戦国時代の城というのは様々な役割を持っている。
その第一は古来より変わらず、敵を迎える砦としての役割であるが、次第に権力の象徴という側面が大きくなり、高層な天守閣も作られるようになった。
ビルやマンションと言った高い建造物が無い時代、自然と城下に居ればどこからでもその天守閣を見渡すことが出来るという寸法だ。
規模の大きなものでは、近年完成したばかりだという織田信長の安土城、豊臣秀吉の大坂城などが挙げられる。
如何にも派手好きの誰かさんが好きそうだなとは思うが、意外なことに米沢城は先祖伝来の城ということで本格的な天守は無く、櫓がある程度だった。
それに比べてこの小田原城は、北条時代の天守閣や大きな櫓もいくつかあるし、規模も米沢からは目を瞠るほど大きなものだが、安土城や大坂城に比べれば実益重視である。
城下町ごとぐるりと張り巡らされた城壁は、戦の際には鉄壁の守りを誇る――それは実際に一度真正面から小田原を攻めたことのある伊達には痛いほどに分かっているのだろう。
更に有事の際には城内へも民を避難させることが出来るほどの敷地もある。
それでも政宗ならば実益だけに留めず、粋だとかいう理由だけで大きくて『cool』な天守閣を作りそうなものなのに――そう思い、前に一度聞いてみた事がある。
彼の回答は実に明快だった。
――「Ah? この城に長居する訳じゃねーんだから、必要ねぇよ」
奥州という鄙の一大名が、若くして奥州全土と加賀・関東までも手に入れて、それでも一時も立ち止まらない。
そこには、自分の父にも見ない戦国という時代の熱を見たような気がした。
平時の城は、城主の居館であり、政治の場である。
今や広大な土地を治める政宗の元には多くの家臣が居り、自然と城の規模は大きくなる。
それに比例して、常駐する兵やそれを世話する人間が増えるのも当然だ。
米沢城の時でさえ何人もの女中が働いていたが、小田原城は比較にならない。
毎日生活していても、まだ顔も知らない人を見かけたりもする。
それでも引っ越し間もない為、人も物も全然足りない……それがこの城の現状だった。
も出来ることは何でも手伝いたいという気持ちはあったが、如何せん、兵たちには伝令隊時代にある程度顔が知られている上、侍女という立場では下女中の仕事をすることも不可能である。
顔見知りの下級兵や下女中全てに緘口令を敷くのは流石に不可能なので、助かると言えば助かるのだが……。
「それにしても信じられないわよねー。お城勤めの経験も無いのにいきなり政宗様付きだなんて!」
「……あはは、口をきいてくださった小十郎様の面子を潰さないように、毎日ヒヤヒヤです」
一緒に反物の整理をしていた同僚の言葉に、は苦笑して当たり障りのない言葉を返した。
侍女として働き始めて一ヶ月以上は経っているが、未だにこういうことをよく言われる。
いや、あの宴の夜以来、政宗の傍に従うことが多くなってから余計に増えた。
奥州や関東を纏める伊達の侍女ともなれば、それこそ名のある武家の娘がほとんどであり、当然ながら彼女たちの矜持は高い。
このと同い年だという同僚も、小田原から勤め始めた新入りで、北条の旧臣・関東名門武家の姫君らしい。
当然面識は無かったのでの素性や事情も知らず、知り合った当初はまるで学校の友達と話しているような気楽な気分だったのだが……
「そう! それよ! その上小十郎様とも親しいだなんて! 全く、運が強い人は良いわよねー」
取り敢えず、笑って誤魔化すしか無い。
あはははは――と笑って、は陰でこっそり溜息をついた。
侍女という女ばかりの世界に入ってつくづく分かったが、政宗は言うに及ばず、小十郎も成実も(綱元は妻帯者であるのでまだマシだが)非常に……人気がある。
この時代、地位だけでも絶大な魅力となるが、その上に美形揃い。
ガラが悪いのはこの際何の障害にもならないらしい。
むしろ、その見た目の怖さと優しさのギャップが良いとかで……『政宗様と眼が合っちゃった!』だの、『小十郎様にお礼を言われたのよ!』だの、どこのアイドルかと思うほどの人気ぶりだった。
としては自分の好きな人のことなので、良い気分では無いのは確かだ。
けれどがそれよりも更に問題なのは、所謂、嫉妬ややっかみというような理由で、彼女たちに疎まれているということだった。
この同僚の彼女も、仲が良いと思えたのは最初だけ。
が小十郎の推挙だけで取り立てられた知名度の低い郷士の出だと知って以来、陰で「身の程知らず」「厚顔女」などと散々に言ってくれているのを知っている。
女の世界って怖い――
まつやいつきや三傑など、こっそり親しくしてくれる人たちがいたので低レベルなイジメなど堪えてはいないが、腹が立たない訳でもない。
更に中には過激な性格の娘も居るようで、最近は大事な仕事道具や私物が無くなったりすることもある。
散々探して、疾風が池の中で発見してくれたこともあれば、喜多に貰って大切にしていた櫛が城下の質に流されていたこともあった。
それでも騒ぐほどでは無いので放っていたのだが、米沢時代を知る古参の侍女たちは事情を知っているだけに親身に同情してくれる人もいて……
「――梅殿、ここで何をしておられる?」
「……手が空いたので、殿のお手伝いを……」
「ならば口より手を動かしてはどうですか」
「…………」
つらつらと嫌味を連ねていた同僚の梅は、先輩にあたる侍女――文のぴしゃりとした言葉に、何も言わず強烈な一睨みだけ残して走り去って行っていった。
は深々と溜息をつく。
「……すみません、文様」
「様はいらないと言いましたのに! 様、あんな輩に好き勝手言わせておいてはいけません!」
「文さんこそ、後輩に敬語はいりませんよ。それに、大丈夫です。何を言われても、実害がある訳じゃありませんから」
「近頃は口だけでは無いというではありませんか!」
「……………」
文は、が初めて米沢城に行った頃、城の一室で怪我を養生していた時に政宗が付けてくれた侍女の一人で、米沢に居た頃から何かと親しくしてくれ、小田原で再会してからもそれは変わらなかった。
それに古参の女中たちにはなぜかを応援してくれる者が多く、の政宗に対する気持もバレバレな節がある。
恥ずかしいことこの上ないが、娘や妹のように可愛がってくれるその気持ちは純粋に嬉しいものだ。
彼女たちに言わせれば、武田の姫であり、本来政宗とも親しいが、あんな風に新参者の高慢な輩に馬鹿にされるのは許せないらしい。
「お気持ちだけ、本当にありがたく受け取っておきます。でもあんまり私に構うと、文さんの方が……」
「私たちはいいんです! 言われたら言い返してやりますからね! 殿は黙っているから、向こうもつけ上がるんですよ!」
「……すみません」
怒ってくれる文に礼代わりに謝りながらも、むしろそういう分かり易い人間だからこそこれ以上の被害は無いだろうと思えた。
本当に厄介なのは考えも感情をも見せないような冷徹な人間なのだということを、はこの時代に来てからいくつかの城や戦場で思い知っている。
「本当に気を付けてくださいね。ここの所は、殿が小十郎様に懸想しているとか……そんな噂も流れていますから」
「えっ……私がこっ…小十郎さんにですか!?」
「根も葉も無い噂ですが、一体どこから広まったのやら……」
ぶつぶつとため息をつく文に苦笑いを返しながらも、は内心で冷汗を流した。
(まさか出所があの人ってことは無いだろうけど……)
それにしても、こんな時にそんな噂を聞いて彼がどう思うかなど……もう考えたくも無かった。
(……ごめんなさい、小十郎さん)
親切で後見してくれただけの小十郎にも、そんな噂で迷惑を掛けてしまった……は、もし小十郎に想う女性が居たら――そう思ってがっくりと肩を落としたのだった。
一方、忠義一筋の小十郎は、その全てを捧げる相手――政宗の様子がここ数日おかしいことに内心首を傾げていた。
おかしいというか、何やら敵意のようなものを向けられている気がする。
けれど彼には、主の不興を買ったような覚えは無かった。
「政宗様! 仕事も終わっておられないというのに、こんな所で何をしておられる!」
「……煩ぇな。馬の傍で大声出してんじゃねーよ」
午前の政務もそこそこに姿を眩ました主を、散々捜索の末ようやく厩で見つけた小十郎だったが、輪をかけて不機嫌なその様子に眉根を寄せた。
仕事では特に深刻な案件も無かった筈だが、他のことで何かあったのだろうか。
理由は何にせよ、国主の勤めをサボるのは見過ごせない。
「全く……ここ最近、をお傍に置くようになってからは良いお目付け役になっておりましたものを」
ピクリと政宗が小さく反応し、小十郎はおやと片眉を上げた。
あの娘と何かあったのだろうか……そう思うと何やら胸がざわついたが、顔を顰めてそれを追い出し、カマを掛けるかのように問いかける。
「アレが、何か御迷惑でもお掛けしましたか」
その瞬間、ひやりと周囲の温度が下がったような気がした。
ピリピリと大気中の小さな雷が震えている。
「アイツは何だ?」
「………!」
息を呑む小十郎に政宗はちらりと視線を流した。
「アイツはお前の何だ」
「………………は?」
小十郎はたっぷり数秒の後、思わずそう問い返していた。
「ボケるにゃ早いぜ、小十郎。お前にとってのは何だって聞いてんだよ。sisterか、daughterか?」
てっきり記憶を思い出そうとしているか、誰かからのことを聞いたのかと思って緊張した小十郎は些か拍子抜けした心地で主を見つめた。
しかし、声音からしてもその問いが真剣なものであることは明らかで、何より政宗の機嫌の悪さがそれに由来していると分かる程にプレッシャーを感じる。
「それ……は………」
確かに、小十郎にとってのは妹や娘のようなもので、そして主の想い人でもある。
後者は告げる訳にはいかないが、前者は胸を張って言える……その筈だった。
しかし予想を裏切って奇妙な焦燥感が胸を満たし、何も言葉にならなかった。
そこで初めて喉が渇いていることに気付き、政宗の視線が孕む殺気にも似た気にあてられたのだとようやく悟る。
沈黙はほんの数秒。
愕然と固まる小十郎を、政宗は不機嫌顔のまま鼻で笑った。
「アイツを侍女頭にする」
「……なんと?」
「何遍も言わせんじゃねぇ。能力的には問題ねぇだろーが」
言外に不満はあるまいと含まれているのを感じて、小十郎は鼻白んだ。
文句は無いが、話が矢継ぎ早でついていけない。
「アイツなら、一軍任せて戦場に放り込んだって案外器用にこなすんじゃねぇか?」
くつくつと笑う政宗は冗談で言っているのだろうが、それは全く笑えない真実であるので追従して笑うことも何か言うことも出来ない。
小十郎は代わりに、働かない頭で何とか言葉を紡いだ。
「しかし……姉がおります」
「Yeah, 喜多に任せてりゃ粗方問題ねぇだろうが、それだけじゃ手が回んねぇって言ってきたのはお前だろ」
小十郎の姉の喜多は政宗の守役として別格であるが、侍女頭というとそれに次いでの地位だ。
だがそうなったところで、実質的にの仕事は今とほとんど変わらないだろう。
変わるのは地位と立場で――
小十郎の疑問を見透かしたかのように、政宗は薄く笑った。
「は侍女頭だ。今後は気軽に頼み事なんざ押し付けねぇように徹底させろ。――小十郎、お前もだぜ」
小十郎ははっとして政宗を見つめた。
――侍女頭に指示できるのは、奥向きで上司にあたる喜多か、主家の人間のみ。
言わば小十郎と同じように、組織という枠を頭一つ分越えて、政宗の直属となる。
「政宗様……」
呼びかけても反応しないその横顔からは何も読み取れなかったが、わざとそのように装っているのだということは分かった。
随分昔に見たことがある……小十郎に心を開く前の、頑なに反発している顔だ。
「アイツに命令出来んのは俺だけだ」
断言した言葉は、何があっても翻らない頑固さがあった。
まるで気に入りの玩具を取られるのを恐れているような……そんな子供じみた独占欲。
(お気付きで無いのか……)
政宗がに執着しているのは明らかで、それは記憶を失くす前と変わらない。
けれどその方向性と周りに向けられる敵意が、嫌が応にでも小十郎の抱く危惧を煽り立てたのだった。
080616
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