70.嵐の前

 ――上杉軍敗退、島津軍壊滅――

 六平太から聞いた、北南両端のそんな信じられない急報。
 噂だと言っていた相手の情報も、元就がに教えるくらいなのだから、ほぼ確定情報なのだろう。

 その他にも聞いた様々な情報とその意味は、整理してゆっくり考えなければならないものばかりで……それには、の体力が付いて行かなかった。
 元々記憶を思い出して消耗していたところだったので、すぐに立っているのもままならなくなったのである。

 伝えることが終わるとさっさと姿を消した六平太と、貝細工職人の茂吉ともその場で別れ、と慶次はとにかくも宿を取った。

 部屋に入るなり倒れるようにして眠って、翌朝。
 何とか頭痛も治まり、食事を取って一息ついた所に、どこかへ出掛けていたらしい慶次がふらりと戻って来た。


 そして、揃って宿を出て、歩きながらの街道。
 慶次はずっと、何かを考え込むように難しい顔で虚空を見つめている。
 懸命に主人の気を引こうとしている夢吉にも気付いていないようだ。

 は夢吉を引き取ってあやしながら、溜息をついた。

「やっぱり一緒に船に乗ることになるんですね」
「……え?」

 一呼吸分遅れて、慶次が顔を上げた。

「慶次さんは、上杉謙信殿とは親しいんでしょう? 前田や伊達のことはともかく、一旦甲斐に行かれるんじゃないですか?」

 六平太の情報によると、落ち延びた謙信はかすがと共に躑躅ヶ崎館からほど近い寺に滞在しているという。
 あの父に限って冷遇することはまず無いだろうが、慶次としては心配な筈だ。

「――そう言うってことは、も甲斐に行く…帰るつもりなんだな」
「――――――はい」

 長い沈黙の後、はそう頷いた。

「謙信殿と私の父・信玄はライバルとは言え、互いを分かりあった旧友同士でもあります。私を伊達から連れ戻す時も、謙信殿は無条件で休戦を受け入れてくださいました。……その恩もあるし、きっと父は謙信殿に力を貸そうとすると思うんです」
「……その予想が正しかったとして、だ。は何の為に戻るんだい? そもそも、何の為に家を出てきたんだよ?」

 容赦が無い質問はお互い様だったが、昔の記憶を中途半端に思い出した昨日の今日では、笑うことは出来なかった。

「私が甲斐を出たのは……過去を思い出して、自分に…向き合う為です。本当はこのまま清州に行ってみようかと思ってたんですが、こんな私でも、父の為に出来ることがあるかも……」
「――やーっぱり、こうなってるのね。急いで来て正解だったな…っと!」
「っ!」

 何の気配も無く突然降って来た声は、の非常に良く知るものだった。
 息を詰めた直後、小さな竜巻が起こってその中心に見慣れた迷彩が現れる。

「佐助…!?」
「よっ、、久しぶり! 思ったよりは元気そうで良かった」

 慶次とはまた違った懐かしい軽いノリに、は虚を突かれた。

「ど…どうして……」
「俺が連絡しておいたんだよ」
「慶次さん…!?」

 驚いて振り向くと、悠々と頭の後ろに手を組んだ慶次が佐助に挨拶していた。
 批難すると言うより、一体いつの間にという驚きの方が強いに、悪びれずに言う。

を探してる時に、甲斐も経由したって言ったろ? そん時に、見つけたら早文で知らせるって約束してたんだよなー」
「ありがとね、風来坊の旦那。お陰でこうして捕まえられたよ。いやぁー、やっぱ連絡しようが無いってのはうちの大将とか心配しちゃってそりゃもう大変だからさぁー。まあ、風来坊の旦那がずっとにくっついてるって知って、真田の旦那の方は気が気じゃ無かったみたいなんだけどね」
「おー、そりゃ悪いことしたなぁ。けど、こっちも事情が変わってさ。俺も参戦するからよろしく!って、若虎に伝えといてくれよ」
「げっ、マジで? ちょっとやめてよー。ただでさえ五月蠅いのにこれ以上厄介事が増えたら俺様の身が……」
「――――佐助、何しに来たの?」

 とっくに我に返っていたは、押さえた声で佐助に聞いた。
 こんな時にまで軽い冗談口に発展してしまうのは、この二人だからだろうか。
 呆れは自然と声を固くする。
 しかし、それよりも遙かに上回る……父たちのことを聞きたいという気持ちと、幸村のことでからかわれるのが恥ずかしいという気持ちと……そして、漠然とした恐れと。

「あー…、もしかしなくても怒ってる? 何も近江を出た後は追わないでくれって言う手紙を無視した訳じゃ無いよ? 何事も無けりゃ、大将もただ見守ってただけだと思うし。――でも、さっきの様子じゃあ、聞いたんだろ? 上杉と島津のこと」

 打って変って低い声で言われた問いかけに、は一つ頷いた。

「謙信公はご無事?」
「ああ、上杉軍は総崩れになったんだけど、かすがが必死に守ったらしい。途中から俺様たち武田の忍も出たし、軍神の旦那は傷一つ無いよ」
「そう、良かった……」

 ちらりと慶次を見ると、あからさまにほっと溜息をついていた。
 謙信自身とはも然程に親しい訳では無いが、父と似たあの深い瞳のせいか、丸っきり他人とも思えない。

「当主が健在なのは分かったけど、上杉家としてはどうなってるんだい?」

 慶次が、いつに無く真剣な面持ちで佐助に尋ねた。
 その二人の間に、先ほどのふざけた様子は微塵も無い。

「謙信公は、ご本人たっての希望ってやつで、甲府の甲斐善光寺に逗留してるよ。扱いは、今はうちの大将の客分ってとこ」
「今は?」
「そう。上杉本家・分家の武将や軍師の宇佐美、重臣の直江、その他にも徐々に上杉配下の武将たちは甲斐に集まって来てるけど、それぞれの領地と城を失くした今となっては、上杉単独で存続するのは難しい。武田の旗下に付くってことで、細かい話し合いが進んでるとこだよ」

 ――やっぱり。
 同時に沈黙した慶次も、と同じように予測済みだったに違いない。

「そんで、さっき聞こえたんだけど、の予想通りでさ。大将は、まずは上杉の同盟国として、越後奪還の為に兵を挙げるつもりだ」

 はっとして顔を上げたの目の前に、勢いを削ぐようにその言葉が落とされた。

「その戦いに、伊達も出てくる」
「!! ……伊達軍…が?」

 目を瞠って固まったを尻目に、慶次はなるほどね、と頷いた。

「伊達としては、上杉はずっと警戒してた隣国……その上杉をあっという間に掠め取った相手は捨て置けないって訳だ。しかも、武田・上杉連合軍とその新興勢力との戦い……あの戦い好きな伊達男さんが黙って見てるとは、確かに考え難いねぇ」

 それは……そうだろう。
 もそう思う。
 しかも、佐助が断言したということは、その情報を既に掴んでいるということ。
 伊達が武田の戦いに乱入してくる――が武田軍の一員として出ようとしている戦いに。
 そしてこのタイミングでわざわざ佐助が来たということは……

「……私は、戻らない方が良い。今戻ったら、それこそ対伊達の戦いに無用な動揺をきたし兼ねない――そういうことなのね、佐助」
「――その通り。武田の末姫様は、躑躅ヶ崎館で謹慎してることになってる――伊達に内通してるっつー嫌疑を拭う為にね」

 そんなを、大将である信玄が陣に組み込むことは出来ない。――いくら武田家の存亡すら賭けた戦いだと言っても。

 自分ではどうすることも出来ないことに、は固く目を閉じた。

「因果応報ね……」

 そういうものがあるなら、当然の報いだろう。
 小さく呟いたそれを問い返した佐助に何でも無いと答え、気持ちを切り替えた。

 この情報をわざわざ伝えてきた毛利、九州を横から攫われた形になる豊臣と織田、そして越後を巡る戦いに介入する伊達――武田の一員として戦うことが出来なくても、遠くからでも何か出来ることがあるかもしれない。
 どうしようも出来ないことを嘆いている場合では無い。
 まずは、『知る』ことが一番大事だ。

「上杉と島津を破ったのは同じ勢力だって聞いたけど、佐助なら詳しい話を知ってるわよね?」

 確信した問いかけに、佐助は目を瞬いて困ったように、けれど嬉しそうに苦笑した。

「――我らが虎姫の期待は裏切らないよ。何なりと聞いてちょーだいな」

 じゃあ…と続けようとしたを制したのは慶次だった。
 後ろに向かって鋭い一瞥を向ける。

「聞きたいのは山々だけど、このまま話してもいいのかい?」
「ああ……別に構いません。伊達も今頃は情報を掴んでいるでしょうし」

 慶次はあくまで前田家の人間であって、つまりは伊達側である。
 伊達と武田は、今まさに事を構えようとしている敵同士なのだ。
 しかし、伊達にも優秀な忍が――殊にが信頼する疾風が居る。
 現在最大の関心事である越後の情勢は、事細かに調べているだろう。

 そして、もう一方。
 も背後に視線を投げた。

「あちらも、その分情報を貰えば良い話ですから。――ねぇ、六平太」

 の言葉に、一陣の風と共に見知った忍が現れる。
 昨日祭の町で別れた六平太が付いてきていることは、も慶次も承知していた。六平太も分かっていただろうし、佐助も勿論気付いていた。
 気付いた上で今までの話をしていたのだが、ここからは確認しておいた方が良いと慶次は判断したのだろう。

 佐助が上杉戦の情報を持っているのと同じように、六平太は島津戦の情報を持っているのだ。
 毛利と直接事を構えることは当分無いのだし、互いの状況を知っておくくらいはどちらの腹も痛まない。

 六平太は一度ニヤリと笑って頭を垂れた。

「甲斐の虎姫も、意外とちゃっかりしておられる」
「千代様仕込みですから」
「これは……一本取られましたな」

 冗談口の合間にも、話が逸れる気配は無かった。
 小谷城での一戦で面識があったらしい佐助と六平太も互いの立場を分かっているようだし、特に異存もなく話は進む。

「んじゃーまずは俺様から単刀直入に。上杉に攻め入ったのは、大和一帯の有力者でかつて将軍家に仕えていた武将――悪名名高き乱世の梟雄って呼ばれてる男で……」
「! 松永久秀! あいつが――!!」

 突然弾かれたように顔を上げた慶次に、は目を見張った。

「知ってるんですか?」

 知らないは勉強不足なのだろうが、慶次の場合は鬼気迫る憎悪を感じた。
 まるで、直に知っているかのような口ぶりだ。

「ああ、あのオッサンにはでっかい借りがあるんだ」
「借り?」
「……昔、秀吉も絡んでちょっとね。畿内から手を広げていくなら、豊臣もそろそろ奴に手を出す頃だろうと思ってた。だから俺は、伊達に行く前に様子を探りに行くつもりだったんだ。それがまさか――……」

 先を越された。そういうことになるのだろう。
 慶次がここまで憎悪を剥き出しにし、軍神とまで謳われた上杉謙信が簡単に破れた相手――

 の心中を読んだように、佐助が説明をしてくれた。

「松永弾正久秀――最初は細川氏から頭角を現した三好に仕えてたんだけど、そこから力を付けてついには主君である三好を滅ぼしちゃってさ。今では逆に、三好三人衆っつー陰気ないけ好かない奴らも配下に従えてるのよ、これが。大体、将軍は暗殺するは、大仏殿は焼き払うは、陣中でも神仏をも恐れぬ狼藉はするはでやりたい放題。上杉側の話じゃ、戦の最中に怪しい南蛮薬も使ったって言うし――ま、一言で言うなら敵にも味方にもしたくない正真正銘の悪党ってとこだね」

 真偽を問いたくなるようなとんでもない解説に絶句するに、六平太は深く頷いて口を開いた。

「古来より、類は友を呼ぶとは良く言うたもの。外道には外道が付くが、世の習いらしい」
「……島津を滅ぼした勢力のことね?」
「然様。島津家を完膚なきまでに滅ぼし、城と言わず城下まで燃やしつくした勢力――そのほとんどは松永と三好の息がかかった軍だったが、それを纏めていたのは、かつての織田の重臣――明智光秀」
「っ!!」

 息をのんだ際に、ひゅっと嫌な音を聞いた気がした。
 ひどく不快な…禍々しいものに触れたような――……

「明智は去年の天王山で織田信長に敗れて行方知れずになってた筈だ。死んだって言われてたけど、それが生きてたってことかい?」
「どうやらそうらしい。我が毛利、そして長曾我部の援軍も間に合わぬほど、九州は内外から計画的に切り崩された――あんな芸当は、近頃手を伸ばして来ていた豊臣か織田の内部の人間にしか不可能だ。それに、松永と美濃の斉藤道三は旧知の間柄だった。明智光秀の父は斉藤に仕えていたし、叔母が道三の妻女だったというから、明智と松永の繋がりも不自然では無い」

 六兵太曰くの外道と外道――松永久秀と明智光秀。
 この日本の北と南を一瞬の内に把握してしまった。
 その両端からこの国を飲み込むつもりなのだろう――周辺諸国を切り取って。

「状況は分かりました。知った所で私に何が出来るかは分からないけど、とにかくありがとう、佐助、六兵太」
「いいえ、どーいたしまして。これがお仕事だしね。……だけど、大将も俺たちも、に帰ってきてほしくない訳じゃあ無い。そこんとこは、分かってるだろ?」

 目線を合わせるようにして屈んで言われた言葉に、は何とか笑みを浮かべた。
 武将としてこの時期に戻ることがマズイと言うのだろう。
 謹慎中の末姫として戻るならば……そうして戻った後も館の中で大人しくしているならば問題は無い。
 けれど、それが出来ないことは本人も周りも承知している。

「お転婆でごめんなさい――そう、父上にも幸村にも伝えてね」
「……はぁ、全くこればっかりは俺様も文句を言いたくなるってもんよ? …それで、これからどこに行くつもり? ……まさか、毛利ってんじゃ無いでしょ?」

 ちらりと六兵太を見遣って顔を顰める佐助に、も笑った。

「まだ考えて無いけど、安芸には行かないわよ。元就さんは、私なんかが力を貸せる人じゃないしね」

 性質の問題だろうか……策謀を得意とする元就に、が手助けできることは無い。
 本人も、それを望んではいないだろう。
 ただ、近江での小さな借りをシコリにしない為に……もしくは半分おもしろがって、に情報をくれたのだ。

 佐助は、それならいいとばかりにため息をついて、最後にと言葉を続けた。

「大将から伝言を預かってるよ」
「父上から?」
「そう、大将さぁ、旦那んとこで静養してた独眼竜に会ったんだよね」
「え……?」
「そんで、――――――――」

 驚くの耳元に続けられた信玄の言葉は、余計にを驚かせるには十分だった。

「……そんなことを、本当に父上が?」
「俺様もびっくりだけど、間違いなく」
「そう……私って、かなり親不幸者よね、佐助」
「……さぁねぇ。それを決めるのは大将なんじゃないの?」

 笑いながら言って、佐助はよいしょという余りに忍らしからぬ掛け声で立ち上がった。

「そんじゃま、そろそろ行くわ。――元気でね、
「うん、佐助も。皆によろしく」
「――了解しました…っと」

 現れた時同様、僅かな気配も感じさせず鮮やかに――迷彩柄の見慣れた忍は姿を消した。
 後に残された慶次が、空を見上げてぽつりと呟く。

「武田も伊達も動くのか……でっかい嵐が来るよな……」
「嵐………」

 も慶次と同じく空を振り仰ぐ。
 けれど、その胸は、嵐に対する不安以上に恐怖に慄いていた。






071225
CLAP