89.想定外

 誰にでも苦手なものの一つや二つはあると思う。

「そう、怖いものが無い完璧な人間なんていないよ!」

 自らを鼓舞するようにそう一人ごちたのは、この小田原城の城主付き侍女――
 毎朝恒例の主の起床を手伝う為に奥に向かっているところなのだが、まだ日の出前で辺りは真っ暗闇だった。

 遠方へ視察に出るからということで、いつもより早い刻限に起こすようにと言いつかったのは昨日のこと。
 早起きはそれほど苦でも無いのだが、問題は日の出前ということにある。

 そもそも、は幼い頃から暗闇が苦手だった。
 忘れていた記憶を部分的に思い出した今なら分かる……賊に攫われ、暗闇の中を一人で逃げ惑った。
 怖くて仕方無くても、火を灯せば捕まってしまう。
 長くは生きられないと告げられていた病持ちの幼少時代、死ぬことは正直怖くて堪らなかった。
 暗闇はその死とイコールで繋がれ直結していたのだ。
 その後に流されたのは夜でも明るい時代だったが、そんな場所でも、眠る時にさえ電気を消せないほどずっと闇を恐れていた。

 闇自体が怖いのだ――そこに潜むとされるモノを怖がらない訳がない。

 そんな次第で、は成長した今になっても、暗闇とそこに存在するモノが苦手だった。

「く…暗いのは、まだ平気なのよ……」

 震えながらも、僅かの虚勢と共にそう呟く。
 ここは未来よりもずっと闇の濃いこの時代……況してや毎日の生活では蝋燭や油等、灯りを保つものも無駄には出来ないので、自然と暗い中で眠ることには慣れた。
 それでもこの時代に戻ってきた当初はやっぱり恐ろしくてたまらない夜もあったが、にとっての光とも呼べる存在に出会えたから――

「そうよ! だから怖くなんて……」

 それは、自分を勇気付けるように口を開いた直後だった。

 ふわりと、目の前を白い影が通る。
 硬直したの目の前で、その半透明の白いモノは、もやもやと髪の長い女の姿になり、その口がニィと大きく割れた。

「きっっっっ…」

 ざっと音を立てての全身から血の気が引く。

「きゃぁぁぁぁぁあああああぁぁぁぁぁぁあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 まさに金切り声とも呼べるの悲鳴は、夜の静寂に響きわたった。
 その規格外の悲鳴に、何事かと城中が飛び起きたのは言う間でも無く……

 しかしが自分の父親譲りの大声を自覚して心底消え入りたくなったのは、そこから一番部屋が近かった政宗が飛び起きて来た時でも、庭の木に潜んでいた疾風がぼとりと落ちた時でも無く、後日に城下の商人から敵国の夜襲かと思ったと真剣な顔で告げられた時だった。






「……なんつーか、お前はもっとalmightyに何でも出来る奴だと思ってたぜ」
「………………人には得手不得手がございます」

 主である政宗の言葉に、は苦し紛れにそう返した。
 目の前には自分で作った朝餉があり、なぜか政宗がそれらを見下ろしている。

 考え事をしていたせいで炙るだけの予定だった干物は焦げているし、足元にじゃれ付いてきた子猫に気を取られて指と一緒に不格好に切られた沢庵。思わず反応してしまった天井裏に潜んだ黒脛巾の気配に運ぶ途中で少し零してしまった味噌汁……
 責任転嫁したところでどうにもならないが、ようするにいろいろと失敗してしまったのだ。
 しかもそんな時に限ってふらりとやって来た政宗に見られ、思い切り呆れられたという次第である。

「お前、結構ぬけてるとこあんな」
「っ……」

 悔しい――と、馬鹿にされて思わないでは無いが、ここ最近の失敗続きを思い出せばそれも言えない。

 先日の早朝幽霊騒ぎからして、散々呆れられ、爆笑され、城下まで騒がせたということで小十郎の説教を受ける羽目になった。
 苦手なものは仕方無いじゃないかと開き直りたかったが、大勢の安眠を妨害したことは事実で……

(……あれはホントに最悪だった……)

 何せ、真っ先に駆けつけてきた政宗に、いくら動転していたとは言え自分から思い切り抱きついてしまったのだ。
 好きな人相手では、恥ずかしいと思うよりも向こうの反応を恐れる気持ちの方が先に立つ。

 次いで駆けつけてきた小十郎に引き剥がされて初めて我に返ったが、いろいろ余裕が無くて顔から火が出る思いでひたすら平謝りだった。

 その一件以来、政宗にはなぜか悉く失敗したところや苦手なものばかりを見られている気がする。

 下手な琴の練習中然り、今日の朝食然り――

(…というか、一体何しに……)

 疑問に思ったところに、突然政宗がひょいとの椀を取り上げた。
 あっと言う間も無く、味噌汁を一口ずずと啜る。

 咎めるよりも、我知らず料理の達人である政宗の反応に息を詰めたに、相手は僅かに眉を顰めて呟いた。

「ちぃと辛ぇな…」

 ガックリと肩を落としたのも無理は無い。
 料理自体はそれほど得意でも苦手でも無いが、やはり好きな人には美味しいと言って貰いたいのが乙女心だ。 

 項垂れるを見てどう思ったのか、政宗は強引にの腕を取って引き上げた。
 唐突に高くなった視線の先で、鋭い隻眼がニヤリと細められる。

「今日は遠駆けに連れてってやろうかと思っててな…」
「えっ、遠駆け!?」

 近くなった距離と言葉にトクンと胸を高鳴らせたのも束の間、落された餌に勢い良く飛び付いたに、政宗はそれは楽しそうに笑みを深めた。

「だが、やめた」
「え……」
「この俺自ら、Cooking Lessonしてやるよ」

 その一言に、はぴしり、と音を立てて固まった。

「つまり…政宗様が私に料理をご教授くださる……と…?」

 聞き間違いであってくれ、というささやかな願いを打ち砕くように、政宗は力強く宣告を下した。

「YEAR! 独眼竜の侍女が料理も出来ないじゃ話にならねぇからな!」
「うっ……」
「まぁ、やるからにゃ半端なぬりぃ真似は無しだ。徹底的にしごいてやるぜ! Let's Party!!」
「えっ、今からですか!?」
「Ofcause!!」

 まだ食べかけの朝ごはんと遠駆けに後ろ髪を引かれながらも、はずるずると不気味なくらいご機嫌な主に引きずられて行った。
 ひどい目に合うことは目に見えているのに拒めないのは結局惚れた弱みなのだ――そう、溜息をつきながら。







「何だ、その手付きはっ! テメェ魚の鮮度舐めてんのか!」
「そうじゃねぇ! 身まで削いでどうすんだ!」
「もう一回やってやるから、よぉく見てろよ!?」
「ほれ、こうやって……こうだ! You see?」

 の予想通り、政宗の先生ぶりは半端無くスパルタだった。

 米沢に居た頃は、弓隊長屋に引っ越した夜以来何度か政宗と一緒に料理をする……というよりも料理をしている政宗を手伝うことはあったのだが、それはそれは素晴らしい手並みだった。
 しかも自分にも他人にも厳しいのは相変わらずだったので、何か失敗する度にこっぴどく馬鹿にされて随分気を使った覚えがある。
 あの頃は思ったものだ……例え何があっても、政宗にだけは料理の教えを乞うまい、と。
 弓を教えて貰うこともあったが、そちらよりもよっぽど料理中の方が厳しかったのだ。

 そして今現在、本格的なお料理教室では米沢の頃よりも遥かに厳しかったりする。
 あの頃と違って今は君主と侍女だから当然と言えば当然だが……

「あ…の……ですね、政宗様……」
「Ah-hn? まさかまだ分からねぇなんて言わねぇよな?」
「えっと……」
「言 わ ね ぇ よ な ?」
「………精一杯頑張ります」

 そうは言われても、政宗先生の『お手本』は異常だ。
 生きた魚を宙に放り投げて出刃包丁を数度振っただけで、まな板の上には綺麗に三枚に下ろされたピチピチの切り身がある。
 こんな達人技、常人に出来る訳がない……そう思うのが普通である。

 属性の力に目覚めて以来、動体視力も格段に上がったは何とかその手の動きだけは視認出来たが、それを実際に自分が出来るかと問われれば全く別だ。

 だからといって諦めるという選択肢も鬼コーチの前では皆無で……
 数度深呼吸をした後、カッと目を見開いて……取り敢えず普通にまな板の上に置いて挑戦した。

「なんだそりゃ」
「だって! いきなりあんな凄い技出来ません!」
「Huー……たく、しょうがねぇ奴だな。大体手付きが危なっかしいんだよ。包丁ってのはここを握ってこっからこう刃を立ててだな……」

 突然後ろから手元を握られて、はビクリと体を震わせた。
 身長差から自然抱き込まれているような体勢になり、一気に心拍数が跳ね上がる。
 触れられている背中や手が全部心臓になったかのようだった。
 すぐ耳元で話される声も凶器だ。

「こ…こうですか?」
「Ah、そこはもっと内側を……」

 それでもドキドキしているのを悟られぬように「落ち着け、落ち着け」と念じながら何とか一匹を捌き終わる。
 ようやく政宗が離れたことでほっと安堵したは、脱力した。

(無性に疲れた……早く終わらせよう)

「政宗様、取り敢えずここまでで……」

 くるりと振り返った刹那、まだすぐ後ろに居た政宗と至近距離で目が合って瞠目した。
 後ろからと真正面からでは訳が違う……今にも体が触れそうなその距離。
 それに動揺しない筈も無く、思い切りうろたえて後ずさった途端、ガタリとまな板を倒した。

「! っ!」

 呼ばれた名と、引き寄せられた腕の感触に目を瞠った。
 それは一瞬の間のフラッシュバック。

 ――「――っ!!」
 ――「……ようやく、呼んだな……」

「っっっ……やっ……!!」

 血の気が引いた体で、強く押さえられた腕から無理やり逃れる。
 驚いたような政宗がこちらを見ていたが、彼に怪我が無いことを見て取ってやっと体の強張りが解けた。

 少し離れた所に包丁が転がっていた。
 恐らくまな板と一緒に落ちたアレから庇ってくれたのだろう。

「――あ…りがとう…ございました」

 声の震えをなるべく押さえてやっとそう言ったに、政宗は顔を顰めた。
 そして顔を背けて立ち上がる。

「……怪我はねぇか?」
「は…はい! すみませんでした……最近、政宗様にはうっかりな所ばかりをお見せしてしまって……」
「全くだな。そんな粗忽もんじゃ嫁の貰い手もねぇぜ?」

 落としたまな板等を拾って立ち上がったは、言われた言葉に眉根を寄せた。
 政宗らしからず、感情の篭っていない淡々とした言葉だ。
 そもそも、なぜこちらを見ないのだろう?

「まあ、嫁の前に色気が問題か」
「………は?」
「好いた男の一人も居ないようじゃ、まだまだガキだな」

 カチンときながらもはようやく悟った。
 唾棄するように思い切り馬鹿にした物言い……
 何やら急に、政宗は機嫌が悪くなったらしい。いや、喋りながらもこちらを見ないということは、に対して何か怒っているのだろうか。

「………私にだって居ない訳じゃありません」
「Ha、どうせ恋に恋してるだけだろ。ガキがかかる麻疹みたいなもんだぜ」

 鼻で笑われ、馬鹿にされたことにの忍耐が切れた。
 政宗に対する想いを本人に否定されたようなものだ……今も、を見ようともしない本人に。

「私にも……命をかけられるくらい好きな人は居ます!」

 思わず叫んでしまったその一言に、政宗がぴくりと反応した。
 体をずらして、横目に見るように隻眼の視線が向けられる。

「……へぇ? いつきとかって言うんじゃねぇだろうな?」
「いつきちゃ…様も好きですけど、ちゃんと男の人ですよ! ……Likeじゃなくって、…Loveです!」

 一体なぜこんなことになったのか、本人を前に力説していることが今更ながら恥ずかしくなってきたが、もう後には引けない。
 赤面しながらもぐっと相手を見上げるに、政宗を包む気が凶悪さを増したのが分かった。

「………テメェ、イイ度胸じゃねぇか。仕えるべき主を差し置いてその野郎の為に命をかけるってのか?」
「そ…れはっ……」
「お前が命をかけるべき相手が誰か、この俺が直々にたっぷりとlectureしてやろうか、Ahhnnn?」
「え…遠慮します! それに、その人の為にも、私は政宗様に命を賭してお仕えしますから!」

 思い切り凄まれて逃げるようにそう告げたの言葉に、政宗はぴたりと動きを止めた。

「アァ? そいつの為に俺に仕えるってこたぁ……それなりに名のある武将か? お前に縁のある武将っつーと……」

 ギクリと、も固まった。
 侍女のに縁のある武将なんて一人しか居ない。
 しかしここで小十郎の名でも出せば、後から本人に何を言われるか分かったものではなかった。絶対に迷惑だろう。

「まさか、あの堅物の小十郎か?」
「っっ! そ…そんなことある訳ないじゃないですか!」
「………ほぅ、そうかい」

 しまったと思ったがもう遅い。
 力いっぱい否定したが逆効果だったらしく、対する政宗の目は冷ややかだった。
 腕組をして勝手口から見える外に目を向けている。――いや、あれは小十郎の畑のある方角だ。

「あ…あの、本当に小十郎様ではありませんから!」
「I see. 何回も言わなくたって分かってる」

 皆まで言うな。
 そう言われているような気がして不安だったが、これ以上食い下がる訳にも行かず、はただ沈黙に耐えながら片づけを始めた。

(……なんでこうなるの)

 ひどい目に合うとは分かっていたが、こんな展開はいくら何でも予想外だ。

 深々と溜息をついたは、だから自分のことに精一杯で相手の態度が意味することに気付かなかった。
 そして政宗もまた、同じだったのである。







080608
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