるのは、単純明快な答えだった。

 てっきり小十郎なのかと思っていたが、どうやら本命はこの前田慶次であるようだ。
 それなりに地位のある伊達に与する武将という点でも、当てはまっている。

 何も言わず、何もせずにその場を立ち去ったのは、自己防衛本能のようなものだったのかもしれない。
 あれ以上あの場に居て、感情のままに振る舞えば……どうなってしまうのか、政宗自身にも分からなかった。

「Shit! そもそも俺にゃ関係ねぇ…!」

 執務机の前に座っても一文字も筆が進まず、政宗は苛々と髪をかきまわした。
 積もる話もあるだろうと言い置いて部屋を出たのは自分なのに……わざわざ二人きりにしてやったのは自分なのに、その後あの二人が何をしているのかと気になって仕方がない。
 関係無いと怒り、しかしすぐに思考がそちらに行って、はっとして手元の書面を握りつぶす。

「damn……coolじゃねぇ」

 気づけば周りは紙屑の山で、政宗は文机を蹴倒して立ち上がった。

「政宗様!? どちらに……」
「A archery range(的場)!」

 何も考えていなかったのに、小十郎に即答した自分が一番驚いていた。

 なぜか、久しぶりに弓を引きたくなった。
 神経を研ぎ澄ませてこの苛立ちもすべて矢に籠めて放ってしまえば。

 そして脳裏に浮かんだのは、宴の席で弓を披露したの姿だった。
 記憶に焼き付いていたそれが甦り、眉を顰めそうになってふと政宗は足を止めた。

 あの時は特に気に留めなかったが、の放ちの構えには奇妙な所があった。
 番えて固定した矢尻を一旦僅かに下げて直後放つ――何の意味も無い行動のようだが、政宗にとってはとてつもなく意味のあることだ。

 それは――その不自然な動作は、政宗自身が隻眼になった幼少時につけてしまった癖である。
 最初は片目になって照準を合わせずらかったのを補正する為の動作だったが、片目の世界に慣れて以後も、ほんの気休め程度に癖になってしまったものだった。
 小十郎などは知っているだろうが、本当に些細なことで、わざわざ他人に喋ったこともない。
 そしての前で弓を取ったことも無かった筈だ。

(その、筈だ――)

 考えて、ふと自分の失くした記憶のことが頭に浮かんだ。

「俺が忘れてんのは……」

 呟いた瞬間、鋭く頭が痛んで政宗は眉を顰めた。
 この痛みには覚えがある――そう、以前もに絡んだ時だった。
 その考えを突き詰めていけば、今までに感じていた様々なことが明らかになるような予感がする……

 若い兵に混じりながら弓に集中して痛みをやりすごそうとしていた政宗は、ふと視線を感じて背後を振り仰いだ。
 遠目だったが、天守の最上階に二つの人影が見えた。
 それがと前田慶次であるのは、なぜか間違いようが無いと思った。
 どうやら談笑に興じているようだが、それさえも政宗の頭痛を大きくするには十分だった。
 途端に弾ける、抑圧してきた怒りにも似た何か。

 ――"そこ"は、俺の場所だ!

 の隣で穏やかに笑い合っているのは―― 一番近くに居るのは――

 自然と湧いた感情に、政宗ははっとして立ち止まり、次いで苛々と弓を放り投げた。
 笑いながら天守の中へと消えていった二人……恋仲なのだとしたら、それ以上詮索するのは野暮というものだろう。
 しかし、感情は別物だ。
 その日はそれから夕暮れまで、弓から持ち替えた木刀を手に若い兵たち相手に激しい稽古を付けた。

 それで疲れて眠ってしまえれば良かったのだろう。
 だが、そんな日に限ってとうに失くした筈の右目が痛んだ。

 夜も更けた頃に月に誘われるままふらふらと抜け出して城内を歩く。
 気が付けば二ノ丸に来ていて、母を呼び寄せて以来避けていたこの場所に居る自分に驚いた。
 そしてここの一室に滞在するもう一人を思い出して舌打ちする。
 いい加減に理解できない自身の行動に苛立って居住区を避けるように外れの方へ足を向ければ、米沢で思い出のある東屋に似た場所を見つけた。

 その東屋に陣取り、月を見上げながら懐から取り出した煙管を咥え、右目の痛みに苛まれながら父との思い出を追想する。
 笑い合った日々、追いかけた背中、届かない叫び、無情な発砲音、動かない骸。
 後悔と怨嗟。
 嫌悪と憎悪。
 母に罵られるまでも無く、何度も一人でこうやって後悔した。
 立場上誰かにそれを見せることは出来ないが、何度でも思い返して悔いることでしか自分を戒められないと思った。
 そう、例え小十郎でも例外では無く、誰かに弱みなど見せられない。
 誰かと酒を飲みながら父や母の話をするなど……

 ――「私は、政宗さんの料理をご馳走して貰えてすごく嬉しかったです。母上様に感謝ですね」

 不意に脳裏に誰かの声が甦ってきて、政宗は目を見開いた。
 この、声は――……

「――政宗さ…ま……」

 何かを思いかけた時、不意に現実で同じ声が聞こえて、政宗は驚いて顔を上げた。

「………、か?」

 頭の中から抜け出して現れたような錯覚に陥りながら相手を凝視する。
 夜着に羽織を引っかけただけの無防備な恰好で……驚き顔で立っている娘は、間違いなく本人だった。

 これは現実だと自らに言い聞かせてざわつく心を落ち着かせる。
 しかし、闇の中でもの顔がいつもより晴れているのに気付いて、前田慶次のことを思い出した。

「…こんな夜更けに、こんな場所で如何されました?」
「そりゃこっちの台詞だ――と言いたいとこだが、お前の部屋はこの近くだったな。まあ、お前も座れよ」
「……はい、失礼します……」

 意識して平常通りに振る舞えば、相手はいとも簡単に政宗の隣に腰を下ろした。
 思わず、捕食者になったような優越感がこみ上げる。
 ――そうだ、これでいい。ずっとこうして隣に居ればいい。

 そして、不意に試してみたくなった。
 先ほど頭の中で聞いた声は誰のものだったのかを――

「It's a clown.」
「…clown……A serious clown becomes true.」
「………Ha」

 他の人間には真似の出来ない、異国語でのやり取り。
 そして、政宗だけに向けられた真摯な言葉。
 否定するでも、手放しに追従するわけでもなく、ただ柔らかく存在を肯定する言葉。

 ――嬉しくない訳が無い。
 忘れてしまった記憶の中のあの声の主も、きっと間違いなくこの娘なのだろう。

 けれど、この瞳が真に求めるのは政宗では無い――別の人間だ。

 ――「醜く弱い梵天などいらぬ! 妾には竺丸さえ居れば良い!」

 かけがえのない相手の……別の人間に向けられる瞳、言葉。
 それはどんなに望んでも――望めば望むほど、決して自分のものにはならない。
 そんなこと、嫌というほど分かっている筈だ。

「俺がここに踏み込むことを、あの人は不快に思うだろうがな」

 思わずそんな女々しいことを言ってしまったのは、それだけ余裕が無かったからかもしれない。
 けれど、次に返ってきたのは、予想だにしない言葉だった。

「ここには、私が居ます」
「……what?」
「私でよければ、月見酒でも、雪見酒でも、花見酒でも……馬でも稽古でも料理でも、何でもお付き合いします」

 思わず耳を疑ったが、が本気なのを見て取ると、驚きよりも苛立ちが湧き上がってきた。

「……Ha、Nonsense.」
「馬鹿げてなんかいません! 私は真剣に……っ」
「命掛けられるくらい好きな野郎がいる癖に、何言ってやがる!」

 この強い眼差しで、慶次の為には命を惜しまず何ものにも立ち向かうのだろう。
 同じ目で見られていることにすら我慢ならなくて、気付けば華奢な体を組み敷いていた。

 柔らかく温かいぬくもり――
 飢餓しそうな渇きに、水を与えられたような錯覚を覚えた。
 脳が麻痺して、ひたすらにその温もりを手に入れようと体が動く。
 重ねた唇の熱を貪り、抵抗しようともがく体を押さえ込む。
 口付けの最中に歯を立てられて口の端が切れたが、そんな強情な行動も政宗の理性を奪う一助にしかなり得ない。

「――離してください、政宗様」

 必死に怯えを隠して睨みつけて来るその瞳に、愉悦が湧き上がった。
 どんなに抵抗したとて、女の力で政宗の手から逃れるのは不可能だ。
 それを分からぬでも無いだろうに、こうまで強い感情を向けてくる。

「政宗様、なんて他人行儀な呼び方すんな。もっと砕けて呼んでくれよ、kitty――前田を呼ぶみたいになぁ?」
「嫌です」
「Ah?」
「それは貴方じゃない」

(…俺じゃない?)

 意味も分からず、その言葉に動揺した。
 やめろ、と頭の片隅に残った理性が訴えた気もするが、今さらやめられるものでも無いし、慶次の手を取るこの手をおめおめ離すつもりも無い。

 いま、の目の前に居るのは政宗だ。
 そもそも、小十郎がこの城に連れて来た時から、の主人は奥州筆頭たる政宗ただ一人で良い……がその瞳に映すのは、政宗一人で良いのだ。

「まだ分かってないようだな、kitty? お前は俺の侍女だ。つまり、俺のもんだ――you see?」
「…っ…やめて…ください……」
「誰が主か、たっぷり分からせて…」
「やめてっ……!! 冗談もいい加減にしてくださいっ…!」
「jokeじゃねぇ。I am serious.」

 そう、冗談などでは無い。
 こちらを見ないのなら無理やり顔を向けさせる。
 逃げるなら、捕まえて閉じ込めてしまえば。
 そうすればは――……

 靄がかったような感情に塗りつぶされそうになったその時、不意に組み敷いたの気配が変化した。
 睨み上げてきた瞳の深い色が揺れて、周囲の空気がざわりと蠢く。

「本気だったら、なおさら性質が悪いです、ね!!」

 予想外の力で蹴り飛ばされたと思えば、次いでゴウと唸る炎が眼前に迫って咄嗟によけた。

 ――炎の属性。

 ライバルである幸村ともまた違った炎は、意思を持つかのようにうねりを上げてに従い、政宗との間に壁を作る。
 呆然としたまま、けれど視線は縫いとめられて。
 ただただ、目を奪われた。

 魂の色を移したかのような紅蓮が、凛と佇む姿を彩って。

 好きな人は、と啖呵を切ったその顔は、笑っているようにも泣いているようにも見えた。
 訳も分からず政宗を追い詰め、翻弄する唯一の女――

 追いかけなければ――そう思うのに、割れるように痛む頭が邪魔をしてガクリとその場に膝が折れる。

「shit…!」

 薄れゆく意識の中で脳裏に浮かんだのは、泣きながら伸ばされた腕――何と引き換えでも離したくない、その華奢な手だった。






「少し黙らねぇか、成実殿!」
「いいや、黙んないね!」

 妙に騒がしい会話に、政宗の意識は急速に浮上する。
 どうやら隣室に成実と小十郎……それに綱元も居るらしいが、隣室など関係無いほどの五月蠅さだった。

「一発殴んなきゃ気がすまねぇよ!」
「待たれよ、成実殿! 殿は医者に安静と言われているのですから……」
「んなこたぁ関係ねぇ! ちゃんのこと考えてみろ!」

 人の部屋の隣でこれだけ騒ぐなど、一発殴るのはこっちの方だ――そんな不穏なことを考えていた政宗だったが、成実の口から飛び出した名前に一気に目が覚めた。
 ぽっかりと頭が真っ白になり、数秒。
 反射的にがばりと起き上がり、次いで襲い来た頭痛に呻く。

「……っつ!」
「政宗様!」
「殿!」

 気付いた小十郎たちが慌てて飛び込んできて起き上がった背中を支えられたが、それどころでは無かった。

はっ……アイツはどこ行った!?」

 言った瞬間、バチリと目の前で火花が弾ける。
 本物の殺気を感じたと思ったら、成実に胸ぐらを掴み上げられていた。

「覚悟はいいか――政宗」

 幼名でも無く、元服してからの名前を成実に呼び捨てにされたのは初めてで、政宗を始め、小十郎も綱元も驚いていた。
 思わず息を呑んだのは誰だったのか……けれど政宗は成実を見据えて、きっぱり繰り返した。

はどこだ」

 成実が何に怒っているかなど分かっていた。
 その本気の怒りようは意外で、更におもしろくないものではあったが。
 だが理解は出来る。

 誰だって、大切な人間を傷つけられれば怒って当然だ――例えそれが自分自身に対してでさえ。

 縁側に続く障子から日差しが差しているのを見て政宗は顔を顰めた。
 もう夜は明けたのだろう。
 二ノ丸の東屋でに会ったのはまだ夜半だった。
 一体どれくらい寝ていたのかは分からないが、あのまま意識を失ってしまった後の事が皆目分からない。
 遠ざかる気配は、驚くほどのスピードで栄光門へと向かっていた。
 ともかく、一刻も早く追いかけなければ――

(追いかけねぇと、俺は……)

 焦燥感だけが湧き上がる中、睨み合った成実の目が不快気に歪められた。

「……お前がそんな顔すんのは卑怯なんじゃねぇの?」

 そう言う成実の方がよっぽど辛そうな顔をしていて、政宗も眉間の皺を深めた。
 こんな顔の成実に言われるなど、自分はそれほどひどい顔をしているのだろうか――いや、そうかもしれない。

 正体不明に湧き上がってくる焦燥感は、留まることなく増すばかり。
 今すぐにに会わなければ――あの手を捕まえなければどうにかなってしまいそうなほどの焦り。

「どこだって聞いてんだ!!」

 声を荒げた瞬間、強い力で肩を掴まれた。

「お聞きになってどうするのです」

 静かな声と大きな威圧感が政宗の真横から問うてくる。
 自分の右目と呼ばれるその腹心を見ながら、政宗は苛立たしく吐き捨てた。

「It's nonsense! 連れ戻すに決まってんだろ!」
は貴方を拒んだのでは無いのですか?」

 押し殺した――けれどはっきりと突き付けられたその言葉に、政宗は眼を瞠って固まった。
 昨夜のことをどこまで知っているのかは知らないが、静かで深い怒りが小十郎から伝わる――動けない政宗を余所に、小十郎は淡々と言葉を続けた。

「昨夜、黒脛巾の疾風が突然意識の無い貴方を抱えて現れた時は生きた心地がしませんでした。家中のものには気付かれていないでしょうが、医者の見立てでは絶対安静とのこと。は――」

 そこで一旦言葉を区切って視線を落とした後、溜息と共に吐き出した。

「夜半に無理やり馬を連れ出し、小田原を出奔しました。追いかけていた疾風からの報告では、白石城の姉の元に保護されていると」
「白石……」

 小十郎の城だが、の故郷でもある筈だ。
 なぜ実家に帰らず城なのかは分からないが、とにかく連れ戻さなければならない。
 一刻も早くこの手に取り戻さなければ。

 話は終わったとばかりに腰を浮かしかけた所に、目の前にずいと刀の鞘が掲げられた。
 シンプルでしっかりした実用重視の長刀――それを辿るように持ち主に鋭い視線を這わせれば、小十郎は刀を下ろして、堅苦しく両拳を畳につけた。

が小田原城を出たことは、既に噂にて家中に広まっております。そこに政宗様ご自身が追いかけられれば、どんな誤解を生むとも限りません」

 誤解と聞いた政宗は、思わず鼻で笑った。
 どんな認識だか陰口だか知らないが、政宗本人にも分からないこの心とのことを、どうして他人が語れるのか。

「いいから退け、小十郎」
「退きません。の後見はこの小十郎――今日の仕事が終わり次第、俺が連れ戻してきます」

 元々政宗の気は長くないが、今は輪をかけて余裕が無い。
 問答は無用とばかりに立ち上がろうとしたが、徐に向けられた小十郎の眼力に思わず息を呑んだ。

「どうあってもお聞き入れいただけないなら、アレの親代わりとして申しましょう。政宗様には、に会っていただきたくは無い」
「――――」

 はっきりと面と向かって言われ、政宗は口を噤むしか無かった。
 確かにの父親がここに居れば、どんな恨み事を言われても仕方無いだろう。
 だが、それでも――……

 否やも何も言えない内に、小十郎は深く頭を下げ、大人しくなった成実を連れて部屋を出ていった。
 政宗は唇を噛み締めてじっと布団を睨む。

 誰に何と言われようと……その気持ちの反面、小十郎の剣幕で気付かされた。
 もう取り返しが付かないのでは無いか――
 父を失った時のように、あの娘もまた政宗の前から永遠に失われたのでは無いか――会えないのでは無いか――もう二度と。

 愕然とするような喪失感を持て余した政宗は、視線を宙に彷徨わせ、そこで初めて綱元がまだ残っていることに気付いた。
 珍しくじっと無言のままで見つめてくる側近に、バツの悪さを誤魔化すように睨みを利かせる。

「……何だ、綱元。言いたいことあんならさっさと言え!」
「――は。此度の一件、お東様のお耳にも入ったようにございます」
「……そうか」

 綱元の口から漏れたのは意外に思われるほど事務的な報告のように感じて、政宗はため息をついた。
 いつもなら母によってなされるであろう説教や嫌味は政宗にとって重大事であったが、今は不思議なほどに何とも思わなかった。
 考える余裕がないと言った方が正しいのかもしれない。

 用件は終わったのか一礼して腰を上げた綱元は、しかし去り際にふと立ち止まって振り向いた。

「ああ、そうでした、殿」
「……Ah?」
「私もかなり怒っているということをお忘れなく」

 微かな笑みさえ添えられたその言葉に呆気に取られている内に、今度こそ綱元も退出していった。
 一人残された部屋で寝床に倒れこみ、顔を覆う。

「……Ha, んなの、俺自身が一番思ってるこった」

 甦るのは酔いそうに心地良い熱と、鮮烈な紅蓮……そして震えていた体。

 掻き毟るように握った単衣の胸元に赤い髪紐の存在を感じて、きつく目を閉じた。

「――――

 自分が傷つけた名前を噛み締めるように呟く。
 まるで神への祈りのようだと思い、そんな自分に反吐が出そうだった。







080907
CLAP