――正直言って、驚いた。
それがの感想だった。
伊達家の本拠地であるこの米沢城に来て、政宗と再会したあの日――
突然白斗に乗せられ、連れて行かれた先は、見晴らしの良い丘の上だった。
矢傷も痛んだし、一昼夜飲まず食わずだった体は悲鳴を上げていたが、そんな状態でもはその景観に声を失った。
広大な城と城下が見晴らせるその場所からは、更に周りを取り囲む街道や川や遠くには海だか湖だかの海岸線まで見えた。
季節柄青々とした木々の緑が風に揺れ、盛りの花々があちこちを彩っている。
何より、晴れ渡った空の下で輝くその世界が、ひどく平和で穏やかで、活気という名の生命の息吹に満ちていたから――
「キレイ……」
は思わずそう呟いていた。
政宗はそのシンプルすぎる言葉に一瞬驚いたようだったが、すぐに「そうだろう」と笑った。
得意そうに笑うその笑顔の下には、戦国時代の中でこの平和の為に投げ打ってきた辛苦があるのだろうかと純粋な興味を抱いた。
そのまま、はてっきり、その場で一から十までの詰問を受けると思っていた。
いくら戦で伝令のような役目を果たしたとは言え、怪しい者であることに変わりは無い。
その問答如何では、当然自分の命さえ危うい。
体の衰弱でろくに働かない頭で、はおぼろげに緊張していた。
ところが――
「おっと、あんま遅くなると小十郎のヤツが五月蝿いからな、そろそろ帰るか」
そう言うと政宗は、行きと同じようにを後ろに乗せ、あっさりと城に戻ったのだ。
その後、休む為の部屋を用意していてくれた小十郎に迎えられ、その部屋までは自力で歩いたものの、その後の記憶はぷっつり途絶えていた。
次に目を覚ましたのは翌日で、消化しやすい食事と薬湯を貰い、体を拭いて貰って手当てを受け、着替えまで与えられた。
怪我で発した熱が中々引かず、更に三日三晩を寝込んだが、四日目――この部屋に入って六日目の今日にしてようやく起き上がれるくらいに回復した。
あの日以来、政宗には会っていない――小十郎に聞いたところ、仕事に追われているのだと言っていた。
政宗と話せないのであれば代わりにと、小十郎にすぐにこの城を出る旨を伝えれば、彼は穏やかに微笑んだ。
「政宗様から、体をしっかりと癒し、その後も好きなだけ逗留させろ、と言い付かっております。何も心配はいりません」
心配はいらないと言われても――
は予想外の展開に戸惑った。
何も聞かずに、我ながら怪しいとしか言いようの無いこの自分を、簡単に城の中に住まわせるとは――
何となく、この時代はもっと『情』などというものとは縁遠いと思っていただけに、は驚きを隠せなかった。
この世界で目覚めて既に十日。
季節は、現代と同じくもうすぐ夏を迎えようとしている――
至れり尽くせりとはまさにこの事だろう。
そう思わせる状況に置かれているは、そっと溜息をついた。
三食・昼寝・侍女付き……おまけに、何か欲しいものがあれば遠慮無く言って良いとか、城の中も自由に歩き回って良いとか……余りにも好待遇すぎて、喜ぶ前に戸惑ってしまう。
そんな事を言われても流石にうろちょろしてはマズかろうと、今この時も本当は大人しく部屋で寝ていようと思ったのだ。
だが、整然と整えられた部屋の中では何だか落ち着かず、こうして軽い散歩に出てしまった。
その途中に人の気配の無い小さな池を見つけ、行儀が悪いとは思いながらも、短い石橋に腰を下ろしてぼんやりと水面を眺めていた。
その頭の中には、猜疑心や不審感といった目に見えないものが靄のようにうずまいている。
(だって、もし私が敵だったら……)
平和な時代でぬくぬくと育ってきたでさえそんな事を考えるのだ。
戦乱の世で、暗殺や裏切りや奇襲が当たり前の世界――そんな所で、ここまで良くして貰えるなんて。
(うまい話には裏がある……)
決して好きな言葉ではないが、平成の世でも格言となっているくらいだ。
ましてや、この異質な世界の中では、未来から来たが頼れるのは自分の身一つ。
自分の身は、自分で守らなくては……
「はぁ……なんか、嫌だな……」
「何が嫌なんだ?」
溜息と共に出た独り言に問いが返って来て、は飛び上がらんばかりに驚いた。
「政宗…様……!」
首を巡らすと、幾分疲れた表情の政宗が頭を掻きながら近づいてくるところだった。
こんな所に座っているのは失礼に当たると思い立ち上がろうとしたが、軽くそれを制され、政宗自身もの横に腰を下ろす。
そしてが口を開く前に、大きくその場で伸びをした。
「あぁー……やっぱこの時分の陽気は気持ちいーな。この池が気に入ったか?」
「えっ……あ、そうですね……このサイズが自分の身の丈にあっていて落ち着くというか……いえ、あの……すみません」
反射的に答えながら、人様の庭の池を小さいと言ってる失礼極まりない自分に気付き、とにかく謝っただったが、政宗から謝る必要は無いと返された。
「ここは俺が子供ん時によく来てた場所でな……懐かしいぜ。俺も似たようなこと思ってたからな」
「政宗様がですか?」
意外だ、というように目を瞠ったに片眉を上げて、政宗はじっとを見た。
「――」
「…はい」
改めて名を呼ばれ、は思わず背筋を正した。
今度こそ何か聞かれるのだろうか……緊張した心持ちでじっと見つめ返すと、政宗は真剣な顔のまま口を開いた。
「俺の名を呼んでみろ」
「……へ?」
「いいから、言え。hurry」
強引な迫力に押されて、訳の分からないまま答えた。
「政宗…様」
「それだ」
どれだ? と思ったに、政宗はあからさまな溜息をつく。
「アンタ、最初は様付けなんてしてなかっただろ」
言われた言葉に、はぱちぱちと目を瞬いた。
「それは…最初にお会いした時は、貴方が奥州を率いる方だとは知らなかったので……あ! あの時は、とんでもない失礼の数々で、本当に申し訳……」
「Stop! 俺が言いたいのはそういうことじゃねぇ。それに、俺はあの時の威勢と度胸が気に入ったんだ――この独眼竜を試すほどのな」
「だっ…だから、あれは――」
焦ってうろたえたに、政宗は声を上げて笑った。
「切れ者かと思えばただの小娘だったり、忙しい奴だ」
まあ、今は養生しろ――そう言って腰を上げた政宗に、は更に焦って思わずその手を掴んでいた。
「それだけですか!?」
「あ?」
「他に聞くこととか無いんですか? なんで戦場に居たのかとか、どこから来たのかとか…!」
「――聞いて欲しいのか?」
思わず言ってしまった言葉を、政宗から確認されて後悔するなんて、我ながら馬鹿だと思う。
詰まったに、政宗は捕んでいた手を振りほどいて言った。
「言いたくねぇのを無理には聞かねーよ。アンタは恩人だからな――おっと、そういやあの時の礼がまだだったな。矢傷まで受けながら、良く本陣まで走ってくれたな……白斗も誉めてたぜ、Thank
you.」
こんなに高い身分にありながら、あっさりと素直に礼まで口にした政宗に、は言葉にならないもどかしさを感じた。
「いくら恩人だって言っても、貴方も言ってたじゃないですか――あんな状況で突然現れて、敵じゃ無いって信じる奴なんかいないって」
「んじゃー、敵なのか?」
「違います!」
「だったらno problemだ」
「そんな!」
「そんなってお前……結局は聞いて欲しいのかよ」
政宗から言われて初めて、それを自覚したは赤面した。
これではまるで子ども扱いだ――聞き分けの無い子供。どうして欲しいかの自覚もなく、ただごねて相手を困らせるだけ。
自分がひどく嫌になった。そして悔しい。
対等に扱って貰えないほど、情けない自分が。
「……騒いですみませんでした。片倉様から、好きなだけ滞在して良いというようなことをお聞きして、驚いていたので、つい……」
謝罪しながらも顔が上げられなかったに、なるほどな…と呟くと、政宗はの腕を掴んで無理やり立たせた。
「なら、聞くが、はどこから来た? なぜ異国の言葉を扱える?」
「……私はここでは無い、小さな島国の出身なんです。異国人も大勢立ち寄るので、そこでは大抵の人は簡単な異国語を知っています」
まさか英語まで怪しまれているとは思わなかったが、とっさの返答は嘘と言う訳ではなかった。小さな島国というのが日本全体を指し、未来だというのを言わなかっただけだ。
――未来から来ました。なんて、黙っている方が良い。
そもそも、信じてもらえないだろうし、例え信じて貰えても歴史を語ることなど出来ないのだから余計な混乱を生むだけだ。
「Ahーなるほどな。九州の南の方の島国は、独自の国の文化を持ってると聞いたことがある。あそこは異人の船が良く立ち寄るらしいな? 九州の商人とは商いのやり取りがあるのか?」
政宗が言っているのは恐らく沖縄のことだろう。
無難に話を合わせて頷き、ついでにそれを利用させてもらうことにする。
「はい。私の父は商人で、今回は私も付いてきたんですが……九州でもっと北のほうにも荷を届けて欲しいと言われまして、ひたすら街道を進んでいたんです。けれど、初めての土地だったので……」
「道に迷って戦場にも迷い込んだって?」
「……いえ、その辺りが私にもよく分からないんです。野宿していた筈なのですが、目が覚めたら貴方と初めて会った場所に一人で居て……」
自身胡散臭いと思ったが、それ以上はどうしようも無かった。
そもそも、本当に分からないのだから、説明のしようが無い。
「あー…夜盗にでも攫われたか? いや、それにしてもな……まぁいい。最初は俺も敵かと疑ったが、アンタは人を殺したことが無いだろう」
「え? はい」
とっさに頷いたに、気配で分かると政宗は言った。
「俺を殺しに来る奴が、素人な訳ねぇ。俺の太刀をかわしたのは、ありゃマグレだろ」
死ななくてLuckyだったな、と簡単に言われ、笑顔が引き攣った。
「敵じゃ無いし、恩もある。何より、俺が気に入ったっつったろ? ――これでお前が気にしてるreasonには足りたか?」
悪戯っぽくニヤリと笑って寄越した政宗に、は目を見開いた。
理由――そうか、自分は自分で納得できるだけの理由が欲しかったのか。
そう納得すると、は思わず笑ってしまった。
結局は、最後まで政宗に答えを与えてもらったというわけだ。
なんて人の心の機微に聡い人だろうと思う。洞察力が並外れている。
「――全く敵いませんね。充分です、ありがとうございました……政宗さん」
どうも、様付が気に入らなかったようだったので、お礼がてらにそう言うと、政宗は眉を上げてgood.と笑った。
ところが、その笑顔はすぐに真剣な表情になる。
「ついでに、俺からもう一つ質問だ。――なぜ、アンタを殺そうとした俺を助けた? なぜ……俺の代わりに本陣に走ろうなんて言い出した?」
はこちらの真意を探るように見つめてくる政宗を見返した。
置いてもらえる理由が分からずが不安だったように、政宗もその理由を気にしていたのだろうか。
「……助けた理由は、あの時言ったように、白斗が貴方を連れてきたからです。確かに、また殺されそうになったらどうしようとは考えたんですが……怪我人を放っておくのも気が引けましたし」
今思えば、相手が政宗でなければ確かに危険な行為だっただろうが、あの時は自分のことで精一杯で、深く考えている余裕も無かった。
「政宗さんの代わりに――と言ったのは……そうですね、見てみたいと…思ったからでしょうか」
「……What?」
「私の国では、戦はありません。ですが、身分が高い人は一般人…民のことなんてほとんど気にかけず、自分たちの出世ばかり考えてます。この国は戦乱のただ中なのに、政宗さんは自分の手柄よりも民の生活を守ることを優先したから――そんな政宗さんが作る世を、見てみたいと思ったんです」
心底驚いたように目を瞠った政宗に、は先程とは逆とばかりに笑いかけた。
「これで、政宗さんが望むreasonには足りましたか?」
覗きこむように尋ねると、政宗も口の端を上げた。
「ああ、上出来だ」
嬉しそうな政宗の顔に、も何かが一つ返せたような気がして心から微笑んだ。
「――それから、いろいろと……ありがとうございます」
手当てしてもらったことや、城に迎え入れてくれたこと、そして牢から出た直後に連れ出してくれたことや、今もこうして気遣ってくれたこと………何やら情けなくて、全部ひっくるめて礼を言うと、政宗は即座に、You
are welcome.と笑った。
元の時代とは遠く隔たったこの場所で、こんなに安心している自分がは不思議でならなかった。
060619
CLAP