ずっと疑問には思っていた。
昔の記憶が無いのは、それほど思い出したくないことがあったのだろうか。
それとも、よほど強く頭をぶつけたのか。
幼い頃は、生みの親に捨てられたという事の方が大問題で、記憶を失った過程や理由には然程考えが向かなかったが、今になって強く思う。
本来生を受けたこの世界にやって来て……戻って来て、様々な出会いと経験の中で、過去の一部は取り戻した。
けれど、まだ思い出していない部分がある。
それこそが、全ての事の発端なのでは無いか。
記憶を失くし、未来の違う世界へと行ってしまった元凶――
まさに十年前、慶次と尾張で出会った頃の自分が。
「そんで、ようやく利とまつ姉ちゃんは晴れて夫婦になったって訳だ!」
「……そうなんですか」
慶次と再会を果たし、半ば脅迫のように行動を共にするようになってから、既に半月近くが流れていた。
その間、歩きながらも慶次はずっと喋り続けてきたのだが、その内容というのが……
「――慶次さん。誕生・幼年時代・少年時代と来て、今度は何です? というか、いつになったら私たちの運命的な出会いが出てくるんでしょうか。私、それ"だけ"が楽しみなんですけど」
そもそも、昔会った時のことを話してくれるというから一緒に行動しているのである。
それさえ聞ければ本来の目的地であった地蔵の元へと行けるというのに、慶次はのらりくらりとかわし、ちらりとも肝心の話をしない。
生まれた時の話から始まった慶次の半生を黙って聞いてきただったが、そろそろ我慢の限界だった。
『運命の出会い』などと嫌味も言いたくなる。
だが、敵も然る者。
慶次はそれを笑って受け流した。
「真打は最後に登場!ってね。口説くには、相手に自分のことを知って貰うのが一番だろ?」
「もう充分です。嫌と言うほど教えて貰いましたから」
「いやぁ、まだまだ! これからがイイ所なんだって!」
ぴきりと米神に浮かんだ青筋を押さえて、は深いため息をついた。
話は慶次のことだけでは無く周りの人物の話も含めるので、利家とまつの馴れ初めなどは、本人から聞いたものに重ねて二度目だった。
いくら特別には急ぐ旅では無かったとしても、父たちに心配を掛けていることを思えばそんなに無為に過ごして良い身分でも無い。
「……はぁ。大体、慶次さんは伊達に行くって決めたんじゃありませんでしたっけ? こんな所でうろうろしてていいんですか?」
「あー、いいっていいって。独眼竜もまだ豊臣には手を出さないだろうし」
「え? ……言い切るってことは、何か知ってるんですか?」
「――何だい、そんなに気になるかい? ちぇっ、それくらい熱心に俺の話も聞いてくれたらなー」
「ちっ…違います、私は別にっ……!!」
カッとして反論仕掛け、これではいつもと同じだと項垂れた。
いつもこうやってはぐらかされてしまうのだ。
自分では口は達者な方だと思っていたが、慶次の方が上手らしい。
しかも、こんな所と言ったが、には正確な現在地が全く分かっていなかったりする。
対照的に慶次はこの辺りに詳しいらしく、村や町を転々として旅の間もほとんど野宿をすること無く済んでいるのは有り難いが、伊達へ行くと言いながらも一向に北に向かっている形跡が無い。
山などを迂回しているにしても、どうも逆方向な気さえする。
「――とにかく! いい加減に私の知りたいことを教えてください!」
「さぁ、着いた!」
力を込めてそう言ったのと、慶次が嬉しそうに伸びをしたのは同時だった。
突然のことに目を白黒させたは至極尤もな疑問を口にする。
「着いたってどこに?」
慶次は何が楽しいのか、豪快な笑みを浮かべた。
「それは後のお楽しみってね! さぁて、まずは神社で験担ぎでもするかなー。ここは小さいけど賑やかな町でさぁ、南蛮もん扱ってる行商人もいるんだ。しかも、今日は丁度祭と来たもんだ! にも何か買ってやるよ!」
「ちょっ…ちょっと……!」
言われてみれば、確かに小さな町の中は提灯などが吊るされ、祭独特の活気に満ちている。
しかし、それにしても慶次のこの今にも走りだしそうな勢いは何だろう。
最初から明るく賑やかな人だとは思っていたが、その余りのはしゃぎ様には呆気に取られた。
まるで、遊園地に来た子どものようだ。
「よぉし、祭だぁー!! さぁさ、もてんしょん上げて楽しまなきゃ損だよ!!」
言うが早いか、慶次はの手を取って走り出した。
「て…テンション!?」
「独眼竜に教えて貰ったんだ! おもしろい言葉だろ?」
(政宗さん――!!)
こんなお祭男に余計な言葉を教えるんじゃない!――はほぼ無意識に、東の空に向かって文句をぶつけたのだった。
「おっ! 大吉だ! こりゃ幸先いいねぇ!」
日もとっぷり沈んだ神社の裏手――
慶次は開いたおみくじを見て歓声を上げた。
は帯の上から腹部を撫で、溜息をつく。
町に到着したと同時にスタートした慶次の祭巡りは、屋台の食べ物屋に始まり、小間物屋や的屋など、店という店は全て制覇したと言ってもいい。
ずっと引っ張り回されたは、あれこれと食べ物を与えられ、一緒に踊らされ、満腹と疲労でぐったりしていた。
そして祭ももうすぐ終わりを迎えようとしている現在、慶次に連れられて神社でおみくじを引いたところである。
「はどうだったんだい?」
慶次=大吉は何と無く予想通りだったが、は自分のおみくじを開いてしばし沈黙した。
「末吉……って、良いんでしたっけ? 悪いんでしたっけ?」
ただの吉より上なのか下なのかも微妙だ。
だが、慶次は物凄い勢いで言った。
「何言ってんだ! 末広がりって、縁起物に決まってんだろ!」
「そ…そうなんですか」
は気圧されて苦笑いを浮かべ、書いてある内容に目を落とす。
「えーと、『旅、東方が吉。願事、並々ならぬ苦労の先に成就の芽有り』…………」
「な…並々ならぬ苦労……?」
「………」
「………………」
二人して思わず顔を見合せて、どちらからとも無く噴き出した。
「すんげぇ、そんなの初めて見たよ! しかも、並々ならぬ苦労しても、成就するとは限らないって」
「あくまで『芽』ですもんねぇ……すごい茨の道」
一頻り笑って、もう一度おみくじに目を落とす。
丁寧に折りたたんで、近くの枝に結んだ。
「結ぶとその結果が叶うって言うけど、いいのかい?」
「いいんです。『芽』でも望み無しよりマシだし」
そう言って振り返ったに、慶次はふっと破顔した。
「良かった」
「え?」
「ようやく噂通りの可愛い笑顔を見れたからさ」
は目を瞠った。
不意打ちも良いところだ。
歯の浮くようなセリフを、そんなに優しい顔で言わないで欲しい。
「まっ…またそうやってからかって。そんなに楽しいですか」
「おぅ! 楽しかったよ!」
悪びれも無く少しずれた返答を返した慶次の手が伸びて、の頭に触れた。
髪に何かが乗った感覚がして自分で触ってみると、そこには硬い手触り……
「……簪? ……花の形…?」
「正解! べっ甲で出来た珍しく凝った意匠でさ、にぴったりだと思って。予想通り、良く似合ってるよ」
初めて見る優しい笑みに、思わず狼狽する。
それに、べっ甲でこんなに凝った簪など、相当値も張るはずだ。
「こ…こんな高価なもの、理由も無く貰えません!」
「高価つっても、甲斐に戻ればもっと立派なのも持ってるだろ?」
「そういう問題じゃありません!」
大体、嫌われている相手から物を貰うこと自体がおかしい。
その気持ちがよっぽど顔に出ていたのか、思い切り笑われてしまった。
「嫌い嫌いも何とやらってね。……元々、俺の勝手なやっかみだし」
「え?」
「いや……今までと、今日も付き合ってくれた礼だよ。楽しかったって言ったろ?」
は目を見開き、奇妙に湧き上がってくるような胸の痛みに顔を顰めた。
分かってしまった。
笑ったを見て「良かった」と言った慶次……本当は、を気遣って今日の祭に連れ出してくれたのだと。
今までの言動を考えれば、今日この町に着いたのも偶然では無いのだろう。
嫌われているという一面だけに囚われて、その他のことを見ようともしなかった自分が情けない。
「……ありがとうございます」
花の簪に手を触れたまま、慶次を見上げた。
きっとを気に食わないのは変わらない筈なのに、こんな風に接してくれる度量の大きさは、少しだけ父・信玄に似ていると思った。
そして、流石は利家とまつの甥だと、妙に嬉しくなる。
「私も楽しかったです。疲れましたけど、こういうのは……覚えてる限りでは初めてだし」
「初めて?」
心底驚いている慶次に、は苦笑した。
前田家は見るからに賑やかだし、祭を楽しんだことも無いというのは慶次には信じられないのかもしれない。
しかし実際、未来の義理の両親の元では、恐らく患っていたという病の療養の為なのか……祭などに連れて行って貰った記憶は無かった。
ある程度の年齢になって友達同士で行ったことはあったが、こんな風に全力で満喫したのは初めてだ。
無理やり連れ回されて疲れたし、不満もあるが、それでも感謝の方がずっと大きかった。
その気遣いも、厚意も、自分のことだけに精一杯だったには勿体無いくらいで……。
「こうやって慶次さんと楽しめて、綺麗な簪まで貰って、本当に嬉しかったです。――ありがとうございます」
これ以上気を遣わせまいと精一杯で微笑めば、慶次が息を呑んだ気配が伝わって来た。
「……俺は………」
そうして何かを言おうとして、がそれを聞くために見つめ返した時、ふと自分の背後に気配を感じた。
「誰!?」
懐の短刀に手を触れて振り返ると、柱の陰から驚いた顔をした壮年の男が出てきた。
隠れてこちらを見ている気配を感じたので良からぬ輩かと思ったが、どうやら違ったらしい。
「――ん? もきっつぁん!」
「……いやぁ、悪ぃな慶ちゃん。イイとこみたいだったから出直そうと思ったんだが」
「いっ!? いや、いいっていいって! 呼び付けたのは俺の方なんだし!!」
どうやら慶次の顔見知りで、尚且つこの場で待ち合わせをしていた相手らしい。
驚かせてしまったことに、すみませんと謝ったに、もきっつぁんと呼ばれた男は意味ありげな視線を向けた。
「いやいや、こっちこそ邪魔しちまってすまねぇな」
「いえ、邪魔なんて全然……」
「それにしてもあんな慶ちゃんは初めて見たよ。姉ちゃんもただのお人じゃ無さそうだし……慶ちゃんをよろしく頼むよ」
「? はぁ」
「もきっつぁん! ……ごほん。それよりも、アレ! 持ってきてくれたかい!?」
やけに嬉しそうな男と、なぜか焦って間に割って入った慶次。
が首を傾げる前で、男はおぅ!と笑って風呂敷包みを掲げて見せた。
境内の縁側を拝借してそれを置き、慶次がいそいそと風呂敷を解く。
中から出てきたのは、十両もありそうな漆の箱だった。
蓋を開けて出てきたものに、はゆるゆると目を見開く。
「――貝合わせ…」
そこにはと慶次が持つものと同じくらいの大きさの、小さな貝合わせがたくさん詰まっていた。
慶次は得意げに笑む。
「そう! これを作ったのがこのもきっつぁんだよ! に会わせたかったんだ。十年前、アンタももきっつぁんに会ってるんだぜ?」
「え……?」
「んん? どういうことだい、慶ちゃん。俺も会ってるって? ……十年前っていやぁ…おっ? …姉ちゃん、もしかしてあん時のおっかない娘っ子か?」
こちらを覗きこんでくるその男を、はただ驚いたまま見つめ返していた。
「昔の私を……知ってるんですか?」
「そう、あん時のだよ。どうやら記憶を失くしてるらしいんだ。もきっつぁんから、昔の話をしてやって欲しいと思ってね」
肩を掴まれ、ずいと前に出されて、何やらざわめく胸中を持て余す。
取り敢えず、お願いします、と頭を下げた。
「そりゃ、別に構わねぇけど……あん時のことは驚いたからよく覚えてるしなぁ」
「……驚いた…?」
「あ~…うん、まあ、順番に話すから、落ち着いて聞けよ、?」
意味深な慶次の言葉に眉を顰めて触り返った直後、職人らしいその男はこう言った。
「何てったって、いきなり殺されかけたからなぁ」
「――え?」
「なぜか、丁度出来たばっかりの貝のお陰で命拾いしたんだ」
ほら、慶ちゃんがアンタにあげたあの貝だよ。
そう言われ、はいつものように懐の貝を取り出した。
何が何だか信じられな無いような心地でその見慣れた貝を見る内、の思考は記憶の彼方に沈んで行った。
071209