62.覇王

「あれは…………豊臣軍ね、六平太」
「――気づいていたのか」

 単身長浜を出発して三日目。
 路銀は長浜城で働いた手当があったし、街道も整備されていたので、特に問題も無く旅は順調に進んでいた。

 しかし、目的の地蔵の元までもう少しという所で、は街道沿いの村で休息を取っている一軍に出くわした。
 遠目には旗印が分からず、うかつに近づかない方が良いかと木立の中に身を隠す。
 そうして、さてどうしたものかと思案している所に、この六平太が忍んで近づく気配を感じた。
 彼が早々警戒も無く現れるとなれば、目の前の軍は毛利か豊臣であろうが、毛利軍がこんな領外の村中で大っぴらに休息している訳がない。

「甲斐にも優秀な忍は居るもので」
「……真田忍隊か、一度手合わせしてみたいものだ」
「怪我だけじゃ済まないわよ?」

 豊臣だと気づいたことよりも、むしろ気配を悟られたことを意外に思っている様子の六平太に、は苦笑を返した。
 甲斐ではよく佐助と行動を共にしていたし、奥州でも伝説の忍とまで言われた疾風と共に居た。
 忍の気配には慣れている。

「秀吉が居るぞ」

 豊臣なら近づかない方が賢明かと踵を返したは、その言葉にぴたりと足を止めた。
 織田家の中で頭角を現し、一代にして西を制しつつある時代の覇王――半兵衛が全てを捧げて仕える相手。

「どうしてこんな所に? 豊臣秀吉は中四国を攻めている筈なんじゃ…… ! それじゃあ、同盟は上手く行ったのね?」
「ご明察」

 浅井と武田、上杉の三国同盟――戦国の世であるので、その結束は情勢によって変化していくかもしれないが、一先ずこれで近江の守りは固められたことになる。
 更に、毛利と長曾我部が浅井に味方したとなれば、仮の同盟を結んだに等しい。
 大坂に本拠を置く豊臣は、前後の国に手を結ばれ、呑気に一方を攻めている場合では無くなったのだろう。

「一旦大坂に引き揚げ、戻って早々に不穏な動きを見せた領内を見回りだ」
「それは……ご苦労様、ね」

 周りの国が手を結べば、秀吉が従えていた諸侯が浮足立つのも当然だろうに、遠征から戻ったばかりでもう軍を連れての『見回り』とは……何と言うか、随分と潔癖な人物のようだ。

「――会ってみたい」

 の知る歴史の秀吉とどう違うのか……いや、何を思い、闘っているのか。
 それを聞いてみたいと思った。
 信玄や政宗と同じように天下を狙う覇王に。

「六平太、手を貸して。どうせ千代様から私の道中を助けてやれって言われて来たんでしょ?」

 あの千代なら、そう言うかもしれないとは思っていた。そして、六平太には千代のお願いは拒めまい。
 世渡りに関しては強かなこの忍は、隠すことも無く大きなため息をついた。

「近頃は女難の相でも出ているらしい」
「イイ男の証拠じゃない」

 冗談交じりに茶化しながら、村に向かって歩き出した。





 ――「秀吉は、村長の屋敷に居るらしい」

 渋々ながらも探ってくれた六平太の言葉に従い、はこれも六平太が揃えてくれた村娘の格好をしてその屋敷の前までやって来た。
 気配を殺していることもあり、辺りに腰を下して休んでいる兵たちには不審に思われていないようだ。

 それでも油断しないようにさり気無く周りに気を配りながら、秀吉に会う為にどんな設定で屋敷を訪ねようかと考えて歩いている所に、ふと消え入りそうな『声』を聞いた。
 常人よりもはるかに鋭くなった聴覚が、屋敷の裏手に流れる川音の合間に、それを捉える。

 誰か――いや何か動物が川に流されているのかもしれない。
 か細く、それでも必死に足掻く……鳴き声だ。

 慌てて駈け出してその声の元を辿る。
 果たして、たどり着いた川原には、一人の先客が居た。

 そしてその場の光景に、はゆるゆると眼を見開く。

 膝まで川に入り、立っていたのは巨漢の武将だった。
 上背だけでも常人の優に二倍近くはあろうか。
 その身長に負けぬ、鍛え上げられた堂々たる体躯。
 荒々しい風貌に苛烈な眼光。
 何より、ふと視線を向けられただけで体を貫いたプレッシャー……覇気に、は思わず息を呑んだ。

 間違い無い。
 この男が、覇王・豊臣秀吉――

 しかし、奇怪なのは、その秀吉の手に首根っこを掴まれるようにして小さな子猫がぶら下がっていることだった。
 ニャーニャーと鳴く子猫の体はびっしょりと濡れている。

「……娘、これはお前のものか」

 掛けられた言葉に、ははっと気を引き締めて、首を――横に振った。

「いいえ。鳴き声が聞こえたから来たんです」

 の返事に微かに眉を動かした彼――秀吉にゆっくり近づきながらも、意外だと思うのは止められなかった。
 状況から見るに、川に流されていた子猫を秀吉自らが水に浸かってまで助けたらしい。

「貴方が助けてくださったんですね。ありがとうございました」
「お前の猫で無いのなら、礼を言う必要など無い」

 そう言って彼――秀吉は、子猫をさっと地面に下ろす。
 猫はしばらくふるふると震えるように体の水分を飛ばしていたが、やがて怯えながらも村の方へ走って行った。
 もっと上流から流されてきたのだろうが、食べ物の匂いでも嗅ぎつけたのかもしれない。

「誰かに飼ってもらえるといいんですけど」

 呟くように言ったを一瞥して、秀吉は川から上がる。
 どうやらかなり無口らしいが、話も通じない戦闘狂という訳でも無さそうだ。

 それを証明するように、を無視するでも攻撃してくるでも無く、さして興味もなさそうに口を開いた。

「我に何の用だ――か弱き女子の皮をかぶった武士(もののふ)よ」

 は思わず、隠していた懐剣を取って身構えた。
 そうしなければ後ずさってしまいそうな程の……一瞬で噴き出した大きな気迫。
 ぞわりと全身が総毛立った。

 流石ににも向かい合っただけで分かる。
 秀吉が本気になれば、がどれだけ万全の状態で抵抗しようと無駄だろう、と。
 ましてや秀吉はその拳を武器とするらしいが、の得意の弓は今ここに無い。

 じりじりと、頬を冷たい汗が伝った。

 元より、変装や演技は怪しまれず秀吉に会う為のものだったので、本人にまで通じるとは思っていなかった。
 いくら土地の者を装っても、言葉にその地の訛りがなければすぐに見破られてしまうだろう。
 だが、こうもあっさり呑まれるとは予想外だった。

「……フン…!!」

 地面に向かって振り下ろされた拳――それだけで地を割って襲い来た閃光が、波状の攻撃となってを襲う。
 懐剣に炎を乗せそれを周りに放つことによって何とか防いだが、腕がビリビリと痺れた。

「――用が無いならば早々に去ぬが良い。我も暇では無い」
「まっ…待って…!」

 突然背中を向けて立ち去ろうとした秀吉を、は反射的に呼び止めていた。
 自分でも、なぜそんな行動に出たのか分からない。
 ただ、知りたかったのかもしれなかった。

「どうして……なんで私を見逃すんですか? 貴方が本気を出せば……」
「我がこの拳を振るうは、この国を弱くする者、我が道を塞ぐ者のみ。戦意も無き弱き者になど、興味は無い」

 村娘に扮して突然入り込んで来た属性攻撃を持った者――密偵や暗殺者の可能性だって考えられるだろうに、たった一度の攻撃でそれは無いと確信したというのだろうか。
 それとも、が何をしようと露ほども痛くないということか……侮辱とも取れる言葉だが、それが彼なりの信念に照らし合わせた結果なのかと思えばそれほど腹は立たなかった。
 にとって敵でも、半兵衛にとっては絶対の存在であるように……それぞれが、それぞれの正義を掲げて闘っている――

「……貴方は、何の為に戦うんですか?」
「愚問なり。この国の為、国を強くする為以外に何がある?」

 国を強く……兵を強く、それが秀吉のやり方。
 が知る史実の彼と同じように、国外にまで手を伸ばそうと?

「そうやって軍事国家を作り上げて、異国からの侵略に備えようということですか? 必要さえあれば、こちらから朝鮮や中国に攻め入ることも厭わない……と? その為に困窮する民のことなど、大事の前の小事だとでも言うんですか!?」

 初めて、秀吉の表情が明確に変わった。
 は戸惑いながらもじっとその視線を受け止める。
 半兵衛の卑怯な策略によって力で土地を平らげているのも、子猫を助ける為に川に入るのも、同じ目の前の覇王を名乗る男だ。

「……炎を操り、広い視野と異国の知識を持つ娘。お前は……」

 は体に掛かるプレッシャーが強くなっていくのを感じながら、無理やり笑みを浮かべた。

「お互いに、名乗るまでも無く分かっているでしょう」

 秀吉はふむと一歩前に出て言った。

「ならば、我が友に敬意を表し、我から名乗ろう。我は――」

「――秀吉ッ!!」

 不意に割って入った第三者の声は頭上から高々と響き、驚く間も無く、秀吉との間に何かが落下した。――いや、着地した。
 濛々と立った砂埃の中に立っていたのは、傍らの崖の上から飛び降りて来たと思わしき人物――こちらも常人よりは大柄な偉丈夫だったが、非常に目立つ恰好だった。

 整った精悍な造作は一見しただけでも表情豊かで、秀吉と両極端に人間味に溢れており、今はその秀吉に対して怒りを露わに闘志を燃やしている。
 長い髪は高く一つに纏め上げられ、色鮮やかな羽で飾られている。
 わざと着崩したような着物に毛皮を巻き、手には身の丈以上ある長刀を携えていた。

「こんなか弱い女の子にまで手を上げるたぁ、ますます見損なったぜ! もうお前の顔は見ないと思ってたけど、アイツの――ねねの二の舞を生むってんなら話は別だ!」

 ド派手――という言葉が一番似合いそうなその青年は、勢いを付けて振ることで長刀の鞘を払い、それを秀吉に突き付けた。

「この前田慶次の目が黒い内は、もうあんなことはやらせねぇ!!」

 高らかに宣言された言葉に、は目を見開いた。

 ――「わたくしたちの甥の慶次が……」

 脳裏に蘇るのは懐かしい『友人』の声。
 そして、胸の奥にコトリと音を立てる『何か』――

「慶……次……」

 声に出して呟きながら、はただ茫然と目の前の背中を見つめていた。






071028
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