84.負けず嫌い

「Shit! 何なんだ、あの女!」

 涼やかな風が気持ちの良い午後――
 陽気とは裏腹に、ドスドスという荒い足音がその場に飛び込んできた。

 朝から稽古に勤しんでいた成実は、苛々とした勘気を巻き散らしている主に木刀を肩に掛けて向き直る。

「どうした梵、何かおもしろいことでもあった?」

 主――政宗がこの道場に来るのはたまにあることだが、こんな午前中にというのは珍しい。
 成実の記憶によれば、確か今日は領地内の狸親父たちが何人か来ていたはずである。
 今頃はその相手をしている頃だが、早々に倦んで抜け出して来たのだろう。

 平素より小奇麗な恰好でやって来た政宗は、羽織を肩に引っ掛けたままギロリと成実を睨んだ。

「梵つーなって言ってんだろ、成実! 大体、これがおもしろいことがあったように見えるか? Ahh!?」

 ご機嫌は頗る芳しくないらしい。
 不穏な気配を垂れ流しにしてくれているおかげで、ついさっきまで活気で溢れていた道場からはすっかり人がいなくなっていた。
 残っているのは成実と政宗だけだ。

「はぁ……んじゃー、殿。殿のせいで稽古出来なくなっちまったじゃん。…ほらよっ、責任取ってくれんだろ?」
「――Ha、自ら身を差し出すたぁ殊勝な心がけじゃねぇか!」

 成実が投げた木刀を受け取った政宗はニヤリと笑う。
 我が従兄弟ながら凶悪なその表情に、溜息が落ちた。

「こんなん相手にマジで幸せになれんのかよ……」
「Ah!? 何ブツブツ言ってんだ! 余所見してると命が散るぜ?」
「命まで取るつもりかよっ……と、うおっ!」

 相変わらずスピードの乗った身のこなしで襲いかかって来た一刀をギリギリのところでかわす。
 下がって体勢を立て直し、返す刀で仕掛けて数合打ち合った。

 六爪を使われては成実に勝ち目は無いが、成実とて伊達の斬り込み隊長である。一刀流なら双竜に劣らず三人の力量は拮抗している。
 それでも気など抜けない事に変わりは無いが、がむしゃらに打ち込んで来る政宗の攻撃を捌きながら、成実は冷静に相手の表情を観察した。

 こうして立ち合いをしても中々気が晴れない程には、よほど苛立っているようだ。
 昨日の今日だったのでどうかとも思うが、原因を探る為に成実はカマをかけてみた。

「殿、機嫌悪くても十分元気じゃんか。――ところで、ちゃんは元気?」
「っ!」

 その言葉だけでおもしろいように動揺した政宗の隙を逃さず木刀を弾き飛ばした成実は、思ったよりも大きく反応を示した相手を意外な心地で見つめた。
 隻眼故に稽古の時も人一倍気を張っているあの政宗がここまで気を逸らせるとは。

「Goddamn!」

 忌々しげに吐き捨てた政宗は、頭をガシガシと掻いてその場に座り込んだ。
 珍しく、息も乱れている。

「――何でお前がのこと知ってる?」

 それでもその口から出てくるのは彼女の名前で、睨み上げてくる視線に成実は笑顔で返した。

「知ってちゃ悪い? 殿より前に小十郎殿に紹介して貰ってるよ。いくら殿付きの侍女だからって、一人占めはなしだろ」
「Ha、女の尻ばっか追っかけてるお前と一緒にすんな」
「変な言い方しないでよ、俺はただ可愛い女の子が好きってだけじゃん。……まぁ、ちゃんに関しては否定できないけど」
「……what?」

 おもしろいように食いついてくる政宗に噴き出すのを堪えて、成実は口元を引き上げた。

「仲良いよ、俺ら。昨日も二人きりで城下に"でーと"行ったし」

 政宗の隻眼が大きく見開かれる。
 そしてみるみると更に不機嫌な形相になった。

「それでか……I see.」
「何ひとりで納得してんの?」

 首を傾げた成実を見つめてきた政宗は、しばしの沈黙の後溜息とともに零した。

「昨日だ。ちょいと……あってな。今朝会った時に、こっちが気マズイと思ってたっつーのに、アイツは気味が悪ぃくらいにニコニコしてやがってよ。挙句昨日の話を振って詫びたら、『そんなことはもう気にしてません』だとよ」
「あー…えっと……そりゃ、そうかもね……」

 昨日の城下での様子を思い出して乾いた笑みを零した成実に、政宗の片眉がぴくりと上がった。

 恐らくは、その朝からの苛々が今日の会合で更に大きく膨らんだのだろう。
 それにしても、見事な擦れ違いと言わざるを得ない。
 政宗が謝ったというだけでも驚きだし、お互いにかなり譲歩しているようなのに、ここまで食い違っているとは……

「知ってやがるってことは、やっぱcause(原因)はお前か、成実」
「こーず…? いやいや! 俺は何もしてないって。俺達ただのオトモダチだし?」

 からかうのは楽しいが、誤解させてまた拗れてしまっては困る。
 それに、ここで成実との仲を疑われては、あまりにもが不憫だ。
 早々に潔白を訴えておこうとした成実だったが、政宗は最早聞いていなかった。

「そんなこと、だぜ!?」
「え、あー……うん」
「昨日はあんな泣きそうな顔してたっつーのに」
「そ…そーだねー…」
「挙句、さっき廊下ですれ違った時なんざ、昨日城下で買って来た菓子を食わないかとか言ってきやがって……どうせお前が土産に持たせたんだろ」
「ふんふん、えっ……あ、いや! アレはちゃんの自腹だよ。土産だって殿にも食べて貰いたいって嬉しそうに買ってたけど?」
「…………チッ、ますます訳分かんねぇ」

 無理に不機嫌にしたような声音で吐き捨てて、政宗は立ち上がった。
 こんなに些細なことでイラついている政宗は珍しいを通り越して怖かった。
 年相応どころか、元服の頃の多感なお年頃を見ているようだ。

「オイ、成実! 今日はとことん邪魔した責任取ってやる。死なねぇようにかかってきな! come on!」
「い…いえっさー。………今日はこっちかよ…」

 昨日はここのところ元気の無いを城下に連れ出して焚き付けた。
 そのが元気になったかと思えば、今度はそのことで政宗が荒れている。
 まあ、記憶が無い癖に妙にのことが気になっている様子なので良い傾向なのだが、それにしても……

「――まったく世話がやける」

 もし聞かれていたら確実に二人ともに怒られそうなことを言いながら、それでも成実は苦笑して、猛る竜の前で木刀を構えたのだった。







 酒宴独特の空気が籠る部屋の外側で、はその夜、酒肴の準備という裏方にかり出されていた。
 場所は本丸広間を区切った一室、面子はごく少数の政宗の側近のみである。

 内輪だけで飲むことはままあることらしいが、この日はそこに舞や唄の芸人も呼ばれていた。
 このように気心の知れた者だけの席では珍しい……しかしそれ以上にその日の宴席は常とは大きく異なっていた。

「つまんねーんだよ、次やれ、次っ!」

 上座から扇子が飛んで舞手に当たる。
 当たり所が悪かったのか、投げた人間が怪力だからか、面を付けた芸人はその場に倒れた。

「――少し御酒が過ぎるようですな、政宗様」
「うるせぇ小十郎! こんな席で野暮なこと言ってんじゃねぇ! 何だったらお前が舞ってもいいんだぜ?」

 小十郎の諫言にも、宴の主役である政宗は耳を貸さない。
 完全に悪酔いしているようだ。

 酒癖というのは十人十色である。
 強い弱いの他にも、泣き上戸になる者や笑い上戸になる者、すぐに寝てしまう者、人に絡んでくる者……伊達でも武田でも酒豪揃いなので、はこれまで、それはもういろんなタイプの酒癖を見てきた。

 しかし、慣れていたつもりのでも驚くくらいには、政宗の酔い方は普段とかけ離れていた。
 そもそもは、政宗が酔うところを見たことが無い。
 今までは一緒に飲んでいてもいつもの方が先に潰れていたし、どちらかと言えば楽しい酒ばかりで互いに飲み過ぎることも無かった。
 彼の酒癖というのも、ある程度飲めば少し絡んでくるといった程度だと思っていたのだが……

「……大丈夫ですか? お怪我は?」
「は…はい……申し訳ありません……」

 倒れた芸人が室外へ運ばれてきて、は額に滲んだ血に眉を潜めた。

、あちらで手当てをしておあげなさい」
「――お喜多様」
「このように御機嫌の悪い政宗様は本当に久しぶりです。ああなっては、お気が済むまで待つより他ない」

 暗に、ここから離れているようにと命じられて、は納得のいかない心地のままその言葉に従った。

 喜多は慣れているのだろうかとも思ったが、それにしては顔色が良くなかった。
 ではやはり、本当に珍しいことなのだ。

「前はあのような御方では無かったのですが……」

 別室で手当てをしていたは、その相手が不意に漏らした言葉で我に返った。

「今までにも政宗様にお会いしたことがあるんですか?」
「はい。これまでも何度かお呼びいただきましたが、いずれも大変喜んでいただいて、私どもの拙い芸でも、それはお見せし甲斐のある方でした」
「…………」

 の知る政宗も、まさにそういう人物である。
 粋や芸事を愛し、自分のスタイルにこだわりを持っている人だ。
 決して人前で乱れたところは見せないとも思っていた。

「……! ちょっと失礼いたします」

 不意に風を感じては顔を上げる。
 突然感じた気配に部屋から廊下に出てみれば、軒下に見知った気配が忍んでいた。

「……どうしたの、疾風?」

<――今日は殿が荒れても仕方ないと思う>

 姿は現わさないまま、ほぼにしか聞こえない声で、疾風は言葉少なにそう言った。

<今日は相馬と最上の……>

「…ストップ。それは教えて貰わなくてもいいわ」

 疾風の言葉を遮って、は目を伏せた。

 武田に関わることや他国の情勢は積極的に情報を集めようと思うが、奥州国内の政や事情は流石に知らされていないし、疾風に聞けばこんな風に教えて貰えると分かっていても、はそれをしない。
 が知るべきことなら、小十郎たちなら教えてくれるだろうという信頼が、今のに返せる精一杯だからだ。

 だから、政宗が何に苛立っているのかは分からない。
 けれど、ああ見えて人一倍民のことが好きで、大事にしたいと思っていることも、は"知っている"のだ。
 それはにとって別人だとしても、彼が彼である以上は絶対に変わらないこと。

 だからきっと、後になって悔むのだろう。
 そう思うと自分の事のようにやり切れなかった。

「ごめんね……ありがとう」

 恐らくを気遣ってわざわざ事情を教えてくれようとしたのだろう疾風に短く礼を言って室内に戻る。

 とは言え、手当を続けながらも、頭からは政宗のことが離れなかった。


 そもそも、今朝からがして様子がおかしかったのだ。

 起床の刻限――
 いつもは起こすまでは寝ている癖に、今日に限っては既に目覚めていて、縁側で煙管を吸っていた。
 昨日の髪紐のことがあったので気まずくはあったが、それをあからさまに態度に出すのも悔しい。
 若干ぎこちないながらもいつも以上の笑顔で接していたに、「昨日は……」などとあれだけ嫌がった髪紐の話を政宗は自分から蒸し返した。
 ドキリとしたことは事実だったが、これ以上拒絶されればも辛いので、慌てて気にしていないと言った。
 そうしたら今度はなぜか超絶に不機嫌な顔になって、そのまま無言で去っていった。

 そして日中が過ぎ、日が暮れればこれである。

 奥州内の客人が何人か来たこと以外に、考えすぎかもしないがとのやり取りも政宗の不機嫌に繋がっているのかもしれないと思うと罪悪感もあった。

 以前まではストレートに尋ねることも出来たし、愚痴があれば聞くくらいは出来たが、今はそういうわけにもいかない。
 に出来るのは、精々こうした宴の裏方や、身の回りの世話くらいだ。

「……やっぱり気になる」

 舞人の手当を終えたは、台所で酒の準備をしながらぼそりと呟いた。
 喜多の言葉には逆らうことになるが、元来納得できないことを受け入れられるほど器用でも無い。

 新しい酒器を手に廊下を進み、微かに静止の声を掛けてきた疾風も振り切って障子の前に膝をついた。

「――失礼いたしま……」
「うっせぇ! 俺はもっと見ごたえのあるもん見せろっつってんだ!」

 が広間の障子を開けた瞬間、政宗のそんな怒声と銚子、女舞人の一人がその場に放り出された。

「もっ…申し訳ございません…!」

 銚子が当たったのか、その女性は二の腕のあたりを押さえながらしきりに頭を下げている。

 矛先が女性にまで及んでいるのを見兼ねて、の中で何かが定まった。
 コロコロと転がってきた猪口に目を留め、小さく息を吸ってその場に指をつく。

「――恐れながら申し上げます」
「…Ah!? ――

 今まで舞人に向けられていた視線が一斉に集められ、政宗が少し驚いたように目を瞠った。
 はその隻眼を捕まえて、真正面から見据える。

 ――このままではきっと、この人は後悔する。

「女子にまで手を上げられるとは、いかに政宗様と言えどお戯れが過ぎるように思われます」

 ゆっくりと紡いだその言葉に、その場はシンと静まり返った。
 その間も、は政宗から目を逸らさない。

 どのくらい経ったか、初めに声を上げたのは小十郎だった。

「……控えねぇか、!」

 は小十郎の庇護下ということになっている。
 その小十郎に迷惑は掛けられないので、素直にその場に頭を下げたが、それらは政宗によって遮られた。

「ククッ……いい、小十郎。お前も頭を上げろ、
「しかし政宗様……」
「俺はいいっつってんだ」

 その言葉に、顔を上げれば、戦場のように鋭い視線で口元を引き上げた政宗が居た。 

「確かに戯れ過ぎたかもなぁ。だが、そこまで言うならアンタが何かやってみな。俺を満足させてみせろよ」

 僅かに目を瞠ったに、政宗の笑みが深くなる。

「It's entertainment! 余興だ。武家の娘なら舞くらい出来んだろ」
「政宗様! お言葉ですが、はお仕えして日も浅く、まだ見習いで……」
「shut up! 俺はに言ってる」

 強い隻眼に射抜かれて、は静かにその瞳を見返した。

 確かに甲斐にいる時に、姫様修行の一環として一通りの教養は身に付けようとした……が、は芸事がどうにも苦手であった。
 囲碁・将棋や和歌、茶や花程度までならまだしも、楽などに至ってはどれだけ有名な師に付いて練習してもさっぱりだったのだ。
 舞もある程度までは出来るようになったが、自ら能を嗜むほどの政宗の眼鏡に敵う筈も無い。
 勝てない勝負はしない――芸事は勝ち負けでは無いと分かっているが、政宗が相手だと似たようなものに感じてしまう。

 しかし、こうなった時の政宗に何を言っても無駄だということもまた知っている。

「……畏まりました」
!」

 心配顔で声を上げた小十郎に目線だけで頷いてみせて、は政宗を見つめた。
 舞は無理でも、政宗を満足させるということなら、にも出来なくは無い。

「ですが、舞には自信がございませんので、その代わり一風変わった趣向で席を設けましょう。――明日の夜には……」
「Wait! 変わった趣向ってのは大きく出たもんだな。だがな、俺は今何かやれっつったんだぜ? Now! You see?」

 ここまで来れば、もう完全に腹は据わっていた。
 女は度胸である。
 苛立たしげに吐き捨てた政宗をじっと見つめ返して、その隻眼に真正面から問う。

「――明日までお待ちいただけない、と?」

 たかだか明日まで、という挑発を含めて言えば、政宗の眉がぴくりと上がる。
 その口から怒気が吐き出される一歩前に、は更に言葉を重ねた。

「政宗様は、戦においては情報を集め、策を練り、効果を最大限に引き出す為に万全の準備を整えて臨まれる御方だと、そう聞いております」

 明瞭な声でそう言えば、政宗の瞳が揺れて感情の波が引いていくのが見て取れた。
 彼が冷静さを取り戻したのならもう大丈夫――そんな確信を抱いて、は言葉を結ぶ。

「私も政宗様に習って、そのようになりたいと常々思っていました」

「――Ha、戦も宴も同じだってか?」

 は黙してただ頭を下げた。
 その頭上で、突如クククという笑いが起こり、政宗が膝を叩いて立ち上がった。

「OK! いいだろう。おもしろいじゃねぇか! その怖いもん知らずな物言いは小十郎仕込みか?」
「政宗様!」
「あー、別に悪いとは言ってねぇよ。気の強い女は嫌いじゃねぇ。――ただし、つまんねぇもんだったら、そん時ゃ分かってるよなァ、?」

 予想通りの……が知っている通りの政宗の言葉に、はほっと安堵したまま顔を上げた。

「私のことなら如何様にも。ですが……」

 一旦言葉を切って政宗を見つめる。
 その瞳の中に居るのは彼に仕える侍女で、『』自身は居ない。
 それでも傍に居たいと望んだのは自身だったが、一旦失われた記憶――そこに含まれるものが如何に大切なものだったかということを、ここ一ヶ月で嫌というほど気付かされた。

(大体、私ばっかり忘れられているなんて悔しい…!)

「ですが、必ず……」

 だから、取り戻してみせる。
 にとっての『政宗』と……そして、政宗の中で消えてしまった自分自身も。

「必ず、It's so cool!――って、言わせてみせます!」

 ニヤリと勝気に笑ってみせれば、政宗は目を瞠って、そして弾けるように笑った。

「上等だ! 明日楽しみにしてるぜ!」
「――はい」

 その笑みが以前までに見せていた無邪気なそれに近くて……
 はただ赤くなった顔を見られないように頭を下げた。

「おぅ、お前ら! 今日は終いだ! アンタらも御苦労だったな、また頼むぜ」

 芸人にも声を掛けるのを忘れないいつもの政宗に戻って、その日はそれでお開きとなった。

 は大きく息をついて、夜空を見上げる。

「……私が私である為に……」

 自分の心に嘘をつかない――小さく小さくそう呟いて。
 いろんな人と交わした約束を、改めて胸にしまった。







080426
CLAP