体調も戻り、肩の矢傷も大分塞がった――米沢城に入って十日目。
は、晴れない気分を抱えてとぼとぼと廊下を歩いていた。
「……退屈」
呟いた言葉は、真っ青な空に消えていく。
四日前、政宗と話して知りたかった答えを貰ったお陰で、以前のような猜疑や不安といった悩みは解消した。
部屋でもぐっすり眠れるようになり、病は気からというが、当初に比べれば気力も回復してきたと思う。
しかし、如何せん何もやることが無いは暇だった。
肩の怪我はまだ完治にはいくらかかかるので片腕はあまり動かせなかったが、体は元気だし、やろうと思えば大抵のことは出来る。
そこで、身の回りの世話をしてくれる女中に、掃除か料理か何でもいいから手伝わせて欲しいと言ってみた所、「とんでもございません!」と一蹴された。
一応現在のは、「政宗の恩人で客人」という扱いだから、手伝いなどしては彼女たちが困るのであろう。
ならば、暇な内に少しでもいろんな人と話をして、この時代のことや元の時代に帰る手がかりを聞きたいと思ったのだが、政宗や小十郎には多忙で会えず、その他の武将も然り。見ず知らずの侍たちは毎日異様なテンションで鍛錬に励んでいるし、女中や小間使いの人々も自分の仕事で忙しそうだ。
暇なが、彼らの時間を奪うのも憚られ、かくして途方も無い退屈を持て余すはめになった。
怪我が完治するまでの辛抱だと自分に言い聞かせて、こうして散歩でもする他無い。
思わず溜息が漏れたところに、は庭先を見て思考を停止させた。
「かわいい……」
意図せず漏れた呟きの先にあったのは、一つの雪だるま。
ご丁寧に顔まで付いていたが、だいぶ溶けかかっている。
そして、はたと気付いた。
ここは大分北の方だと分かっているが、季節は夏直前――流石に平地には雪など残っていないし、気温も十分温かい。
「一体どこから…?」
庭に下りて、近くからしげしげと眺めたは、そこから大分離れた場所にも同じようにもう一つの雪だるまがあるのに気付いた。
近づいてみると、さっきのよりは原型を留めている。
そこから更にもう一つ、もう一つ、と段々雪解け具合が少なくなっていく雪だるまたちを辿っていった先に、その人物は佇んでいた。
「あなたは……」
その意外な姿に、は目を瞠った。
完成したばかりと思われる雪だるまをぽふぽふと撫でていたのは、愛くるしい瞳をしたまだ幼い少女だったのだ。
少女もに気付いたのかこちらを振り向き、同じように驚いた顔をする。
「おめぇさ……もしかして、か?」
「え?」
驚いて立ち止まったに、それが肯定だと悟ったのか、少女はその無垢な瞳で天真爛漫に微笑んだ。
「オラ、いつきって言うだ。よろしくな!」
「えっ…いつきちゃんが、北の一揆衆の頭領!?」
「んだ。三月ばっか前に政宗たちに負けて、この城さ来たんだべ」
目の前の少女の言うことが信じられず、はその場に凍りついた。
どう見ても、せいぜい12~3歳じゃ無かろうか。
「――マジですか?」
「マジだべ」
真剣ないつきの言葉に、は頭を抱えた。
城の中になぜこんな幼い女の子が……と思ったのが、実は一揆衆の頭領で、しかも先頭に立って戦っていたなんて……俄かには信じられずショックを受けるの横に腰掛け、いつきは雪玉を弄んでいた。
のことは、政宗から聞いていたという。
「は政宗の命の恩人らしいな! あの政宗を助けるだなんて……は強ぇんだな! オラ、会ってみたいと思ってたんだべ!」
だから会えて嬉しいのだと、無邪気に語るいつきに、は顔を歪めた。
「いつきちゃんはどうして一揆を……?」
小さい女の子が武器を持って……と言い、いつきの武器だという巨大なハンマーを見つめたに、いつきは少しの沈黙の後口を開いた。
「は異国から来たらしいから分かんねーかもしんねーども……この国では、お侍や商人の食べてる米も、みんな百姓が作ってるんだ。オラたち百姓は、それが仕事で、田んぼが命だべ。だのに、お侍は戦ばっかして、オラたちの田んぼを荒らして焼いていく――そんなのがずっと続けば、オラたちも生きられねーし、米が無くなればお侍もみんな死んでしまうべ!」
は呆然といつきを見ていた。
現代から来たには馴染みが薄いが、この時代、人口の何割が百姓なのだろう。
きっと一握りの武家や商人を除いたほとんどがそうなのだ。
いつきが言っているのは、彼ら皆の言葉だ。
「自分では米も作れねー癖に、勝手に戦して台無しにしちまうお侍が、オラたちどうしても許せなかった。もう自分たちの手で、平和に田んぼさ作れる世の中を作るしかねぇと思った!」
こんな幼い少女が、自分の手を染めてまでして……そこまで追い詰められる、戦国と言う名の乱世。
ぞくり、との背が泡立った。
教科書の中でしか知らなかった苦難の世界が、いま確かに現実としてここにある。
「近隣や方々の村のもん集めて、皆で協力してオラたちは戦った――何も間違って無いと思ってた。だのに、一揆を鎮める為にやってきた政宗たちに……まるで歯が立たねかった」
いつきは、ぐいと目元を擦った。
その時の無念を思い出したのかもしれない。
戦闘になったなら、きっと人も大勢死んだのだろう。
いつきの仲間であった、多くの百姓たちが――
「オラ、悔しさと疑問でいっぱいだった。オラたちは間違ってねーのになんで神様は助けてくんねーのか、お侍は刀や力持ってる癖になんでオラたちを苛めるのか。そんな時、オラを殺さず助けた政宗は言ったんだべ」
――「戦なんてのはよ、この俺がすぐに終わらせてやる。とっとと天下統一して、お前らが安心して米を作れるような世の中を作ってやる。だから、お前らは戦なんかすんな」
は目を瞠った。
(天下…統一 ――)
戦国時代に生まれた武将なら当然の夢だろう。
少し考えたら分かっただろうに、は失念していた。
(そうか、だから政宗さんはあんなに嬉しそうに――)
先日、「政宗さんが作る世を見てみたい」と言った時の、彼の表情が甦る。
天下なんて大それた意味で言った訳ではなかったが、いつきの話を聞いて、あの時の言葉の想いは強くなった。
「この戦乱の世に、お百姓が安心して暮らせる平和な世の中を作る――なんて、政宗さんはスゴイね」
そんな世の中を、見てみたいな――
牢屋から出たあの日、丘から眺めた景色を思い出して、はそう言った。
いつきも強く頷いて、太陽のように笑う。
「オラもそう思っただから、オラ一人だけでも手助けしようと思ってここに来たんだ。田の神様から貰った力もあるしな!」
え? と聞き返したに、神様から田んぼを守る力を与えるという夢を見た直後に、空からこのハンマーが降ってきたのだと教えられた。
いつきのような少女になぜ第一線で戦う力があるのか――それが疑問だっただけに、驚いたような納得したような、奇妙な感覚だった。
(まあ、私なんて未来から来た訳だし……)
未来から人が飛ばされるのと、空から神様のハンマーが降ってくるのと、きっとどっこいどっこいに違いないとは半ば無理やり結論付けた。
更に雪だるまのことを聞くと、いつきがハンマーを振り回してどこからともない大きな雪玉を出現させ、は再度驚かされたが、もう何でも来いという心境だった。
「す…すごい力だね……便利と言うか何と言うか……」
「オラ、神様に貰ったこの力で政宗を助けて、絶対平和な世の中を取り戻してみせるだ!」
「――うん、きっと出来るよ」
強く頷いたにいつきは笑って、さらりととんでもない事実を口にした。
「まあ、強い敵は織田と武田だべ! 徳川はこないだ武田にやられたというからな!」
「徳川…って、まさか、徳川家康!?」
「なんだ、知ってただか」
「徳川家康が負けたって……その…首を取られたってこと!?」
「さぁ……オラは詳しいことは分かんねーけど……」
の迫力に押されて後ずさったいつきに謝って、は考え込んだ。
(徳川が……負けた? それに織田? 織田信長は、まだ生きてるんだろうか……)
の知っている歴史とは、違っているというのだろうか。
そもそも、の知る中では、伊達政宗は天下を取ることはできない………
いつきでさえ覚悟を決めて戦っているというのに、詳しくは無いが未来を知っている筈のは、小さなこと一つ一つにこんなにも怯えている。
「……私に一体、何が出来るんだろう……」
暗澹たる想いで口にしたに、いつきは妙にきっぱりと言った。
「にも出来ること……にしか出来ないことは、きっとあるべ」
なぜかその言葉が自信満々で、は少々面食らう。
「オラは畑の為、政宗は天下の為に戦ってるだ――は、何の為に何をするんだ?」
出来る・出来ないよりも、自分の信念が大事だ――
そう言われているようで、は苦笑した。
政宗にも子ども扱いされたが、正真正銘子どものいつきにまで励まされるとは……
「うん、そうだよね。大切なのは、私の心だよね」
歴史だって……変わらないとどうして言えるだろう。
未来人として、例え変えてはならないのだとしても、は今この時代で生きている――その場を生きる人間が未来を選択して、何が悪いというのだ。
「ありがとう、いつきちゃん」
いつきと同じように雪を弄っていたは、笑顔で掌に乗った小さな雪だるまを差し出した。
にっこりと嬉しそうに笑ったいつきが、年相応に可愛くて――はしっかりしなくては、と自分を奮い立たせた。
060619