平和でうららかな午後、もうじき太陽も西に沈み、今日もキレイな夕焼けが見えるかという刻限だった。
 空いた時間で針仕事をしながらウトウトとしていたにとって、その話は、まさに『寝耳に水』。

92.恋の嵐

「……いま、何て……?」
「ですから前田慶次殿が来られて、政宗様とさんに会いたいと……」

 日ごろ親しくしている同僚の言葉も最後まで聞かず、は部屋を飛び出していた。

 前田慶次――幼かったが闇に落ちていた時に傍にいてくれた人――その後の支えとなるお守りの貝をくれた人。
 そして今では、悪友というか……にとって大切な友人でもある。
 だが――……

 周りの目も顧みず廊下を走るの心中は、ひたすら焦りに駆られていた。

 しかも嫌な予感に拍車をかけるように、途中で通った縁側から見える庭は所々灌木が抉れていたり、無残な様相を呈している。
 訪問者の性格を考えれば、自分が知らない間にここで何があったのか、ほぼ正確に予想できた。

 恋と喧嘩が身上のあの慶次のこと――政宗と手合せしたくて、笑いながら奇襲をかけてきたに違いない。
 騒ぎが聞こえてこなかったこなかったのは、慶次がこの城で少なからず顔が知れており、尚且つ同盟国・前田の人間であるからだろう。
 捕まえたり、侵入を本気で止める必要は無く、きっと相手を求めている慶次の要望に従う形で血の気の多いどころが相手をしたのだろうと思われる。

 思われる――が、それはまあ、いい。
 この際だから、怪我をした兵や被害にあった庭や建物のことは、過ぎてしまったことなので目を瞑ることにする。

 問題は、慶次そのものだった。

「一体何しに来たのよ、慶次さん――!」

 焦りから漏れた言葉は、の内心を如実に表していた。

 がしばらく旅を共にした慶次と別れたのは、堺の山内一豊邸だった。
 彼はそこから、大和と山城に向かうと言っていた。
 そしては小田原へとやってきた――慶次には、が政宗を想っていることも、それ故に小田原を目指すだろうこともバレていた。

 普通に考えれば、大和・山城の情勢を知らせに来てくれたのだろう。
 そしてそのついでに、と政宗をからかおうとも思っている筈だ。

 けれど、慶次は政宗の記憶が消えていることを知らない。
 そう――つまり。

 恋だの何だの、余計なことを政宗に吹き込まれては困るのだ。
 それら過去にまつわることを慶次が口走る前に――

(お願い、間に合って――!)

 必死に走ってようやく辿り着いたその室内には、よく見知った気配が二つあった。

 唯一の頼みの綱であった小十郎も居ないことを知って、の顔から血の気が引く。
 彼も同席していたのなら、まだフォローもしてくれただろうに……

「しっ…失礼いたしますっ…!!」

 大声で叫んで、は躊躇わずその障子を開け放った。

「おっ、久しぶりぃ!」
……?」

 からりと笑顔の慶次と、呼んでもいないのにと不審顔の政宗。
 先日まで敵地へ乗り込んでいた割には元気そうな友人にほっとしたけれど、その安堵は三秒と続かなかった。

「なぁ、独眼竜がおかしなこと言っててさぁ、今もあの貝持って……」

 貝と聞いた途端、は目を見開いて内心ゲッと呟く。
 何を考えるまでも無く、とっさに体が動いていた。

「けっ…慶次さ…まっ……!!」
「え……て、おわぁぁっ!」

 手で口を塞ごうとして、それではあまりに不審だと思い、とっさに勢いのまま抱きつく。
 反射的に抱きとめるような形になった慶次の手が倒れかけた体を支えてくれた。

 取り敢えず黙らせようとしての行動だった。
 それだけの筈だった――だが、たっぷり数秒、その場の時が止まる。

 驚いたような政宗の気配が徐々に険しく張り詰めていったことで、はようやく我に返った。
 慶次に至っては、予想外の行動過ぎたのか、未だ固まっている。

 何か言わなければ――半ばパニックに陥ったまま考えて、はたと今の自分を客観的にみた。

 一介の侍女の身でありながら、突然城主とその同盟国の人間が面会している場所に呼ばれもしないのに乱入して、あまつさえ相手の名前を呼んで抱きついた。
 しかも、慶次はやってきた際に、政宗とに会いに来たと告げている。

 浮かび上がる図式はたった一つ――
 はらしくも無く、それがどういう意味か考えもせず、唯一この場を誤魔化せるその言い訳に飛びついた。

「慶次様、お会いしとうございました!」
「へ? そりゃ俺も逢いたかったけど……」

 部屋の温度がすっと下がったような気がした。

「…………、お前そいつと知り合いか」
「……政宗様、大変失礼致しました。慶次様とはその…以前からの顔見知りで、久しぶりにお会い出来たのが嬉しかったものですから……」
「ちょっ………さん…? 一体どうし……」
「ね、慶次様?」

 またもや余計なことを言いそうな慶次の腕に再度抱きつき、政宗に見えないようにギリリと締め付けてやる。
 慶次の体が痛みに強張ったことは分かったが、にはそれに構っている余裕は無かった。

 久しぶりに会った恋人同士――これなら、この状況も不自然ではないし、慶次の言動も多少誤魔化せるだろう。
 そう思ってほっと息をつきかけたは、ここに来てようやくはたと動きを止めた。

「……へぇぇ……? そいつが前にお前が言ってた好きな男、か……」

 やけに低い政宗の言葉に、全身からさぁっと血の気が引いていく。

(い…ま私……誰の前で…何をした……………?)

「……久し振りなんだったら積もる話もあんだろ。せいぜいゆっくりして行きな、前田の」
「まっ…政宗様……」
「今日はお前も下がっていいぜ、

 恐る恐る呼び止める声も空しく、一切感情を伺わせない声で言った政宗はあっさりと部屋から出て行った。
 トンと障子を閉める音がこれほど無情に響いたことは無い。
 同時にこれほど自分の馬鹿さ加減を呪ったことも、無かった。






「ま…まぁ、元気出せよ! 七転八起って言うだろ?」
「……七転八倒とも言いますよね」
「うっ…アレだ、独眼竜も本気にしちゃいねぇよ。現に俺を歓待してるくらいだし……案ずるより生むが易しってね」
「……覆水盆に返らず」

 政宗が退室した後、すぐに慶次を引っ張って部屋を出たは、疾風に頼んで人目に付かない部屋を探して貰い、そこに篭って一通りの事情を話して聞かせた。
 驚いた様子の慶次の表情がどんどん「あちゃー…」と言わんばかりに引き攣っていくのを、は人ごとのように見詰めた。
 が乱入する前の会話は核心に触れる内容は無かったらしく、それには心底安堵したが、いつも前向きすぎる慶次から見ても処置無しなのだと思い知って尚更へこむ。

「……あーー……もうヤメヤメ! らしくねぇよ、! いつもの威勢の良さはどこに隠れちまったんだい?」

 確かにいつまでもウジウジするのは自分らしくない。
 は慶次の相変わらずな明るさに、苦笑を返した。
 自分でも言ったように、覆水盆に返らず――今さら悔んだ所でどうしようも無いのだ。
 考えても無駄なことをいつまでも引き摺るのは馬鹿げている。

「そうですよね……そもそも誤解されて困るほどの関係でも無いし」

 気を取り直そうと思ったのに、口から出てくるのはイジケた台詞で――はがっくりと溜息をついて、そして慶次と顔を見合せて笑った。
 出会った頃から思っていたことだが、慶次の傍は何も気取らなくて良いような空気があり、非常に楽だ。

「はー、それにしても、あの独眼竜が記憶をねぇ……しかもよりによってのことを忘れるとは」
「……それだけ、私のことがあの人の負担になっていたんだと思います。――忘れてしまいたいくらいに」

 もう何度も考えたことだが、人に言うのはやはり胸が痛んで、思わず目を伏せた。
 だが慶次は、あっけらかんと返した。

「そうかなぁ…」
「え?」
「それって逆じゃないのかい? のことが一等大事だから――普段考えすぎてたから、ある拍子にすっぽり抜け落ちちまった」
「すっぽりって……そんな、慶次さんじゃあるまいし」
「何気に失礼だよな、って。……まぁ、その独眼竜だからこそだよ。あんだけ自信満々な人間が、ちょっとやそっとで自分の記憶なんか失くすもんか」

 その言葉には妙な説得力があり、は思わず相槌をうってしまった。
 やっぱり慶次はすごい――そう、苦笑するしかない。

「慶次さんって如何にも善人ってカンジだけど、100%そうって訳でも無くて、でもやっぱり根はいい人ですよね」
「何だい、そりゃ」

 ガクリと項垂れた様子にくすくすと笑う。
 笑われた慶次は顔を上げてをじっと見つめ、そして深くため息をついた。

「…何ですか、人の顔見て溜息ついて」
「いや、笑ってくれたのは嬉しいんだけどさぁ。完全に『イイ人』で、恋敵に塩送っちまったなと思ってね」

 俺は謙信みたいにお人好しじゃないんだけどなー、と本当に塩を送った人を引き合いに出しながら言う慶次には笑って返した。

「嫌いな相手に何言ってるんですか。恋敵なんて、そんな簡単に言ってたら慶次さんを待ってるたくさんの女の子が泣きますよ?」
「嫌いじゃなくて、その逆。俺は、嘘や冗談でこんなことは言わないよ」

 不意に真剣な声で言われて、は目を瞠った。

「え……それって…………」

 真っ直ぐに目を見つめられ、息苦しい圧迫感がを襲う。
 突然の展開についていけず、どうすればいいのかと途方に暮れている中、慶次はぱっと笑顔を浮かべた。

「ってまぁ、に恋してる男がここにも居るってこと、忘れないでくれよ。な?」
「は…はい」
「よっしゃ、そんじゃま、可愛い侍女頭殿に城ん中でも案内して貰うかなぁ」

 よっという掛声で立ち上がった慶次を追いかけるように子猿の夢吉がその肩に登る。
 呆然とその背中を見つめるしかないは、やがて自嘲の笑みを浮かべて、小さく「ありがとう」と呟いた。






「まず山城の方に行ったんだ。秀吉の動きが気になってたからさ」

 小十郎に許しを貰って天守へと案内しながら、は慶次の話を聞いていた。
 堺で慶次と別れてから裕に二ヶ月は経っている。

「山城……元明智の領地ですよね。明智が織田に敗れて、なぜか豊臣が治めているって……」
「そうなんだよなー。豊臣と織田の間で何かあるってことは風の噂で聞いてたんだけどさー。やっぱり、どっか変だったんだよな」
「変、ですか?」

 違和感を感じてますという顔でぽりぽりと頬を掻いた慶次は、うーんと頭を捻りながら言葉を紡ぐ。

「なんつーか、整然としすぎって言うかさ……普通、領主が変わったばっかの所ってそれなりに混乱するだろ? 賑やかになったり、荒んだり……治めた人間の器量にもよるんだろうけどさ。でも、あそこはそういうのが一切無いんだ。町も村も、淡々と生活してる」

 民の生活に影響が無いというのは良いことなのだろうが……
 明智が治めていた現豊臣領地――何やらキナ臭いことこの上ない。

「そんで次に行った大和の方も、これまた変でさ。領内は何事も無く平穏なんだけど、その国境辺りに山城でも見かけなかった豊臣の兵がうようよしてたんだよ!」
「! 豊臣が大和に? じゃあ戦が……」
「いや、領主の松永は何にもして無かった」
「何もして無い?」
「ああ。領内は荒れてないから政務なんかはしてるんだろうけど、他国の軍に国境脅かされてるってのに戦をやる様子は一切無しときたもんだ」

 ――それは確かに変だ。

 天守の最上階に着いて、外を見渡せる欄干に寄りながら、もううむと首を傾げる。
 おっ、絶景だねぇーなどと大袈裟に喜んでいる慶次の傍らに立ち、西の山影を見やった。

 喉元まで刃を突き付けられていながら動かないという松永久秀も分からないが、そこまで来ていながらまだ仕掛けていないという豊臣軍もおかしい。
 あの半兵衛なら、奇襲も夜討ちもお手の物なのに……

「しかも俺が行った時は、珍しいお宝があれば買い取るとか何とかいう触れが城から出ててさ、城下は商人で賑わってたよ」

 欄干に背を掛けながらの慶次の言葉に、は首を傾げた。
 聞けば、珍しいお宝というのは主に壷や茶器などの名品珍品だそうだが……どうやら以前に聞いた松永がコレクション好きという噂は本当らしい。

「上杉と島津を落としていながら、城に籠って名品コレクション……」

 目的や意図が全く見えない。
 他国を攻め落としたからには、天下への野望もあるだろうに。

「……全然分かりませんね、その人」
「同感。だから忠告に来たんだよ」
「え?」

 不意に真剣な声の慶次に驚いて振り向くと、彼はその場にどっかりと腰を下ろした。

「俺も力になろうかと思ってね――松永が『竜の爪』を狙ってるって話を聞いたからさ」
「竜の爪……」

 そう聞いて、思い浮かぶのは一人だ。

 は城の表の庭を見下ろした。
 的場で何人かの兵が弓の訓練をしている。
 自然と目がその内の一人に縫いとめられた。

 珍しく周りと変わらないような簡素な道着を身に付けている上、この距離からでは顔までわかる筈もない。
 けれど、その立ち姿・弓を射る姿勢だけでも見間違う筈が無かった。

「――政宗さん」

 独眼竜と異名を取る彼の刀なら、『竜の爪』と呼ぶのに相応しいだろう。
 だからその話が本当なら、次は伊達が狙われるということ……になるのだろうか。

「そんなことは、させない」

 小さく呟いて、的場のその姿を見つめた。
 どんな形でも傍に居たいと望んだのは自分だ。
 それは、彼を守りたいということと同義でもある。

ならそう言うと思ってたよ」
「……心強い風来坊も居てくれることですしね」

 くすりと笑って言えば、「おう! 任せときな!」と大きな声が返ってきた。

 好きだと言ってくれた……けれど大切な友人であることに変わりない慶次と笑い合って、不安な気持ちを押し殺して……
 だからこの時は気付いていなかった。

 鋭い隻眼が逆にこちらを見つめていたのも、
 大きな嵐が目前まで迫っていたことも―――







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