「おー、アンタが奥州名物独眼竜かー!」
それが、加賀・前田家の風来坊、前田慶次の第一声だった。
その直後、小十郎が青筋を浮かべるのと、物凄い勢いで眦を吊上げたまつが入って来たのは同時。
「これ、慶次! 何と言う失礼な物言いですか、前田家の男子ともあろう者が情けない! 政宗殿にお詫びなさい!!」
言葉と共に鉄拳制裁を受けた慶次はその場に沈み、流石の小十郎も唖然として何も言えず、政宗は久しぶりに愉快な気持ちで笑った。
政宗が小田原城に入ったのは、城を陥落させた約十日後だった。
本人の指示により派手に壊滅した城郭は、その翌日から再び急ピッチで復旧が開始されている。
元来小田原は、北条氏が治めていた頃から旱魃による飢饉や疫病の流行で人心が離れていた。
だからこそ政宗も、最初に北条を討った後に様々な改革を進めようとしていたのだ。
その矢先に半兵衛の計略によって豊臣に奪われた訳だが、あれだけ連戦して駆けずり回っている豊臣に満足な対応が取れた筈もない。
結果、小田原は荒んだままずっと捨て置かれていた。
そこへ来て、政宗が再び領主の座を力づくで取り戻した。
農民が大半を占める領民にしてみれば、支配者が誰であれ平安に暮らせる日々を作ってくれるのならば文句は無い。
結果、あのような形で関東一帯を取り戻した後も、伊達の重臣らが懸念していた反発はさほどでも無かった。
城に詰めていた何の罪も無い北条武士や女中らの家族には、勿論言い知れぬ恨みを買っているだろうが……それもこの戦国の世のこと。
政宗が結果的に円満に国を治めれば、自然に氷塊していく類のものだろうとも言える。
それが分かっているからこそ、政宗もかつてない程の激務を愚痴一つ吐かずにこなしているし、その右目たる小十郎ですら休めとも言えない。
いくら鍛えているとは言え、我ながらよくもつものだと自分でも思っていた。
睡眠時間など毎日数える程で、まだ万全の体調で無い中でほとんど書面と睨めっこしながら日々を過ごしている。
以前ならば、早々に息抜きと称して遠駆けに出、酒や女で気晴らししているところだろう。
医者から止められている酒……こんな風に忙しい時に飲みたいと思うと、政宗は決まって自分の隣で酌をして笑っていたを思い出す。
そしてアレを取り戻す為に成すべきことを思えば、自然と酒からも手が遠のいた。
「――疾風」
「は」
一拍も置かずに現れた黒ずくめの忍に、目線だけで問う。
寡黙な忍は、短く否とだけ答えた。
甲斐での療養中、信玄と真夜中の会談を終えた後、政宗は疾風を通じて黒脛巾にある指示を与えた。
信玄から何とか聞き出せた、の過去についての情報をもっと詳しく調べる為である。
十年前に館を襲撃した賊(当時反武田を掲げていた信濃衆の残党)に攫われ、行方知れずになっていたこと。
本人も覚えていないが、なぜかこの十年、遠い異国――平和な地で育ってきたこと。
そして、平和な国で育ったにしては不自然な程の『闇』を抱えていたということ。
政宗は、時折物憂げに曇る瞳を知ってはいたが、それは両親が死んだことや本当の親を知らないことに関係しているのだと思っていた。
だが、実家である甲斐に戻ってからそれが顕著になったというのならば、原因は別のものであろう。
そして、信玄が平和な時代に似つかわしくない『闇』だと判断したなら、それはこの戦の吹き荒れる乱世で植えつけられたものなのかもしれない。
は十年前以前の記憶が無いと言っていたから、賊に攫われる前……もしくは、最中、その直後。
当時信濃衆は今川家に庇護を求めていたらしいから、そちらの方へ逃れようとした可能性が高い。
――甲斐から三河、駿河へ……尾張ってこともあり得るか。
頭の中で地図を思い描き、政宗は考えた。
幸村の屋敷でと別れた時――彼女はこう言った。
『こんな私じゃ、政宗さんの傍にも、武田にも居られない』
あれは自分の『闇』を自覚していた上での言葉だろう。
ならば、政宗はそれを知らなければならない。
そしてやたら責任感の強いも、必ずそれと向き合おうとするだろう。
現在は豊臣領となっている旧今川領の駿河、そして織田の本拠尾張――どちらも危険には変わりないが、疾風にそちらの方面を中心に探れと命じた。
更に、方面的には近い加賀の前田夫妻にも十年前のその一件について心当たりは無いかと文を出した。
そうして数日後、ふらりとまつに引率された前田慶次が現れたのだ。
「俺は『』って女の子を知ってるよ」
唐突に言われた言葉に、政宗の反応が一歩遅れる。
「尤も、それが時の人――甲斐の虎姫本人かどうかは会ってみなけりゃ分からないけどね」
眉を顰めはしたものの、政宗は逸る気持ちを抑えてどういうことだと尋ねた。
『虎姫』となる前のに会っているのだとして、その慶次の知るが虎姫であると確認する為には実際に顔を見てみるしか証明のしようが無い。
だが、わざわざまつが連れて来たということは、それ以外の根拠があるということだ。
「虎姫は、十年前以前の記憶が無いんだろ? 俺が会った『』も記憶を失っちまってたんだ。会ったのは、丁度十年くらい前」
「……なるほどな」
確かに、符号は一致する。
「我らはその頃、尾張領内の支城におりました。慶次がその『』に会ったと申すのも、尾張でのこと……上質の着物で山道にて倒れていたそうにございます。『姫』は、賊に攫われ行方知れずになっていたとのこと――甲斐と尾張は離れてはおりますが……」
「いや……首謀の信濃衆は駿河の今川を頼ってたらしい。駿河の隣国・尾張まで逃げるのもあり得ない話じゃねぇ」
「なればやはり……!」
俄かに色めき立つまつと、思考に耽る政宗。
二人の前で、慶次は懐から取り出したものにぽつりと零した。
「俺が会ったは、まるで人形みたいに感情が無かったんだ。幸せになってくれてたなら俺も手放しで喜べたのにな……」
その言葉の内容そのものも意外だったが、政宗は何より慶次の掌のものを見て目を見開いた。
「それは……!」
「ん? ああ、昔俺が『』にあげたやつの片割れだよ。竹取物語の最後の場面でさー、月からの迎えを待ちながら泣くかぐやとそれを何が何でも阻もうとする帝……惚れた腫れたに身分なんか関係ないってカンジで良いだろ? この場面が一番気に入ってたんだよなー」
慶次の言葉を半分聞き流しながら、政宗は確かに見覚えのある『それ』を凝視していた。
出会ったばかりの頃、彼女は夜半に一人じっとそれを見つめていたのだ。
「………だ」
「ん?」
「政宗殿?」
「それの片割れのかぐやを、アイツは『お守りだ』っつって持ってた」
まつと慶次の目もゆるゆると見開かれる。
やがて慶次は自分の手の上に視線を落とし、安堵したように息をついた。
「そっか、お守りか……へへ、何だか嬉しいねぇ」
得意気に笑う慶次に先程とは正反対の不快感を感じながらも、政宗ははたと思い至った。
「いや、待て――だが、それじゃあおかしいぜ。アイツは、その貝の贈り主のことも覚えてなかった」
「え? だって俺と会った時にはもう……」
そうだ、慶次と会った時には既にそれまでの記憶を失くしていたという……ならば、慶次と会った事、貝の贈り主が彼であることは覚えているはずだ。それなのに――
「そんなことは宜しいではありませんか! それよりも、が如何にして異国に行くことになったかでございまする!」
「……OK. 前田、お前は何か知らねぇのか?」
米沢からが消えて、まつも随分気落ちしていたのは政宗とて知っている。
今まで特に何かを言ってくることは無かったが、本当はずっと心配していたのだろう。
こんなに親身になってくれる人間が大勢居て、は幸せ者だ……いや、彼女の場合、それを自覚しているから一層苦しむのかもしれないが。
物思いに耽りながらも尋ねた政宗をじっと見つめて、慶次は貝を弄りながら口を開いた。
「尾張の山道で拾って、数日は一緒に行動したんだ。だけど街中でうっかりはぐれちまってさぁ……俺もその後利家に付いて加賀に行っちまったんで、それからの行方は全く分からなかった」
「尾張のどこではぐれたのですか?」
「清州の城下町だよ」
まつと政宗は同時に目を瞠った。
清州と言えば、当時尾張を統一したばかりの信長の拠点・清州城の城下である。
「清州……信長か」
手の中の扇を肩に押し当てて、政宗はそう一人ごちた。
信長自身が関係しているか否か……それはまだ分からないが、『闇』と『魔王』と言うのは、いかにも自然な取り合わせである。
「政宗殿?」
怪訝そうに聞いてくるまつに、政宗は自嘲気味に笑った。
まつも、そして慶次も、今の政宗に私的なことを優先する余裕も権利も無いのだということは分かっているだろう。
ただの友人としてわざわざその話をしにやってきたのだ。
「……たく、つくづく厄介な女だぜ」
政宗だけでは無く、他の人間の心も動かし、それなのに一人で全部抱え込もうとする。
畢竟、周りは捨て置けずに、もっと苦労することになるのだ。
その筆頭が自分だと分かっているだけに、政宗は苦く笑って慶次の手にある貝をじっと見つめた。
「竜の右目さん!」
一風変わった呼びかけに顔を上げた小十郎は、離れた場所に大きく手を振っている男の姿を認めて足を進めた。
畑の中で作業していた為に手も顔も泥だらけだが、別段そこまで気にしなければならない相手でも無い。
「ああ、政宗様との話は終わったのか?」
頭に巻いた手拭いで汗と泥を拭きながら近寄れば、相手――前田慶次はからりと笑った。
「話したいことは話したよ。アンタが口きいてくれたお陰だ。ありがとうな」
「いや、礼には及ばん」
まつと慶次が小田原城を訪れた時、政宗は重臣らと会議の最中だった。
吟味することが多い為、この日は丸々一日話し合いで潰れる予定だったが、回復したと言っても政宗はまだ本調子では無い。
そろそろ一服盛ってでも一度ゆっくり休息させなければと思っていただけに、二人の到着は非常にタイミングが良かった。
のこととなれば、政宗も会議を押して聞く気になるだろう。
「それで? 何か分かったのか?」
小十郎とて気になっていたので、直球で聞いてみた。
慶次は前田利家の甥であるのだからもっと丁寧に対して然るべきだが、本人が纏う空気にそうさせない気風があった。
「んー、どうかなぁ。俺もそれなりに分かったことはあったし、独眼竜もそうだったみたいだけど……。あ、そうだ。アンタに聞きたいことがあったんだけど、ちょっといいかい?」
「別に構わねぇぜ。丁度一息入れようと思ってたとこだ」
慶次の誘いにそう返し、小十郎は相手を伴って母屋の端の縁側に腰をおろした。
通りがかった侍女にお茶を頼み、息をつく。
「まつ姉ちゃんから聞いてはいたけど、ホントに畑作ってるんだな。――命を育むのは楽しいかい?」
小十郎は一瞬息を止めた。
本当にさらりと笑いさえしながら紡がれたセリフなのに、戦場に立つ自分たちには何と重い言い回しだろう。
前田慶次は自由気ままな風来坊という世間の評価には、少し付け足す必要がある。
油断のならない風来坊――だ。
「――ああ、楽しいな。俺にはこういう作業が性に合ってる。野菜も生き物だからな……畑仕事は気を使う。繊細な俺には似合いだろう?」
「はは、いや確かに。あの独眼竜の右目やってんだから、十分繊細な心配りの出来る人だとは思ってたけどさ」
食えないねぇ、などと言って笑う慶次に、それはこちらの台詞だと小十郎も口の端を上げた。
「前田慶次……の知り合いらしいが、政宗様に無礼を働いたり、ましてや刀を向けたら承知しねぇぜ?」
「おぉおぉ、怖いねぇ。だけど、心配いらねぇよ。独眼竜はトシとまつ姉ちゃんの上に立つ人間だろ。前田の名を背負ってる限り、それに水差すような真似はしないさ。それに……刀を向けたいのはむしろあっちの方じゃないのかい?」
「――どういう意味だ?」
「独眼竜さ、始終ピリピリしてたけど、俺が昔にやった……んーお守り?見せたら、途端に殺気立ってたぜ?」
小十郎は無言で額を押さえた。
最近忙し過ぎて政宗もろくに眠っていないし、疲労も極限に達しているのだから、つい本心が漏れたのだろうが……そんなに分かりやすく嫉妬するのはどうなのだろう。
「なぁ、独眼竜はあの子に恋してるのかい?」
運ばれてきた茶を啜っていた小十郎は、思わず噎せた。
「随分青臭ぇ言い方だが……政宗様と話したのなら、分かっただろうが」
「確かに分かりやすかったけどさ。聞いても本人が答えないんだからしょーがないだろ? 『んなこと聞くなんざ、くーるじゃねぇぜ』って誤魔化すだけさ」
誰も知らなかったの過去を知る男……の、二人目。一人目である幸村がを巡って政宗に宣戦布告しているのだから、過敏になるのも分からないでは無いが……。
「惚れた腫れたを口にする色男気取るなら、言葉を聞くまでもねぇだろう。政宗様が心を掛ける相手だから、俺もこうしてるんじゃねぇか」
「へぇ……格好良いねぇ、アンタもてそうだ。だけど俺から見れば、アンタもを憎からず想ってるのかと思ってたよ」
ギクリとした内心は綺麗に押し隠したまま、小十郎は笑った。
「勿論、そりゃ俺自身も好意を持ってるぜ? は優秀でよく気の付く部下だったからな」
「アンタにそこまで言わせるとはね。……虎姫が伊達に居た頃は、周りと上手くやってたんだ?」
「それこそまつ殿から聞いてるだろう。二人は随分親しかったからな。それには、城内の同僚や女中だけじゃなく、城下の商人とも大分懇意にしていたらしい」
「なるほどねぇ……謙信から聞いた話じゃ、甲斐では居心地が悪そうだって言ってたからさぁ……心配だったんだ」
「軍神が……」
そう言えば、慶次は越後の軍神・上杉謙信とも懇意という話を聞いたことがある――頭の中で整理した情報を元に、小十郎は沈みそうになる気持ちを振り払った。
軍神は信玄の好敵手である人格者と聞いているし、小十郎も幸村の屋敷に滞在している間にの甲斐での生活は垣間見ていた。
そこにあったのは、伊達に居た頃の奔放な少女では無く、文武両道ながらも風変りな姫君の姿――
「――竜の右目さん。これは俺の憶測なんだけど、独眼竜は『』に依存しすぎなんじゃないのか?」
「っ――!」
今度こそ、動揺を隠すことは出来なかった。
ふとした時にの存在を思い出すのは、政宗だけでは無い。
小十郎や成実、綱元……政宗の傍に仕える者たちも、事ある毎に彼女の存在を思い出す。
こんな時、以前ならがこう言ったのに。ああしたのに。
今回だってそうだ。
小田原を手にして執務に追われ、寝る間も無い政宗……軽口ならともかく、小十郎たち家臣の前では、彼は絶対に弱音を吐かない。
どんなに気心が知れていても、主としてそれは許されないからだ。
だが、もしが居たなら……
「は、政宗様の臣というより、友だったからな」
「友だち……?」
目を丸くした慶次に、小十郎も苦笑する。
伊達軍に籍を置いている以上は臣下であったことに変わりないが、おかしな言い方だが、主従である前にあの二人は友人のように見えた。
きっと、小十郎たちには言えない弱音も、の前では言うことが出来ただろう。
共に時を過ごして気晴らしすることも出来ただろうし、から言われれば素直に休みさえしたかもしれない。
「恋しい女で、大事な友達か……羨ましいよ、そういうの」
慶次の声が俄かに曇って、小十郎は言葉に詰まった。
何事かを悔いているような、そんな苦い呟き。
しかし、それは次の瞬間には何事も無かったかのように霧散する。
まるで曇天だと思った空から、雲が一掃されたように――
「うん、やっぱり俺、を探しに行くよ」
そして耳を疑う言葉に、小十郎は眉を顰めた。
「何……?」
「まつ姉ちゃんや伊達の人ばっかずるいだろ? 俺だって、久々の再会と洒落込みたいし」
「だが、探しに行くと言っても居場所なんざ知ってんのか?」
「一先ずは甲斐で調べようかと思ってる。……へへ、実はもう独眼竜から紹介状貰ったんだよな。甲斐の虎か若虎宛てに」
そう言って懐から取り出した書状を掲げて見せた慶次をしばらく見つめて、小十郎はため息をついた。
気ままな風来坊と言うだけあって、一度思い立ったら梃子でも動かせそうにない。
それに、他でもない政宗が認めたのだ……
この油断ならない既知と会うことによって、にも何か得るものがあるかもしれないとも思えた。
――政宗がと離れて何かを失ったように、もまた大切な何かを見失った。
だからこそ、今まで政宗第一に生きてきた小十郎も、同じだけの幸せをにも与えたいと願ってしまう。
「渋々だけど敵宛にこんなもんまで書いてくれたんだし、無事に会えたらまた報告しに寄るよ」
「ああ、待ってるぜ」
「任しときなって!」
出された茶と菓子を綺麗に平らげ、礼儀正しく「ご馳走様」と手を合わせると、慶次は勢い良く駆け出して行った。
それを見送りながら、小十郎は背後に聳える巨大な天守閣に視線を向ける。
きっと政宗も、今頃あそこからに会いに行く男の後ろ姿を見送っているに違いない。
もう追わないと……けれど必ず手に入れる言った言葉通りに。
虎視眈眈と天下を睨む、竜の独眼で。
071116
CLAP