「――政宗様、お客様が見えられました」
「ア? ああ……もう来たか。shit、イイとこで邪魔しやがる」

 庭先で配下の一人と木刀で仕合っていた政宗は、の呼びかけに顔を上げて悪態を付いた。

 執務に一段落が付いてこの『息抜き』を始めてから、確かにまだ半刻も経っていない。
 しかも、その客というのも歓迎すべきものでは無いらしく、政宗は今朝からずっと機嫌が悪かった。

 それを知っているは内心だけに苦笑を止めて、すっと持ってきた手拭いを差し出した。
 乱暴に縁側に腰掛けた政宗は、それを受け取り、汗ばんだ首元を拭う。
 その間に用意しておいた冷たい水を差し出せば、「お、気が利くな。Thanks」と言ってそれも一息で飲み干した。

「お着替えになられますか?」
「いや、別に良い。あんなジジイ相手にそんな気を使う必要もねぇ。ああ、そこにある羽織り取ってくれ」
「はい」

 縁側続きの室に無造作に転がった羽織りを示され、はその言葉に従って腰を上げる。
 手に取って僅かに寄った皺を直し、広げて政宗が袖を通すのを手伝った。
 背後からその襟元を正して、半歩下がった所に控える。

「Huu…しゃーねぇ、行くか。小十郎を呼んどけ」
「はい」

 立ち上がったということはもう用は済んだということだ。
 は、この時間なら小十郎は畑かななどと考えながら深く頭を下げた。

 政宗が去ってから顔を上げて急いで探しに行かなければならない。その前に誰かに聞いた方が早いだろうか――これからのことを頭で反芻している間に数秒が経過した。
 ところが政宗は一向に立ち去る気配が無い。

 内心首を捻った所に、頭上から声が掛かった。

「――、アンタは………」
「…………」

 きょとんとして恐る恐る顔を上げれば、何か逡巡するような顔をした政宗と目が合った。
 不自然な体勢のまま見つめ合ったのはほんの一瞬。

「……いや、何でもねぇ。――行ってくる」
「……行ってらっしゃいませ」

 そうとだけ言って足早に去って行った後姿を見つめて、は小さく溜息をついた。

79.侍女

 一口に女中と言っても、その仕事は多種多様に及び、人数も膨大である。
 そもそも、住み込みで働く女性の総称を女中と言い、その中でも炊事や掃除を担当する者を下女中、主や客の身の回りの世話をする者を上女中、または侍女と言う。
 この二つは身分によって明確に分けられることが多く、侍女は武家の娘が婚前に行儀見習いとして奉公するという例が多い――らしい。

 『片倉小十郎景綱に縁の娘』であるところのは、その最たる例というやつらしく、小十郎の鶴の一声で一気に城主・政宗付きの侍女として仕えることになった。
 未婚の武家の娘――という条件には自身にも当て嵌まるが、自ら望んでそういう仕事にしてもらっておきながらも、その位置付けというものには些か抵抗があったりする。

「……だってこれって、まるで花嫁修業みたい……」
「みたい、では無く、そのものではありませんか」
「お喜多様……! す…すみません!」

 片手に茶筅を持ったまま、は慌てて頭を下げた。
 いくらぼんやりしていたとは言え、に気配を感知させなかった女性は、楚々とした中にもどこか機敏さを感じさせる動作で部屋に入り、の前に座す。

「侍女とは本来、良家の子女の手習いの場ですよ。――退屈という顔をしていますね、
「い…いえ、とんでもない! 楽しくて楽しくて……思わず眠くなっちゃいます」

 周りに他の気配が無いことを確認し、後半は潜めた声でそっと告げる。
 女性は、まあと目を瞠り、と二人してくすくすと笑った。

 片倉喜多――伊達家の女中頭で、政宗の乳母をも務める才女である。

 お喜多様、少納言様と呼ばれる彼女は、何と小十郎の異父姉、綱元の異母姉にあたる。
 乳母と言っても彼女は未婚であるので、実質は教育係のようなものらしいが、いずれにせよ政宗にとっては姉のような存在だ。

「甲斐で少し齧っただけというから心配でしたが、しっかり会得しているではありませんか。それならば退屈に思っても仕方ありませんが……もうしばらくは我慢なさい。指導の者には折を見て私から話を通してあげましょう」
「……正直助かります。まだ完璧という訳ではありませんが、基礎の反復というのはどうしても肩が凝ってしまって。体を動かしている方が性に合うみたいです」

 こうやって茶の稽古をするのも仕事の一環らしく、指導役の先輩女中について基礎から学ばされていた。
 自主練習を申し付けられたものの、いい加減飽き飽きしていたところだったので、喜多の言葉は何より有り難い。
 道場で熱血兵相手に百人組手をしていた方がまだマシである。

 疲れた溜息をつくと、喜多はころころと笑った。

「流石は虎姫殿。茶や花よりも、弓や馬の方がお好きですか」
「………断然ですね」

 二人ともが、余人の目も耳も無いことを承知しての会話だ。
 喜多も流石は小十郎と綱元の姉と言ったところか、武芸には秀でており、気配を読むことにも長けている。
 ちなみに見かけのたおやかさを裏切って怪力であるらしく、弟たちと同じく剛腕を生かした一刀流の使い手だというから驚きである。

 小田原城に来て一番世話になっているのが、の後見人という名目の小十郎とこの喜多だった。
 何せ、は喜多に指導を仰いでいる見習いなのだ。

 米沢に居た頃は丁度喜多が里帰りしている時に当たっていて、とは面識が無かったが、今では全ての事情を知って力になってくれている。
 同性で直属の上司というだけでは無く、性格的にもどこか似通ったところがあるらしく、初対面からすぐに意気投合してしまった。
 表向きは、厳しい女中頭と何も出来ない新入り。
 けれどこうして誰の目も無い時は親しい友人のように接してくれる。

 ――「小十郎さんは兄上、喜多さんは姉上みたいです」

 以前うっかりそんなことを漏らせば、「政宗様にも全く同じことを言われたことがあります」と笑われたけれど、「わたくしも弟に加えて妹が増えたようです」との台詞には、「小十郎さんにも全く同じことを言われました」と返して二人で笑った。

「そうは言っても、喜多さんだって、刀や馬の方がお好きでしょう?」

 一度お手合わせしてくださいと半ば本気で言えば、御冗談をと言って笑われた。

「あら、わたくしは趣味程度で、とても好いた殿方の為に戦場まで行こうなどという度量はありません」
「わっ…私は別に政宗さんの為に戦う訳じゃ……!」
「――語るに落ちるとは良く言ったもの。今さら隠さずとも良いではありませんか」

 全く歯が立たず、は閉口した。
 千代と言い喜多と言い、最近こんなことばかりな気がする。

 喜多の場合、こうやってを揶揄している時も貫録というか……余裕ある気品のようなものが漂っていて、何だか余計に悔しい。

 赤くなった顔を隠すように両手で覆って俯いていると、目の前の才媛はふわりと笑った。

「大分元気になったようですね。小十郎や綱元も心配していましたよ……勿論わたくしも」

 そこでようやく元気付けられたのだと理解して、全面降伏する心地で苦笑した。

「ありがとうございます。私は幸せ者ですね、こんなにたくさんの人に心配して貰って」
「何と言っても、我らが主の大切な御方なれば」
「――――まさか」

 否定に対する否定を紡がれる前に、は言葉を続けた。

「そのことでも余計に心配をかけてしまってるんですよね……でも、案外大丈夫ですから」

 壁を作るような言葉になってしまったが、は本心からそう言った。

 侍女として働き始めてから数日……気を張り続けているので疲れるのは事実だ。
 それでも、なりに充実した日々を送っている。

 が侍女として働く上で一番の問題は、記憶を失くしている政宗に正体を知られないようにすることだった。
 かつて伊達軍に居たこともそうであるが、いきなり武田の『虎姫』だと知られれば最悪である。
 後見人のような立場の小十郎にも迷惑を掛け、武田と伊達の間に一石を投じることになりかねない。

 伝令隊時代に軍内ではある程度顔が知られてしまっているが、それら全てに緘口令を敷くのは流石に不可能だったし、は城下の商人にも知り合いが多い。

 とにかく、政宗直属である諜報担当の黒脛巾組にはその責任者である頭領に全て話した上で協力して貰ったが、なるべく出歩かず、存在を知られないようにする――それが小十郎からに出された条件だった。

 幸い、政宗が生活する本丸の奥には下っ端兵は入って来れない上、城の移転で奥仕えの侍女も数人が入れ替わっている。
 米沢の頃から居てのことを知る者たちにだけ事情を話し、は『城主付き侍女見習』ということで迎え入れられた。

 武田の姫という素性の他、武芸が出来ること、英語を理解すること、武将と知り合いであるということ等々――隠すべきことが多すぎて、確かに毎日気が抜けない。
 武芸や英語はそこまで苦労して隠すことも無いのかもしれないが、ただでさえ記憶を失って以後の初対面で泣いてしまうという失態を犯しているので、不審に思われる要素は少ない方が良いだろう。

 現に、今朝も政宗は何か言いたそうにを見ていた。
 小十郎が後見している娘だから大丈夫だろうが、何やら腑に落ちない……そういう困惑だろう。

「割り切ってると言うか、何と言うか……とにかく今は、ツライなんて感じてる余裕はありません」

 だから、大丈夫。

 自分を忘れている政宗の傍に居るのはツライだろうと……そういう腫れ物に障るような気遣い。
 喜多も小十郎も綱元も、の想いを知るが故に心配してくれている。

 政宗の困惑も、彼らの心配も感じ取っては居るが、自身は自分で思っていたよりもずっと平静を保って侍女としての毎日を過ごしていた。

 ――今がまだ、心が麻痺してしまっているのだとしても、それは事実。

「こうしてあの人の傍にいるのは、私が望んだことですから」
「なれど……」

 顔を曇らせて尚も言い募ろうとした喜多だが、はそれを遮ってしっと口元に人差し指を当てた。
 強烈な気配が一つ、物凄い速さで近づいてくる。

 スパン! と乾いた音を立てて襖が開き、慌ただしく飛びこんで来たのは、まさに噂の渦中にいた殿さまだった。

「喜多! 頼みが――……」

 余程慌てていたのか、室内にが居ることを察知していなかったらしい政宗は、それを見つけて一瞬瞠目した。
 だがすぐに、ニヤリと悪人のような笑みを浮かべる。

「It's just good(丁度良い)! 、Come on! 喜多、小十郎が来たら引き留めといてくれ!」
「政宗様!」

 咎める喜多の声と背後から迫る小十郎の気配に背を向けて、政宗はの手を取って無理やり連れ出した。

 磨き抜かれた廊下を、手を引かれるままに走る。
 こうして意思を持ったこの手に触れられるのは何ヶ月ぶりだろうと意味の無いことを考えた。

 微かな風が頬を掠め、の視界は握られた手と棚引く色素の薄い髪――その後ろ姿だけに占められる。

 しかし、走り始めてしばらく後、ついていけない程のスピードでは無かったが、手を引かれている為背中の傷が痛み出した。
 それをどう受け取ったのか、政宗は「おっと、悪ぃ」と言い速度を緩める。

「政宗様、一体……」

 繋がれたままの手には意識を向けないようにして問いかけたは、次の瞬間ぐいと引き寄せられた。

 その手が傷に触れ、びくりと反射的に体が強張る。
 何とか気力で耐えたものの、気付けば政宗に肩を抱き寄せられる形になっており、痛みも吹っ飛ぶ勢いで一気に鼓動が高鳴った。

「おぉ、これは政宗殿! こちらでしたか……」

 突然掛けられた皺枯れた声に、もようやく広間の近くまで来ていたのだと悟る。
 
 政宗が意識を向ける先――よろよろと部屋から出て来たのは、初老の太った小男だった。
 見た事の無い顔なので、北条の旧臣だろう。今日の客人だ。

「あぁ、悪ぃな。一時もこいつと離れたく無かったもんでよ、なぁ、honey?」

 一層抱きしめられ、血液が沸騰しそうになったは、しかしぎゅっと身を縮めることでそれに耐えた。

 好きな人に抱きしめられて、平気な筈がない。

 けれど、これは芝居だ。
 そもそも、彼はが気安く接していたあの政宗では無い。
 今のにとっては侍女として仕える雲の上の主だ。

 矢継ぎ早に自分に言い聞かせて何とか意識を立て直し、促されるままに頷いた。

「――はい、政宗様」

 震えるのを隠す為に小さくした声は、蚊の泣くような声音になって、返ってそれらしさを増したらしい。

「なっ…なんと、政宗殿ともあろう御方が、一介の侍女を寵愛されているとは…!」
「Ha! んなもん関係ねぇな。俺は欲しいものを手に入れる。……生憎、今はこいつ以外の女はいらねぇ」

 大方、伊達との縁戚を求めて、自分の娘でも差し出そうとしたのだろう。
 それを厭った政宗が、余りのしつこさに一芝居打った――恐らくそんなところだ。

 事情が分かっていながらも、この状況にときめいてしまう自分が忌々しい。

「――あー、やっと諦めたか。しつっこい豆狸だったぜ。……悪かったな、

 諦めたのか怒ったのか、とにかく帰って行った客人の姿が見えなくなると、政宗はようやくの体を離した。
 ぬくもりが離れた切なさと、手が離れたことによって思い出した背中の痛み――襲い来るそれらを気力を総動員して耐え、は何とか微笑む。

「いえ、政宗様のお役に立ったのなら、お安いご用です」
「お安い、か。……It's a bluff.」
「……………」

 英語で言われた言葉は、初めて会った頃にも言われたことのある台詞で……一瞬目を瞠ったが、分からない振りをして言葉を飲み込む。

「……Ha、年頃の娘にしちゃ出来た返事だって言ったんだ。流石小十郎も認めるだけはある」
「……恐れ多うございます」

 目線と同時に軽く頭を下げれば、その頭の上に手を置かれた。

「Thanks」

 軽く笑って言われた言葉。
 たったそれだけの何気無い一言が、どれだけの心をかき乱しているのか、彼は全く気付いていないだろう。

 遠くなっていく後姿を見送りながら、はふと泣き喚きたいような……殴りかかりたいような衝動に襲われた。

 突然拳をぶつけて、詰って、今までのことを上げ連ねて、私を思いだしてと叫んだら――
 そうしたら政宗は、どんな顔をするだろうか。

「bluff……強がり、か」

 自嘲するように呟いた言葉は、的を得ているのかどうか自分でも分からなかった。

 けれど、今のは政宗に仕える侍女である。
 徐々に政宗自身ものことを不審に思う度合いが大きくなってきたようだが、だからと言ってからはどうすることも出来ない。

 もし、彼が思い出さないままの正体が明らかになった時――

「その時は……………」

 来て欲しくない、けれどいつかは来るかもしれない未来を思って胸を押さえる。
 自分でも持て余す心を押し殺すように、は静かに目を閉じた。







080302
CLAP