「……………………………大きい…」

 思わずぽかんと開いた口を、慌てて閉じる。
 初夏の蒼天も眩しい麗らかな昼下がり――それがぽろりと零れた第一印象だった。

 関東相模の中心、城下町小田原。
 そして、小田原城の入口に威風堂々と建つかつて北条氏が誇っていた小田原城の堅固な守り――栄光門。

 正面から見るとより一層迫力のある初めて見るそれに、は完全に圧倒されていた。

 城の規模も天守閣も大きいが、町の大通りから突き当たった場所にあるその門は規格外の大きさだ。
 こんなに巨大な門を良く作ったものだ……なにせ、門だけでマンションくらいはすっぽり入りそうなくらいある。
 これだけの大きさだと開けるのも閉めるのも大変だろうに。
そうなれば、警備に隙も出来る。案外、あの門を通って正々堂々入り込むことも……

「おや、お嬢さん」

 思わずぼんやりしていたは、掛けられた声に肩を跳ね上げた。
 道の往来で突っ立っていれば嫌でも目立つ。
 しかし何よりの問題は、それが聞き覚えのある声だということだった。

「アンタもしかして……」

 ――ごめんなさい!

 心の中で叫んで、は無言のまま全力で逃げ出した。
 怪しいことこの上無いが、顔を合わせるよりはマシである。

「……………はぁ、油断できない」

 本日何度目になるか分からない冷汗に、路地裏で深々と溜息をついた。

73.小田原

 堺で千代と話し、政宗の元に行こうと心を決めたのは約半月前――

 安全面でも金銭面でも一人旅は心許無かったに、元親の送ってやるという申し出はまさに『渡りに船』だった。
 海路と言っても大きな船で安全だし、速くて確実。その上、こう言っては何だが旅費もかからない。

 けれど、一つだけ問題があった。
 それは、出来るだけ目立ちたくないということだ。

 伊達に行って、政宗に会って、それからどうするかということは何も考えていなかったし、むしろどうなるかなど全く予想も付かなかったが、それでもには『武田の虎姫』という事実と、『を連れ戻すために米沢に武田が攻め入った』という変えられない過去がある。
 これからどうするにせよ、堂々と伊達に顔を出すことは躊躇われた。
 虎姫の看板をぶら下げたまま、長曾我部の軍船で相模の港に入れる筈もない。

 まずは、誰にも知られないように政宗に会うこと――
 話はそれからだ。

 だからこそ、親切で温かい長曾我部軍と元親に別れを告げ、航海中に出会った敵海賊の船を分捕って……いや、親切な船にタダで乗せてもらって、港では無く人気の無い浦で降ろして貰い、一人徒歩で小田原に入った。
 数日城下町で様子を見て、折を見て小十郎か成実か信頼の置ける顔見知りを密かに頼ろうと――そう思っていたのだが。

「これはちょっと、予想外だわ…」

 苦笑とため息が同時に漏れる。

 小田原は確かに中央に近く、城も堅固で、拠点とするには持ってこいである。
 だからこそ政宗自身も小田原城に居を移したのだろうし、それはも理解していた。
 だが予想外なことに、米沢城下町の武士だけで無く、商人も職人も米沢の町ほとんどが、そっくりそのまま小田原に移ってきていたのである。

 は、米沢城下の商人にはなぜか気に入られていて、顔も広く知られている。
 ましてやそういった人たちは商売柄、町行く人間には敏感であるので、小田原の町を歩いているだけで自分がここに居ることを宣伝して歩くようなものだった。

 着いて早々知り合いに遭遇しそうになって、その後もひやりとさせられこそこそと逃げ回ること数回――。
 お陰で小田原での記念すべき初買物は、顔を隠す為の頭巾のようなものになった。
 しかしそれを被っていても、余所者丸出しで歩いていれば目だってしまう。
 先ほど声を掛けられたのが一番際どかったが、このまま町を散策などすれば『らしき娘を見た』という噂が広がるのは時間の問題だ。

「……お尋ね者の気持ちが分かったかも」

 いまだ早鐘を打っている胸のあたりを押さえて、深くため息をついた。
 人目を忍んで自由に歩けないなんて、まるで罪人のようだ。
 ……実際、伊達にとって敵である武田の人間なのだから、似たようなものであるが。

 ――それでも本当は、商人も町の人も伊達軍の元同僚たちだって、みんな優しい人たちだから、温かくを迎え入れてくれるのでは無いかと……心のどこかで期待してしまっている。
 だが、それが甘い願望だったと切り捨てられた時……もしも裏切り者だと憎しみの目で見られたら……それが怖くて、仕方ないのだ。

「……こんなんじゃダメだよね。決めたんだから」

 である為に――何を失っても、政宗に会うと決めたのだ。
 政宗に会うことは、もっと怖い……だから、今からこんなことでは駄目に決まっている。

「うん――こうなったら、強行突破で!」

 開き直ったは、大きな木の裏に屈みこんで、地面に簡単な図を書いた。
 ざっと見た限りの小田原城下の地図である。

 ずっと前に――……そう言ってもまだ一年ほどしか経っていないだろうか。
 政宗とこうして、地面に町の地図を書いたことがあった。
 米沢の城下町で、弓隊長屋に住むことになったの生活用品一式を買う為に、二人して地面に書いた地図で戦略を練り、町中を駆けずり回ったのだ。

「懐かしい……」

 小さく笑って、温かくなった心に勇気を貰った。

「善は急げ――決行は今夜」

 呟いて地図を睨み、立ちあがって巨大な門と天守閣を見つめた。
 今夜、小田原城に忍び参る――!

 佐助が居たら勝手に台詞を借りたに呆れ返りそうだ。
 そうふざけたことを考えながら、会うのが怖いと思ってしまう心を奮い立たせた。






 日暮れ後――少ない荷物は旅籠に預け、動きやすい身軽な服装に着替えたは、抜き足差し足で城の外塀に取り付いた。
 そこまでは順調だったが、周囲の気配を探って眉を潜める。
 どうやら、早速問題にぶち当たってしまったらしい。

 当初の予定では、政宗直属の忍隊・黒はばき組に見つけて貰うつもりだった。
 黒はばきを纏める頭領や疾風など顔見知りも居るし、一時期とは言え政宗の傍に居たから向こうはの顔を知っている可能性が高い。
 だが、近頃の不穏な全国の動きを見る為にあちこちに偵察でも飛ばしているのか、城の周りにはきれいさっぱり忍の気配は感じられなかった。
 政宗の護衛には付いているだろうが、城の警備に回すまでは手が足りないのだろう。

 そうなると、警備に当たっているのはほとんどが足軽隊である。
 伝令隊や弓隊ならともかく、が尤も縁の薄かった人たちだ。
 万一見つかって囲まれても今のには実力行使で易々と退けることだって出来るが……

「それは幾らなんでもマズすぎるよね……」

 伊達兵を殴り倒して政宗に会いに行くわけにはいかない。
 こうなったら本当に忍のように木の上でも経由して入るしか無いが、今更ながらに佐助から小田原城の地図でも貰っておけば良かったと後悔した。
 小田原城は米沢城と違って平城で、中の様子は全く分からない。
 うっかり入り込んだ先の見当も付かないというのは、正直つらい。
 分かっているのは、栄光門の位置くらいである。

「………………そうか、門か」

 思い付きを呟いて、自分に言い聞かせるように一つ頷く。
 そしてさっと身を翻すと一度旅籠に戻り、女物の着物に着替えて自分の荷物を抱え、今度は堂々と明かりを持って栄光門に向かった。

 今は伊達の居城となり、城内はまだ復旧中の個所もあるらしい小田原城――
 しかし、門自体はそれほどの被害も無かったのか、かつての威容をそのまま留めていた。
 それが近づいてくるごとに緊張したが、女は度胸だと腹を括って顔を上げた。

 ある程度の勝算はあるが、取り敢えず門番はの顔を知らない人物だったようで気付かれないようにほっと息を付く。

「――娘、こんな夜更けに城に何の用だ」

 当然の質問が掛けられ、は頭を下げながら答えた。

「本日の昼、片倉様のご紹介でお殿様にご引見いただきました堺屋と申します。その際、ご要望のものを今日中に片倉様へお届けするようにと承りましたので、お届けに上がりました」
「――そんなことは聞いてねぇぞ。お前聞いてるか?」
「いいや。それに今日筆頭は部屋に籠りっきりだったって聞いてるぜ?」

 怪しい――そう結論付けたらしい二人の視線の前で、は困ったように眉尻を下げる。

「お殿様から、もっとcoolな落ち着いたcolorでとご指定を受けて、とにかくhurry!と言われましたので急ぎ持って参ったのですが……」

 なるべく政宗のような発音を心がけてそう言えば、門番の二人は飛び上った。

「あ…アンタ、異国語が出来るのか!?」
「商いに必要なので、ほんの少し。お殿様ほどではありませんが」
「そりゃ筆頭の異国語は最高にくーるだからよぉ!!」

 そうですよね、と相槌を打ちながら簡単な英語で煙に巻いて、最後には流石小十郎様紹介の店だ!と絶賛さえされて、は難無く巨大な栄光門を抜けた。
 こうなると、全く役に立たない巨大門が少し哀れになってくる。

「……て、それどころじゃ無かった」

 取り敢えず、最大の難関であった門は突破できたのだ。
 振り返って見上げた門から視線を戻して、はさて、と辺りを見回した。

 通常なら商人用の勝手口から入って案内を乞うのだろうが、どう考えても先ほどの手は通じそうに無い。
 ここからは庭を迂回して、闇と木々に紛れて自力で本丸の奥を目指すしかない。
 物陰で荷物を解いて再び動きやすい恰好に着替え、数回の深呼吸の後、覚悟を決めて庭に飛び降りた。

 視界が闇に慣れるのを待って、気配を殺して物影伝いにひた走る。

 しかし、いくらも行かない内に、突如前方に人の気配が生まれた。
 驚いてとっさに息を殺すが、向こうもこちらに気づいたらしい。

「そこに居るのは誰じゃ!」

 相手が持っていた明かりを掲げた拍子にその顔を判別すると、はしまったと顔を顰めた。
 知っている人物ではあったが、政宗がかつて攻め落とした奥州大名の一人で、臣従を誓っていながらもあまり親政宗派とは言い難い老将だ。
 見つかったら、ここぞとばかりに武田と伊達のことを勘繰られ、伊達軍を動揺させてしまうかもしれない。

 は冷汗が伝うのを感じながらも、だっと駆けだした。
 本丸まではまだ大分有りそうだが、とにかく逃げ切るしか無い。
 幸い向こうは高齢、速さと持久力ならばに分がある。

 しかし、悪い時には悪いことが重なるものだ。
 走っている先から、数人のがやがやした声が聞こえてきた。
 どうやら、訓練を終えた若い兵たちの集団下城に行き会ってしまったらしい。

(小学生じゃないんだから、一人で帰りなさいよ…っ!)
「お主ら、そこの怪しい者を捕らえよ!!」

 上役からの突然の下命に彼らが戸惑ったその一瞬、は足に力を込めて高く跳び、集団の内の一人の頭を踏み台にしてその真上を抜けた。
 木立を突っ切る形になり、小枝が皮膚や髪を掠めていったが頓着している余裕は無い。

「そっちに行きやがったぞ!」
「ヤサから他の奴らにも召集かけろ!」

 すぐに数人が数十人になり、囲い込むように追い詰められていく。
 相変わらずガラが悪い伊達軍に苦笑しながらも、ようやく辿り着いた本丸の裏手に飛び込んだ。
 暗くて分からないが、大体のあたりを付けて奥を目指す。

 ――ど…どうしよう……!

 目立たないようにと思って忍びこんだのに、逆にかなりの大事になってしまった。
 こんなことなら多少のリスクには目を瞑って、口の固い商人の誰かを頼って店の者としてこっそり政宗に会わせて貰った方が確実だったのに――後悔先に立たずとはよく言ったものだ。

「オラァ! こんなとこまで入り込みやがって、ここが天下の伊達の城だって分かってんだろうな、アァン!?」
「ただじゃおかねぇぞ、テメェ!」
「生きて帰れるなんて思ってんじゃねぇぞ、ゴルァ!」

 いい加減に焦れたらしい一部がそう怒鳴り、腕を伸ばしてきた。
 慌てて体を捻るが、服の裾を引っかけられ派手に転倒する。

「う……っっ……!!」

 そしてすぐさま、今だと飛びかかって来た相手の剣幕に、は思わず本気で拳を繰り出していた。
 派手に吹き飛んだその体を追うようにうっかり炎まで出てしまい、自分諸共に熱を被る。

 実力行使はマズイと、さっき思ったところだったのに――

 青くなりながらも、今更立ち止まることも出来ない。
 熱気に耐え息を詰めて、弛んだ包囲網を破って駆け出した。
 夜でなければ顔を見られていただろうと思うと不幸中の幸いだったが、最早忍びこんだ意味が全く無くなっているのでその価値も微妙だ……。

 そうやってやっと辿り着いた本丸の奥――
 追われて、転げこむように飛び込んだ部屋に――良く見知った顔が座っていた。

「一体何事だ!! テメェら、ここが何処だか分かって――――」

 青筋を立て眦を吊上げたその鬼の形相も、今のには地獄に仏のようだった。
 
 ――「小十郎さん――!」

 叫びかけたその言葉を、は何とか飲み込んだ。
 そんな様子に気付いた相手も、絶句して声を途切れさせる。
 ――と、その時、

「何してんだよ、お前ら!」

 ――力抜いて、ちゃん

 真後ろから耳打ちされたその声は一番逢いたかった人に良く似ていたが、それでも混同したりはしなかった。
 彼はこんなに優しくない。

 素直に力を抜いて相手に身を委ねた瞬間、軽々と投げられてその場に引き倒される。
 配慮してくれたが衝撃に息は詰まって、顔を伏せて痛みに耐えた。

「成実様、小十郎様! 申し訳ありません、この野郎、すばしっこくて……」
「はぁ……全くしょうがないな。言い訳はいいから、もう行け。このまま騒いでたら殿に見つかるぞ」
「はっ! ではその賊を……」
「ここまで入り込まれたんだ、こいつはこっちで預かる」
「ですが……」
「―――行けっつったのが聞こえ無かったか?」

 成実の言葉に食い下がっていた警備の兵も、小十郎の低い一言に哀れなくらい竦み上がった。
 そしてすぐさま、蜘蛛の子を散らすようにざっと下がる。

 数秒後、押さえ付けられたままのは、他の気配が全て消えたと感じた瞬間そっと手を離された。

「――大丈夫だった?」
「は……い……」

 少し噎せながらも何とか返事をして、苦笑した成実と何とも言えぬ表情をした小十郎と対面する。
 僅かに間を空けて、眉を寄せた小十郎が口を開いた。

「――こんな所で何してる」

 至極尤もな言葉だった。
 ここに居るはずの無い人間が突然現れて大騒ぎを引き起こし――
 しかもあちこち汚れて、追われる途中で擦り傷だらけ。更に自分の炎を被って所々煤けているかもしれない。
 余りにもぼろぼろの自分に、も顔を引き攣らせるしかなかった。

「お…お久しぶりです、お二人とも」

 これが甲府で顔を合わせて以来の――しかも成実と話すのは米沢を出て以来だ――再会だと言うのだから泣きたくなってくる。
 それに、警護兵にまで手を上げてしまって。

 やり場の無い情けなさを抱えながらもいっそ清々しいくらい間抜けな台詞しか出てこず、流石の小十郎も呆れを隠しきれていなかった。
 成実にまで笑われて余計に落ち込む。

 とにもかくにも、ようやく目的を果たしただったが――
 ほっとするよりも情けなさの方が先に立ってしまったのだった。







080126
CLAP