87.姫君の嗜み

 満月の宴から数日後――
 ようやく訪れた休日の朝のことである。

 暑苦しい殴り愛の声などでは無く、鳥の囀りという優雅なものでふと目覚めたは、そう言えば今日が休日だったと思い出して再び目を閉じた。
 この戦国の早寝早起きにもすっかり慣れたが、やはり休日くらいはゆっくりたっぷり眠りたい。
 なので、心行くまで眠ろうと、一度浮上しかけた意識を再び睡眠へと沈めようとしていた。

 その、矢先であった。

 ほとんど足音をたてない女中独特の気配が近づいて来たかと思えば、それはの部屋の前で止まり、唐突に声を掛けられた。

「失礼いたします、殿」

 聞き覚えの無い声だったので眉を潜めながら気配を探ってみるが、さっぱり分からない。
 感情を伺わせず威丈高ではあるが、緊急というのでも無さそうだ。
 しかし無視することも出来ないので緩慢に返事をすれば、障子の前に膝をついているらしい人影はさらりと爆弾を落とした。

「お東の方様のお召しにございます」
「あー…お東…様……え…!?」

 眠気も一気に吹き飛んだが、耳を疑うにその人物は追い討ちとばかりに続けた。

「既に御庭でお待ちですから、お早く。――ああ、着替えられるなら袴を身に付けなされ」
「袴……え…? や、はい」

 まさに寝耳に水をかけられたようで疑問符ばかりが頭に浮かんだが、主の母上に逆らえる筈も無いのでとりあえず了承した。
 女中が去り、のそのそと身支度を整えながら、はようやく働き出した頭でお東の方――義姫が武芸に優れた『鬼姫』であったことを思い出す。
 しかも義姫とは、初対面の――微妙に喧嘩を売ってしまったようなあの時以来である。

 そんな人と、こんな早朝に、城の庭で、袴姿………

「……………………………何させられるの、一体……」

 待ち受けているだろう様々なケースを想像して、は深い溜息をついたのだった。






 満月の宴は、自身も非常に満足の行くものだった。
 政宗もこれ以上無いというくらいに喜んでくれたし、機嫌も良くなったと思う。
 も上等な酒の相伴に預かれて、久方ぶりに共に杯を傾けた時には不覚にも泣きそうになってしまったけれど、それはもう切ないだけのものではなかった。

 まつもいつきもを心配して手伝ってくれたが、傍で実際に侍女をやっているを見て、幾分安心してくれたようだ。
 それは小十郎たちも同じようで、皆に心配ばかり掛けているは、少しでも安堵して貰えたことが何より嬉しかった。
 それだけ、自身が偽りの無い笑顔を浮かべられていたということだから――

 政宗の記憶を……が想っている政宗自身を取り戻すと決めたことで、自覚は無いままに大分肝が座ったらしい。
 以前ほど政宗の傍に居るのも苦痛では無くなって来たし、最近では呼ばれる度に、姿を見る度に、素直に嬉しいと思う余裕も出てきた。

 どうやらあの宴で『女にしては中々出来る奴』と政宗に評価して貰えたようで、それがくすぐったくありながらも、どうしようもなく嬉しかった。
 そのおかげか、何かと頼まれ事も多くなり、時には執務室に呼ばれて書簡の整理まで手伝わされることもあった。
 仕事が増えて以前よりは少し自由な時間と睡眠が減ったが、その分が傍に居る時間に変わったのだと思えば喜ばしいくらいだ。

 だが、気持ちと体力とは一致しないのだから、やはり休日くらいはゆっくり休んで気晴らししたい――そう思うのが人情で。

「……なのに、何この状況……」
「何をぶつぶつ言っておる! かかって来ぬならこちらから参るぞ!」

 素晴らしい気合と共に打ちかかってきた薙刀を慎重に受け流して、は静かに手元の薙刀を構えなおした。


 休日の朝に起こされた不機嫌はあったものの、は言われた通り袴を着込んで身支度を整え、足早に庭へと足を運んだ。
 この小田原城に入って以来ずっと二の丸に部屋を与えられているので、指定された庭が部屋の反対側にあるのだとしても同じ敷地内でそう時間もかからなかった。
 だが、馳せ参じたを出迎えたのは、起き抜けに聞いたのと同じ抑揚の少ない声だった。

「随分遅かったのですね」
「……申し訳ございません」
「もう良い、御茶子。は女だてらに執務室にも出入りする身。疲れているのであろう」

 無感動にそう言った義姫は、女袴に襷・鉢巻という何とも勇ましい恰好で、その手には薙刀が握られており、脇には様々な武器が並べられていた。
 それらの意味するところなど考えたくも無い。

 そう言えば、御茶子というのは義姫に長年仕えている侍女の名だと記憶しているので、その侍女殿自らわざわざを起こしに来たらしい。
 ――そんなどうでも良いことを考えて明け透けな嫌味を流したが、義姫は尚も口を開いた。

、そなた一介の侍女の身でありながら、酒席で暴れておった政宗を諌めたそうじゃな」

 本題をズバリと直球に投げ込んでくるタイミングや、高い所から落ちてくるような威厳と自信に溢れた口調は彼にソックリだった。
 ……が、言っている内容はいかにもな姑発言である。

 事実なので短く肯定しながらも、反射的に身を強張らせた。
 まさか、この嫌味と小言を延々聞かされながら稽古に付き合わされるのだろうか――
 正直、ゾッとするような想像に固まったは、けれど次の瞬間、予想外すぎる言葉に目を瞠った。

「天晴れじゃ! 厄介事しか運ばぬ小娘かと思うておったが、中々どうして、肝が据わっておるわ!」
「は……はぁ……」

 誉められているのか貶されているのか……とにかく素直には喜べず、曖昧な返事を返す。
 しかし、あれだけを敵視していた義姫が一体どういう風の吹き回しだろうとこっそりと窺ったが、相変わらずの氷の美貌からは何も読み取れなかった。

「褒美にこのお東が稽古を付けて進ぜよう」


 ――そうして女性用の一般的な薙刀を渡され、今のこの状況という訳だ。

 義姫は大名の姫君にしても破格の武芸を身に付けていて、並の足軽よりよほど腕前も確かなように思う。
 けれど、記憶は曖昧だが薙刀を扱うことが出来、また属性の力も目覚めて武将として働いていたにとっては、やはり敵では無い。

 下手に攻撃すれば傷付けてしまうかもしれず、防戦一方に回りながらもは心中でため息をついた。

 はっきりとは聞いていないが、初対面のやり取りから、義姫もが武田家の娘で武将として戦場に出ていたことは知っていると思ったが……

「どうした。あの残忍な政宗に刃向うたというのは偽りか!?」

 迫力を伴って言われた言葉に、はピクリと反応した。
 素早く打ち下ろされる刃をよけて距離を取り、相手を見据えた。

「……残忍とは殿に対してあまりのお言葉」
「敵とは言え、女子どもまで撫で斬りにして城を奪うのが残忍で無くて何という」
「上に立つ人間は慈悲だけでは務まりません……それは一国の姫君にお生まれの貴女もご存じのはず」

 義姫とて、伊達に腰入れしてくるまでは最上で父親の苦楽を知り、伊達に入ってからは夫の輝宗、そして兄の最上義光とも繋がり深く、一国の統治というものを傍で見てきた筈だ。
 だがの言葉に、義姫は嘲りも露わに笑う。

「若い者は物の道理も知らぬから嘆かわしい。仁徳名高き父上もさぞや悲しまれようぞ。……それとも、甲斐では慈悲の心を捨てねば国主は務まらぬか? 実の親を追い払うような」

 カッと頭に血が昇るのを感じながらも、は薙刀を握り締めることで何とか耐える。
 やはり義姫はの素性を了承しているのだ。
 だとしたら、何の為にこんなことをするのだろうか。

「いかに戦国の世なれど、恐ろしいことじゃ。残忍な男ばかりが醜く殺し合う国など」

 心底厭そうに吐き捨てられたその言に、唇を噛む。

 国の為、苦悩の末に父・武田信玄は実父を追放して家督を継いだ。それはが生まれる以前のことであり、その心中は娘のにも分かりかねるが、あの仁に篤い父が苦しまなかった筈が無い。
 同じように、この小田原での撫で斬りとて、政宗が望んでやったべくも無いのに。

「――取り消してください」
「なに?」
「私のことは何と言われようと構いませんが、父やあの人を侮辱することはいかに貴女であろうと許さない」

 自分でも驚くほどの冷たい声音の前でも、義姫は些かも怯まなかった。
 こちらをその苛烈な瞳で真っ直ぐに射抜く。

「許す? 先日もそのようなことを言うておったな。そなたがわたくしの何を許すと? ……傲慢で思い上がった物言いばかりよう似ておる」

 誰に、と言われずともすぐに分かった。
 いつもこんなことを、彼にも言っているのだろうか。……失った片目を包帯で隠したあの哀しい梵天丸にも?

「確かに私には何を言う権限もありません……でも、一人の人として……そして女として、貴女が許せない」

 目の前の人が政宗の中で大きい存在であるからこそ、の苛立ちは大きかった。
 ――政宗の中で存在の無くなってしまった『』は、もう彼を支えることすら出来ないのに。

 一度溢れだしたものは簡単には止まらない。
 気が付けば、その一言を口にしていた。

「貴女は…本当に分かっているんですか!? 貴女はもう少しで、小次郎さんを……小次郎さんと政宗さんの心を! 殺してしまう所だったんですよ…!?」

 一瞬……ほんの一瞬、義姫の赤い唇が震えた気がした。
 しかしそちらに向きかけた意識は、瞬時に感じた別の気配に遮られる。

 はとっさに薙刀を捨て、近くに立てかけられていた弓を取った。
 矢を番えて向けた先は――義姫。

「! や…やめよ、!」
「――そこを動かないでください、お東様」

 タイミング悪く現れたまだ甲高い少年の悲鳴と冷静なの言葉はほとんど同時。
 極限まで神経を研ぎ澄ました一矢は、の狙い通りに義姫の――真横を抜けると、庭と城壁の境に命中した。

 音としては何も聞こえ無かったが、感じ取った気配で確かな手ごたえを得る。
 すぐに消えたその気配を追って視線を動かし、そこでようやく弓を下した。

「どこかの忍です」
「なっ…何だと……!?」

 短い言葉に、慌てて駆け寄って来た悲鳴の主――小次郎が驚きの声を上げ、義姫も軽く目を瞠った。
 その二人に説明する前に、は短く別の名を呼ぶ。

「疾風!」

 近づいて来ていた気配が、速度を上げて瞬時にの目の前に姿を現した。

「すまない、一匹こちらへ逃がした」

 開口一番に謝るそれに、は眉を寄せた。
 疾風ほどの手だれがそう言うということは、腕利きの忍隊が数人侵入したということだ。
 二の丸は義姫や小次郎の住処なので警備も重要な筈だが、それでも突破されてしまう程の状況だったのだろう。

「こっちは全員無事だから大丈夫。西に逃げたわ。矢の手応えはあったから、まだそんなに遠くへ行ってないと思うし――捕まえて」

 早口に最低限のことだけ告げると、疾風も一つ頷いてすぐに姿を消した。
 疾風が追って来たからには何か情報を掴まれたのだろうし、みすみす逃がす訳にはいかない。

「そっ…そなた、いかに事情があろうとも、お東様に何という……!」

 真っ青になって走り寄って来た侍女――御茶子は、今にも卒倒しそうな様子でまくし立てたが、義姫自身がさっと制した。

「大事無い。コレは勤めを果たしただけじゃ」
「でっ…ですが……!」
「お家に忍びこんだ曲者を退治るは、女の勤め――のう、そうであろう」

 無表情に水を向けられて、は少し口ごもる。
 平和な時代で育ったには、そういった戦国の常識倫理といったものは欠けている。
 けれど、義姫が今のの行動を認めてくれていることだけは確かだった。
 だからこそ、思うままを口にする。

「大切なものの為に武器を取る……それはいつの時代も同じ、人の性なのだと思います」

 ぴくりと片眉を上げた義姫に、は今日感じていた不可解なものを理解した。
 突然呼び付け、稽古と称して手合わせをし、わざとを怒らせる発言をする――

 ――を試していたのだ。理由や目的までは分からないけれど。

「……本来、そういう時の為に戦う術を身に付けるんでしょうから――『姫』と呼ばれる女性も」

 貴女も私も。

 怒気や他の感情も無く、ただお互いの瞳を真正面から見詰めたのはこれが初めてだった。
 その驚くほど彼の人に似た深い眼差しはすぐにふいと逸らされ、優雅な動作で踵を返す。

 凛々しい出で立ちの華奢な背中は、一度も振り返る事無く騒がしくなり始めた館の奥へと消えていった。






「――母上に弓を向けていたのを見た時は驚いたが、見事な腕前だったな。あれほど弓が得意とは知らなかったぞ」

 義姫と御茶子が去り、その場に取り残されたのはと小次郎の二人――
 同じ二の丸で起居していても顔を合わせることは出来無かったので、まともに話すのは米沢以来数か月ぶりである。

「一体どこで覚えた」

 部屋に帰るを送ると言い出した小次郎と連れだって庭を歩く途中。
 この数か月の間に随分身長も伸びたような気がする少年は、ぶっきら棒にそう言った。
 一段と兄に似て来たその横顔にドキリとはしたが、口調は相変わらずでどこか安堵する。
 些か拗ねているように見える少年の矜持を傷付けないように、冗談交じりに答えを返した。

「えっと……姫君の嗜み?ってやつです」
「……武田か……」

 しかし苦笑しながらのとは違って、小次郎は暗い声音でそう呟いた。
 あれ、と困惑し、どうしたのかと問おうとしたより先に、小次郎が立ち止まった。

「やはりお前は、武田が大事なのか?」
「え……?」
「伊達よりも武田を取るのか?」

 は目を瞠って小次郎を見つめたが、その瞳が不安気に揺れているのを見て取って目元を緩める。
 小次郎を促して近くの縁側に向かい、二人並んで腰を下ろした。

「小次郎様……いえ、小次郎さん」

 伝令隊や侍女としてでは無く、個人としてそう呼びかければ、隣の少年は真っ直ぐに見返してきた。

「米沢に居た頃の私は幼い頃の記憶が無くて、武田の父にも、迎えに来た真田幸村たちにも、そして伊達や米沢の人たちにも、驚かせて迷惑をかけてしまいました」
「……皆、心配していた。いつきもずっと塞ぎ込んでいたし、わ…私だって……」

 赤くなってどもりながらもそう言う小次郎に微笑んで礼を言い、はでも、と続けた。

「私は武田の娘です。父や家族を愛しているし、それらが守るべき臣下や領民は大事です」

 小次郎さんにとってそうであるように。と言えば、純粋な瞳が少し翳り、思わずくすくすと笑ってしまう。

「なっ…何がおかしい!?」
「いえ、すみません……弟君はこんなに素直なのになぁと思って」

 誰と比べているのか丸分かりの言葉に、小次郎はやや鼻白む。
 は息をついて、その兄にも母にも似ている瞳を見つめた。

「どちらが大切なのか、例えば両家が争う時にどうするのか……それは私にも分かりません。それでも……敵同士でも、私は今ここに居るんです」
「――――それは、兄上が居るからか?」
「……はい」

 好きな人の弟に聞かれるというのは、特別な恥ずかしさがあると思いながらも、はっきりと頷いた。
 政宗だけでは無く、小十郎や成実や綱元や、疾風やまつやいつきや小次郎や……たくさんの大事な人がここには居るけれど、やはり理由としては小次郎の言う通りであるのだから。

 数秒見つめあった先の少年は、やがてゆるゆると視線を落とし、そしてそれはそれは深い溜息をついた。

「……が姉上になるかもしれぬとは、全く先が思いやられる」
「ちょっ…小次郎さん!」

 意味を理解した途端に赤くなりながらも、聞き捨てならない後の台詞に反論する。
 慌てるに小次郎は不遜な笑みを浮かべて無邪気に笑い声を上げたが、ふと真剣な面持ちになった。

「兄上が記憶を失くされたのは、私のせいだ」
「え……?」
「兄上と母上が円満では無い事は知っていた……だが、兄上も母上も私を可愛がってくださったから……私はただ甘えていたんだ」
「……」
「あの日、兄上が刀を構えられた時――初めて見るような苦しげな顔で……初めて分かった。私のせいで、今まで兄上がどれだけ苦しまれて来たのか」
「小次郎さん……」

 の脳裏に、あの時の光景が甦った。
 彼らしくも無い幽鬼のような足取りで、刀一本だけを持って、その白刃を唯一の弟に振り上げて――そして、が間に入った後の、あの血の気を失った傷付いた瞳――……

「身を挺してまで助けてくれてくれたこと、まだ礼を言っていなかったな……あの母上にまで声を荒げて逆らって……例えそれらが兄上の為なのだとしても、嬉しかった。……だが、私はあの場で兄上に成敗されるべきだったんだ。私さえいなければ、そうすれば兄上も……」

 一瞬時に、頭に血が上った。

 平手の音をよく『乾いた音』と言うが、の振り上げた右手はそんな可愛いものでは無く骨を軋ませるような音を伴って小次郎の頬を張り、華奢な少年の体を軽く吹き飛ばした。
 やけに既視感を覚えると思ったら、まるで信玄に殴られた幸村のような光景で……

「ぅえっ!? やっ、ごごごごめんなさい小次郎さん!! だっ…大丈夫ですか!?」

 その予想外の光景に、手を上げた自身が一番驚き、慌てて駆け寄って助け起こす。
 小次郎の頬は既に赤く腫れ、一部が鬱血していて、とても大丈夫とは言えないご面相になっていた。

「げっ、ほっ本当にごめんなさい! とりあえずコレを……ああ、水で濡らして来た方がイイよね! えっと井戸……遠いな…こんな時にいつきちゃんみたいに氷が出せたら便利なんだけど、私は炎しか出せないし、あっ火が何か役に立つなら……ってこんな時に何の役にも立つわけ無いじゃん!」

 大分錯乱している自覚はあったが、被害者である小次郎はぽかんとしてを見上げていた。
 その何が起こっているかわからないというような顔には眉を吊り上げる。

「でも小次郎さんが悪いんですよ!? 死ねば良かっただなんて言うから!! そんなこと絶対有る訳無いです!! あの弟大好きな政宗さんが、本心であんなことをしたかった筈無い!! 私を忘れたのだって……わ…私があんな風に飛び込んだのが悪かったんですし!!……それでも私は、小次郎さんを助けられたことを、誇りに思いこそすれ後悔したことなんか一瞬だって無いんですから!!」

 政宗の気持ちだけは、小次郎に分かっていて欲しかった。
 大体、助けた相手から助けられたくなかったと言われれば、の立つ瀬も無い。

「それに元はと言えば小次郎さん自身がしっかりすれば良いだけの話ですよ! 私の叔父上……武田信玄の弟・信繁様は、昔兄と弟の二派に別れて家臣たちが争った時、自ら『臣下として兄上にお仕えする』と皆の前で宣言され、現在に至るまで腹心中の腹心武将として活躍されています。小次郎さんだって、そうやって大好きな兄君の元で立派な働きをして、『お前は天下一の弟だぜ、YA-HA-!!』とか言われるくらいにならないと!!」

 分かっているんですか!?と、何だか脱線してきた話を無理やり逆ギレのような勢いで一纏めに問えば、小次郎は目を瞬かせ、ついに俯いて肩を震わせ始めた。

(えっ……なっ…泣いてる!? 泣かした!! どどどどうしよう!?)

「こっ…小次郎さん!? どっか痛いんですかって痛いですよね、それは! ごめんなさい! 謝って済むことじゃないけど、取り敢えずいま翁を……」
「ふっ…くくくく……はははははは!! アンタ最高だな、!」
「えっ……!?」

 口の中を切ったからか幾分掠れた声で、常とは違う口調も相まって、その言葉は驚くほど政宗に似ていた。

「……そんな顔するな。兄上がアンタを欲しがった理由が今なら少し分かる」
「えっ、欲しがったって……」
「――決めた! 私も…俺も、次の戦には出るぞ!」

 赤く腫らした頬で立ち上がり唐突に宣言されたそれに、は呆然と目を瞠った。

「いつきだって戦ってるんだ。元服もしたし、俺だけ初陣出来ないなんておかしい! そうだろ、? えっと……ゆーしー?」
「えっ、はぁまぁ……そうですね……?」
「それで立派な働きをして、兄上に天下一の弟だって言っていただくんだ! そうだろ!?」
「小次郎さん……そうですね、その意気や良し!ですよ!!」
「だったら、早く異国語を覚えて兄上に初陣のお許しをいただかねばっ!!」
「そうですね!! ……て、え?」
「コレは、この前助けて貰ったのとでチャラにしておく! 次の戦場でにも負けない弓捌きを見せてやるからな!」
「弓……ですか?」

 腫れた頬を指してチャラだと笑う小次郎は、一瞬の内に随分逞しくなったように見えた。
 しかも、兄譲りの人の悪い笑みを浮かべてニヤリと笑う。 

「そうだ。今日みたいに、だけにイイ恰好はさせないからな! 俺だって独眼竜の弟……女なんかに負けてられるか!」

 それは遠まわしに誉められているようでもあったが、宣戦布告でもある言葉だった。
 正面から勝負を突きつけられて黙っていれば、政宗曰くの『負けず嫌い』の名が廃る。

「……虎姫は伊達じゃありませんよ…? You see?」
「上等だ!」

 そう言って笑った小次郎はまだ無邪気な表情をしていたけれど、まるで昔の政宗を見ているようで眩しく感じてしまう。

「じゃあな! そうと決まれば異国語の猛勉強だ! しーゆー!」

 元気になって怒涛のように去って行った小次郎を呆然と見送りながらも、やはり血は争えないとは思った。

「……ていうか、英語喋れるのが初陣の条件なんて……」

 呆れたように言った後、つい噴出してしまう。
 あまりにも、政宗らしい……そして、政宗の弟らしく、それでいて真っ直ぐで純粋な気性を持った小次郎に微笑んだ。

「私も、負けてられないな……」

 自分の子である政宗を殺そうとした筈の義姫が見せた、あの一瞬の動揺。
 実の兄に斬り殺されそうになったにも関わらず兄の為に戦場に立つと言った、小次郎の決意。

「政宗さん……」

 今はあの一件について自体を忘れている政宗に向けて、はそっと祈るように呟いた。







080525
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