8.cat's tears

 夏が近いとは言え、日が落ちた後の空気は冷たい。
 は庭の見える縁側に腰掛け、ぼんやりと思考に耽っていた。
 妙に寝付きが悪くて散歩に出たのだが、冷たい空気に当たるともっと目が覚めてしまった。

 一つ溜息をついて、夜空を見上げた。
 の居た21世紀の日本とは違って、ここには当然電気など無く、夜に――それも辺りが寝静まった頃になれば、本当に真っ暗になる。

「月や星が…明るいな……」

 不思議な心地で、は空を見上げた。
 あの月や星は、現代とほぼ同じものだろうに、ここに来て初めて明るいと感じた。
 単に周りが暗いからか、それともが現代と繋ぐもののように感じるからか―― 

 は無意識に胸元の守り袋を握り締めていたことを思い出し、それを首から外した。
 中身を取り出して、掌に転がす。

「……帰りたい…か――」

 呟いた時だった。
 背後で僅かに空気が揺れた気がして、ははっと身を強張らせる。

「――誰ですか…?」
「…そりゃぁこっちの台詞だな、こんな夜中に何してる?」

 溜息と共に姿を現したのは、今まで寝ていたのだろうか、少し崩れた夜着に羽織を引っ掛けた姿の政宗だった。
 そう言えば…と思い出して、は周りを見る。
 ただ何も考えずにふらふらと歩いてきたが、いつの間にか奥座敷に入っていたらしい。
 人の気配が無いと思ったら、政宗の部屋がある棟だったようだ。

「政宗さんの部屋の近くだったんですね……気付かずにすみません。…もしかして、起こしちゃいました…?」
「いや……」

 否定はしたものの疑わしくて、は慌てて立ち上がろうとした。
 しかし政宗はそれを制して自分も隣に腰掛ける。は思わずくすりと笑った。

「前にも同じようなことがありましたね」
「あ? ああ、小次郎の庭か」
「小次郎…?」
「俺の弟だ。七つ離れてるが、これが生意気盛りのクソガキでなぁ……」

 政宗より七つ下というと、いつきくらいの年齢だろうか。
 言葉は荒かったが、声音が穏やかだったので、は小さく笑った。反抗期の弟を持て余している兄という姿は、いつの時代も変わらないらしい。

「じゃぁあそこは、その小次郎さんのお庭だったんですか?」
「ああ……元は父上が俺の遊び場にと作ってくれたんだが、母上が小次郎にやると言ってな……」
「……そうですか。勝手に立ち入ったりして申し訳ないことをしました」
「いや……全然寄り付いてねぇみたいだし、別に構わねぇよ」

 政宗の家族の話を初めて聞いたは、政宗の瞳が翳ったのを見て内心慌てた。
 日本史をほとんど真面目にやっていなかったは、伊達政宗について僅かなことしか知らない。
 『遅れてきた戦国武将』『海外使節派遣』『隻眼』――
 そしてその最後については、それ故に実母に疎まれていたというエピソードがあった筈だ。

 これは、踏み込んではいけない領分だ――そう直感したは、何とか話を逸らそうと口を開いた。

「昼間あまり動かないから、夜もそんなに眠くならなくて……政宗さんは眠らなくていいんですか? 明日はたくさんお仕事があるんでしょう?」
「あー…まぁな……」

 嫌そうに言葉を濁した政宗に、はほっと息をついた。
 昼間、三傑の面々との一件の後、は政宗に連れていかれ、本当に囲碁に付き合わされた。
 最初の方はルールを教えてもらいながらの指導碁だったが、途中からハンデをつけての対局でが要領を掴んでいったのがおもしろかったのか、結局夕食まで続けられた。
 これにはあの三人――特に小十郎が目を吊り上げ、「明日は今日の分もやっていただきます!」と宣言していたのだ。

「政宗さんって、負けず嫌いですよね」
「アァ? それはお前のことだろ。初めての指導碁であんなに熱くなるヤツなんざ初めて見たぜ」
「う……それはー…だって、負けるのは悔しいじゃないですか」
「それが負けず嫌いだってんだ」

 からからと笑われて、も渋々認めた。
 あんな時間まで続けたのは、結局も熱中してしまったからだ。これからの暇つぶしライフが少しは埋められそうだと思うくらいには楽しかった。
 次に政宗と対戦する時には、少なくとも互角の勝負を……そんなことを考えていると、政宗の目線が自分の手元に向いていることに気付いた。
 は、ああと頷いて、それを持ち上げてみせる。

「私のお守りなんです」
「…貝合わせの貝か?」
「はい、片方だけですけど」

 そう言って頷いて、政宗に渡した。
 貝合わせ――貝の内側に美しい絵が描かれてあり、トランプの神経衰弱の要領で対を探す江戸時代以前の遊びである。
 貝である限りは二つで一対のはずだったが、の持つのは片方だけだ。

「これは……竹取姫か…?」
「え、分かるんですか!?」

 意外な言葉に、は目を瞠った。
 これが貝合わせという昔のおもちゃだと知って以来、自分なりにいろいろと調べてみたが、さっぱり何も分からなかった。
 色とりどりに重ねられた所謂十二単のような着物を羽織った女性が中央に配され、背後には布が掛けられた衝立のようなものが描かれている。
 もう何百回と眺めたものだ。しかし、これだけでは、何を描いた場面か分からないと思っていたのだが――

「竹取姫って……かぐや姫ですよね?」
「ああ、ここに羽衣が描かれてるじゃねぇか」
「羽衣……」

 全く気付かなかったとは驚くばかりだ。ただの布だと思っていたのが、羽衣だったなんて。

「しかし、こりゃかなりの意匠だな……お守りって言ったか?」

 政宗の問いに、は首肯した。
 返された貝を見つめてそこに落とすように言葉を紡ぐ。

「私、捨て子だったんです。八歳の時に子供が無かった今の両親に拾われて育てて貰いました」

 政宗がはっと息を呑んだ音を聞いたと思った。
 身を引こうとしているのを感じて、は安心させるように微笑む。

「もう大分前の話ですから、たまに忘れるくらいなんですけどね」

 嘘だった。忘れたことなど一時たりとも無い。それどころか、たったそれだけのことにいつまでも縛られている自分を嫌というほど自覚している。
 けれど、なぜか政宗に聞いて欲しいと思ったのだ。
 その隻眼の過去に、似たものを感じたからかもしれない。

「拾われた時、なぜかそれまでの記憶が無かったんです。覚えてたのは名前だけ……それと、この貝を握り締めていたらしくて」

 ぎゅっと握り締める仕草をして、は自嘲の笑みを浮かべた。

「本当はそこまでこだわる事じゃないかもしれませんけど、実の親がどういう人なのかとか一応気になるじゃないですか。昔から絶対いつか見つけ出すって思い続けてたんで、今更その気持ちは変えられないんですよねー……それで、これを見てたら、見つけるまでは絶対諦めるもんか!って元気になる訳です」

 だから、お守りなのだ――そう締めくくると、政宗は何とも言えない顔をした。
 何を言おうか迷っているという風に視線を揺らし、結局呟かれた言葉はの心も揺さぶった。

「帰りたいのか…?」

 ――帰りたい……それは、先ほどが呟いた言葉だった。
 政宗も恐らく聞いていたのだろう。

 しかし、どこへ…?
 育ての両親の元か、それとも生みの親の元か……家や学校や、置いてきたものの事が頭を過ぎる。
 そもそも、ここへ来たことが全くの謎なのだから、戻れるかどうかなんて保障も無い。生みの親なんて、更に生死の別さえ定かでは無いのだ。
 それに、それに――それに……?

「帰れない……」

 ぽとりと……落ちたのは、言葉と涙だった。
 両方が全くの意外で、はうろたえて政宗から顔を隠す。

「す…すみません……」

 どうにも止まらずますます湧き上がる衝動に、は慌てて立ち去ろうとした。
 しかし、政宗によって引き戻され、逃げることは敵わないまま体ごと政宗の腕の中に閉じ込められる。

……アンタ、俺が昔飼ってた猫に似てるな……寂しい時くらい素直にニャーっつって泣いてみたらどうだ? なぁ、kitty?」

 本当にニャーと言ってやろうかと思ったが、苦笑するだけに留めた。
 耳元で喋るのは勘弁してほしいが、政宗の腕の中は存外気持ちよくて、はゆっくりと瞳を閉じる。
 人肌で安堵するなんて、やっぱり自分は寂しかったのだと自覚した。

(寂しい…か。お父さん、お母さん……)

 温もりに、今の自分に一番近しい人たちを重ねた瞬間、の脳裏に唐突に一つの光景が浮かび上がった。
 それが事実として自分の記憶に甦るのに要した時間は、ほんの一瞬。

「あ…あ………っ!」

 急激に全身から血の気が引いて、体がガタガタと震えだした。
 指の先から冷たくなって、それは呼吸さえ圧迫する。

 の急な変化に驚いた政宗が体を離して覗き込んできたのにも、最初は気が付かなかった。

「おい、…!?」

 気遣わしげに見つめてくる隻眼の眼差しの強さに気付いてすぐ、は思わず全身で縋った。

「お父さんとお母さんが……なんで今まで忘れてたんだろう……なんで…………っ、だから…?」

 混乱するに眉を顰めながらも、腕を掴んだ政宗の手は揺るがなかった。
 辛抱強く待ってくれた政宗に我に返った時、一旦は止まった筈の涙は視界を埋め尽くすほどになっていた。
 は慌てて俯いて今更ながらもそれを隠し、震える手で政宗の腕を掴み返す。

「私を育ててくれた父と母は……死んだんです。私がここに来る直前に……」 

 政宗の驚きは、質問の声が掠れていたことでも伝わった。

「野盗か……それとも戦に巻き込まれたのか……?」
「戦……いえ、事故…です」

 一瞬何を言っているのだと思ったが、はようやくそれだけ答えた。

 その日、は市の総合体育館に居た。
 OBとして卒業校の競技会の手伝いをしていたのだ。
 競技会も無事終わり、競技矢や的の片付けを手伝っているところに、両親が近くまで来たからと言って顔を出した。
 体育館裏で少し話をして、その後三人一緒に久しぶりの外食に出掛けようと決め、は急いで着替えてこようと一旦両親と別れた。
 ――その直後だった。けたたましいブレーキ音が聞こえたと思った直後、大きなトラックがすぐ傍の歩道に突っ込んで横転した――今まで両親が立っていた筈の、国道脇の歩道に。
 横転したまま尚も街路樹などをなぎ倒して横滑りしたトラックが止まったのは、裕に20~30mは先。

 響き渡った悲鳴と喧騒。
 陥没し抉れた歩道と煙を上げるトラック。
 タイヤの跡に混じって地面に残ったのは、引き摺られたような赤黒い液体の痕。

 無造作に放り出された数々の物の中から、なぜそれを瞬時に見出せたのかは分からない――母のハンドバックと、父の片方だけの靴。

 受けた衝撃の強さに、はよろよろと尻餅をついた。
 わなわなと震える体を掻き抱いたような気もする。思い切り叫んだかもしれない。
 とにかく、その後は視界も思考も――記憶は真っ白に塗りつぶされていた。
 そして目が覚めたら――あの戦場にいたのだ。

 なぜ忘れていたのか、なぜ忘れていられたのか……
 この目で決定的なことを見届けてはいなかったが、には分かった。
 と両親を繋ぐ糸は、断ち切られた。
 膨大な喪失感が、体を冷たく支配する。

 あんなに優しく慈しんでくれた父母が死んでしまった……自分が持っている唯一の確かな繋がりが永遠に失われた……

 だから、忘れていたのか――――自分の心が壊れないように。自分を守る為に。

「最低……ホントに最低……! 政宗さん……私、吐き気がするくらい、自分が大嫌いです」

 俯いたままそう吐き捨てたを、政宗は再び抱きしめた。
 先ほどとは違った、壊れ物を扱うかのような優しい抱擁――

「……そういう時は、思い切り泣け。寂しがらねぇように、俺がずっと抱いててやる」

 素直な猫への褒美だ――
 そう言った政宗の言葉と腕は、の荒れ狂っていた心を不思議なくらいあっさり静めた。

「今だけ……今だけですから……」

 この期に及んで言い訳しながら、は声を殺して泣いた。
 政宗の背の着物を握り締めて、政宗の胸に顔を埋めて。

 そうして言葉通りずっと抱いていてくれた力強い腕の中で、泣き疲れて、眠るまで――






>060627
この時、既に政宗の父・輝宗は没しています。
話的都合により、小次郎の生年は1574年説を採用。

貝合わせは、正確には柄の美しさを競う遊びでした。
神経衰弱なのは、「貝覆い」という別の遊びなんですが、字面と知名度からここではいっしょくたに「貝合わせ」ということにしています(汗)

CLAP