一々もって気に障る――
それが、最近政宗が新しい侍女に対して感じることだった。
気に障るというと語弊があるのかもしれないが、その娘が絡むとどうにもペースを乱されるのだ。
不自然なくらい苛立ったり、言動が目に付いたり、かと言えば傍に居なければ居ないで気にかかる。
「Ah-han……いっそ小十郎に吐かせるか」
後見ということになっている小十郎が、その侍女について何らかの隠し事をしているのは明白だった。
異国語を解することや武芸が出来るらしい(それも、政宗や小十郎の師でもあった昔の喜多以上かもしれない)ことを取ってみても只者ではない。
身元は小十郎が請け負っているし、黒脛巾に調べさせても不審は無い。が……どうにも腑に落ちない。
その隠し事こそが、自分のペースを乱す要因なのでは無いか――政宗はそう考えたのである。
「おもしろいには違いねぇが……な」
怪しい人間は傍に置けないという戦国の常識を覆してまでそれを許しているのは、一重に小十郎を初めとした政宗の腹心たちが何も言わないからだ。
それどころか、腹心のほとんどがその腑に落ちない娘を気に入っているという状態である。
いつもなら、少々のリスクがあろうと面白そうなものを傍に置きたがるのは政宗であるのに、今回は周りの方が積極的で自分だけ置いていかれたような……そんな釈然としない何かがある。
「……ちゃん。ねぇねぇいいじゃん、行こうよ!」
晴れない気分のまま廊下を歩いていた政宗は、前方から聞こえた声に顔を上げた。
声と気配からして、成実と女だろう。
どうせまた女中の一人を口説いているのに違いない。
仕方の無い奴だ――そう溜息をつきかけたその時、
「だって最近全然俺とでーとしてくれないじゃん、ちゃん!」
続いて聞こえた名前に、ぴたりと足を止めた。
「何を言ってるんですか、成実様。この前もそう言って遠駆けに引っ張って行ったじゃないですか!」
「えー、あれはでーとじゃないだろ?」
「そもそもデートなんてしてるつもりはありませんし」
「うわ、ひっでー! この前も喜んでくれてたじゃん! 二人っきりだねって言ったら頬染めてたし」
「あっ…あれは……っ!」
途端に腹立たしさが湧き上がってきた政宗は、足音荒くスピードを速め、反射的に振り返った成実の頭を右手で鷲掴みにした。
「はっ…はろー、殿……」
「Hello, 成実。How do you?」
「いだだだだだだ!! 元気なわきゃないだろ、頭潰れる! 助けてちゃん!!」
マジで!! と情けない声で成実が助けを求めた娘――先程まで政宗の頭を占めていた侍女のは、不安そうな顔で政宗を見上げた。
「政宗様、そのままでは成実様の頭が……潰れちゃうと思うんですが……」
遠慮がちに言ってくるその言葉を、政宗は鼻で笑い飛ばした。
「Ha、当たり前だ。そのつもりでやってんだからな。No problem!」
断言してやれば、は気の毒そうに成実を見遣り、政宗は些か溜飲を下ろす。
「ところで、お前こんな所で油売ってる暇あんのか? 俺とのpromiseは今夜だぜ?」
「承知しております。……ご心配には及びません」
わざと煽るように言った政宗と、暗に余計なお世話だと返した――
政宗はぴくりと米神を振るわせた。
成実とは遠駆けや馬鹿な会話さえする暇はあっても、政宗とは話したくも無いということか?――些か極端だが、抱いた不快感に思い切り眉を潜めて成実を投げ飛ばした。
「政宗さ…っ、なっ……!」
そのまま抗議しようとしたの手を引いて歩き出す。
「この俺自ら遠駆けに連れてってやる! 光栄に思え!」
「遠駆……いやいや! いえっ! 謹んでご遠慮…」
「は、しなくていい。丁度イイ機会だ。テメェの化けの皮の一枚を剥いでやる」
一瞬嬉しそうに顔を輝かせかけた癖にすぐに何やら異常な拒否を見せたを、政宗は訝しみながらも厩まで引っ張っていった。
化けの皮って何ですか!? と焦っているをただ嘲笑う。
自らの不審さを本当に気付かれていないと思っているのか、それとも芝居か。
そもそも、政宗が初めてに会ったのは、不覚にも数日倒れてしまった時だった。
目を覚ませば枕元に小十郎と共に座っていて、心底こちらを案じる初対面の娘に驚いたのを覚えている。
しかも、政宗の方がどうやら眠っていた間に娘の手を握っていたらしいことに気付いて驚きも倍増だった。
傍に見知らぬ他人の気配が有りながら熟睡していたばかりか、その手を握っていたなんて……しかも、年頃の女の手を。
「――……った…。何とも無くて、良かった――」
体は大丈夫かと聞かれたので問題無いと答えると、唐突にポロポロと泣きだした。
自分が泣いていることにも気付かないその透明な滴に、奇妙なくらい狼狽し、胸が締め付けられた。
「――アンタは、一体……」
「………すみません、失礼します」
ようやく気付いて泣き顔を隠したは、そのまま身軽に立ち上がってあっという間に駆け去った。
「待てっ…つっ……!」
「政宗様!……無茶をなされますな」
「小十郎、アイツは……」
反射的に追いかけようとして、強烈な眩暈に襲われた。
あの泣き顔を思い出すだけで割れるように頭が痛み、顔を上げていることも出来ずに布団に伏せる。
それでも何とか小十郎に問えば、後日に会わせるという答えだけが帰ってきた。
そうしてその数日後に改めて新しい侍女見習いとして紹介され、というその娘は、今まで喜多がしていた世話周りとして仕え始めた。
白石に小十郎の妹同然の娘が居るなどという話は初耳だったが、あの喜多と姉妹同然に親しいことから見ても昨日今日の付き合いではあるまい。
侍女に上がってたった数日で起床係まで任されるようになったことには驚いたが、何かと良く気の付く性格や言い付けられた以上の仕事をこなす器量から考えれば、政宗としても文句は無かった。
しかし、一つだけ大きな問題があった。
どうやらは政宗のことを厭っているらしいということだ。
仕事はきっちりとこなすし、普段の態度に私情を挟むようなことも無いが、必要以上には視線を合わせようとしないし、心からの笑顔も見せない。
伊達に寝返った北条の旧臣から娘を室へと差し出され、断りの為にに一芝居打たせたこともあったが、肩を抱いただけで過敏に反応した。
「一時もこいつと離れたく無かったもんでよ、なぁ、honey?」
「――はい、政宗様」
何の説明も無しにこちらの意図を汲み取ってそう返してきたのは合格だ。
だが、声も体も強張り、それどころか小さく震えてさえいた。
柔らかく温かい体……女がそういう生き物だということは良く知っているが、同時に心を許すことなど出来ないものだとも熟知していた。
政宗に近寄ってくる女は大抵が地位や身分が目当てで、あわよくば子どもを身篭って権勢を振るいたいという強欲な女達ばかりだ。忍びで街に下りた時の遊び女でさえ、欲しいのは金と見てくれだけである。
そのように擦り寄られるよりは、はっきりと嫌われている方が確かにまだマシかもしれなかった。
だからこそ、繋いだ手や抱いた肩に妙に落ち着いたのかもしれない……嫌われている相手だからこそそう思えるというのも、おかしな話ではあるが。
「……悪かったな、」
「いえ、政宗様のお役に立ったのなら、お安いご用です」
ようやく諦めた北条の豆狸が去って解放すれば、は明らかにほっとしたように力を抜き、貼り付けたような笑みを浮かべてそう言った。
あんなに体を強張らせて嫌々ながら耐えていた癖に……そう思うと苛立たしさが湧き上がってくる。
「お安い、か。……It's a bluff.」
「……………」
異国語で強がりだと言っても、一瞬目を瞠っただけでは黙っていた。
意味が分かっていないのだと思っていたが、後から考えれば難解な単語以外はかなりの異国語を解するのだからそれも理解していただろう。
後日小十郎にそれとなくの話を持ち出せば、政宗以外の前では頻繁に笑っているという。
妹を守ろうとしてか、珍しく政宗に対して警戒している様子の小十郎は、さものことなら何でも知っているという風に話した。
それにまたもや苛立ちが沸いてきて、小十郎の言う『』が間違いだと証明してやろうとした。
「――政宗様、どうされたんですか?」
「It is few breaks. ちょっとした休憩だ、休憩。なんだ、茶持って来てくれたのか」
「まっ…政宗様……!?」
運んできたらしい盆を取り上げればは困惑して見上げてきたが、盆の上にはおあつらえ向きに二つ茶が乗っている。
後ろの部屋に居る小十郎がこちらを窺っている気配を確認して、政宗は口元を引き上げた。
「茶なら自分の部屋で飲む。、お前も付き合え」
「え……ですが………」
「お前が居た方が弾避けになんだよ。ただでとは言わねぇ。Ah…そうだな……弥鳥屋の饅頭食わせてやるよ」
「えっ、弥鳥屋さんのお饅頭ですか!?」
饅頭を出したのはただの思いつきだった。
だがその瞬間、初めて見る素の表情で顔を輝かせたに、政宗は面食らった。
よっぽど好きなのだろうかと思えば、普段の取り澄ました様子とのギャップに笑いが込み上げてくる。
「OK. 交渉成立だな?」
「畏まりました。私でよければ、全力で政宗様の弾避けになります」
長い逡巡の後にようやく頷いたその表情に、政宗は思わず息を呑んだ。
それは、政宗が初めて見るの本物の笑顔だったのだ。
「――OK. ならとっとと行くぞ」
奇妙に熱を持った心中を隠すようにの頭に手を置き、武人のそれだと判断した手を取って歩き出す。
前を歩いていても脳裏から離れそうに無い笑顔に眉を顰めながらも、悪い気分では無かった。
それが、が起床係になったばかりの頃のことだ。
「……ね様、政宗様!」
「……アァ?」
「厩番が困っておりますが……」
呼びかけられて顔を上げれば、政宗はいつの間に着いたのか、厩の前に立っていた。
の言葉通り、厩番が困惑してこちらを窺っている。
政宗は気を取り直して隣のを引き寄せた。
「悪ぃが急いで馬装してくれ。このladyと遠駆けに行くんでな」
「れでぃ…って、そいつは……」
「あー! は…初めてお目にかかります! この度新しく政宗様の侍女になりましたと申します!」
突然割って入って挨拶をしたに、厩番は仰け反りながらも顔を赤くした。
いきなり年頃の女に手を握られれば、ほとんど男所帯の伊達軍では誰でも赤くなるだろう。
「何やってんだコラ。……テメェもさっさと準備しろ! Hurry!」
呆れてを引き戻し、厩番を睨み付ければ、そちらはのことをチラチラと窺いながらも慌てて馬具を整え始めた。
「イ…イエッサー! ただいま! ……それで筆頭、白斗の他にはどいつを連れて行くんで?」
「アァ? 白斗だけで十分だぜ?」
「え、ですが……」
「は…白斗っていうんですか、政宗様の御乗騎は! あ、あちらの白い馬ですか?」
「Ohー、Yes! 何だ? は馬が好きなのか?」
厩に来てから明らかに様子がおかしいに気付かないふりをして見送る。
バタバタと走っていく後姿を追えば、芝居とも思えない満面の笑みを浮かべたが白斗に手を差し出すところだった。
「はい、子どもの頃から馬は大好きで……」
「Stop! 馬鹿、いきなり手なんか出すな! 白斗は俺以外にゃ……」
「白斗! うわっ…ちょっ……! こら、初めまして、なんだからよろしくね?」
まだ仔馬の頃から自ら世話をして数々の戦場を共に切り抜けてきた愛馬は、政宗以外にはほとんど触れることさえ敵わない。
それだけ誇り高いと同時に気性も荒い名馬なのである。
ところが、は初対面であるにも関わらず、むしろ白斗の方から擦り寄ってその顔を嘗め回した。
尻尾まで振っている様子は、政宗相手でも滅多に見ることが出来ないものだ。
「Unbelievable――白斗が懐くとはな。ますますおもしろい」
自分の目を疑ってしみじみ呟いた政宗だったが、当のは目を見開いて固まった。
こちらを振り返って凝視してきたかと思えば、いきなりクスクスと笑い出す。
「な…何だよ、What's amusing?(何がおかしい)」
「いえ……前にも同じようなことを言った人が居たので」
「Ah?」
笑顔のまま言われた言葉に、一瞬にして政宗の眉間が潜められる。
その笑みも他人を思い出してのことなのかと思えば、一瞬にして頭に血が上った。
「お前、俺が折角……!」
「え?」
「チッ……何でもねぇ!」
ただ真っ直ぐに見つめ返されただけの無邪気な瞳に、勢いを殺がれた。
楽しそうに喜んでいるその顔を、曇らせたくないと思ってしまった。
政宗は自分でも分からない苛立ちを抱えたまま大股で白斗に歩み寄り、その首元を撫でてやる。
白斗は気持ち良さそうに耳を伏せたが、待ちきれないように鐙をならして嘶いた。
「……政宗様は、白斗に乗ってよくお出かけされるのですか?」
「――Ya. 出かける時は大抵一緒だぜ? 最近は出てなかったがな……遠駆けなんざ久々だ」
答えながら、本当に久しぶりだと思い出した。
小田原に移ってからは怒涛の日々で、一度も気晴らしに出ていない。
「……Ha、俺としたことがらしくねぇ。悪かったな、白斗」
鼻面を撫でて愛馬の目を見ていると心が静まっていく。
その間に馬装が整った白斗を引き出し、その背に跨ってに手を差し出した。
その手を見つめた目線が、ゆるゆると腕を這って政宗の隻眼に辿り着く。
「……どうした、早く掴まれ」
「あ、いえ、すみません……」
一瞬……ほんの一瞬だけ泣きそうに撓んだ瞳に、信じられないくらい動揺している自分が居た。
その動揺を隠すために、政宗は冗談めかして笑う。
「早いとこお手をどうぞ――beautiful lady?」
「……Thank you, my dear lord.」
ふ、と不意打ちのように微笑んだはそのまま政宗の手を取り、ほとんど重さを感じさせない身のこなしで政宗の前に落ち着く。
小袖のままなので横座りするしか無く居心地は悪そうだが、白斗の――とびきりの軍馬の高さに動じない様子に政宗は口の端を上げた。
それは、かなり馬に乗り慣れている証拠だった。
女だてらに馬好きというだけはありそうだ。
「上等ォ! 行くぜ、しっかり捕まってろよ、――Go!!」
予告すると同時に思い切り白斗の腹を蹴れば、高い嘶きと共に愛馬は張り切って駆け出した。
「ちょっ…政宗様、こんな体勢なんですから無茶はっ……ひゃっ……」
言うが早いか早速落ちそうになるを両手で支える。
政宗と白斗くらい気が合っていれば、手綱は必要無い。
「だからしっかり捕まってろって言っただろうが。Huum……仕方ねぇな」
政宗は溜息をついて、けれどスピードは落とさないままの耳元に囁いた。
「何なら、このままずっと抱いててやろうか、Honey?」
ビクリと腕の中のの体が大きく跳ねた。
この反応を知っている……北条の旧臣相手に一芝居打った時と同様の……拒絶だ。
忘れていた――が政宗に触れられることを嫌がっているということを。
「……冗談だ、fool」
吐き捨てて華奢な体から手を離し、手綱を持ってスピードを上げる。
支える手が無くなったのと揺れが大きくなったことで、は自分の体を支えるためにより一層政宗にしがみ付いた。
それにまた眉を顰めて、政宗は白斗と駆けることに集中する。
風に靡くの髪がやけに目に付き、感じるぬくもりが腹立たしいほどに温かかった。
080510