初夏の匂いが漂う午後。
穏やかな風が吹き過ぎて、木々や野菜の葉を揺らしていく。
遠くで囀る鳥の声を聞きながら作業に没頭すれば、手の中の土の温度はいつも心を落ち着けてくれた。
彼にとっての唯一癒しの場所たる畑の中。
無心に新しい作物の種まきをしていた小十郎は、ふとゆっくりと近づいてくる気配に気付いて顔を上げた。
「小十郎さん」
こちらを見つけほっとしたように笑った顔に、意識する前に小十郎の頬も緩む。
「」
今だに女物の小袖で丸一日過ごすのは慣れないと愚痴る彼女は、今日は清々しい空色のそれを纏っていた。
以前まで動きやすい男物の袴姿が普通だったので、そういった娘らしい格好のは、見る側からしてもひどく新鮮だ。
「精が出ますね」
「ああ、今が作付時期だからな。――どうした、また政宗様が呼ばれているのか?」
政宗の右腕たる小十郎は、予定外に呼ばれることも多い。
そうした時に呼びに来るのは、本来なら小姓やそれに使われる小間使いの仕事であるが、政宗は何事も無駄を嫌い、形式などは無視して近くの人間に何でも頼む傾向がある。
それ故に、なるべく出歩くのを禁止したいにも、この畑に来るのは渋々認めざるを得なかった。
現に今までにも政宗の言いつけで何度か呼びに来ているので、今回もそうかと小十郎は頭に巻いた頭巾を外したのだが、当のはきょとんとして頭を振った。
「え? いいえ、政宗様は執務中です。喜多さんに休憩をいただいたので、小十郎さんに会いに来ようと思って」
お邪魔でしたか? と首を傾げる様子は、何と言うか、年相応に無邪気だった。
小十郎は言葉に詰まって、いや、と短く答える。
仕事や必要なこと以外でと二人になることに主を思えば些か抵抗も覚えたが、差し入れの握り飯まで持参しているのを追い返す訳にもいかない。
それに、小十郎としても確かめたいと思っていたことはあったので、丁度良かったのだと自分に言い聞かせて畑の脇に作られた休憩用の庵にを招いた。
「が作ったのか?」
「はい。時々台所にも立つんですよ。別に誰かに出す訳じゃないんですけど、これも侍女教育の一環だそうで」
差し入れを有り難く平らげていく小十郎の傍らで、侍女としての毎日の出来事を徒然と話す。
そこには時々政宗の名も交じるが、つらい表情は無かった。
「―――姉上から『小十郎が心配していた』とでも聞いたか?」
話が一段落した頃にそう問掛ければは目を瞠ったが、やがて困ったように苦笑して、観念するように「小十郎と綱元が、です」と訂正した。
どうにも聡い彼女は、喜多から聞いてこれ以上心配をかけないように、それとなく小十郎を安心させようとしたらしいが、小十郎とて伊達に彼女の上司をやっていた訳では無い。
「全く変わってねぇな、お前は気を使い過ぎだ。――もっと俺たちに頼れ」
「………ありがとうございます」
ふわりと笑って礼を言ったその顔に自然に目を惹き付けられた小十郎は、手元の茶をすすることで視線を外した。
元気そうな彼女の様子に安堵した反面、なぜかひどく落ち着かない。
「四六時中気を張ってたら、もたねぇぞ」
場を繕うように半ば責めるように言った言葉に対して、は意外にもすぐに言葉を返した。
「気を張って無かったら、うっかり顔に出ちゃいますから」
驚いた小十郎に、何を、とは言わないまま、は話題を変えた。
「それじゃあ、お言葉に甘えて頼ってもいいですか? 実はちょっと困ったことがありまして……無茶なお願いがあるんですけど……」
こうして本当に困ったように笑う顔も、先ほどの無邪気な笑顔も、作り物では無いと思う。
けれど、何か違和感がある……。
それでも、自分を頼ってくれることは単純に嬉しくて。
小十郎はそうして不可解なものを抱えたままながらも、の『困ったこと』の相談に乗り、『無茶なお願い』を了承した。
「小十郎、あいつのことだがな」
「は、あいつ…とは?」
「お前が連れてきた侍女だ」
執務中に唐突に飛び出した政宗の言葉に、小十郎はぴたりと動きを止めた。
が侍女として働き始めてから数日、政宗が彼女のことを話題にしたのは初めてである。
僅かな緊張と不安……そんな気持ちを感じながらも、小十郎は何を聞かれても良いように身構えた。
けれど、続けられたのは意外な言葉。
「お前、あいつの笑った顔、どう思う?」
「は……?」
瞬間、先日畑で見た笑顔を思い出して狼狽したが、何も疚しいことは無いのだと自分に言い聞かせて気を取り直す。
そして政宗の言葉の意図を考えて、小十郎は首を捻った。
「どう……と言われましても。確かによく笑う娘ですからな。あまりにも無邪気に笑うこともありますし……何か思われるところでも?」
もしかしたら記憶が戻る兆しなのでは……そんな小十郎の淡い期待を余所に、政宗はぴくりと筆を止めて、そのまま荒々しく席を立った。
慌てる小十郎をそのままに縁側まで歩き、障子の桟に身を凭れさせて不機嫌そうに庭を見遣る。
「俺の前では、あいつは笑わない」
そうして告げられた言葉は、小十郎には訳が分からなかった。
は政宗の前でも笑っている。
勿論、侍女としての仕事ぶりも、申し分無いように思う。
「笑ってるじゃないかと言いたげだな? ……確かに、お愛想程度によく笑うが、それが嘘くさいっつーか……何か違和感があんだよ」
いかにもその違和感が気持ち悪いと言いたげに眉を顰めた政宗に、小十郎はしばし考えた後に問いかけた。
「なぜそこまでお気にかけられるのですか?」
そこでようやく政宗の視線が小十郎に戻った。――凶悪な笑みを浮かべて。
「お前、本当に俺が気付かねぇと思ってんのか? あの女、そこそこの弓の使い手だろ」
刹那、小十郎は息を詰めたが、動じること無く主の隻眼を見つめ返した。
「――――気づかれぬとは思いませんでしたが、予想よりも早うございますな」
「Ha! 開き直りやがったか。んなもん、手を握れば一発で分かる」
「手を……?」
以前までならともかく、確かに今のは動きも武人らしく隙のないそれで、それは隠そうとしてもそう容易に出来るものでは無い。
けれど、何と言っても武器を持たない侍女仕事であるし、政宗から追及されるのはまだしばらく先だと思っていた。
手に触れれば、皮の硬さや豆の位置で武器を持つ手かどうか、得物は何かはすぐに分かる。
だからそれが理由だということ自体には驚かないが、一体いつの間に手を握るなどと………
政宗は今まで、女遊びは城下でのそれだけに留めていたが、それは傍に仕えていたのが姉も同然の喜多だけだったからなのかもしれない。
もしや物珍しさだけで、侍女としてのに戯れで手を出そうとしているのではないか……
自然と眉を寄せた小十郎に、政宗は片眉を持ち上げた。
「過保護だな、小十郎。心配すんな、ありゃ遊びで口説けるような女じゃねーだろ。お前に似て堅物だ」
そこで先日北条の旧臣相手に一芝居打った時の話を聞かされ、小十郎は絶句した。
記憶を失った政宗に、芝居の為だけに抱きしめられて……それでは、どんな気持ちで「お安い御用」だなどと口にしたのだろう。
そうして、唐突に悟る。
――「気を張って無かったら、うっかり顔に出ちゃいますから」
「………そういうことか」
小十郎は、思わず呟いて溜息をついた。
は、政宗を想う気持ちを本人に気付かれないように感情を抑えているのだろう。
だから政宗には『笑っていない』ように見えるのだ。
つまり、心のままに……抱きしめられて真っ赤になったり、手を握られて喜んだりしないように……である。
「Hey、小十郎。何がそういうことなんだ?」
小十郎はしばらくの沈黙の後、唯一無二である筈の自分の主に対して嫉妬にも近い感情を抱いている自分に気づき、自嘲するように笑った。
「真面目な性格ですから、政宗様の悪ふざけに困惑しているだけでしょう。――あれは戯れを嫌います故」
政宗が驚いたように見つめてくる視線に、なぜか小十郎は満足感を覚えた。
そして話題となっている彼女の為に、言葉を添える。
「そもそも、主君の前で笑ったりなどせぬのが、世の習いではありませんか」
伊達では政宗の性格による所が大きく臣君の間でもさほど礼儀に五月蠅くはないが、普通は不敬にあたる事柄だ。
政宗は懐に入れていた煙管を取り出して一服すると、髪をかき乱して小十郎を一瞥した。
「……Han、分かってねぇな、小十郎。あいつは優等生だが真面目じゃねぇだろ」
妙に確信に満ちた断言に、小十郎は虚を突かれた。
まるで、記憶を失う前までの政宗のようだ。
小十郎の知らないを友として知っている――そういう口ぶり。
「It's mere perception.(ただの勘だ)」
ニヤリと口の端を上げて、政宗は固まる小十郎を置いて部屋を出て行った。
「…………全く、大人げない」
一人残された小十郎は、ため息と共にそう零す。
誰が、とは言わぬまま、どさくさに紛れて執務を放棄した政宗の後を追おうとしたのだが、そこでやっとその気配に気づいた。
トタトタと規則正しい静かな足音。
主が滞在するこの昼間に、こんな風に大っぴらに奥まで入れるのは、許しを得た人間か傍仕えかのどちらかである。
「――政宗様、どうされたんですか?」
微かに聞こえてきた声に、小十郎はやはりと足を止めた。
部屋から少し顔を出して窺えば、廊下の奥に政宗の後ろ姿と、その陰に居るであろうの小袖の端が見えた。
「It is few breaks. ちょっとした休憩だ、休憩。なんだ、茶持って来てくれたのか」
政宗は、が近づいて来ることを知っていて部屋を出たのだろう。
何をするつもりかと眉を顰めた小十郎の視線の先で、政宗は唐突にの持っていたらしい盆を取り上げた。
その動作で見えたの表情は、何とも困惑したものだった。
「まっ…政宗様……!?」
――こんなことをされては困る。
侍女としてでは無く、想いを隠さなければならない女として。
そういう心境なのだろう。
「茶なら自分の部屋で飲む。、お前も付き合え」
「え……ですが………」
「お前が居た方が弾避けになんだよ。ただでとは言わねぇ。Ah…そうだな……弥鳥屋の饅頭食わせてやるよ」
「えっ、弥鳥屋さんのお饅頭ですか!?」
弥鳥屋は米沢の頃から城で仕入れている城下の菓子屋で、も親しくしていたと記憶している。
小田原へも伊達家と共に移って来ているが、城下への外出や知り合いとの接触は禁じているので、も懐かしさが立ったのだろう。
そういった事情は知らないだろうが、その食い付きように少し驚いた政宗は、しかしククと笑っての頭に手を置いた。
「OK. 交渉成立だな?」
我に返ったらしいも、言葉に詰まって閉口した。
そして、ここで断るのは無理と判断したのか、たかが茶に付き合うにしては長い逡巡の後に、観念したように頷いた。
「畏まりました。私でよければ、全力で政宗様の弾避けになります」
冗談めかして笑った顔は、本当に嬉しそうで……
はっと息を呑んだ政宗の背中を認めた瞬間、小十郎はそっと部屋に戻った。
微かな会話の後に、二人分の足音が遠ざかっていくのを聞き届けて、深くため息をつく。
小十郎が聞いているのを知っていながら、が「真面目じゃない」ことを証明しようとした政宗も十分に大人げないと思うが……
「情けねぇな……」
あの瞬間、政宗を無理やり執務に連れ戻そうとしていたのは一体誰だ?
自嘲するように部屋に散らばった書類を片付けながらも、小十郎の脳裏からは先ほどのの笑顔が離れなかった。
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