59.竜と虎

 その夜、深更――
 不意に気配を感じて、政宗は半身を起した。
 隠すつもりも忍ぶつもりも無いそれは、とてつも無く大きな覇気と、殺気にも似た強烈な気迫。

 幸村が不在の甲斐にあって……いや、例え幸村が居たとしても、これほどの気迫を持ち合わせた人物となると一人しかいない。

 政宗は驚きを感じながらも、寝ていた布団を片付け、簡単に夜着を整えて座した。
 傷に障らない訳では無いが、我慢できない痛みでも無い。
 その動作だけで微かに乱れた息を整えた直後、障子ごしに低い声が掛けられる。

「――起きておるか」

 分かり切っていながらも尚も問うその訪問者に、政宗は小さく笑った。

「ああ。welcome――人の家だが歓迎するぜ、信玄公」

 意外な訪問者――この甲斐の領主であり、の父である武田信玄もチラリと笑い、障子を開けた。

 灯りも無い室内で、微かに届く月光の下、初めてまみえる竜と虎の視線が交差する。
 鋭く静かな眼光の鬩ぎ合いを断ち切ったのは、信玄の方だった。

「こんな夜分にすまぬな。雑事を片付けておったらかような刻限になってしもうた」
「別に構わないぜ。こっちは一日中寝たきりで、いい加減眠るのにも飽き飽きしてたところだ」

 室内の小さな燭台に一つだけ火を入れて、信玄は政宗と対峙するように座った。
 供も連れず、こんな深夜に忍ぶようにしてこっそりと……奥州の王である政宗と会うにしては余りにも礼を欠いているが、先に礼を欠いたのは無断で領内に進軍した伊達であるので、政宗にとっても勿論文句は無い。
 文句は無いが、自分の供も小十郎も遠ざけ、信玄自らが政宗の元に足を運んだのは意外だった。
 会うとしたら、躑躅ヶ崎館に引き出され、敵大名として自害を強要されるぐらいだろうと思っていた。

「お主とこうして直にまみえるのは初めてじゃの、わしが武田信玄じゃ」
「初めてお目にかかる、伊達政宗だ」

 ふむ、と一つ頷いて、信玄は政宗の目を真正面から見据えた。
 少しでも気を抜けば取って食われてしまいそうな……試すようなその眼差し。

「まずは、我が娘を長きの間保護し、そして此度は身を挺して助けてくれたこと、礼を申す。そして、先日奇襲でもって貴殿の町と城に土足で踏み込むような真似をしたことを詫びよう」

 政宗は少し驚いた。
 竹中半兵衛の姦計が働き、体面上は、"伊達が武田の末姫を攫って捕らえていたから、真田幸村率いる武田軍が米沢を襲撃した"――となっている。
 それが間違いであったとこうして信玄自らが口にし、政宗に頭を下げた以上、武田は伊達に対して謝罪する用意があるということだ。

 いくら憎い敵であろうとも、過ちは認め、仁礼は返す――『甲斐の虎』は噂通り、義に厚く大きな器を持った男のようだ。
 ならばこちらも、相応の礼は尽くす。

「それはお互い様だ、信玄公。衝突は無かったとは言え、こっちも無断で甲斐領内に進軍したことには変わりない。その上、敵であるこの身に療養の場を与えてくれた。こちらこそ礼を言う」
「なに、娘を庇って負った傷だ。責任持って治療するが道理よ」
「その道理が当たり前じゃ無いご時世なんでね」
「はっはっ、確かに。だからこそ、乱世など早く終わらせねばならぬ。――のう、そう思わぬか、伊達の」

 政宗も真っ向から信玄の視線を受け止める。
 虎の牙にかからないように、眼光を緩めないままゆっくりと告げた。

「同感だな。だからこそ、誰かが終わらせなきゃならねぇってんなら、この俺が、この手で終わらせる」
「……天下をその手に握ると言うか、若き竜よ。この日の本を取って何とする? お主の求めるものは何だ――富か、力か、栄誉か」

 片眉を上げて問いかけてきた信玄に、政宗の脳裏にとある光景が蘇って来た。

 ――「……どうしても、ですか? それは、勝つ為に? 勝って、出世を…手柄を取る為に?」

 血に塗れてズタボロになった政宗相手に、初対面で命を狙われたにも関わらず、目を逸らすこともなく非難してきた無力な女。
 初めて会った重症の政宗の為に、本当に何の力も無い身一つで戦場を駆け抜けた。
 懐かしい……まだ一年も経っていない、あの出会い。

 政宗は目を伏せ、鼻を鳴らして笑った。
 そしてあの時と同じ台詞を返してから言葉を続ける。

「Ha、Nonsence! そんなもんはどうでもいい。戦だ、領地拡大だと武士(もののふ)は刀ぶん回して暴れてりゃいいが、それで一番割を食うのは農民や商人……その地に暮らす力を持たない人間だ。ウチにも一人、農民代表して一揆起こしたガキがいるんでね。そいつらに約束した手前もある。――俺が終わらせる。この独眼竜が、天下を一飲みにしてやる」

 同じく天下を目指す信玄相手に、これでは喧嘩を売っているも同じだった。
 だが、相手は安い挑発などには乗らず、黙して静かに問いかける。

「……その為に、修羅になる覚悟を決めたか」

 はっとして、次いでそういうことかと合点が行った。
 小田原征伐の指示――耳は無かったと思ったが、流石に武田の忍は優秀らしい。
 そして信玄は、それを耳に入れたからこそ、こうして政宗と会う気になったのだろう。

「そんなお綺麗なもんじゃない」

 冗談めかして言う政宗に、信玄は頷いた。

「さよう、政は綺麗事だけでは立ち行かぬ。無論、見かけの綺麗事も必要じゃがな。――されど、無用な恐怖は和を乱し、人心離れ、乱の元となり荒廃を招くは必定……魔王を名乗る尾張のうつけ然り、覇王を名乗る西の山猿然り。それでもお主は、無益な殺生と血を望むか」

 ――「貴方が時間までに目的地まで辿り着ける見込みは果てしなく低い。その勝算と、得体の知れない私……どちらを選びますか?」

 自尊心と領主として国や罪も無い民を優先させることのどちらを取るのかと、無防備な身一つで叩きつけてきた真っ直ぐな瞳。
 どうしても信玄を通して見てしまうその面影に、政宗は自嘲の笑みを漏らした。

「すぐに人を試したがる癖は血筋なのかい? アンタとはソックリだな」

 今まで一度も触れなかった名前を唐突に口にした政宗に、今まで山のように動かなかった信玄の表情がぴくりと動いた。

「無益な血――か。戦の犠牲になるのは、いつも力の無い奴らだ。だからこそ、力を持った奴がどうにかしなけりゃならねぇ」

 政宗には力がある。
 絶望に泣き暮らした幼き日々、無力感に苦しんだ元服間際の頃、そして失った存在の大きさを思い知った時――いずれも、強くならなければ前に進めなかった。
 だからこそ、誰ももうそんな思いをしなくて済むように……

 だが、そんな純粋な気持ちの皮一枚隔てたところに、醜いもの・邪魔なものは全て闇に沈めてしまえば良いと思う獰猛な獣が居る。
 確かにその獣は無益な血をこそ望んでいるのかもしれない。

 表裏一体――どちらも、政宗であるもの。

「小田原を落とすこと……仕置きとして力を示すことは、今の俺に必要なことだ」

 言い切った政宗を、信玄は黙って見つめてきた。
 まるでに無言で責められているような錯覚を抱くが、いま目の前に居るのは、政宗が唯一気を許せる女では無く、一瞬たりとも気を抜けない敵大名だ。
 政宗は睨み合ったままの視線をふと断ち切り、開け放したままの障子から覗く月を見上げた。

 風が庭の梢を揺らす音が微かに響き、ひやりと澄んだ沈黙が室内を支配する。

 政宗の奥州筆頭としての存念は話した。
 話は終わった筈なのに立ち去らないということは、信玄はそれ以外の話もしに来たということだろう。
 隻眼に映った月は、と初めて会った日と同じように大分満ちたそれだった。
 満ちて、それでも満月でも半月でも三日月でも無い……中途半端な月。

「――俺は、欲しいものは例え何であろうが……誰であろうが、力づくで手に入れる。拒むなら、蹂躙し、跪かせてでも従わせる」

 ぞわりと政宗の全身が総毛立つ程の殺気が、静かに座している信玄から膨れ上がった。
 愛娘のことをそんな風に扱うつもりかと、雄弁に物語る怒りだった。

 最初から殺気に近い程の憎悪を向けられていることは分かっていた。
 の父親である信玄にそういった感情を向けられることは、政宗にとっては複雑だ。
 娘の相手であると認識しているからこその嫌悪だとは思うのだが……相手はただでさえ幸村を息子のように可愛がっている以上、分が悪すぎる。

 政宗は身を斬られる程の虎の殺気の前で静かに瞑目し、言葉を継いだ。

「前までは、そう思ってた。だが、一人の女に逢って俺は確かに変わった……と思う」

 凪いだ海のように鎮まった勘気の前で目を開ければ、それでも憮然とした表情の信玄と眼があった。

「何が何でも欲しい――欲しいが、無理強いはとてもじゃ無いができねぇ。……信玄公、アンタこういう気持ち、分かるかい?」

 苦笑して問いかけた政宗に、信玄は長い沈黙の後、深く大きなため息をついた。

「分かるに決まっておろう、若造。わしも若い頃は、アレの母親に頷かせるまで随分苦労したものじゃ」

 この厳つく暑苦しい見かけからは想像できない言葉に、政宗は思わず目を瞬き、次いでニヤリと笑うと口笛を吹いた。

「やるじゃねぇか、おっさん。そういやぁ、甲斐の虎は若い頃遊び人だったと聞いたことがあるが、看板に偽り無しってわけか?」
「調子に乗るでないわ、小僧。わしは、断じてお前なぞに可愛い娘はやらん」
「Oh~、そいつは横暴だぜ、father。この俺のどこが不満だってんだ?」
「どこもかしこもじゃ。そもそも、たった一度や二度拒まれたからといってその本心を汲んでやる器量も無く、あっさり引き下がるなど以ての外よ! 物分かりが良すぎるにも程があるわ!」

 政宗はぱちりと瞬いた。
 娘を持った父親の心境というのは、ひどく難しいものらしい。
 それにしても、この大きな武田信玄という大名をただの父親にしてしまえる辺り、流石自分が見込んだ女だけはあると思う。
 そう思うと、思わず苦笑が零れ落ちる。

「何だよ、物分り悪くても……引き下がらず浚ってっても良かったってのか?」
「良い訳があるか、小童! あれだけ泣かせておきながらまだ欲しいなど……」
「……Ha、I'm conscious, too. そんなことは分かってんだよ……矛盾してるってことはな。だが、俺も引き下がりっぱなしじゃねぇぜ。特に真田幸村に対しては、な」
「ほぅ、幸村に聞いたか」

 信玄の目が今度は『息子を持った父』の感心したそれになり、政宗は溜息をついた。

「怪我人の床に押しかけてきて、開口一番に『貴様には渡さぬ!』だとよ」
「あやつも言う時は言うものよ!」
「オイオイ、信玄公。幸村を息子みたいに可愛がるのはいいが、に関してはfairに…公平に頼むぜ?」
「ふむ、公平か……わしはな、伊達の。此度のことでは、いろいろと思う所があった。無益な争いや殺生は人の道に反するが、相模は確かに一度、伊達が北条を下して手に入れた土地……その後すぐに横から浚った豊臣に仕置きとして武を見せ付けるは、覇者たるものには必要でもあることよ」

 すいと流れるように懐から何かを取り出した信玄は、そのままそれを政宗に投げた。
 突如空中に放り出されたそれを、政宗は反射的に受け取る。

「しかし、自らが手を下すならまだしも、国主は手を汚さず、ぬくぬくと安全な場所から命じるだけなどとは如何にも卑劣で言語道断―― 一言怒鳴り飛ばしてやろうと思っておった。だが……」

 指を開き、受け取ったものを見た政宗はゆるゆると目を見開いた。

「わしには何も言えぬわ。汚名も厭わず敢えてこの時に動いたお主に――それがの為であると分かっていながら、父であるわしには何も言えぬ。例えば、そんな芸当は幸村には出来まい。修羅になるにはあやつは優しすぎる……そしてまだまだ未熟じゃ」

 信玄は年齢を感じさせない動きですっと腰を上げ、片手に持った扇子を政宗に突きつけた。

「此度わしは、の縁談について名乗りを上げた幸村に『に異存なくば許す』と言った。これは公平にする為のハンデじゃ。今はお主の方に分があるからな」

 貰えると思ってもいなかった言葉と掌に乗ったものの両方に、政宗は目を見開いていた。
 信玄は去り際、ちらりと横目で政宗の掌中を見る。

「此度のお主の決断についての礼――いや、修羅に身を落とした独眼竜への祝いということにしておくか。……がずっと大事に…不自然なほど厳重に仕舞い込んでおったものだ。お主ならば心当たりもあろう」

 それは、まだ何も知らずに奥州に居た頃……が弓兵隊長屋に引越した日に、政宗が城下で買ってやった飾り紐だった。
 驚かせようとした訳では無いが、渡すタイミングを逸していた為に、晩酌の途中で突然直接付けてやると、ひどく驚いて嬉しそうに笑った顔が脳裏に焼きついている。

 疾風を通して短刀が返されたように、こんな些細なものの存在など、政宗も今の今まで忘れていた。
 ――それを、後生大事に隠すようにして持っていたという

「……は、祝いでもハンデでも上等だ。信玄公、俺にこんなもん渡して調子付かせたこと、すぐに後悔することになるぜ?」
「………………もうしておるわ、小僧めが」

 その言葉を最後に、竜と虎の深夜の密会は終わりを告げた。

 そしてその三日後――政宗の命令通りに小田原城攻めは冷酷なほど徹底的に遂行され、独眼竜の名は畏怖を持って天下へ広がっていくこととなる。






071001
CLAP