64.燻る炎

「ただいま戻りました、お館様!」
「よう戻った、幸村! して、首尾はいかがであった?」
「はっ、万事滞り無く」

 近江・小谷城での戦に武田が加勢して十日後、幸村は軍勢を引き連れて甲斐・躑躅ヶ崎館へ帰還していた。
 味方した浅井勢の勝利は先に伝わっていたであろうが、その他は信玄とて知らない筈だ。
 細かに指示された訳では無かったが、この家臣団を前にして何を報告すべきかは幸村にも分かっていた。

「浅井の居城・小谷城は主力軍がこの甲斐に出兵している間に豊臣に奪われておりましたが、我らが到着した時には既にその奪還の為の城攻めが始まっておりました。小谷城は難攻不落の山城なれど、浅井方には長曾我部と毛利が加勢。そこに我らが加わった上、策により無血の内に城内から門が開かれ、小田原城が伊達に落とされたとの急報で敵は総崩れになり、形勢は一気に決まりました」
「なんと……!」
「長曾我部に毛利…!?」

 ざわざわと揺れる評定の場で、幸村は信玄の対面から真っ直ぐに主を見る。

「長曾我部・毛利との仲立ち、浅井との同盟締結にご尽力くださった姫に御礼を申し上げます」
「姫?」
「何故姫様が…!?」

 ざわめきは一層大きくなった。
 その内の一つに、一瞬にして場が静まり返る。

姫は伊達と内通していたのでは無いのか? その上、浅井の襲撃まで……」

 言った本人も聞いていた周りも、はっとして口を噤み、一斉に主である信玄を窺った。
 
 信玄は黙したまま口を開かなかったが、その沈黙が怒りを表しているようで、場がしんと静まり返る。
 それらの中でゆっくりと口を開いたのは軍師である山本勘助だった。

「姫様は十年前に賊に攫われ、記憶を失くして各地を放浪していたところを近年奥州伊達家に身を寄せられたと聞き申す。その間に長曾我部や毛利とも親交を持たれたということですかな、幸村殿?」

 表面上は、は伊達軍襲撃の一件で謹慎中であるということになっている。
 失踪して小谷城奪還戦に参加していたという事実――そして十年間未来に飛ばされていたという事情を知るのは、この場では幸村の他に信玄と勘助だけだ。
 何も知らない者から見れば、伊達の他に長曾我部や毛利――浅井とも面識があったというのは、確かに薄気味悪く映るだろう。
 浅井と伊達による同時の甲府襲撃はどちらもが内通していた……そう疑う気持ちも分からないではない。

 幸村とて、がどのようにして長曾我部・毛利と繋がりを持ったのか詳しいことは知らないが、この二家と浅井家の仲を取り持ったことは、浅井長政から聞いている。
 自身が危険を顧みずに囮になって、城内から門を開けたことも。

「――その通りでござる。先日この甲府が攻められた際、敵将であった浅井殿と話をされて近江の窮状に心を痛められた姫様は、旧交のあった長曾我部元親殿・毛利元就殿――対豊臣の偵察の為に畿内に入っていた二方に急使を出され、近江が豊臣に落ちることの危険性を訴えた上で、浅井家への助力を嘆願された次第。浅井長政殿はこのことと我ら武田の援軍に痛く感謝され、速やかに同盟を結ぶとのご意向にございます。また、長曾我部殿・毛利殿からも、姫様の助言と仲立ちに御礼を、と言付かって参りました」

 幸村の述べた筋書きに集まった重臣たちから感嘆の言葉が漏れ、評定の場は一気に騒がしくなる。
 勘助は満足そうに何度か頷き、信玄に視線を送った。
 瞑目していた信玄もそれに頷き返し、幸村にその力強い眼差しを固定する。

「尾張のうつけには会わなんだか?」

 尾張のうつけ――魔王・織田信長の名に、場は再び静寂を取り戻した。
 甲斐から近江に向かうには、信長の本国である尾張・岐阜を通らねばならない。
 忍隊の諜報活動により、織田と豊臣が手を結ぶ可能性があることは、既に家臣らにも知れ渡っていた。

「往路は途中から毛利殿の策のおかげで最短で近江まで辿り着けました。しかし復路は織田軍の伏兵に遭い……お館様の命通り、極力戦いは避け、掻い潜って戻りましてございます」
「なんと! あの魔王を出し抜いて……!」
「流石は幸村殿じゃ!」

 頭を下げた幸村の周りで、皆が口々に褒め称える。
 しかし幸村はギリリと拳を握り締めた。

「――うむ! ようした、幸村!! 浅井に対して有利に同盟を結べたはお主の功じゃ!!」
「! お館様、それは……っ!」
「その功は後日十分労う故、まずはゆっくりと体を休めよ」
「――――は。ありがたきお言葉…」

 同盟は自分では無く、の功だ――そう言いたいのを堪え、幸村は深く叩頭して主の前を辞した。

 体は疲れている筈だが休む気にはなれず、屋敷に帰って早々、庭先で槍を構える。

「……だーんな! お館様に誉めて貰えたんだから良かったじゃない。今日くらいは休んだら?」

 いつの間にか縁側で頬杖をついていた佐助に、幸村は否とだけ答えた。

 小谷城――浅井の本拠であるあの山城に着き、毛利軍と共に搦め手側の敵を壊滅させた後。
 既に城内にの姿は無かった。
 長政も市も、元親も元就もその行方は知らないと言うし、進んで捜索も行ってくれたが、その内に出てきた目撃証言で幸村だけは状況を理解した。

 目撃した者の話によれば、決着が着いて勝鬨が上がった直後、が戦っていた辺りで赤い光を見たという。
 それは即ち、再びが不思議な力で飛んでしまったことを意味していた。
 戦中ならともかく、勝鬨が上がった直後というそのタイミングも幸村の想像を裏付けた。

 武田は関係なくただの『』として浅井に協力すると言いながら、彼女はあの勝鬨を聞いて、これで『虎姫』としての役目は終わった――そう思ったのだろう。
 真田隊の到着も知っていた筈だから、同盟が結ばれることも確信していたに違いない。
 その上で――幸村を信頼して任せ、故意に会わないまま姿を消した……。

「ふっ、はっ……!」

 一通りの基本の型を振り終えて、幸村はふと対の屋に目をやった。
 近江に出陣する前にはそこで療養していた独眼竜――伊達政宗も、信玄の許しを得て既に帰国していた。

 小谷城の戦いのほんの二日ほど前に奇襲で小田原を奪還したという政宗――その戦いに本人は立てなかったようだが、臣下だけに殺戮を行わせたその血塗れの小田原城に、その数日後には堂々と入城したのだという。
 卑怯だと――例えどんな大義名分があれど、女・子どもまで撫で斬りにしてしまうなど武士としてあまりにも卑劣な悪行だとも思う。
 だが、あの一報で豊臣軍が総崩れになったのも事実。

 汚名よりも、自分が守りたいものの為――また、大望の為。

 幸村も、自分が守りたいものの為に戦ったつもりだった。
 だが、それがどうだ。
 甲斐への帰路で尾張を通過する際、ほんの一瞬、離れた場所から織田信長を垣間見た。
 馬に乗っていたその姿を目にしただけで、全身に吹き出る汗――呑まれる、という感覚を始めて体験した。
 無事にその伏兵部隊を掻い潜ってこられたのは、その配置が分かりやすいものだったことと、佐助の指示による忍隊の働きが大きい。

「――情けない」
「……同ー感。ここにが居れば、同じことを言っただろうね」

 独り言に返された言葉に、幸村はきっと佐助を睨み付ける。
 いつもなら怒鳴り返すところだと自身で冷静に思いながらも、歯を食いしばって耐えた。

「……分かっておる。だから余計に己に腹が立つのだ」

 も政宗も、自分自身を磨り減らすようにして戦っている。
 それなのに、あんな遠くから魔王と対峙しただけで、気迫の段階で負けてしまった自分の何と不甲斐ないことか……
 このままでは、に求婚したことも鼻で笑い飛ばされて当然だ。

「――ぬぅぅぅぅぅぅぅ……佐助!! 相手をいたせっ!!!!」
「わっ、ちょっと旦那!?」

 焦りながらも、本気の幸村の太刀筋を軽々捌く佐助にすら嫉妬して、幸村はただがむしゃらに槍を振るった。






「佐助よ、あれは……元気そうであったか?」

 幸村隊帰還を一足早く報せた佐助に、信玄が問い掛けた第一声がそれだった。
 佐助はきつく目を閉じて、頭を下げる。

「すんません、大将。俺たちが入城した頃にはもう姿が見えず……。……姫さんには、会えませんでした」
「……そうか。後は幸村から聞く。ご苦労だったな、下がって良いぞ」
「………は」

 に一目も会えなかったことは佐助にとっては思いがけず辛いことだったし、報告した時の信玄も随分気落ちしていたように思う。
 だが、一番落ち込みそうな幸村だけは、それについては何の感情も見せていなかった。
 理由を問えばただ一言――「そうであろうと思っていた」と。

 それでも近江から戻って数日、幸村は欠かさず、通常の何倍もの時間を掛けて一人で黙々と槍を振るっている。
 何かを振り切ろうと……いや、打ち込もうとするように。

「……はぁ、全く、どうしたもんかね」
「まぁそう気負いなさんなって。人生なるようにしかならないもんさ。そんな辛気臭い顔してちゃ、女の子も寄ってこねぇよ?」
「うわぁ、やっぱり? 俺様そんな顔してた? うーやだやだ、に言われたみたいに、俺様ってばどんどん所帯臭くなってんじゃないの?」
「――?」

 城下の有名な菓子店――幸村が好きなここの菓子でも買って行って元気付けてやろうという心算だった佐助は、その店の軒先で思いがけない出会いを果たした。
 溜息混じりの独り言に反応したのは、見たことの無い男……しかし一目見て、どこかの武将だと当たりを付けられる相手だった。
 人懐こそうな顔と明るい雰囲気を持ってはいるが、筋肉の付き方が刀を使う者のそれだし、殺伐とした血の匂いも感じる。

 そんな相手が、佐助がうっかり零した『』の名に反応した――

「ああ、アンタ気配が無いと思ったら忍だろ? 姫君を呼び捨てる所からすると、真田忍隊頭の猿飛佐助ってところかい?」

 町人に変装していたというのにあっさり正体を見破られた瞬間、佐助は素早く懐に隠したクナイに手を伸ばした。
 だが、相手はそれを見て素直にうろたえ、けろりと素性を明かしたのだ。

「おっと、こんな町中で物騒なもん出すなんて、無粋ってやつだよ? ――俺の名前は前田慶次。アンタのご主人か、虎のおっさんに面会希望!ってとこかな」

 前田慶次――その名前を聞いて、佐助は目を見張った。
 前田家当主・利家の甥でありながら、家に仕えもせずに遊び歩いている風来坊で、当代一の傾奇者、類稀なる武を持っているなど派手な特徴が連なる人物である。
 普段は京都を根城にしているが、前田家から逃げ回り、一時期越後の上杉謙信を頼って身を寄せていたことから、対上杉の戦に出てくる可能性も有りと見て、佐助も調べたことがあった。
 実物を見るのは初めてなのだが……派手で奇天烈な容姿と言い衣装と言い、確かに気持ち良いくらい傾いている。

「ほい、独眼竜からの紹介状」

 そんな前田慶次は、佐助に連れられて幸村に会うなり、事も無げにそう言い、小さな文を無造作に投げて寄越した。
 慌てて受け取った幸村が広げた文には、簡単に慶次の身元は証明するから話を聞いてやってほしいとだけ書かれていた。
 敵である政宗の紹介状で信用するのもおかしな話なのだが……伊達は前田の主格に当たる。
 何より、話と言うのが他ならぬ彼女のことであったから――

「……そっか、それじゃあアンタたちにもの居場所は分からないってことか……しょーがない。自力で探すかー」

 一通りの話が終わった後、慶次はそう言って立ち上がった。
 わざわざ甲斐に来たことからしてもそうだが、どうやら慶次は本気でを探すつもりらしい。
 何の手がかりも無いのに、広い国中を探すのは余りにも無謀だ……ましてや、赤い光によって再び姿を消したが、この日本に…いやこの時代に居る可能性すら危うい。
 幸村も佐助と同じ意見であったのか、見送りに出ながらその些かも揺らがない背中に問い掛けた。

「前田殿――貴殿はに会って、どうするつもりでござる? には十年前の記憶は無いのだぞ」

 慶次が見せた貝合わせの貝……間違いなく、がお守りだと言って持っていたものの対である。
 本人は誰から貰ったものか覚えていないと言っていたが、慶次の話によると、十年前に偶然会い、数日行動を共にした時に渡したものなのだという。
 その彼の方でもまだ持っていたのだから、特別な思い入れもあるのだろう。
 幸村にとっては面白くないだろうし、佐助とてそれには変わりないのだが、純粋に興味はあった。

(独眼竜に会ってから、は別人みたいだったし……それをこの風来坊にどうにか出来るのか、是非とも拝見したいねぇ)

 幸村や佐助や信玄や……にとっての『家族』では駄目なのだ。
 原因と思しき政宗も、現時点では拒否されている。
 それならば、第三者との接触が何かしらの変化を与えるかも……。

 黙って見守る佐助の前で、慶次は幸村の真剣な瞳をしばし正面から受け止め、ゆっくりと口を開いた。

「アンタ、好きな子いないのかい?」
「な…な…何を突然……!」

 本当に突然だな、と佐助も珍しく主に同意した。

「照れることないよ、恋ってのはいいもんだ」
「こ…恋! 破廉恥であるぞっ!」
「なにが破廉恥だい。恋は人を強く…とても強くするんだ。アンタ、恋したことも無いのか?」

 その一言に、幸村は硬直したように立ち尽くした。
 それを見て、佐助はあーあと溜息を付く。

(――じゃなくて旦那が影響されてどうすんの。どうも、地雷踏まれちゃったみたいねぇ、風来坊の旦那に)

「俺はさ、確かめたいんだよ。成長したに会って……ね」
「……何を確かめると言うのでござるか」
「何って、そりゃいろいろさ。でも、それもアンタ達や伊達の人間に会って、半分くらいは分かったような気がするけどね」

 意味深な言い方に、幸村は首を傾げる。
 それと同時に佐助は目を細め、幸村と慶次が話し出してから初めて口を開いた。

「西だよ。あれから北には部下をやって方々探らせたけど、それらしい情報は入ってきてない。可能性だけなら、西の方が高いと思うけど?」

 慶次は少し驚いたように佐助を見つめ、やがておもしろそうに口元を引き上げた。

「はは、流石は忍だねぇ。その情報、有り難く信用させて貰うよ。どれだけ美人になってるか、早くに会いたいし」
「! 前田殿は、のことが好きなのか……!?」

 突如慌てたようにそう聞いた幸村に、慶次は面食らったように目を見開き、あはははと豪快に笑った。

「そういう事かい。通りでここに来るのに独眼竜がいい顔しなかった訳だ。……へぇ、もやるもんだねぇ。真田幸村、アンタはあの独眼竜と一人の女を奪い合う覚悟は出来てるのか?」

 一瞬、幸村の瞳が揺れたかと思うと、それは様々な変化を経て、いつもの熱血管な情熱を宿し始めた。

「無論でござる! を想う心は、この幸村、誰にも負けぬ!!」

 佐助は思わず笑みを浮かべ、慶次も感嘆して笑った。

 静けさを取り戻した甲府の町で燻っていた炎が、再び燃え始めていた。






071111
CLAP