番外.海賊のお宝

「…………海ですねぇ………」

 はたはたと髪をなびかせながら、そんな間の抜けた台詞を吐いたのは、船のメインマストのてっぺんまで登った娘だった。
 風に目を細めるその姿は、着飾るどころかまるで少年のようだ。
 裾袴を履き、手足を頓着無く晒している。
 けれどそんな色気の欠片も無い格好なのに、自然と目を惹くものがあった。
 男ばかりの船の上で若い娘というだけでも十分に目立ったが、それだけが理由では無いだろう。

 この船の主・長曾我部元親が招いた娘――武田の虎姫こと、

 元親は、彼女の後に続いてマストの上に腰を下ろし、ふとその横顔を盗み見た。
 嬉しそうに目を輝かせ、船に乗ってもう何日も経つというのに飽きる事無く水平線を眺めている。

「そんなに珍しいかよ」
「珍しいというか、好きなんです!」

 呆れたように問う元親に、海風に負けないように声を張っては答えた。

 は、甲斐武田家の姫である。
 武田は今でこそ徳川を打ち破って三河の地を手にしたので自領の港も持っているが、かつては内陸で海の無い国だった。
 だから珍しいのかと思ったが、どうやらそうでは無いらしい。

「異国の海も同じようなもんなのか?」
「え? まぁ……そうですね。ここの方が綺麗だと思うけど、あんまり違いは分からないです」

 言い淀んで苦笑したは、どういった訳か、内陸国の姫という立場でありながらもしばらく異国で生活していたらしい。
 しかも、故郷では生死も知れぬまま行方知れずとなっていた。
 そしてこれまたどういう訳か、数年してこの国に戻って来た時には幼い頃の記憶を失くしており、伝令兵として伊達軍に所属した。
 更に、出自も知らないままそこであの独眼竜――伊達政宗と好い仲になったというのだから恐れ入る。
 甲斐から河内まで一瞬で飛んだという話も、近江で突然姿を消したのを目の当たりにすれば信じないわけにはいかなかったが、どこを取っても実に奇妙でおもしろい娘である。

「……何がおかしいんですか、元親さん」
「あぁん? いやなに、お前があんまり『普通の女』らしくねぇからよ」

 言えば、は幼い動作で少し頬を膨らませた。
 いつもは年齢よりずっと大人びた印象を受けるだけに珍しく感じる。

 元親とは、少し前に数日間だけ行動を共にしたことがある。
 堺から近江までの道中――その短い中でも、彼女は元親の中でも十分に大きな存在に育ってしまっていた。
 別段、男女の意味合いだけでは無いが、思い詰めたような余裕の無い瞳が、少し前の悪友を思い出させたのだ。
 余りに似ていて……いや、彼よりもっと暗い闇を抱えているが、元親は心配だった。

 それがどうだ。
 堺で再会してみれば、あの時とは打って変わってどこか吹っ切れたような顔をし、朗らかに笑っていた。
 無理やり被っていた皮を脱ぎ捨てたとでも言おうか……彼女の素顔だと思わせる屈託のない表情を見せるようになった。
 それが自分では無い他の男に向けられる感情故だというところが、元親としては少しおもしろくないのだが。

「どうせ私はお転婆ですよ」
「はっは、誉め言葉だぜ? 普通なんておもしろくねぇじゃねぇか。それに四国にゃ、マストに登れる女なんざ五万と居る」

 五万は誇張だが、全く居ない訳でもない。
 それでもまあ……こんな風に男と同じだけの船仕事や見張り、果ては先頭きって敵船に乗り込んでいく女は他に見ないが。

「………………」
「……今、やっぱりこんなお転婆は他にいないなって思ったでしょ?」
「い…いや、俺はだなぁ……!」

 油断していた為に墓穴を掘って、元親は慌てた。
 こういう鋭いところは変わっていないが、次の一言は大きな変化だった。

「ぷっ……ふふふ、別に構いませんよ。本当のことですし、政宗さんにも言われたことありますからね」
「――アァ? まーた独眼竜かよ! 惚気ならたくさんだぜ」
「べっ…別に惚気なんて、そんなんじゃ……!!」

 真っ赤になって狼狽した挙句、手を離して見事に風に攫われそうになったの手を、元親はとっさに掴んで引き寄せる。
 すみません、と小さくなって謝るに、溜息をついた。

 小さな旅の中で、寝起きに元親と政宗を間違えた呼んだ……ただその一度きり。
 それ以来、彼女の口から不自然なほどに政宗の名前を聞かなかった。
 それが、ここ数日の間にもう何度聞いていることか。

「見る目無いぜ、。こんなイイ男を目の前にして他の男の惚気なんざ、野暮ってもんよ!」
「だから、惚気じゃないですってば! ――元親さんがイイ男なのは認めますけど。ねぇ、皆」
「おぅよ! 分かってるね、アネキ……じゃなかった、サン!」
「アニキは日ノ本一のイイ男だぜ!」
「アニキ!アニキ!」

 を支えながらするするとマストを降りれば、元親たちの周りをすぐに部下たちが囲み、の声に乗せられていつものアニキコールが起こる。
 元親にとっては日常で無くてはならないこの光景も、に言わせれば『伊達軍に似ている』になるのだろう。
 堺で再会し、すぐに船で出港してからこちら、は何かにつけて政宗のことを口にするようになった。
 しかも本人は無意識なのだから、本当にこの短期間にどういう心境の変化があったのかと首を傾げるしかない。

「全くよぉ……その内、浅井んとこみたいに旦那べったりの嫁なんてことになるんじゃねぇのかぁ?」

 普段口では勝てないの唯一の弱みを付くように、元親は口を歪めて揶揄した。
 案の定、真っ赤になって絶句したは、ぱくぱくと口を開け閉めして、訳の分からないことを言った。

「よっ…嫁っ……そっ……わ…私は市さんみたいに可愛くありませんからっ!!」

 何だかいろいろ論点がズレているが、本人は必死のようだ。

 ――確かに、元親の脳裏に甦る市という女性は、眉目秀麗で非常に艶やかで美しい姫君だった。
 男の庇護欲をそそる儚い空気を纏っており、夫の長政一途に尽くす献身的な面もある。
 長政を羨む男も、さぞかし多いに違いない。

 それでも夫婦仲は非常に良く、元親は近江に居た僅かの間に随分あてられたものだった。

「可愛いか可愛くないかは、好みの問題だろ? お前だって、この俺より独眼竜の方が良いなんつー物好きじゃねぇか」
「そっ……それは、そうですけど……」

 認めやがったな、と苦さとおもしろさを同居させながら、元親は尚もからかってやった。

「まーた、惚気かよ。やっぱ浅井馬鹿夫婦の二の舞決定だな」

 しかし、次に帰ってきたのは、元親としては意外な反応……

「ははは……元親さん、長政さんと市さんとこでそんなこと言ってたら、前田家なんて三秒ともちませんよ?」
「前田……?」
「加賀の方々です。……そうですね……元就さん辺りは、硬直しそうなくらい明るくて仲の良いご夫妻です」

 このが乾いた笑いを交えるくらいなのだから、相当半端ではないのだろう。
 元就が硬直……その反応は是非見てみたいと元親は思った。

「そいつぁ是非ともお目にかかりたいもんだね。勿論元就付きで」
「ふふ、その時は、私も呼んでくださいね」

 そう言っても無邪気に笑った。

 元就と言えば、を送り届けることは元就にも手紙で知らせていたので、早速筆まめな元就から首尾はどうかという文が何通も届いていた。
 元親はどちらかと言うと筆不精だったが、を無事に船に乗せたこと、元気だがすぐに惚気を口にすることなどを書いて送ってやれば、元就らしからず少し間が空いた後、あの虎姫のことだから何か企みあっての芝居なのではないかなどという穿った意見を寄こしてきた。

 元親は細かいことを考えるのは性に合わない。
 自分の疑問、元就の憶測を包み隠さずそのまま自身に伝えて、「何かあったのかよ?」と直球で聞いてみた。
 するとは目を瞠って呆れ、そしてしばらくの微妙な沈黙の後、「女心は複雑なんです」などと答えにもならないことを言った。
 そんなことを言われれば、元親は引き下がるしかない。

 まだ返事は送っていないが、これを書けば元就はどんな顔をするだろうかと考えると、を送り届けた後、直に顔を見に行くのも良いかもしれないと、元親は考えている。
 尤も、情勢がそれを許せば――だが。

「……元親さん、しつこいようですけど、本当にもう適当なところで降ろして貰っても……」
「まだ言うのかよ。俺がやりたくてやってんだ。お前は気にしなくていい」

 もやはり急遽台頭した松永と明智の軍勢が気になるらしい。
 彼女の場合、実家の武田と恋しい伊達が直接巻き込まれているので当然と言えば当然だが。

「とにかくだな、俺は借りを作ったままってのは気持ち悪ぃんだよ。だからだなぁ……」
「…アニキィ! 前方に船が二隻!」

 突如割り込んだ部下の言葉に、元親は顔を顰めた。

「またかよ」
「ありゃぁ、一つはウチの商船ですぜ! 武装した船に襲われてます!」

 想像通りのお約束の展開に、思わずため息が漏れた。
 早くも弓を手にしたには最早言う言葉も見つからない。

 ここ最近、瀬戸内の海は騒がしいことこの上無かった。
 九州が落とされ、中央からは豊臣と織田の圧力がかかっている。
 殊に、堺に大きな港を持つ豊臣は、一見どこの勢力か分からないように巧妙に偽装し、少勢で海賊行為を繰り返しては長曾我部と毛利の村上水軍の勢力圏を侵して来ていた。

 堺から小田原に向けて出港した後も、元親の船は度々その現場に遭遇し、その度にが先頭に立って応戦するのだ。

「客なんだからお前は大人しくしとけって」
「働かざる者食うべからずですから!」

 そして毎度のこのやり取り……竹中半兵衛、そして豊臣秀吉とも面識があるらしいには、何か思うところがあるのかもしれないが、どちらかと言うと見過ごせないからという正義感の方が強い気もする。
 その点では、あの暑苦しい真田幸村を筆頭とした武田軍に通じるものがあった。

「全く……武田は暑苦しいったらねぇな」
「……それは否定しませんけど……もしかして、幸村が何かご迷惑をかけました?」
「おぉ、相変わらずイイ読みだな」

 以前、豊臣を相手取り、浅井に味方した小谷城戦でのこと。
 が消えてしまってから到着した武田の援軍――そしてそれを率いていた真田幸村。

 その戦いたるや噂通りの目覚ましい活躍で、敵ながら元親も随分感心したものだが、幸村本人は非常に暑苦しい人物だった。
 戦いが終わった後、開口一番に元親にの居所を尋ね、姿を消したらしいことを告げると文字通り炎を上げてその場所まで駆けて行った。
 が居た名残も何も残らないその場所で、幸村は何も言わずに佇み、慌てて追って来た忍にただ一言、「そのような気がしていた」と漏らした。
 そして武田の忍が所用で席を外した途端、その場に残った瓦礫を吼え猛りながら破壊し始めた。
 慌てて止めた元親だったが、「ならば貴殿にお手合わせしていただく!」と言われ、結局日没まで付き合わされるハメになったのだ。

「……本当にすみません。頭に血が上ると周りが見えなくなる癖があって……」

 既に敵船に乗り込みながらの会話である。
 矢を射ながら器用に頭を下げるその様子は、まるで世話焼きの姉のようだったが、幸村はを女として見ているようだった。

「……お前も大概罪作りだねぇ」
「え? 何か言いました?」
「……いや、」

 あの元就がこれほど気にかけるというのも、ただの興味本位以上の感情が少なからずあるからだと、元親は見ていた。
 けれど、当のは既にきれいに吹っ切れて、一人の男のことで頭がいっぱいだ――――いや、どれだけ恋に溺れても、盲目にならないのがこのという女だった。

「粗方片付いたか?」
「そうですね――……それじゃあ、元親さん、お世話になりました」

 それほど時を要さず終わった戦闘の後、操舵室で生け捕った船長に薙刀を突きつけながらも、は深々と元親に頭を下げた。

 元親は、やっぱりそう来たか……という思いがありながらも、目を細める。

「どういうことだ?」
「長曾我部軍の軍旗が上がった船で、小田原に入る訳にはいきません。まして、元親さんが『独眼竜に恩を売る』つもりだとしたら尚更です」

 今回の敵は小柄だがしっかりした頑丈な船で、そこに真っ先に飛び込んだがその乗組員のほとんどを生け捕りにしていたことから、何となく予感はしていた。
 だが、本当に一国の姫君がやるとは――……

「この船を『ぶん捕って』、一人で小田原まで行くつもりか?」
「一人じゃありませんよ。私はこの『親切な人たち』に乗せて貰うだけです。――ああ、船の武器と金品はほとんど持って行って貰って構いませんから。その代わり、『親切な人たち』の命は私にください」

 曇りの無い目で言い切ったに、元親は口元を引き上げて豪快に笑った。

「はっ……はっはっ!! やっぱおもしれぇぜ、! いいぜ、好きにしな! 独眼竜の色ボケした面を拝めねぇのは残念だが、そいつぁまたの機会に取っといてやるぜ。その内、嫌でも会う事になるだろうからよ」
「――願わくば、戦場以外で」

 叶わない願いであることを知りながらも敢えて口にするは、やはり甘いだけの女では無かった。

「女にしておくには惜しいが、お前が俺のダチだってことには変わりねぇ。何かあったら言って来いよ」
「――ありがとうございます。前に……畿内の街道で元親さんが言ってくれたこと……今度こそ、ちゃんと向き合うから」

 ――「……、お前ちっと肩の力抜け。もっとテメェの思うままに行動してみろよ」

 泣き笑いのような顔で言うの頭を、元親は乱暴に撫で回してやった。
 思うままに行動するのが難しい時代……だからこそ、そうしなければならない時代。

「おぅよ。人間なんざ単純な生きもんだ。無理に難しくなる必要はねぇからよ」

 ――「………私は元親さんみたいに単純じゃないんです」

「……はい!」

 以前とは正反対に迷いの無い瞳……
 今のを止めることは、いかな西海の鬼と言えど不可能だ。

「まあ、今のお前ならもう心配ねぇ。後は……そうだな、独眼竜に伝えてくれや。『鬼の妹分泣かした日にゃぁ、奥州ごとぶん捕ってやる』ってよ」
「……っアネキ!!」
「これで正真正銘のアネキだ!!」
「アネキ!アネキ!!」

 そう呼ばれることを極端に嫌がっていたも、流石に苦笑して「みんな元気でね」と別れの挨拶をした。





 を乗せて遠くなっていく船を見送りながら、元親は苦笑した。
 下の甲板では、部下たちの「アネキ~~」という啜り泣きが聞こえてくるし、肩に止まったオウムのピーちゃんまでが『トラヒメ、トラヒメ』と鳴き止まない。

 自分も素直に寂しがって、今夜は戦場で盛大な宴でもして気を紛らわせよう。
 そう決心して、元親は水平線に消えていく船に、一つ言葉を贈った。

「もう離すんじゃねぇぞ」

 お前だけの、お宝をな。









080120
第三章完結記念短編。
三章は登場人物が多すぎたし、場所も広範囲に渡っていたので、三章オールスターはどうやっても無理でした。
そんな訳で、ほとんど本編に近いカンジの鬼さん視点になりました。クサいアニキ推奨で。
CLAP