72.居たい場所へ

の生きる場所は、どこなのですか?」

 子どもに言い聞かせるように厳しく優しく。
 背中を押してくれるかのようなその問い掛けに――は、きつく目を閉じた。

 既に答えは出ている。
 それでも、口にすることが出来なかった。
 なぜなら……

「……私にその資格はありません。――ずっと記憶を失くしていましたが、思い出したんです」

 目を閉じれば、紅蓮の漆黒の中に甦る……慶次に会って思い出した、貝にまつわる記憶。
 その断片の中で、自ら封印していたものを見た。
 闇と血に塗れた――過去の自分を。

「私は昔、この手でたくさんの人を殺しました」

 真実は、口にすることで更に深く重く、心の澱に沈殿する。

「信念も覚悟も無く、ただ死ぬのが怖くて…闇の中に逃げる為だけに、殺したんです」

 ――「刃向うものは、滅せよ!」
 ――「力が欲しいか。ならば、余の手を取るが良い」

 それを言ったのは、禍々しい闇をも従え、異国風の鎧を身に付けた男だった。
 異彩を放つ風貌と、人のものとは思えないほど常軌を逸した威圧感。
 恐らく…いや、間違い無いだろう。
 ――魔王・織田信長。

 昔、慶次に助けられる前だ……甲斐から攫われた筈の幼いは、なぜか信長に拾われた。
 そうして、まだ覚醒していなかった筈の属性の力を引き出され、力を――武器を与えられた。

 きっと拒むことも出来た筈だ。
 実際、その時のは不治の肺病に侵され、平素ならとても自力で歩き回れるような状態では無かった。
 だがは、信長の闇に抗わなかった。

 迫りくる病魔と死に目を背け、他人の命を屠りながら、麻痺して凍り付いた心で底なしの闇の中に浸っていた。
 はっきり自我があった訳では無い……心の均衡を崩すような、正気を見失うような、そんな何かがあったのかもしれない。
 けれど、それは確かに、本人の意思だった。

 残虐非道な織田軍の中で。
 手には与えられた薙刀を持ち。
 炎の属性を使って。

 ――何の恨みも無い織田の敵兵を、数え切れないほど殺したのだ。

「まるで目の前の虫を追い払うように……私は、向かってくる人を躊躇い無く斬ったんです」 

 自嘲気味に笑った顔は、我ながら醜いだろうと思った。
 けれど千代は、そのの頬を両手でそっと包む。

、私は娘のよねを亡くした時、神仏を恨み、世の中を憎みました。――天災に奪われた私でさえそうだったのです。戦によって愛しい者を奪われた人は、戦乱の世を、直接命を奪った人を憎むでしょう。その憎しみと怨嗟が、この国にはたくさん満ちています」

 死者の嘆き、残されたものの憎しみ……かつて市に引き込まれそうになったのは、彼女がそれを纏っていたからだ。
 織田信長の妹であり、自らも共に戦場に立っていた市だからこそ。

「殺す側がいくら大義名分を持っていたとしても、殺された者も、残された者も、憎いと思う心は変わりません。――例えば、のお家が世直しを掲げた越後の軍神殿の軍に滅ぼされていたとしたら、どうです?」
「それはっ………謙信公は素晴らしい人ですが……私は絶対、許せないと思います」

 千代の例え話に、は自分の身を掻き抱いた。
 向けられるばかりだった憎悪が、俄かに自分の中からも湧き上がったことに軽い驚きを覚えたのだ。

「人は皆同じです。誰だって、愛しい者を傷付けられれば怒るし、憎い。――間違ってはなりませんよ、。信念や大義、覚悟があるからと言って、人を殺して良い理由になどならないのです」
「っ……!」
「あなたも、私の旦那さまも……誰かを殺しただけ、その罪を背負わなければならない。けれどそれが、逆に幸せになってはいけないなどという事になりますか?」
「でも……」
「生きている人間は、死んだ人の分まで生きなければなりません――死んだ人の大切だった人たちが生きるこの世を良くしていくことこそが、最大の罪滅ぼしなのだと……そうは思えませんか?」
「罪滅ぼし……」

 確かに千代の言う通りだった。
 どんな理由があったとて、どれだけ強い想いの為だとしても、一度戦場に出ればたくさんの人の命を奪う――その行為に免罪符などありはしない。
 それならば、その罪を悔やむだけでは無く、償う道を探さなければならない。
 たくさんの人の、幸せの為に――

「でも、千代さん。だからって、私まで幸せに……なっても良いんですか?」
「ではは、のお父上や私の旦那さまも、幸せになってはいけないと?」
「そんなことは……!」
「だったら、だけ駄目ということは無いでしょう」

 ――幸せ
 ――女の幸せ
 ――好きな人の傍で、同じ夢を見る。その為に生きる。

 の心に浮かぶのは、胸を掻き乱す鋭い隻眼。
 初めて会った時、竜と見間違えたあの眼光。
 そして、に見せる柔らかい眼差し。

「私は……でも、私が幸せになる為に、大切な家族やその周りのたくさんのものに迷惑をかけるかもしれないのに……!」

 幼い頃、死と隣り合わせの闇の中で、は必死に手を伸ばしていた。
 まだ断片的な記憶でしかなく、その経緯にも分からない所がある。
 けれど、あの時が手を伸ばしていた先は、父の信玄であり、母であり、家族同然の幸村であった。
 あの時は掴めなかった手だが、父たちも必死に手を伸ばしてくれていたのだと知った。
 当時掴めなかった分だけ、今愛情を注いでくれていることも。

 それなのに、その優しい手に背を向けて、敵である別の人に向かって手を伸ばす――不孝だと分かっていながらそれを望んでいる自分は、なんて……

「自分勝手、なんだと思います。誰も傷つけたくないのに……」
「なぜ、傷つくと決めつけるのです?」
「それは……」
の幸せが、の大切な人たちの幸せだと……そう、言ってくれる人たちでは無いのですか?」

 噛んで含めるような言葉は、の脳裏に大切な人たちの顔を思い出させた。

 ゆっくり閉じた瞼の奥から、熱いものが溢れて零れる。

 肉親の愛情に飢えていた……眼前に差し出されたそれを失くさないようにと必死で、相手を大切にしようとばかり考えていた。
 自分の幸せを殺して相手を幸せに出来るなんて、随分な思い上がりかもしれない。
 少なくとも、それを黙って良しとする人たちでは無い――
 ――の大切な家族は。
 の大好きなあの人は。

 ふわりと包み込んでくれた千代の掌はとても温かく、心に巣食った闇が薄れていった。
 こういう感覚を知っている。
 経験として、認識した。

 父や幸村と穏やかに笑い合っている時。
 慶次に貝を貰った時。
 そして……政宗の手を取った時。

 ゆるゆると湧き上がるのは、諦めなのか覚悟なのか。
 ただ、痛いほど自覚した。

 自分には、やっぱり何がどうしたって、彼が必要なのだ。

 ――「俺に、が、必要なだけ…だ!」

 本当はあの言葉がどれほど嬉しかったか……あの手を振り切って背を向けるのが、どれだけ悲しかったか。


(――――政宗さん)


 心で呼んだ名前は、の闇を振り払って。
 その気配の変化に気付いたのか、千代は穏やかに笑って、の目を覗き込んだ。

「さあ、もう一度聞きますよ。の生きる場所はどこなのです?」

 問われた質問に、は静かに息を吸い込んだ。

「――奥州、いえ小田原です」
「え?」
「奥州筆頭伊達政宗――あの人の、政宗さんの傍が、私の生きる場所です」

 自分自身に刻みこむように、ゆっくりと紡ぐ。
 驚く千代に向かって、は照れ隠しに笑った。
 口の端を上げて、不敵に。

 まるで、酔いが爽快に醒めていくようだった。

 堺屋敷の上空にかかる眩い月を見上げれば、今まで抑えていた感情が湧きあがる。
 堪らなく、逢いたい――と。

「政宗さんに、逢いたい――……」

 呟いた言葉は、月に吸い込まれるように、夜の空に消えて行った。

 闇に囚われた心――そんな自分自身に囚われていたが、ようやく自分の心を受け入れた瞬間だった。











 夜通し千代と語り明かしてその翌日、山内家の堺屋敷に奇妙な客が訪れた。

 どう見ても漁師には見えない威風堂々とした隻眼の男が、それらしい恰好で門前に立ち、に面会を求めたというのだ。

「鬼の恩返しと言えば分かる――と」

 首を傾げて伝えてきた侍女の言葉に、出立の準備をしていたはあんぐりと口を開けた。

「ちょっ、もとち……!」

 慌てて門前まで駆けつけたの視線の先では、予想通りの男――四国を統べる長曾我部元親本人が、堂々と立っていた。
 いかにも当たり前のように「よぅ、元気そうじゃねぇか」などと気楽に言う。

 背後に付いて来た千代を気にしながらも、は小声で詰め寄った。

「元親さん、どうしてここに!? ここは豊臣軍の武将、山内一豊の屋敷ですよ!?」
「あぁ、知ってるぜ? 偵察にやってた俺の子分が、この堺でを見かけたってんで、そっからここを割り出したんだからよ」

 得意気に言う元親に、そうでは無く!と反論しかけて、はそれを溜息に変えた。
 付き合いは短いが、大体の性格は分かっている。
 長曾我部と豊臣は一触即発の敵同士だが、何もわざわざここに殴りこみに来た訳では無いだろう。
 だとしたら目的は……

「鬼の恩返しに来たぜ、
「恩返し……?」
「かーっ、てめぇのことには鈍いな、オイ。だから、小田原まで俺の船で連れてってやろうってんじゃねぇか!」
「……………えぇと……」

 どこから糺せば良いのか分からないが、は取り敢えず疑問を口にした。

「取り敢えず、どうして私が小田原に行くと思うんですか?」
「あぁ? 堺に居るってことは、海に出るってことだろ。甲斐なら陸から行った方が早ぇし、この時期に他にお前が向かう先なんざ、独眼竜のとこに決まってる」

 中々の慧眼だが、政宗に対する想いの丈まで見透かされているようで恥ずかしい。
 しかし、千代がいよいよ不審がる気配を感じて、一層声を低めた。

「その為にわざわざ? 元親さんとしては伊達にも豊臣にも近づかないほうが良いに決まってます。それなのに、どうしてそこまで……大体、恩返しされるようなことなんて何もしてませんよ。むしろこっちがしなきゃいけないくらいです」
「こないだのことは、俺も元就も感謝してんだ。豊臣の勢力を沿いで、ついでに浅井と手まで組めたのはお前のお陰だ。例えそれがお前自身の為だったとしても、恩は恩だ。ケジメは付けねぇとな。それに、お前を連れてきゃ独眼竜にも貸しになるしよ!」

 自信満々に言った元親に、は小さく溜息をついた。

「……元就さんからも恩返しされたんですよね……まぁ、じゃあそれはともかくとしても。別に私を連れて行ったって、政宗さんへの貸しにはならないと思いますけど?」
「お前、本気で分かってねぇのか? ……はっは! こりゃ独眼竜も苦労する筈だぜ。奴が女に振り回されるなんざ想像も出来なかったが、なら分かるぜ」
「どういう意味ですか!」

 大声で笑った元親は、の頭に手を置いて、あの全てを包み込むような海のように深い声で言った。

「まぁ、ここは素直に送らせろや。近江でお前がいきなり消えたってんで、野郎共も俺も、結構心配したんだからよ」

 死んだとは思って無かったがな、と言って更に笑う元親に、はそれ以上反論することが出来なかった。
 たくさんの人に心配を掛けた――分かってはいたが……いや、本当には分かっていなかったのかもしれない。

「――分かりました。じゃあ、お言葉に甘えます。……最速でよろしくお願いしますね、元親さん!」
「おぅよ! この俺に任せときな! 文字通りの大船に乗せてやる。――相手は、この日の本一のイイ男と間違えたほどの恋しい野郎だ。小田原までぶっとばすぜ!」

 そう言ってひょいとの荷物を担ぎ上げた『日の本一のイイ男』の言葉に、も思わず満面の笑みを浮かべた。






 ――会って、どうするかなんて決めていない。
 まだ何の問題も解決していないし、武田と伊達の間でまたすぐに板挟みになるかもしれない。

 けれど、譲ることが出来ない想いがある。
 傍で生きたいと、想う心――
 その為ならば、どんな『並々ならぬ苦労』だって乗り越えてみせる。

 父の信玄は、佐助にこう伝言したという。

「竜と言ってもまだまだ子竜。あの小童め、わしの事をふぁーざー等と呼びおった。が代わりに抗議して参れ」

 それは、非常に遠回しながらも政宗を認める言葉――そして、の我が儘に……政宗に会いたいという我が儘に対する許し。
 少し前までなら、いくら父が許してくれても甘えるわけにはいかないと、そう思っていただろうが。

「ありがとうございます、父上……私は小田原に行きます」

 風が、吹く。
 の想いの先へ向かって。

「政宗さんの傍へ―――私が私で、ある為に」

 居るべき場所、居たい場所へ。

 自分の心に刻むように言葉に乗せて、
 ゆっくりと上げた瞼と視線の奥に確固たる想いを宿して、

 見上げた先の月は冴え冴えとした光で煌いていた。










071231

番外.海賊のお宝


これにて第三章終了です。
まさかのアニキ再登場は、英雄外伝記念ですので、次章への伏線とか繋がりは全くありません。
次章はようやくの伊達です!――が、あまり期待はしない方が吉です(汗)
CLAP