57.小谷城奪還戦

 小谷城は、姉川流域を眼下に見晴らす小谷山に建てられた、戦国きっての難攻不落の山城である。
 守りに入った堅固な城を、外から落とすのは非常に難しい。
 だが、中から招き入れるのであれば、その守りも用を成さなかった。

「皆、急いで!」

 の役目は、一にも二にも、まずは閉じられた城の門を開放することであった。
 時間が無いので、無用な衝突は避けたい。
 暴れたくてうずうずしている元親の『子分』たちを連れて、は敵方の鎧を失敬して装備し、見つからないように城の正面門を目指した。
 女だとバレれば不審に思われるので、髪と顔の半分を布で覆ってしまう。

「――半兵衛様はどちらに?」
「大門に決まっておろう! なぁに、あの方なればすぐに浅井の本隊を退けてくださるはずじゃ!」

 通りがかりの豊臣兵に聞けば、若干年老いている彼の口からはそんな自信満々の答えが返ってきた。
 半兵衛とこの男とではまるで親子ほど年が離れているが、どうやら半兵衛は自軍の兵をよく掌握しているようだ。
 は自分の背後に目配せし、豊臣兵に向かっては不思議そうに首を傾げる。

「…浅井? 敵は武田だって聞いたけど……」
「――ナニっ? 武田だと? 俺は超イケてるアニキが率いる長曾我部軍だって聞いたぜ!」
「お…俺はもも…毛利だってき…聞いた!」
「武田!?…それに長曾我部に毛利…!? 一体どうなっとるんじゃ……殿、殿ーー!!」

 以外は明らかに形容詞がおかしかったり声が上ずっていたりしたが、幸運にも不審には思われなかったようだ。
 陽動の為に敢えて豊臣兵にそう吹き込めば、男は慌てふためいて自分の主人の元に飛んでいった。
 これを幾らか繰り返してきたので、いかに竹中半兵衛の統率力が優れていても、内側から混乱させることは出来るだろう。

「アネ……じゃなかった、サン! 竹中の野郎を見つけましたぜ!」

 そろそろ正面の大門が見えるという頃合になって、先に斥候に出していた男が帰ってきた。
 案内に従ってそちらへ足を向ければ、大門の上の鐘楼に半兵衛の後姿を見つける。

 まだ門は閉じたままだ。
 そこから指示して、門前の浅井軍を攻撃しているのだろう。
 門の内側には、巨漢の兵たちが塊になって門を突破されないように押さえている。

「私があの人たちを散らすから、あなたたちはその隙に門を開けて」

 元親から借りた兵たちに言い置いて、は邪魔になる鎧と頭部の布を取り外した。
 その場に捨てて弓を構え、神経を集中する。

 力を膨れ上がらせるイメージで特大の炎を生むと、それを矢として狙いを定めた。

「――死にたくない者は道を開けよっ!!」

 弦を引き絞って敵たちがこちらに気付いたと十分分かった間合いで、はその炎を放った。
 大きな翼をはばたかせる鳥を象った炎が、門の内側に襲いかかって一瞬にして辺りを舐めつくす。

 その瞬間、ようやく気付いたらしい半兵衛が驚いたようにこちらを振り返った。
 その視線を受けて、は瞼を上げ不敵に微笑む。

「言ったでしょう――今の私は、武田の娘だと」

 一瞬瞠目して、しかし半兵衛は心から楽しそうに笑った。

「……やられたよ。手ひどい裏切りを受けてもこんな愉快な気分になるのは、相手が君だからだろうね、
「裏切りだなんて人聞きの悪い。あなたと組みたいと言った覚えはこれっぽっちも無いわよ」
「――確かに、君の口からはっきりとは聞いていなかった。僕としたことが、言質の一つも取っていないとは」

 風が動いたと思った瞬間、重々しい音を立てて大門が開き、外の喧騒がどっと押し寄せて来た。
 それと同時に開いていく門の細い間を縫って躍り出てきた影のようなものが、一瞬にしての前に現れる。

っっっ!!」

 抱きついて来た市を受けとめて、門前を蹴散らしてくる長政を出迎えた。

「上手く行ったようだな、虎の姫」
「本当に、無事で良かった……市もとても心配したの…」
「ありがとうございます。そちらは大丈夫でしたか?」
「多少の犠牲は出たが、私の不明が招いたこと……致し方無い」
「違うわ、全部市のせい……」

 悔いるように沈鬱に翳る浅井夫妻の手を取り、はゆっくりと瞬きして気持ちを切り替えるように上を見上げた。

「――今は、目の前の敵に集中しましょう」

 二人の前に出て、矢を番える。
 向ける先は、櫓の上の竹中半兵衛――この場の総大将である彼を倒せば、戦は終わる。そして脅威となっている豊臣の力も削ぐことが出来る。

 例え、相手にどんな夢や譲れぬものがあったとしても――

「それでも、私は戦わなくちゃならない」

 は自分に言い聞かせるように呟いて、弦を引き絞った。
 しかしそれを放とうとした刹那、東の空に轟音と共に巨大な竜巻が上がる。 

「はっ…半兵衛様っ! 東から赤い武者と馬がっ……た…武田騎馬隊が攻め寄せて参ります!」

 その報告は、半兵衛に驚愕を、に安堵を与えた。

「馬鹿な――なぜ武田が……っ!」
「間に合って良かった…」
「! そうか、君か、

 にとっても、これは一種の賭けだった。
 堺から出した手紙が甲斐に届くまでに五日はかかる。
 父である信玄がそこからすぐに動いてくれたとしても、甲斐から近江まで行軍するのに普通の街道を通って約六日――タイミング的にはギリギリだ。

 けれど、確信もあった。
 今の織田や豊臣を初めとした各地の情勢――そしてが浅井と協力して近江で行動を起こすことを考え合わせれば、武田にとって何が最善かは自ずと見えてくる。
 それを信玄やその軍師たる山本勘助、ああ見えて戦略に長けている幸村が見逃すはずは無いと思った。
 だからこそ、全てを元就に話し、ギリギリ間に合わないかもしれないタイミングを縮めて貰ったのだ。
 地理・地形を把握しての戦略で智将毛利元就に並ぶものはいない。
 甲斐から近江に抜ける行軍ルートを縮め、尚且つ秘密裏に城に攻め入る手助けをすることは元就に言わせれば「造作も無い」ことらしい。

「私はただここに居るだけ――武田の風林火山を、甲斐の若虎を見縊らないことね」

 疾きこと風の如く
 静かなること林の如く
 侵略すること火の如く
 動かざること山の如し

 大局を見、機を読み、素早く行動を起こすだけの力が、武田にはある。
 そして、甲斐の若虎――真田幸村。
 の家族とも言うべき彼ならば――武将真田幸村なら、必ず来ると信じていた。

「真田幸村――彼も来ているのか?」
「はっ、先頭に六文銭の旗が翻っております…!」

 ギリリと歯噛みして東を睨んだ半兵衛の背後に、別の伝令が跪いた。
 武田と合流すべく行動を起こそうとしていたも、反射的に足を止め、その報告を聞いた。
 しかし、全く予想だにせぬ報告に、の思考は停止する。

「はっ半兵衛様、半兵衛様ー!! おっ…小田原が、小田原城が壊滅したと早馬が……!!」
「小田原が!? あの辺りは落ち着いていた筈……一体どこの国が……壊滅だって……?」
「独眼竜にございます! 奥州の独眼竜が寡兵でもってまたたく間に城を落とし、城内の者を残らず撫で斬りに…! 城もあちこちが爆破され、まさに壊滅と呼ぶに相応しい状況だと……!!」

 全身の血が凍りついたようにはその場に縫い止められた。

「撫で斬り……? 政宗さんが……?」

 悪い冗談としか思えないその言葉に、震える言葉が零れ落ちた。





 そこからの戦は一方的なものになった。
 浅井軍と、少数と言えど長曾我部・毛利・武田にまで迫られ城門まで突破されれば、いかに半兵衛が天才軍師と言えど抗う術は無い。

 そして、豊臣領となっていた小田原を落としたという伊達――
 流石に小田原まで落とされれば、大坂に本拠を置く豊臣――それよりも尾張の織田に影響を及ぼす。
 豊臣としてはすぐにその後の防衛線である旧今川領の駿河――駿府城の守りを固めたいところだろうが、この近江も失えば厄介である。

 近江で戦うらにとっては、小田原を落として豊臣を混乱させてくれた伊達は非常に有り難かった。
 豊臣の目が近江と西国に向かっている内に隙を突いて取り返したというところだろうが、わざわざ政宗が重症を負っている今を選んだということは、それ以外の理由もあるのかもしれない。
 例えばその理由に、が関係しているとしたら……そう考えれば、正直どうしようもなく嬉しい。
 そんな自分こそがどうしようもないと思うが、問題はもう一つの報告――『撫で斬り』だった。

 言うなれば、無抵抗の人間まで全員斬った――皆殺しにしたということである。
 政宗自身はあの怪我で出陣していないだろうが、北条で忍頭として仕えていた疾風が居れば、守りの薄くなった城を落とすのはそんなに難しくは無かっただろう。
 だが、小谷城と同じように、小田原城にも豊臣だけで無く北条の生き残りも居た筈だ。ましてや、女子どもとて……

っ!」

 呼ばれてはっと振り返ると、敵兵が槍を突き出したところだった。
 とっさに体を捻ってかわし、懐から抜いた短刀で相手の喉元を切り裂く。
 飛び散った血しぶきから逃れると、周りの数人をなぎ払ったばかりの元親と背中合わせになった。

「戦場で気を抜くなんざ、嵐の海で寝こけるようなもんだぜ!」
「……すみません」

 苦しい気持ちを押し殺して、は目の前の戦いに没頭した。
 しかし、考えないようにしようと思えば思うほど、思考は『撫で斬り』に向いてしまう。

 の知る限り、政宗は確かに無類の戦好きではあるが、そんな残虐性を持った人間ではない。
 では、あの情報が偽りなのか?
 例えば半兵衛の策……しかし、そんなことをしても向こうには何の利も無い。一人を動揺させても戦況は変わらないし、嘘にしてももう少し現実的なものがあるだろう。
 だったら……だったら……?

 残るは、政宗の中にの知らない面があったという可能性と、が離れて以降に変わってしまったという可能性だ。
 どちらにせよ、その残虐な行いはまるでかつての織田信長のようでは無いか。
 それほどの、闇――
 が光だと思った政宗が、魔王と同等の深い闇を抱えている――それこそ、底無しの無明の闇を。

「政宗さ…ん……どうして……っ!?」

 既に自らの手で何人殺めたか分からない頃、は前後左右も認識できない闇の中でそう吐き出した。
 敵だらけの漆黒の戦場で、慟哭は深い闇を呼ぶ。

 長政も市も、元親も元就も、そしてまだ合流していない幸村たち武田勢も、別々の場所で懸命に戦っている。

 それなのに、自分は闇の中で何をしているのだろうか。
 自分を叱咤しても、心に入り込んだ闇はの呼吸すら圧迫した。

 とうとう一面敵の死体ばかりになったその場所に、はがくりと崩れ落ちる。
 噎せ返る血の匂いに、最初にこの世界に来た時のことを思い出した。
 凄惨な戦場で対峙したのは、月を背にして立っていた獰猛な竜――……

 やがて、闇の戦場に夜明けの光が差し込んだ。
 反射的に目が眩む心地で目を閉じたの耳に、盛大な勝鬨の声が届く。

(終わった……これで私の役目も終わり……)

 その新しい時代を告げる輝きと産声に、は自分の成すべきことが終わったことを悟った。

 後は抗わず、ただ心のままに……
 どこかに逃げてしまいたいという心のままに、の意識は闇に溶けた―― 






070908
CLAP