67.恋話

 が慶次と出会った時――貝を見せられて脳内に浮かび上がってきた断片的な記憶は、確かに自身が一度失くしたものだと分かった。
 そして感じた……懐かしさとも、息苦しさとも取れる……何か。

 しかし気付いた時には、思い出さなければと思っていた筈のそれから、自身が無意識に目を背けていた。

 豊臣軍が引き上げた村の茶屋に落ち着いた頃には、すっかり記憶の混乱も過ぎ去っていて。
 目の前の奇抜な恰好をした青年にも、友人の甥っ子という程度の印象しか残されていなかった。


「――でさ、そん時、店のおばちゃんがさぁ」

 前田慶次――利家とまつから話は聞いていた。
 扱いの難しい長刀の使い手でかなりの武人でありながら、和歌や芸術に通じる文化人でもあるという。
 見目も良いし、放浪癖さえなく真面目に仕えてくれれば自慢の甥なのに……とまつが零していた。

 実際がその本人を目の前にしてみても、派手な恰好とセンスさえ除けばかなりの美丈夫であると感じる。
 二人の甥というのも納得がいくくらい人当たりが良く、女性に優しいフェミニストな好青年だ。
 闊達な口調で、場を和やかにしようとしているのか喋り続けている内容も聞いていて楽しいものばかりだし、彼が連れていた夢吉という名の小猿は人懐こくて文句無しに可愛い。

 年頃の娘が十人居れば、十人とも落とされてしまいそうな明朗さである。

 けれど、はすぐに気付いた。
 ――慶次が自分に対して良い感情を抱いていないということに。

 考えてみれば、慶次と秀吉……親友同士だったという因縁と複雑な事情を目の当たりにしながら、は真剣勝負をしていた二人の間に割って入ったのだ。
 邪魔をされて怒るのは、当然のことかもしれない。
 更に、あの貝を慶次が持っていたことからしても十年前に一度会っているのは確実……が覚えていないその時に何かあったのかもしれない。

 それらはあくまで推測だし、それ以上の恨みがあるのかもしれなければ、単にが気に食わないということも有り得る。
 けれど、確かなのは、時折見え隠れする感情が良いものではないということだ。

 政宗曰く『負けず嫌い』のだからこそ気付いたのかもしれない。
 どこか馬鹿にしたような蔑んでいるようなその視線に――

「貴方は私のことが嫌いでしょう?」

 だから、その言葉を言った後に相手が目を瞠った時には、逆におやと思ってしまった。
 どうやら本人は、がそれに気づいているとは思っていなかったらしい。

 図星を言い当てられて顔に出すなんて……
 良くも悪くも随分正直な人だと、呆れるように笑った。

「それくらい、この子にだって分かってましたよ、ねぇ夢吉?」

 尤も、人の気配や感情には動物の方が敏感だとも言われるので当然かもしれない。
 夢吉がずっと落ち着き無かったのは、主人とその主人が良く思わない客人との間で身の置き所を図りかねていたからだろう。
 キキと愛らしく鳴く夢吉の顎の辺りを擽って、食べ掛けの団子を与えた。

 どのくらい経っただろうか。
 しばらく黙っていた慶次は、徐にハハハと大声で笑った。
 しかもそれは、あっという間に爆笑に変わる。
 腹まで押さえて笑い転げる傾奇者に、周りの人間はぎょっとしたように視線を向けた。

「ちょ…ちょっと、慶次さん?」

 注目を集めてしまい居た堪れないと思うのは、極一般的な感情だろう。
 慶次のようにド派手な恰好で歩き回っていたら感覚も麻痺していそうだが。
 しかし、うろたえて周りを見渡したの心情を、慶次は意外にもすぐに察してくれた。

「わ…悪い悪い、ごめん。――取り敢えず河岸を変えるとしようか」

 そう言って、笑ったまま勘定を払い、長刀を担いで悠々と歩き出す。
 未だ高らかに大笑いしているその後姿を、は慌てて追った。

 訳が分からないが、見るからに慶次を取り巻く空気ががらりと変わった。
 ……なぜか、好意的な方向へ。





「さぁーて、ここいらでいいかな」

 慶次が呟いてどっかりと腰を下したのは、村を出て山道を降りた先の河原だった。
 温かな日差しが降り注いでいる平和な昼下がりだ。
 そこに大きく胡坐をかき、村で仕入れた酒を取り出して大きな杯で飲み始めた。

「ん? も早く座んなよ」
「………はい」

 苦笑いしながらも、はそこに腰かけた。
 特に急ぐ旅でも無いし、慶次と話をすること自体は望むところだ。
 昼間から酒を飲むのはどうなのかとか、夢吉まで小さい杯で飲んでいるのに驚くとか、そんなツッコミ所を探せばいくらでもあるが、そういうことは全て置いて。

「どういう心境の変化なんですか?」
「何がだい?」

 分かっているのにわざと聞いているということを隠そうともせず、慶次は人の悪い笑みを浮かべる。

「……嫌いな人間とお酒なんて飲んでも楽しくないでしょうに」

 仕方なくわざわざ声に出して尋ねたに、はははと笑って返してきた。

「確かに、俺はアンタのことが嫌いなのかもしれない。けど、こうしてるのが楽しくない訳じゃないよ。――苛めて遊ぶのもおもしろそうだし」
「――先を急ぐので失礼します」
「わー、待った待った! ほんの冗談だって!」

 冗談だと言う割には口の端が歪んでいる。
 の顔はひきつった。
 ――最初の印象は実に爽やか好青年だったのに、どこのドS筆頭だ。

「嫌いってよりも、鼻持ちならないってのかな……」
「……もっと悪い気がしますけど」
「だってこれ見よがしに見せつけてくるしさ」
「何がですか?」
「ほら、それだよ。自分では自覚無しってのが性質悪いねぇ」

 自分のことを嫌っている人物と酒を飲みながらどこが嫌いかという会話をしている――全くおかしな状況だと思いながらも、も半ば開き直るように差し出された杯を煽った。
 慶次の人柄だろうか……あっけらかんとしているので、こちらも力を抜いて話をすることが出来る。

「大体、俺はアンタを探してたんだ。やっと姫君を見つけた男に、そこまでつれなくすることはないだろ?」
「探してた? 私を?」
「おうよ、加賀と小田原と甲斐経由でね」

 地名と共に頭に浮かんできた人たちに、は目を見張った。
 そしてここに至るまでの経緯を聞いてますます驚き……そして呆れた。

「それは……わざわざご苦労さまです」
「いや、それほどでも――って! いま『暇人だな、こいつ』って思っただろ!」
「思いました」
「はは、そこで否定しねぇとこからして大したタマだよ」
「お互い様ですけどね」

 お互い笑いながらの会話――何と言うか、とてつもなく……

「……楽だねぇ」
「え?」
「いや、気遣わなくていい相手ってのは、話すのも楽でいいと思ってさ」
「………同感」

 相手は自分を嫌っているのだから、嫌われないようにしようとか、不快を与えないようにだとか、そういった気遣いが一切いらない。
 考えて喋らなくていいというのは、非常に楽だ。

 久しぶりに肩の力を抜いている自分に気付いて、笑みが浮かんだ。
 温かな日差しと、緩やかに流れる風が心地良い。

「……ふーん、なるほどねぇ」
「?」
「独眼竜の気持ちも分かるなと思ってね」

 突然飛び出した政宗の名に、は動揺を悟られないように顔を河原に向けた。
 酒に飽きた夢吉が、河原に立って魚の動きを追っている。

「あの伊達男さんならさぞかし周りにも気を使ってんだろうけど、アンタの前ならそういう遠慮もいらなかったんじゃないのかい?」
「………そうですね。貴方の好きな恋とか愛とか、そんな色っぽい関係じゃ無かったですし」
「右目さんは、『友』みたいだったって言ってたよ」
「小十郎さんが……そうですか。まあ、会ったら、大抵遠駆けかお酒だったし」

 目を伏せて話すの言葉に、慶次は呆れたように嘆いた。

「馬か酒ぇ? まったく、イイ若いもんが何やってんだよ。恋を育むなら、もっと楽しいことがあっただろーに」
「や、だから恋とかじゃ……」
「そういう意味じゃ、若虎の方が頑張ってたんじゃねぇの? アンタに骨抜き!ってカンジだったし」
「ゆっ…幸村とは、もっとそんなんじゃないっていうか……!」
「俺の前でも、『を想う心は誰にも負けぬぅぅ!!』つって、燃えてたよ」

 は絶句して、顔が赤くなっているのを自覚した。
 あの幸村がそんなことを? しかも、慶次とは初対面だった筈なのに……

「ちょっと前まで、些細なことで破廉恥破廉恥って大騒ぎしてたのに」
「何だって? そんなこと言ってたのかい? 恋が破廉恥なんて、絶対損してると思うけどね」
「それは私も思ってましたけど……」

 幸村は城下の女性にも人気絶大だったから、もっと女性に目を向ければ良いのにと、姉のような心境で思っていた。
 まさか、それが自分に向くとは思っていなかったけれど。

「で、どっちが本命なんだい? まつ姉ちゃんの話では、独眼竜って話だったけど?」
「それは………」

 そこで、はようやく我に返って顔を上げた。

「いつの間にコイバナ……!?」

 その慌てぶりがおかしかったのか、慶次は目を丸くして再び爆笑した。
 彼に笑われることの屈辱感にむっとしながらも、は一年ほど前の記憶を思い出していた。

「まつさんとも、いつの間にかこういう話になったことがあるなぁ…」

 ほとんど独り言に近い独白に、慶次がへぇ?と言って穏やかにこちらを見つめる。
 その眼差しと、先ほど秀吉に対していた時の言葉が重なった。

 ――「ねねは、俺が初めて恋した人だったんだ!」

「…その時に貴方の話を聞いて、一度会ってみたいと思ってたんです」
「俺の話?」
「命短し、人よ恋せよ――恋は人に与えられた幸せ……でしたっけ。あの言葉に、私も励まされましたから」

 あの時は、政宗への想いを自覚してしまったばかりの頃だった。
 自分の素性も知らず、ただ漠然と別れの予感だけを抱えて不安になっていた時。

「まだ武田の娘だってことも知らなくて、知らない土地で初めての軍属の暮らしにもようやく何とか慣れて……それでもいろいろ不安で、この人を好きになったら私はどうなるんだろう……って」

 不確かで、それでも膨大に膨れ上がる恐れ……スタートラインに立つ前から怯えていたのだ。

「そんな時に貴方のあの言葉を聞いて、そういう感情も前向きに考えてみようと思えたんです」
「励み…か。……自分が知らないとこでそんな風に思ってくれる人が居るってのも変なもんだけど、悪い気はしないねぇ」

 はその続きをいくらか逡巡し、言葉を選ぼうとしている自分を笑った。
 慶次相手に気兼ねはいらないと、先程思ったばかりだったでは無いか。

「――ねねさん、でしたっけ」

 遠慮も無しに、直球で禁句と思われる名を口にする。
 肌で感じるほど、びりりと慶次の気配が張りつめたのが分かった。

「ごめんなさい、さっきの豊臣秀吉との話を私も聞いてたから」
「その話は――……」

 やめてくれ、と禁じられる前に、はそれを遮って言った。

「想い人のねねさんを――大切な恋を失って、それでも……それでも、『人よ恋せよ』って言える貴方は、正直すごいと思いました」

 トラウマになって、もう一生恋はしないと思っても仕方ないような心の傷だ――それなのに慶次は今でも、恋は幸せなものなのだと胸を張って言う。

「私には、とても出来ないことですから」

 家や立場や様々なものに縛られて、したいように身動きも出来ない自分には、とてもでは無いが慶次のようには笑えない。
 恋情を真っ向から否定する秀吉に自分を重ねてしまった手前、それだけは言っておこうと思った。
 言うなれば、慶次自身には何の関係も無い……ただのの心中での自己満足だ。

 だが、すっきりした心持ちで見つめたに、慶次は大きく目を瞠った。
 ややして、掠れた声を吐きだす。

「……は、何だそれ」
「………ただ私が言っておきたかっただけですから、気にしないでください」
「何なんだよ、それ。……気にするってーの!!」

 慶次の顔が一瞬泣きそうに歪んだのは見間違いだったのか、大きく声を張り上げながらその場に仰向けに転がった慶次の表情は追ってはいけない気がして、はじっと川の流れを見つめた。
 やがて、くぐもった声で言葉が紡がれる。

「………そんな立派なもんじゃない。俺だって、あんな苦しい思いをするくらいなら、二度と恋しい女なんか作るもんかって思ったさ」
 
 聞き取りにくいのは、慶次が腕で顔を押えているからだと分かった。

「だけど、近くに居たのがあのトシとまつ姉ちゃんだぜ? いつまで経っても毎日新婚みたいで、年中すっげぇ幸せな顔してんだよ。家を出てあちこち行くようになっても、行く先々でいろんな恋を見た。悲しい恋やツライ恋もあるけど、やっぱりそういう想いも本人にとったら宝物でさ。……そういうの、嫌いになれるわけねぇーよな」
「宝物……」

 慶次の言葉を聞きながら、は自分の胸に手を当てた。
 つらくても、苦しくても、この想いは自分だけのものだ。そう、例えどんなに嘆き悲しんだとしても、結局のところ自分は……

「アンタも、自分の恋を捨てようって思うかい? 恋をしたこと自体を後悔したことはあるかい?」
「……捨てられなかったし、後悔も出来なかった」

 何度も、自分の素性や政宗との立場の差異を悔やんだし、こんな想いさえなければ苦しまなくて済むのに……家族にも迷惑や心配をかけなくて済むのにと、そう思った。
 それでも、結局最後の所では、決して譲れない。

「はは、それでこそ、だ。アンタ、昔から諦め悪かったもんな」

 目を瞠るの隣で、慶次がよっという掛声と共に起き上がった。
 そこには、もう強い眼差しがあった。

「俺も、諦め悪くてさ。前向きなのが取り柄だしね。………ずっと、逃げてた。秀吉が殺して、ねねが死んで……そんな悪夢、悪い冗談みたいに無かったことにしちまおうって」

 残っていた酒を徳利ごと一気に飲み干して、慶次は立ち上がった。

「だけど、そんなのねねにも秀吉にも顔向けできねーよな。俺一人だけ逃げてるなんて、恰好悪すぎるってもんだしよ! 今日秀吉に会って、俺がアイツの目を覚まさせてやらなきゃならないって気付いた。――気付いた途端、アンタに邪魔されたんだけどな」
「わ…私はっ……ぅわっ!」

 言おうとした言葉を遮られ、腕を取って引き上げられた。

 近くなった視線が合わさり、慶次は満面の笑みを浮かべる。

「俺は、逃げるのはやめた! アイツの目を覚まさせてやる!」
「え?」
「俺としては拳で分からせてやってもいいけど、アイツの頭は国とか天下とかが根っこになってるんだ。だから、俺も『前田慶次』として、この手で豊臣をぶっ潰す!」
「……それは、前田の将として、豊臣に喧嘩を売るってこと?」
「当然! もちろん、トシの意思には従うけど、前田の上の伊達は豊臣と敵対してるんだ……だったら、いずれぶつかるのは必定――てね」

 それは、確実だろう。
 政宗があれだけ手を出してきた豊臣を捨て置くとは思えないし、豊臣の方でも小田原の恨みがある。

「つー訳で、俺は伊達に行くけど、アンタはどうする? 一緒に行くだろ?」
「………は?」

 は思わずあんぐりと口を開けた。
 予想だにしない言葉を聞いた……伊達に行く……一緒に行くだろ?

「……逆に聞きますけど、どうしたら私が行くと思えるんですか?」
「そんなのは簡単。アンタが素直になればいいだけの話だよ」
「私は……!」

 反論しかけた時だった。
 不意に、慶次が屈んだかと思うと、直後に触れた小さな熱――

「なっ…!! 何するの……!!」

 音を立てて口付けられた頬を押さえて、は全力で慶次を突き飛ばした。
 咄嗟に出た炎が慶次の纏っていた毛皮に引火して、慌てて川へと飛び込んでいく。

 熱くなった顔を誤魔化すように頬を押さえたまま、は川の中に思い切り鋭い睨みを利かせた。

「私のこと嫌いなんでしょう!?」

 少し前と同じ言葉――しかし、二人の間の距離は良くも悪くも大分変わっていた。

「素直になるまじないだよ。――それに、嫌いな女を口説くのも一興かと思ってね」

 飄々と言ってのける慶次に殺意を抱くに向かって、川の中の相手は大きな手を差し出した。

「十年前のこと、知りたいんだろ? 話してやる代わりに、その間くらいは旅の供になってくれるよな?」

 十年前――ここでそれを持ち出すか、と睨みつけてもまるで効果は無かった。
 慶次は川から上がり、夢吉を肩に乗せると、と対の貝を見せつけながら早く来いと催促している。

 額に浮きそうになる青筋を懸命に堪えて、は足を踏み出した。

 妙な道連れから、昔の自分を聞き出す為に……
 ――本当の自分を取り戻す為に。






071129
CLAP