「はぁ……流石にマズイかな…」
やけに晴れ上がった午後。
ようやく人使いの荒い主から開放されて休憩に立ったは、庭を横切りながら溜息をついた。
そうしながらもさり気無く池や垣根を見回しているのは、失せ物を探しているからだ。
それと言うのも五日程前、いきなり政宗から『侍女頭』などという大役に任じられ、一日で同僚たちに通達が回った。
そして一晩明けた頃から、の持ち物が急速に無くなり始め、五日経った今日には行李の中からは着物が全て消えていたのである。
加えて、これ見よがしに陰口を叩かれることも増えた。
実に分かりやすいが、上司にあたる筈のに対しての嫌がらせは日々エスカレートの一途を辿っているらしい。
その行動力は他の場所で生かしてほしいと思うが、いつの時代もこんなものなのだろうか。
<――、大体は見つけたぞ>
「! ありがとう…! 恩に着るわ…!」
ふと足元の陰から馴染みの声を掛けられ、は小さく感歎の声を上げた。
非番である疾風が探し物を手伝ってくれたお陰で、何とか失くなったもののほとんどは戻ってきそうだ。
けれど、そろそろ放置しておくのも限度なのかもしれないと思えた。
今回はお気に入りの着物までやられたので怒りも倍増である。
それに実際問題として、最近は侍女頭としての指示に明らかに従わない者も出てきていた。
は確かにここでは誰よりも新参だし、出自も低いということになっているが、役目を任じたのは政宗であって、それに従わないということは政宗に従わないということだ。
このままでは仕事に支障をきたし兼ねないし、舐められたままでは任を全うとしているとは言えない。
そもそも政宗が何を思ってこんな抜擢をしたのかは知らないが、役割に見合うだけの働きをする意欲とその為に努力しようとする意思……それだけは、確かには持っている。
ただ単に政宗や小十郎たち若い重臣の寵を得ようと、ろくろく仕事もしないままに着飾ってばかりいる人間から、子どもじみた嫌がらせを受ける謂われは無いのだ。
「……はぁ、これってただの嫉妬かな……」
<……何に対して悋気を起こしているんだ?>
「な…何でも無い…!」
ウッカリ口に出してしまったは、疾風の問いに慌てて否定して溜息をついた。
この人間らしくなった伝説の忍へも、恋愛講義だけは永遠に出来ないだろうと思えた。
今だって本当は、物が失くなったことに対してというより、ここ数日でイジメと一緒にひどくなった政宗への色目攻撃に対してムカムカしているのだ。
「そ…それより、お願いしてたことは分かった?」
<ああ、これに記しておいた>
誤魔化すように探し物とは別に頼んでいた件を聞けば、の影に忍んだ疾風は即答して地面に小さく折りたたまれた紙片が置かれた。
はその仕事の速さに流石だと讃辞を送りながらも早速手に取り、ざっと目を通す。
そして思わず眉根を寄せた。
「これは……ひどいわね」
ぽつりと呟いた時だった。
こちらに近づいて来る気配を感じ取るのと、疾風が尋ねてきたのはほぼ同時。
<追い払うか?>
「……遠慮しておくわ。私は大丈夫だから、手出しは一切無用で。誰も来ないように見張ってて」
口早に言って疾風の気配が完全に消えてから数秒、の背中に最早恒例となった言葉が掛けられる。
「こんな所で油を売っているなんて、贔屓のある方は羨ましいわね」
「あら、売っているのは油では無くて、媚なのでは?」
高い忍び笑いがさざ波のようにわき起こる。
いつもと違ったのは、それが一人や二人では無く、五人も連れ立っているということだった。
元来人通りの少ない場所であるので周りには誰もいない。
尤も、相手もそれを承知で来たのだろうが――ここにが一人で来るタイミングを嗅ぎ付けるとは、優秀な忍も顔負けの察知能力である。
溜息を堪えて、は笑顔で振り返った。
「皆さんも休憩時間ですか?」
暗に自分は列記とした休憩時間であることを含ませたのだが、ここにはそんなことに頓着する人間は皆無だろう。
案の定、彼女たちも馬鹿にしたように笑っただけで取り合わない。
そしてつらつらと、嫌味に留まらない誹謗中傷を挙げ連ね始める。
どうしたものかと困り果てていたは、不意に突き付けられた一言にぴくりと顔を上げた。
「ちょっと聞いてるの? あなたみたいに何でものらりくらりとかわす人間、政宗様の一番嫌われる人種なんだから!」
……言われてみれば、その通りかもしれないと思えた。
確かに彼は、白黒はっきりしない人間は好かないだろう。
記憶を失う前、政宗はわざわざ敵国の武田まで出向いてのことが必要だと言ってくれた。
そうやって差し出された手を、はいろんなことを理由に挙げて取ろうとはしなかった。
――あれ以来、『政宗』とは会っていない。
政宗の記憶が無い今は主と侍女であるが、例え記憶が戻ったとしても、もう嫌われているかもしれない――
胸の内で不安に思っていたことを眼前に突きつけられ、は眉根を寄せた。
(そんなこと、この人たちに言われなくたって私が一番……っ)
「私たちの方が政宗様をお慕いしてるのですからね!」
「っ……!!」
カッとなって思わず開きかけた口と上げかけた手を、切れる寸前の理性で押し留める。
彼女たちは名ばかりの侍女と言えど、政宗に服従する有力大名・領主から送られた政宗の室候補であり、人質でもある。
不用意なことを言って怒らせるのは得策とは言えないし、まして傷つけたりなどすれば外交問題だ。
如何に侍女頭という地位があろうとも、伊達の人間として彼女らの実家を刺激する訳にはいかない。
「今日もまただんまりなの? それなら武に長けた伊達家の侍女らしく、手合せででも思い知らせてあげるわ」
「まぁ、勢登殿は薙刀の達人でしょう。弓だけがお得意の侍女頭殿にはあまりにも不利なのでは?」
「曲がりなりにも武家に生まれた娘の端くれなら、一通りは作法も知っておりましょう?」
「本当に端くれなのですからお可哀相ですよ」
くすくすと楽しそうに笑った勢登と呼ばれた侍女がずいとに薙刀を突き出した。
義姫の時と似ていて、けれど全く違う状況には歯噛みする。
(お相手してあげたい気持ちは山々だけど……)
どうやら彼女たちはが薙刀を使えることを知らないらしい。
達人と言っても手に豆さえ無いことから見てもあくまで姫君の手習い程度だろうし、下手をすれば怪我をさせてしまうかもしれない。
仮にわざと負けることが可能な力量だったとしても、それは今の頭に血が上った状態では全く自信が無かった。
何とも言えず、差し出されたままの得物を取ろうともしないに調子づいたのか、彼女たちはぐるりと回りを取り囲み、なんとを突き飛ばし始めた。
まさか自分がこんなイジメの典型みたいなお約束を受ける日が来るなんて――
思いながら、これからどうしたものかとようやく真剣に考え始めた時だった。
「Stop!! テメェら何してやがるっ!」
聞こえた声と駆けてくる姿にドキリと鼓動が跳ねたのも束の間、その後ろに感じた疾風の気配に、の脳裏に昔の賎ヶ岳での出来事が甦る。
――「女というものは、危機の時の強がりほど、間逆を言う傾向があります。そして、口では何と言っていても、男に助けて欲しいと思っている――特に好意を寄せる男に」
今にして思えば、あれは全くの図星だったのだが、随分な曲解であることは確かだ。
今回、疾風はどうやらまた久々に妙な勘違いをやらかしてくれたらしい。
またか……と脱力したのと同時に、鬼気迫る勢いで迫ってくる政宗に体が自然と身構える。
これから起こることを考えれば顔が引き攣りそうだったが、やはりどこかで安堵してしまっている自分に苦笑する他は無かった。
「そう言やぁ侍女頭が決まった頃から、何やら他の侍女たちが騒いでいるようですな」
「Ah?」
いつもの政務をこなしながら、定例となっている黒脛巾組の報告を聞いている時だった。
命じた偵察などの結果を一通り聞いて、他に何か無いかと問えば、昔堅気の黒脛巾の長・頭領はそんなことを言い出した。
「がどうしたって? 騒いでるってのは一体何だよ」
「何でも侍女たちの間じゃぁ、殿は若と小十郎殿を誑かす悪女なんだそーで」
「は?」
思わず間の抜けた声で聞き返した政宗は、今聞いた言葉をぐるりと脳内で一回転させてみた。
悪女……誑かす……あの色恋にはトンと疎く、そういった経験も欠片も無さそうなのことだろうか。
「――HaHaHa! そりゃ傑作だなぁ、オイ。この俺や小十郎がアイツに誑かされてるってか?」
「事実はこの際関係無ぇんじゃねぇですかね、あの娘っ子たちにゃあ」
「……そりゃどういうこった?」
くつくつと笑っていた政宗は、真面目な頭領の声にスッと目を細めた。
わざわざ黒脛巾の頭領が言い出したのだ――良い話ではあるまい。
「前々から、新参で若の覚えもめでてぇってんで陰口や嫌がらせを受けておいでのようでしたが、侍女頭になった頃からそれが少々度を越えてきておりやして。殿の私物を勝手に盗み出して捨てるわ、市に流すわとどんどん悪化しているようです」
政宗は目を瞠った。
そんな陰湿なことをする人間が居るなどということ自体、武将の政宗には信じ難いことだが、女の世界とはそういったドロドロしたものなのだろうか。
しかしここ数日のを思い返してみても、特に変化は無かったように思う。
少し疲れ気味で威勢には欠けていたが、ただ新しい役職での忙しさからかと思っていたのだが……
「……いや、待て。悪化してるっつったが、アイツもそこまでされて黙ってるタマじゃねぇだろ」
女同士のいがみ合いには興味が無さそうだが、やられる一方というのは性に合わなさそうだ。
あれでいて中々勝気な所があり、何よりも負けず嫌いであることを政宗は知っている。
しかし、頭領の答えは意外なものだった。
「それが、殿と親しい古参の侍女らが嗾けても殿は一切何も言わねぇらしいんです」
「古参のってことは、やってんのは……」
「へぇ、小田原からの新参ばかりでさぁ。それも、それなりの後見があって、気位の高いどころだと」
「……Shit!」
余りにも"らしくない"泣き寝入り……けれど、相手の実家や後見を気にしてのことだと思えば、途端に"らしい"行動になる。
政宗が顔を顰めた刹那、不意に庭先に微かな気配が現れた。
「! どうした、疾風。若の御前だぞ」
最初に北条を攻めた際の思わぬ拾い物――兜を目深にかぶった赤髪の忍。
伝説という異名を取る風魔小太郎。
今は疾風と名を改めて伊達に仕えるこの戦忍は、あまり政宗には良い感情は抱いていないらしいということは分かっていた。
少しでも戦力が欲しい時なので細かいことは言っていられないが、元は敵であったのだ……いつ寝返らないとも限らず、政宗も警戒は怠っていない。
その風魔が自ら一体何の用だ――?
鋭い眼光を向ける政宗に気付かぬ訳も無いだろうが、疾風は淡々と口を開いた。
「城内で私闘が起こっております。止めますか?」
「……Ah? ケンカ、だと?」
訓練以外の刃傷沙汰、ましてや私闘が厳禁であるのは、どこの城でも同じだろう。
しかし血の気の多い伊達軍において、兵同士の少しくらいのいざこざはそれほど珍しいことでも無かった。
伝説の戦忍が一体何を、と眉を顰める政宗に、疾風は続けた。
「数人の侍女が侍女頭殿を取り囲んで暴行を加えている様子」
その言葉を聞くや否や、政宗はガタリと立ち上がっていた。
「どこだ?」
「奥の南西外れの庭」
「あの馬鹿が……!!」
毒づいた政宗が足音荒く出ていき、疾風はスッと影に消える。
「……やれやれ、若い者はええのぅ」
二人とものこととなれば目の色が変わるのは前々から同じで、そして記憶を失ったせいで以前のような信頼関係も無いのに、やはり彼女のピンチにだけは息もぴったりだった。
一人残された頭領はニヤリと凄みのある顔を崩して音もなく風に消えた。
「やめろっつってんだろ!」
叩きつけるような怒声と共に乱暴に腕を引かれ、目の前に青が広がる。
気が付けばは、政宗の背に庇われるようにしっかりと守られていた。
「政む……」
「まっ…政宗様っ……!?」
の声を遮るようにして侍女たちから悲鳴にも似た声が上がる。
興奮していた為か、今になってようやく政宗がこの場に現れたことに気付いて、彼女たちから一斉に血の気が引く音が聞こえた気がした。
「誰がコイツに手ぇ上げていいっつった?」
後ろに居てもひやりとする針のような怒気は真っ直ぐに侍女たちへと向けられており、深層の姫君たちはひっと呻いて弾けるようにその場に額ずいた。
「もっ…申し訳ございません!!」
「――大丈夫か」
「は…い………」
謝罪には見向きもせず、肩越しに投げられた視線に問われる。
は何事も無いように微笑もうとして、自分がまだ体を強張らせたままなのに気付いた。
ゆるゆると息を吐いて痛みに耐えていた体を弛緩させる。
構図は周りを囲まれての袋叩きのようだったかもしれないが、非力な女性の力であるし、特に目立った外傷もない筈だ。
あちこちが鈍く痛むのも、少し痣になっているくらいだろう。
しかし政宗はそれに目ざとく気付いたのか、ぞっとするような冷たい視線を侍女たちへと向けた。
「俺ぁな、テメェ一人じゃ何もできねぇ癖に群れると気がデカくなるような人間にゃ、虫唾が走んだ」
ぐいと再び手を引かれ、やや強すぎる力で抱き込まれた。
は崩しそうになったバランスを立て直すために無意識に政宗の服を掴む。
それに気づいた政宗がククッと笑ったのが耳元で聞こえ、一気に顔が熱くなった。
「――コイツを侍女頭にしたのは俺だ。文句があるなら俺に直接言うんだな」
「なっ…なれど……!」
勇気のある一人がとっさにそう声を上げた。
「その者は、我らのように名のある家の生まれでは……」
「Ha! Nonsense!」
しかしばっさりと一刀両断した政宗はむしろ楽しそうな口調で言う。
「この下剋上の世の中に、生まれや身分なんざ関係ねぇ。ここにコイツより機転が利いて自分を磨こうとしてる女が居るか?」
喜んでいる場合では無い――分かってはいても、その言葉はにとって何よりも嬉しかった。
生まれや身分を問わない政宗の姿勢もそうだが、記憶が無くても、ただの『』という一人の人間として認めてくれているのだというようで――
「アンタらみたいに自分を磨こうともせず、他人の足引っ張ることしか考えねぇような奴は伊達にゃ必要ねぇ。家に帰んな」
ニヤケそうな顔を押し止めていたは、暇を申し付ける決定的な言葉にはっと顔を上げた。
認めてくれているからこそ、少しでも役に立ちたいと思う―― 一層その気持ちが大きくなるのだ。
「お待ちください、政宗様」
微かに目を瞠って政宗が腕を緩め、はそこから抜け出して改めて対峙する。
この目の前の腕や背中にただ守られることは、彼に想いを寄せる女にとってはこの上なく甘美で心地よいことだ。
けれどは、守られるだけというのは嫌だった。
守ってくれる分――守ろうと心を傾けてくれる分、それ以上に相手を守りたいと思う。
ましてや、自分に与えられた仕事は自分で全うすることなど当然だ。
「これは、侍女頭として私の監督不行き届きです。政宗様が私を信用してくださるなら、どうか処分は私にお任せいただけませんか?」
驚いた様子も無くこちらを見つめてくる政宗と視線を合わせたまま数秒、やがて彼は口元を吊り上げた。
「……I see. 分かった、お前に任せる」
「! ありがとうございます!」
何か考えがあるのだろうと分かってくれているのがひどく嬉しかった。
その上で任せてくれるというのだから最大級の信頼だ。
「んで? どう落とし前付けるんだ?」
だからも勝気に笑ってみせる。
「彼女たちは、私と薙刀の稽古を希望しております」
「Hu-um…それで白黒付けるってか。Ha! お前も物騒な女だな」
「政宗様の流儀にも叶うかと」
「違いねぇ。OK! いいぜ、俺が立ち会ってやるよ」
楽しそうに政宗が言った直後には、疾風によって数本の薙刀が用意されていた。
こういう所ばかり気が回るようになって、何やら複雑な気分である。
「では、お願いいたします。その代わり、政宗様と忍殿は離れた所から見ていてくださいね」
「アン? 何でだよ?」
「これは、女同士の戦いですから」
「……へぇーへぇー、注文の多いお姫様だぜ」
「ありがとうございます」
にっこり笑って政宗たちが離れるのを確認したは、その笑顔のままへたり込んだ侍女たちに向き直った。
疾風はともかく、政宗には会話の内容までは聞こえない距離だ。
「さて、皆さん。ご希望通り、お手合わせに応じましょう」
「……どういうつもり?」
「ルールは簡単」
睨み付けてくる侍女には取り合わず、は淡々と続けた。
「私と皆さんで、一対五。負けたほうが勝った方の言うことを聞く」
短い説明に、全員がポカンと間の抜けた顔になり、次いで嘲笑も露に立ち上がった。
「本気で言っているの?」
「政宗様に庇われて頭が舞い上がってるのでは?」
あながち全否定も出来ない言葉にむっとしながらも、表面上はあくまで笑顔を貼り付けて薙刀を構えた。
「言っておきますが、私は本気です。ちなみに、負ける勝負はしませんので。さぁ、どうします? 勝負を受けますか? それともこのまま政宗様の裁きに従いますか?」
答えは分かりきっていたが、彼女達はまるでその返答だというようにそれぞれが薙刀を手に取ってぐるりと周りを取り囲んだ。
先ほどのことがあるからか自分達の勝利を疑っていない様子だ。
あれはが最初から無抵抗に徹していたせいだと言っても信じそうになかった。
「後悔しても知らないわよ!」
「……それはこっちのセリフです」
多勢という負い目も無く威勢良く飛びかかってきた最初の一人を難なく避ける。
ちらりと横目で政宗たちの方を確認すれば、先ほどと同じ位置で腕組みをして見物していた。
その後ろに控えている疾風に視線を移して小さく口元を動かす。
「ここからの会話は政宗様に伝えないで」
聞こえない会話の内容を、政宗が疾風に通訳させていると見越しての言葉だ。
読唇術ではないらしいが、流石忍だけあって耳も人間離れして良いのだろう……疾風にはそれで十分らしかった。
赤髪が小さく頷いたのを見て、は視線を戻す。
向かい合っただけでも、おおよそは分かる。
『薙刀の達人』だと言われていた侍女――勢登は思っていたよりもできるようだったが、それ以外はひどいものだった。
属性に目覚める前のでさえ、基本の型を知っていれば彼女たちには勝てそうだ。
けれど政宗の前で本気を出す訳にもいかないので、実力が分からないように適当な動きで防戦一方に回る。
ただがむしゃらなだけの攻撃を同じく刃を潰した薙刀で受けて流し、かわして距離を取った。
「ど…どういうつもり?」
自分からは全く攻撃しない上に息一つ乱れていないに、勢登は構えながら睨みつけてきた。
は返答の代わりににこりと微笑みを返す。
逆上した勢登が切りかかってきたのを紙一重でかわして、その耳元に囁いた。
「っっっ!!」
勢登が息を呑んで驚愕の眼差しで振り向く。
彼女に続くように同時に躍りかかってきた他の四人にも、は同じようにかわしてそれぞれに言葉を落とした。
「!! なっ…なぜあなたがそれを……っ!!」
の言葉を聞いた彼女たちは、一瞬何を言われたのか分からないというように呆然とした後、それぞれが各自様々に顔色を無くして立ち尽くした。
「まだ他にも知っていますよ。例えば梅さんは城下の旅籠でも……」
「ちょっ…ちょっと、やめてよ!!」
彼女たちの最大の弱みを握っているは、焦る必要も無くゆったりと構え直す。
「さぁ、どうします? まだ続けますか?」
悔しそうに言葉に詰まった侍女たちには笑みを深くした。
彼女たちの弱み――それは、が疾風に調べて貰った件に他ならない。
つまり、彼女たちは政宗や重臣たちの奥方の座を狙いながらも、それ以外の男性ともいろいろと関係があった――言い方を変えれば、男漁りが激しかったのである。
彼女たちの素行から何となくそれを察していたは、疾風に詳しく調べて貰ったのだ。
有力武家から侍女として奉公に来ているということは、政宗の室候補ということになる。
それを踏まえれば、これは不貞にもあたり、彼女たちにとっては痛すぎる腹だろう。
けれど仮に指摘したとしても彼女たちの実家――伊達と未だ強い繋がりの無い武家を刺激することになってしまう。
だから、単独で動くつもりは無かった。
――さっきまでは。
「構えないということは、降参ですね」
疑問形ですら無い言葉にも、しかし反論は一つも返らなかった。
それもそうだ。
政宗が実家に戻すと一度口にした以上、その時点で彼女たちの最大の武器であった『実家』という後見が無効化したも同然なのだ。
つまりも、遠慮はいらないということになる。
「では勝者として……そうですね、ここでも選ばせてあげます。事実をすべて明らかにした上で政宗様から暇をいただくか、私の胸だけに留めている内にご自分から去られるか」
選択肢など無いに等しい二択は、今までのお返し――つまりただの嫌がらせだ。
けれど、彼女たちに選ばせることに意味がある。
政宗に追い出されたのでは無く、自分たちから出て行ったという事実が外交上はとても重要なのだ。
「――どうやら決まったようだな」
近づいてきていることは気配で感じていたので、は振り向いてはいと答えた。
「彼女たちの方から、折り入って政宗様にお話があるそうです」
「へぇ……?」
片眉を上げておもしろそうにを見る政宗から目を伏せて、は静かにその後ろに控える。
後は口を挟むでも無く、ただ彼女たちと政宗のやり取りを聞いていた。
これで、彼女達は実家に帰る。
に反感を持つ女中は他にも大勢いるが、過激派の彼女達が去れば見せしめのような効果を発揮して、嫌がらせや反抗は無くなるだろう。
は伊達の侍女頭として、無事に落ち着くことになる。
「………………」
「どうした、。どっか痛めたか?」
顔を上げれば、眉を寄せてこちらを見つめる政宗が居た。
すぐ傍で、こうして話して心配もしてくれる……少し前の離れていた頃からすれば、この上も無く贅沢なことだ。
いつまでここに居られるだろうかなどと――今から考えるなど馬鹿げている。
「いえ、何でもありません。この通り、ピンピンしてます」
心配を掛けたくなくなくて笑ってそう言えば、政宗もそうかと表情を和らげる。
そんな些細なことでも嬉しくて。
今はただ、何とか切り抜けられたこの状況にただ安堵しようと、他のものから目を閉ざした。
雲一つない空を背景に栄える城下町で、一人の男が茶屋の団子に舌鼓を打っていた。
風にふわふわと揺れる大きな羽が高く結わえられた髪の元結いにささっており、派手な出で立ちはまるで役者のようだ。
男の肩や膝を時折子猿が駆け回っては団子をもっととせがんでいる。
「おや、アンタのとこにも来たのかい、ちゃん」
「ああ、ついこないだやっとなぁ。まあ、何か事情があるみたいだから仕方無いんだろうけど……だけどあれで『お忍び』ってのが通じてるんだから、伊達のお歴々もよっぽどあの子には甘いもんだ」
「まぁちゃんだからねぇ……」
「違いねぇな」
ハハハと愉快に笑っているのは、この茶屋の主人と城下の商売人仲間らしい女だった。
団子を食べていた男は聞こえてきたその会話におや、と身を起こし、彼らに声をかける。
「なぁおっちゃん! そのって子は最近伊達に戻ってきた、頭の切れる別嬪さんかい?」
「なんだ兄さん、ちゃんの知り合いかい?」
「おぅよ! 俺の恋してる娘もってー別嬪なんだ」
恋という言葉に面食らったのか、主人は目を丸くしてやがてはははと笑った。
「あの子も相変わらず罪作りな子だな。だけど兄さん、悪いことは言わないからやめときな。アンタも知ってるだろうけど、あの子には日ノ本が誇る竜がついてるんだからな」
「へぇ、ここいらじゃ有名なのかい?」
「米沢に居た連中はみんな知ってるさな」
「なるほどねぇ~。んじゃま、気ぃ引き締めて行くとすっかな!」
勘定を支払って立ち上がった男の高い上背を、主人は呆れたように見上げた。
「行くって今から城にかい?」
まだ青空だが、もうじき夕暮れ時という刻限である。
「善は急げ、当たって砕けろってね! おっちゃんたちの話聞いてたら、早く顔が見たくなって来たよ!」
からりと笑った顔は主人が呆気に取られるほど無邪気で、自然体だった。
「おぅ、頑張れよ!」
「あいよ! あんがとな、おっちゃん。ごっそーさん!」
思わず激励までして見送ってしまった主人は、男が去った後で我に返って苦笑を零した。
「恋かぁ……ま、障害は付き物っていうしなぁ…」
脳裏に描く二人の絆を疑わない主人はそう暢気に呟いて店じまいを始めた。
嵐の前触れは、こうして賑やかに小田原へとやってきたのである。
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