74.証拠より論

「助けていただいて、ありがとうございました。……というか、本当にすみません」

 小田原城本丸――
 栄光門を抜けた辺りから始まった逃走劇で散々騒いだ挙句にようやく小十郎たちに保護されたは、呆れた小十郎の「とにかく傷の手当を」という言葉に小さくなって従った。

 成実を介して侍女に届けて貰ったお湯と手拭いで汚れを落とし、薬を塗る。
 着替えまで貸りて身なりを改め、そうやって落ち着いて改めて、向かい合った二人に頭を下げたところだった。

「マジで俺達が夜番の時で良かったよ、ちゃん」
「本当に。私の運も捨てたものじゃありませんよねー」
「――

 あははと笑った矢先に、成実の横に座った小十郎が地獄の底から唸るようにして名を呼んだ。
 呼ばれたはギクリとして動きを止める。
 恐る恐る顔を上げれば、顰め面をした小十郎と目が合い、僅かの沈黙の後深々と溜息をつかれた。

「――俺達が、どれだけ心配したと思ってる」

 真剣な視線が真正面から注がれる。
 あまりにも予想外の言葉に虚を突かれて、は大きく目を見開いた。

「そうだよ、どこほっつき歩いてたのさ」

 成実も口角を上げてそう言った。
 その、ここに居るのが当たり前というような言葉が――それが意味する所が分からない訳では無い。
 けれど、とても信じられなくて……
 喉が渇いて言葉が出ないのに、逆に目は潤んでくる。

 心配を――かけているかもしれないとは思ったが、それでもこんなに迷惑ばかり持ち込むを、本当に心配してくれていたのだ……

「何をそんなに驚かれているのですか。当然ながら、私もずっと心配しておりましたぞ」

 突然割って入った声に驚いて振り返れば、目元を和らげた人が立っていた。

「綱元さん――」
「お久しぶりです、殿」

 伊達三傑の最後の一人・鬼庭綱元は、甲府にも来ていなかったので、顔を見るのも米沢以来だ。
 どうやらが身支度をする間に呼び出されたらしく、小十郎の横に腰を下した。

「ですが、我々よりも誰よりも貴女を案じていたのは、殿です」

 そうして静かな声で続けられたのは、三人との久しぶりの再会も吹き飛ばすような一言。
 突然飛び出した政宗の名に、は身を強張らせる。

「それで、政宗様はいかがでしたか?」
「ああ、やはり眠っておられた」

 綱元と小十郎の淡々としたやり取り一つに、馬鹿みたいに緊張して。

 ……実際、まだ日暮れそれほども経っておらず、政宗ともよく晩酌を楽しんでいた時間帯でもあるので、すぐに会えるかもしれないと思ってはいた――それだけに、もう眠っているというのは些か拍子抜けである。落胆のような安堵のような複雑な気分だ。
 それにしても、彼は普段こんなに早く寝たりしない筈だが……

 の疑問を見抜いたように、綱元と言葉を交わしていた小十郎が口を開いた。

「政宗様は先日倒れられ、そのまま床につかれているのだ」
「えっ……倒れたって……大丈夫なんですか!?」

 思わず声を上げたに、綱元がお静かにと人差し指を口元にあてる。
 それに謝って従いながらも、不安は膨れ上がる一方だ。

「病気ですか? それとも怪我か何かで――……」
「いや、翁の診立てでは過労と寝不足らしい。……ここの所、随分無茶をされていたからな」
「過労と寝不足――」

 鸚鵡返しに呟いて眉根を寄せた。
 伊達の典医・通称翁の診断なら信用できるだろう。
 以前ならどれほど仕事が溜まろうとも倒れるまで無茶をすることは無かったし、気晴らしも自主的に行っていたあの政宗が……。
 領主としての仕事を疎かにするようなことは決して無かったが、それでもその苦労を人前に見せるようなことをしない人だった。
 それだけ、奥州・関東を治め、越後を獲った勢力を牽制するということは、難しいのだ。

「しっかり薬も飲んでお休みになっていますから、心配はいりませんよ」
「そうそう、しばらく寝かしときゃ大丈夫だって! それより、自分が一番にちゃんに会えなかったって知ったら、梵の奴きっと悔しがるぞ」

 の不安を拭うように微笑んだ綱元と、明るく笑い飛ばした成実。
 だがその様子に、は今になってようやく僅かな違和感を覚えた。
 申し訳なさと緊張が先に立って気付かなかったが、思えば最初からあったように感じるそれ。
 こうして話していても何かが……彼らの気配の何かが不自然だ……そう、以前までのなら気付かなかっただろうが、ピリピリとしたこの感じは……

「何を……隠してるんですか? 三人とも何かを警戒してる……」

 その言葉を認めるように揺れた空気に、もはっと気付いた。
 何か重大なことを隠している――それには違いないが、同時に三人が身構えている、警戒が向けられている相手は、他ならぬ……

 その時、小十郎が深々と溜息をついたかと思うと、ぴしりと背を正していた正座を崩して、その場にどっかと胡坐をかいた。
 そして片方の拳を畳に付けて、ぎろりとを見上げる。

「流石は虎姫ってとこか。情に溺れていつまでもママゴトみてぇな真似してたって埒が明かねぇな」
「小十郎殿――」
「アンタは黙っててくれ、綱元殿。――単刀直入に聞くぜ、。お前、政宗様のことを一体どう思ってる」
「……え……?」

 並々ならぬ気迫と雰囲気に身構えたは、続けられた質問にすぐに反応することが出来なかった。

「慕ってるのか、そうじゃねぇのかと聞いている。勿論、男として、だ」
「お…男としてって………私はっ……」
「政宗様は、」

 あくまで真剣な眼差しと声は、これがからかいや冗談で言っているのでは無いと、暗に告げていた。

「政宗様は、ずっとを取り戻そうとしておられた。武田の娘と知った後も、お前が政宗様の前から消えた後も」
「っっっ……」
「一国の姫ともなれば軽々しいことはできねぇだろう。だが、お前自身はどう思ってる。何をしに、ここに来た?」

 竜の右目の言葉は真っ直ぐで――そして重かった。
 は鋭く鈍い痛みに目を伏せ、胸元を押さえる。
 自分の心が痛いのは自業自得だ。だが、政宗を案じる人たちの心まで苦しめていたことは紛れもなくの罪で。
 だからこそ、きちんと言葉にしなければならないと思った。

「私は……私は、政宗さんの傍に居たい」

 深呼吸して、ゆっくりと言葉を吐き出す。

「傍にいないと、駄目だって分かったんです。だから、ここに来ました。今さらだって……もう遅いって言われても、もう誰からも、自分からも逃げたくないって思ったんです」
「……政宗様の傍に居たとして、もし、……もし政宗様が武田と刃を交えたら、お前はどうする?」
「……越後、ですね」

 質問ですら無い言葉に、三人の緊張が高まった。
 は慎重に言葉を選んで、首を振る。

「今の私は武田の軍属ですらありませんから安心して下さい。あれ以来父にも会ってませんし、ましてや武田の人間として伊達をどうこうしようと思って来た訳じゃありません」
「――それを信じるに足る証拠はあるか?」
「……ありませんね。正直自分でも、武田兵に刃を向けられるかは自信が無いですし、政宗さんと父が闘わなければならない時どうするのか……分かりません。でも、」

 一旦言葉を切って、静かに断言した。
 これだけは、その時が来なくても分かる。

「でも、絶対に政宗さんを死なせたりしません。何があっても、守ります」

 目の前に居れば何かを考えるより前に体が動いてしまうし、ましてや目に見えない所で心配するなんて耐えられないから、結局はこっそり一兵卒としてでも付いていくだろう。
 小十郎の厳しい眼差しの前で、それだけは断言できると目を逸らさずにいれば、やがてふっと軽い吐息が聞こえた。

「強くなったな、

 厳しさの中にも優しさを滲ませた瞳は、初めて見るもので――は目を見張った。
 意味を図りかねて面食らい、ぱちぱちと瞬きする。

「……それは、前よりは。自分の身くらいは自分で守れますよ」
「そういうことじゃない」

 もう以前のように、戦場で自分の身すら守れなかったでは無い。
 けれど小十郎はそういう意味じゃないと言って、ふわりと苦笑した。

 ふと何も知らなかった米沢に居るような感覚に陥り、は視線を落とす。
 今は気を抜いている場合では無いと自らを戒める為に。
 小十郎の声も、すぐに真面目なものに戻った。

「では最後に聞く――どうあっても政宗様に会いたいか、
「――はい」
「俺達が武田を混乱させる道具として、お前を使っても――か?」

 は、否が応にも『甲斐の虎姫』である。
 そして小十郎たちは伊達の重臣だ。
 武田・上杉軍が越後奪還を目指して松永・明智軍に挑む今度の戦いに、伊達は漁夫の利を狙って参戦する。
 その戦いで、が伊達に味方していると武田に報せれば――あるいは、人質として捕らえていると噂を流せば、武田軍の中に動揺が生まれるのは必至だ。
 非道でも何でもなく、それがお互いの立場というもので、ここは誰もが命懸けで戦っている戦国の世なのだ。

 自分自身の責任として、ここははっきりさせなければならない。
 も気を引き締めて、きっと視線を据え、その場に両手をついた。

「だからこそ、こうして正体を隠してこっそり忍び込んだんです」

 三人の顔を順番に見回し、深く頭を下げた。

「私は『虎姫』としてここに居ることは出来ません。だけど、どうしても政宗さんの傍に居たくて来てしまいました。単に都合の良い我侭です――でも、お願いします。小十郎さん、成実さん、綱元さん――伊達や、政宗さんの不利になることはしませんし、私個人として出来る事は何でもします! だから、『虎姫』ではなくとして、ここに置いてください…!」

 三人が息を呑む音が伝わってきた。
 は頭を下げたままその沈黙に耐える。
 しかしやがて、静寂を破って成実が噴出した。
 肩を震わせるような忍び笑いは、そのまますぐに大笑いに変わる。

「くっ…あはははは! さっすがちゃん! ヤベ、俺なんかすんごい嬉しいんだけど!」
「――私もです、成実殿。殿は真に果報者ですな」

 呆然と顔を上げたの前で、成実は腹を抱えて笑っており、その横で綱元が目元を拭っていた。
 小十郎に目を向ければ、視線が合って溜息をつかれる。

「……おい、二人とも。そこで絆されちゃ、ここまで引っ張った意味が無ぇだろ」
「まぁ、いいじゃんか、小十郎殿。いくらちゃんが策士っつっても、見てみなよ。今はただの恋する乙女だぜ?」
「恋って……成実さん!」

 思わず声を荒げただったが、まあまあと宥められて沈黙する。

「真っ赤になって凄んでも、ちっとも怖くはありませんぞ、殿」
「そうそう、可愛いだけだって。はぁー、相手が俺じゃないってのは悔しいけど、他ならぬ梵の幸せの為ならしょーがない。……何だよ、小十郎殿が一番嬉しい癖に」
「誰も嬉しくないとは言って無ぇ。ただ俺は、政宗様の臣としてだな……」
「あー、もう分かったって。とにかく、これ以上堅苦しいのは無しにしようぜ。ちゃんも。深く考えずに、とりあえず梵に会いなよ」

 そう言われても何も言えないに、小十郎は諦めたように一つ大きな溜息をついた。

「ここで政宗様に会わせずを追い返したとあっちゃ、俺達の首が飛ぶ」
「小十郎さん、それって……」

 言葉しか持たないを、信じてくれたということだろうか――

 聞こうとしたの言葉は、外から近づいた足音に宙に浮いた。
 とっさに気配を隠したところに障子越しに声が掛けられる。

「小十郎様、政宗様がお目覚めになりました」

 思わずはっと顔を上げたの眼前で、小十郎が腰を上げた。
 報告に来た侍女が去ったのを確認して、に向き直る。

「隠し事して試すような真似したのは悪かった。俺達もを疑いたくは無かったが、あんまり時期が良すぎたもんでな」

 どういう意味かと眉を寄せたは、促されて立ち上がりながらその言葉を聞いた。

「政宗様は確かに過労だが、そんなんで倒れるような愚をおかす方じゃ無ぇ。倒れられた直接の原因は、今朝の食事に盛られた――毒だ」
「ど…く……?」

 絶句して目を瞠ったところに、更に衝撃が落とされた。

「犯人は恐らく、政宗様のお母上――お東の方。実家の最上を通じて武田に近づいているという情報があった」
「――――っ!!」

 ――「あいつは俺のことを嫌ってる――母上にべったりだからな」

 政宗から母親の話を聞いたことはほとんど無い。
 けれど、言葉の端々からやり切れない寂しさや哀しさを感じていた。
 政宗自身は確かに母親を慕っているようだった……それなのに。

 母親自ら、我が子を毒殺しようとした――それも背後に武田の影があった……と。

「……会うのは明日にするか?」

 よっぽど顔色が悪くなっていたのだろうか、小十郎の言葉では我に返った。

「――いいえ。私も連れていってください」

 政宗が母に毒を盛られた――

 その事柄自体に、なぜか胸騒ぎがした。
 何か、言いようの無い嫌な予感が内側にもやもやと渦巻く。

 その不安を抱えながらも、背中を押されるように差し出された小十郎の手を、強張りながらも取ったのだった。





080202
史実エピソードは全く無視で、ここで毒事件です。
CLAP