58.Hell Dragon

 さわさわと鳴る葉擦れの音を聞きながら、政宗はゆっくりと隻眼を開けた。

 甲斐・真田幸村の屋敷に運び込まれ療養を始めてから、既に半月近くが過ぎようとしていた。
 一時は生死の境を彷徨ったらしいが、覚えていないのだから当の本人にしても他人事だ。
 医者からは治りが早すぎると驚かれ、小十郎からは懇々と説教を食らった。
 奥州筆頭としてあるまじき行動云々という話は置いておくにしても、その説教にのことを持ち出されると平静ではいられなかった。

 ――「泣いておりました。全部自分が悪いと言って、ひどく打ちひしがれた様子で……見ているこちらが辛いほどに」

 泣かせるな、と暗に言っているのだとは分かったが、政宗とてわざわざ泣かせたい訳が無い。
 この甲府での噂やの立場についても、ほぼ正確に把握している自負はある。
 政宗の存在や身を挺して庇ったという事実が、が必至に築き上げようとしていた『甲斐の虎姫』の風評に傷を付けてしまったことは、政宗とて本意では無かった。

 それでも……

 それでも、深手を負った政宗を前にしてひどく取り乱したという話を聞けば、やはり嬉しいと思ってしまう。
 それでも、の代わりに自分が怪我を負ったことで、結果的に苦しめたのだと言われれば辛い。


 政宗は、ここ数日何度もそうしたように、自分の手をじっと見つめた。

 ――「私、すごく心が弱いんです。こんな私じゃ、政宗さんの傍にも、武田にも居られない」

 だから今は何もかもから逃げる――そう言って苦しそうな顔をしていた……繋がれた手は震えていた癖に、強がりばかりを言って……
 きつく握られたその手の強さが、の心を表しているような気がした。
 あんなに心細げなは見たことが無い。

 米沢で別れた時、助けを求められたにも関わらず、掴めなかった手――

 今度は縋るように繋がれたその手が、口付けられた場所が、抱擁もキスも、どれだけ政宗を掻き乱しているかなど、あの存外鈍感な娘はさっぱり気付いていないに違いない。
 政宗が怪我したことにしても、きっと自分ばかりを責めているに違いないのだ。

「ッ……shit……!」

 舌打ちしてその手で顔を覆った。

 本当は分かっている。
 今までと同じに、ただの友人のようにを手元に置くことは出来ない。
 かと言って自分の望む通りに……一番近くに置くことは、もっと難しいのだろう。

 互いの立場も分かっているし、奥州筆頭としての本来の責務も忘れた訳ではないが、こうしている一瞬一瞬にも、こんなにも会いたいと思ってしまう。
 なぜこうも上手く行かないのだと苛立ち……いや、ほとんど悲しみに近い苦しい想いばかりが募る。
 自分の行動が間違っていたとは思わないが、どうしても何通りもの『もしも』を考えてしまう。

 ――後悔という言葉など知らないと、何度も自分に言い聞かせなければやりきれない程に。


 がこの部屋から消えた翌日、ほとんど全てを傍で見聞きしていた小十郎は、政宗に言った。

「政宗様、貴方はと出会って変わられた。だが、そのお心が真実本気だと言うのなら、更に変わらねばなりません」

 どう変われというのかと聞くと、顰め面を更に大真面目にしてこう言った。

「女を追いかけるのでは無く、追いかけられる男になれば良いのです」

 いくらかの空白の後、政宗は笑った。
 そんな男は最高にcoolだと思うが、あのが自分の立場や責任に唾を吐いて、一人の男を追いかける姿など想像も出来ない。


 それから数日が過ぎ、躑躅ヶ崎館にからの文が届いたと幸村から知らされた。
 は渡さないと、突然の宣戦布告を突き付けられた日のことだ。
 政宗が恋敵であるからか、敵である奥州筆頭であるからか、恐らくその両方が原因だが、手紙の内容までは教えられなかった。
 それでもどこまでも律儀な幸村は、数日留守にすると言い置いて、その足で発っていった。
 その性急さと幸村が纏っていた空気は、不穏なものを感じるには十分だった。

 の身に何事か起っているに違いない。
 幸村が一軍を率いて出かける程だ――武田として動いていると見て間違いないだろう。
 ただを助ける為だけでも信玄は動くだろうが、その場合は忍を遣わせればいいことだ。
 わざわざ武田として大っぴらに動くということは、何処かしらの勢力と関係しているということ……そしていまが接触しそうな国と言えば……

 思案に暮れていた政宗の元に、答えは思いがけない方法でやって来た。
 突然、西に偵察にやっていた筈の疾風が姿を見せたのである。

 武田にとっては敵である政宗がここに滞在する代わりに、小十郎以外の伊達の者との接触は禁じられていた。
 その小十郎も一人での外出は許されていないから、二人してこの屋敷に軟禁状態ということになる。
 厳しい監視が付けられていることも知っていた。

 流石の疾風でも、猿飛佐助以下、真田忍隊が常駐していた時は隙が無かったようだが、幸村が出陣し、佐助を筆頭としたその半数が共に屋敷を空けたことで、ようやく忍びこめたらしい。

に会いました」

 挨拶も前触れも無しに、開口一番に伝説の戦忍はそう言った。
 そして続けられた詳細に、政宗は独眼を細める。

 やはり、近江の浅井――――そして、長曾我部元親。
 元親と言えば、今でこそいずれ敵になるご時世だが、以前は政宗とよしみを通じていた四国を統べる鬼である。
 意気投合して飲み明かし、互いの領地で合同訓練と称して暴れたりもした。

「それで? テメェは鬼に睨まれ、に助けられ、おめおめと帰って来たってのか」
「――――申し訳ございません。殿に伝言を頼まれましたので――『これ以上無茶しないで、気を付けて帰って』と」

 それでの望みを叶える為に、馬鹿正直に帰ったらしい。

 政宗はため息をついた。
 『無茶をするな』『気を付けろ』は、こっちの台詞である。

 それでも、おもしろくは無いが、お陰で欲しかった情報を得ることが出来た。
 疾風の報告では、長曾我部は元親以外にも精鋭部隊が近江に向かっており、中国の毛利とも協調している可能性が高いらしい。
 そしてその近江では、浅井本拠の小谷城が竹中半兵衛に落とされた――
 の性格を考えれば、その後の行動は自ずと見えてくる。

 疾風は仕置き代わりにに会わせないようわざわざ西に行かせたというのに、全くもって何が幸いするか分からない。


 政宗はそれら昨日までの出来事を反芻し、ぴしゃりと弄んでいた扇子を閉じた。
 それを合図に、目まぐるしく働かせていた思考を止める。

 心を決めると、後はいつものようにひたすら駆けるだけだ。

「小十郎」
「は、ここに」

 扇子でぽんと肩を打ち、自分の右目たる男を呼ぶ。
 近くに控えていたのであろう右目――小十郎は、すぐに現れて障子を開けた。

「疾風を使って、甲斐の外に待機してる全軍に命令を出せ」

 告げた途端、小十郎の眉間に皺が寄った。

「……軍だけ先に撤退させるのは得策とは言えません。万一武田が掌を返し、政宗様を害そうとすればこの小十郎一人では……」
「wait、誰が撤退させるっつった?」
「は?……では一体……」
「豊臣の目が逸れてる隙に、小田原を奪還――いや、城を攻め落す」

 小十郎の目が、言葉の意味をゆるゆると理解するように見開かれていく。
 政宗はとうの昔に眼球を失った右目を眼帯の上から押さえた。

 ――我知らず、血が騒ぐ。
 光を映さない網膜の裏を、闇の炎が嬲っているようだった。

「先鋒は成実……それから疾風だ。全軍で城を包囲し、疾風が知ってる抜け道から少数精鋭で突入しろ。刃向う者も、逃げる者も容赦すんな」
「! 政宗様、城には豊臣の兵だけで無く女や子も……!」
「小田原は、一度はこの伊達に膝を折っておきながらあっさり豊臣に乗りかえたアバズレだ。あそこをもう一度治めるんなら、一度徹底的に仕置きする必要がある」

 ぐっと言葉に詰まったように小十郎は黙った。
 領主たるもの、舐められたら終わりだ。それは、民からも周辺諸国からも――である。
 政宗が侮られるということは、政宗の治める土地も侮られるということだ。
 そうなれば国は蹂躙され、人も土地も踏みにじられる……新たな騒乱の火種となる。
 政宗は領主としての責を全うするために、人として最低の殺戮を行う……だから、人ではいられない。
 それとも、元来人でなしだからこんな事が出来るのだろうか。

 ふと、この場にが居たら何と言うだろうかと思った。
 きっと頑として止めるだろう……例えそれが、半兵衛の目をこちらに向けさせ、近江のたちを助けることになろうとも……代償になる他人の命を思い、最終的に彼女はきっと喜ばない。

 政宗はクッと笑みを刷いた。
 何だかんだと理屈を付け、大事な者のことを考え迷ってみても、結局自分は同じ道を取るだろう。
 戦いだけが、政宗を強く駆り立てる。
 自分の中に、自身でも抑えきれないほどの暗く獰猛な修羅が棲んでいる。

「小十郎、お前の言う通り、俺はもう追い掛けない。だが最終的には全部手に入れる……それがどんなrisky bet(危険な賭け)だったとしてもだ」

 天下も、強さも、欲しいと思うもの…想うモノ、すべてを。

「負けたら終わり、全か無か……all or nothingってわけだ」

 まあ、端から負けるつもりは無ぇけどな。そう口元を吊り上げて、政宗は高らかに命じた。

「手始めに、小田原だ。この竜に対する畏怖を骨の髄まで叩き込んでやれ!」

 政宗は隻眼で虚空を睨みつけ、空虚な右の眼球を掴むように拳を握り締めた。
 に触れた手で地獄の業火を捕まえるように……、熱さに嬲られる衝動を吐き出す。
 確固たる、奥州筆頭の命令として。

「――全部、斬れ」

 竜の右目たる武将は、一度固く瞑目し、そのまま部屋を出て行った。
 ――猛る地獄の竜の咆哮を、天下に轟かせる為に。






070916
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