我ながら、前田慶次という人間は分かりやすいと思う。
好きなものは、恋と喧嘩。
嫌いなものは、退屈と不自由。
特に叔父夫妻の元を出奔してからは、その嗜好に忠実に自由気ままな生活を楽しんでいた。
華やかな京に滞在し、おもしろそうなことを求めて各地を渡り歩き……幼馴染たちを失ったことで心にぽっかりと空いた穴を埋めるように。
変化がなければ、立ち止まってしまえば、笑えなくなる気がした。
だからいつも、自分から嫌いなものに背を向け、好きなものを求めて動き回っていた。
それがどうだ――ここに来て、尽くそれが覆されている。
一人の女性を中心にして。
慶次が最初に『』の話を聞いたのは、久しぶりに加賀の前田家に顔を出した時だった。
その前に滞在していたのは越後の上杉謙信の元で、前田が伊達に負けてその軍門に下ったという報せも越後で聞いた。
利家たちからは何度か、前田の武将として米沢へ来るようにとの文が届いたが、特に気分も乗らなかったので動かなかった。
そして雪に閉ざされた越後で冬を越して翌春、上杉は長年川中島で争っていた武田と同盟を結び、謙信は甲斐へと足を運んだ。
慶次は同行しなかったが、戻って来た謙信から『虎姫』の話を聞き、おもしろいという感想を持った。
<十年間伊達に囚われていた哀れな姫君>
<信玄公が溺愛する美しい末姫様>
<自ら戦場にも立ち、学問にも長けた才女>
そんな高い評判の傍ら、
<誘拐は狂言>
<伊達と武田の二重間者>
果ては、<伊達や武田の武将に色を使って地位を得た>などと、そんな悪評までささやかれることもある。
世間での評価ですら両極端な二面性を持つ姫君――<実は伊達の殿さまと恋仲だったのに敵対する両家の立場によって引き裂かれた>……そんな慶次好みの浪漫に溢れた話もあり、俄然自分の目で真実を見極めたくなった。
虎姫と同時期に米沢に滞在していた叔父夫妻に聞けば何か分かるかも……そう思ったのは単なる思い付きだ。
だが、利家とまつから返って来たのは、予想を遥かに上回る答えだった。
二人は、米沢に居た頃は一兵卒に過ぎなかった虎姫と非常に仲良くしていたというのだ。
「はわたくしの友です!」――虎姫についての風聞を話題に出すと、まつはそう言って目をつり上げた。
大名の妻女であるまつが「友だち」だと言う相手――甲斐の虎姫ならば身分的に不足はないが、姫という身分を自覚する前だというのだから驚くのも当然だ。
そして慶次は、そこで初めて『虎姫』が『』という名前なのだと知った。
すぐに昔会った小さな少女のことを思い出した――もう十年も前に数日共に行動しただけの儚い少女。
ずっと気になってはいたが、わざわざ調べたり探したりすることは無かった。
だが、思い出してみれば、次々と重なる二つの存在の符合――これはもしかするとと思っているところに、小田原城に入った伊達政宗から『虎姫』の過去について心当たりは無いかという文が来た。
その手紙を読んで心から虎姫のことを案じている様子のまつに、慶次が昔会った『』のことを話したが最後――有無を言わさず首根っこを捕まえられ、怒涛の勢いで小田原まで連れて行かれた。
そして、独眼竜・伊達政宗と、甲斐の若虎・真田幸村との出会い――残念ながら手合わせをする状況では無かったが、二人とも慶次が素直に『強い』と直感できる相手だった。
どうやらその二人にとって、それぞれに"特別"であるらしい『』。
慶次の嫌いな退屈を紛らわせてくれそうな、おもしろい相手。
十年前には探さなかった少女を探すつもりになるには、それだけで十分な理由だった。
が姿を消したという近江周辺を回り、長浜で有力な情報を手に入れて、その足跡を追った。
ところが、である。
山間のとある村で、慶次は思いがけず最も会いたくなかった相手と鉢合わせた。
豊臣秀吉――慶次の幼馴染で親友だった男だ。
もう二度と会わないと思っていた。
それでも、会ってしまったものは仕方が無い。
しかも、断絶して以来の秀吉は、またもや無力な若い娘に殺気をぶつけていた。
蘇る忌まわしい過去と、目の前の光景が重なって、慶次は思わず飛び出していた。
こうなったら秀吉と正面から向かい合って、過去を断ち切ってやろうとも思った。
だが、それを止めたのは背中に庇った無力そうな娘――飛び出して来た時に放たれた炎は鮮やかな気迫を纏っており、苦しそうな様子でも一歩も引かない覚悟は鬼気迫るものさえ感じさせた。
そして、あっさりと引いた秀吉――付き合いの長い慶次だからこそ、それがどれだけ驚くべきことかというのは痛いほど分かっていた。
その娘が『虎姫』……つまり『』であると知った時に、また驚いて。
好きなものを求めて動けば遠ざかり、求めていない時に向こうから次々と現れる。
いつもの慶次のペースを尽く乱す、台風の目のような存在。
それは決して悪い方向にでは無いけれど……
「お手。……そう、正解よ! 夢吉は天才ね!」
その『台風の目』殿は、現在、慶次の隣で無邪気な笑い声を上げている。
豊臣軍が立ち去った後の村の茶屋――その軒先に並んで腰を下ろし、団子を食べながら世間話をしていたのだ。
姫君はどうやら慶次の相棒である子猿・夢吉がいたくお気に召したらしく、先ほどから何やら熱心に芸を仕込んでいる。
「夢吉はお調子もんで美人に目が無いけど、そこまで懐いたのはが初めてだよ」
にこやかにそう笑いかければ、甲斐の虎姫ことは、きょとんと瞬きして苦笑した。
「この前も同じようなことを言われました。その時はオウム……鳥でしたけど」
動物にもてるのかな、と言って夢吉に笑うその様子は、どこにでも居そうな普通の女性である。
そう思ったことにほっとどこか安堵して、そこで慶次は自分がらしくも無く緊張していたのかもしれないと気づいた。
記憶の中の少女と虎姫の風聞とはあまりにもかけ離れていたが、伊達や武田で聞いた話を合わせると、やはり同一人物だとしか思えなかった。
慶次が少女にあげた貝合わせは、腕の良い職人が特別に誂えたこの世に二つとないものだし、虎姫は間違いなくその本物を持っていた。
それでもこうして本人を前にしてみれば、顔の造作に面影はあっても纏う雰囲気はまるで別人だ。
人は未知のもの・自分とは相容れないものに対して自然と警戒心を抱くもので、慶次も無意識の内に身構えていたのかもしれない。
少し冷めて丁度良くなったお茶を啜りながら、慶次はいつものように快活に笑った。
「みたいな別嬪なら、寄ってくのは動物だけじゃ無いよ。現に俺だってこうして見惚れてるしさ」
「え?」
上げられた顔が赤くなっていて、思わず笑ってしまう。
すると途端にの表情が険しくなった。
「ひどい。からかったんですね!」
「いや、笑ったのは悪いけど、別にからかった訳じゃないって! 随分初々しい反応だったからさ」
「………どうせ、言われ慣れて無いですよ」
「へぇ? そいつは勿体無い。こんなイイ女前にして口説かないなんて、そんな男はヘチマかキュウリだね」
正直、幸村はともかく、あの自他共に伊達男と認識している政宗がこういうことを言っていないというのは意外だった。
だが、小十郎が言っていた「友」という言葉が蘇ってきて納得する。
それと同時に自然と視線も落ちた。
「……慶次さん? どうかしました?」
「ん? いいや、何でも無いよ。……ただ、十年前はこうやってもう一度会えるとは思って無かったからさ」
本当に、こんな気持ちでこの娘と話すことになるとは思ってもみなかった。
深い感情は顔に出さず、へらりと笑う。
「がここに来て、俺がここにいる。廻り合わせって粋じゃねぇか」
前に会った尾張でも無く、こんな豊臣領となった山道の村で。
ただの風来坊と行き倒れとして会った二人が、それぞれの肩書を持って……それでもそのことには一切触れずに世間話をしている。
慶次は隣のを見た。
膝の上の夢吉に構いながら、往来を見つめている。
何事か考えているようにも、ただ景色を楽しんでいるだけにも見えた。
秀吉の前で再会し、秀吉が去ってから貝を見せてこれまで……は、過去のことにも触れなければ、慶次がここに居る理由も何も聞かない。
ただ、「お噂はかねがね、利家様とまつさんからお聞きしていました」と言ったので、慶次の素性は知っているらしい。
「――慶次さん」
唐突に話しかけられてはっとすると、がこちらをじっと見ていた。
ようやく込み入った話に入るのかと身構えた慶次に、は真面目な顔で口を開く。
「そんな年中歯の浮くようなセリフばっかり言ってると、本気の人が現れた時に後悔しますよ?」
「………え、ああ、うん」
「叔父さんと叔母さんの仲の良さに憧れるのは分かりますけど、女の子は自分だけっていうのに弱いんですから!」
「………………」
慶次は笑った。
自分だけ――なるほど、は恋も友情も、まさにそれを手に入れている。
そんなことを真面目に力説する様子は、彼女が何も思い煩う事が無いと言い表しているようだった。
「慶次さん? 聞いてます?」
「……ああ、聞いてるよ」
慶次は笑顔を作りながらを見下ろした。
様々な噂……各地で聞いた彼女と親しい者たちの言葉……だがこうやって会って話していても、慶次にはそれが真実だとは実感出来ない。
伊達でも武田でも、彼女は戦にあっては軍師のように謀を得意とすると聞いたが……この苦労を知らなさそうな平和な娘とはどうしても結びつかなかった。
「男だって、自分だけを想ってくれる女には弱いもんさ………真剣な想いをかわしてばっかで、ふらふら逃げ回る女よりよっぽど、ね」
「…………それはそうですよね」
思わず口をついて出たのは、そんな余りにも分かりやすい毒で。
流石に自分のことを言われているらしいと気づいたらしいは、眉尻を下げて苦笑した。
微かに感じる罪悪感より別の感情が強いことを無視して、慶次は場を取り繕うように団子の追加を頼んで伸びをした。
「ところで、なんでは俺に敬語なんて使うんだい?」
「え?」
「折角の再会なのに他人行儀だろ?」
「だって、慶次さんは年上みたいだし、それに……」
「それに?」
わざと違う話題を振って、場を持ち直すつもりだった。
しかし、慶次はの返答に目を丸くする。
「それに、貴方は私のことが嫌いでしょう?」
揶揄するでも試すわけでもなく、ただ淡々と言われたそれに、慶次は一瞬息を止めた。
真っ直ぐ見詰めてくる黒い瞳から、視線をそらすことが出来ない。
その瞳に見つめられる内に、ようやく慶次の中で様々な『』という人間が一つに重なった。
十年前に見た、あの闇を湛えた瞳も、間違い無く彼女である――と。
071124
CLAP