55.同情

 小谷城に身を寄せた翌日、縛めを解かれたは軟禁状態とは言え破格の待遇を得ていた。
 武器こそ遠ざけられているが、豪勢な食事を供され、風呂を使わせて貰い、華麗な着物まで与えられた。
 元々着ていた旅装は洗って貰っていて他に着るものも無かったので、以前から小谷城に仕えていたらしい女中らによって武田でも公式の場以外では着ることを避けていた姫君スタイルにされている。
 かくしては、動きづらいことこの上無いそんな姿のまま、することも無くぼんやりと窓の外を眺めていた。

「……本当の姫君になった気分だわ」
「おかしなことを言うね。君は正真正銘武田家の姫君じゃないか」

 振り返ると部屋の入口に半兵衛が立っていた。
 彼の気配を察していながら口にしたのだから、独り言にされて貰っては困る。

「姫君歴も短いもので。甲斐でも、深窓の姫とは程遠かったしね」
「確かに。馬に乗り、炎を操って軍を指揮するのは、ただの姫君では無いね」

 くつくつと笑う半兵衛を、はまじまじと見つめた。
 ニヤリと人を小馬鹿にしたような笑みしか見たことが無かったのだ。

「……僕の顔に何か付いているかな?」
「いいえ。ただそんな顔も出来るのかと思って。そうやってたまには無邪気に笑ってた方が良いわよ、その方が可愛いし」
「可愛っ……!? か…からかわないで欲しいものだね。僕はこれでも豊臣の軍師だ」
「それは失礼」

 素直に謝って、はまた窓の外に視線を戻した。
 用があるなら何か話しかけてくるだろうし、無いなら立ち去るだろう。
 しかしの予想に反して、半兵衛はその場に留まった。
 かと言って特に話しかけてくる様子も無く、入口に腰を下ろしたまま、持ってきた本を広げて読み耽る。
 暇を持て余したもその内の一冊を無断で手に取ってみたが、咎められることは無かったのでそのまま読み始めた。
 半兵衛らしいというか、孫氏の兵法書のようだった。
 信玄が孫氏好きなので、も武田で当然のように触れていたが、まだ字をすらすらと読める訳でも無いので読破はしていない。読み間違えないように気を付けながら、丹念に文字を浚っていった。

 どれくらいそうしていただろうか。
 日も沈み掛けた頃、ずっと無言のまま本を読んでいた半兵衛が言葉を発した。

「君は、どこで兵法を習ったんだい?」
「? どこでって……強いて言うなら、武田に戻ってからかしら。兵法と言うほど大層なものじゃないけれど」

 信玄や軍師の山本勘助と話している中に、そういう話も多々あったから、それが習ったと言えば習った経験かもしれない。
 だが、半兵衛はそうでは無いと首を振った。

「君は伊達でも既にその才を発揮していた。君のような考え方を僕は見たことが無い」

 伊達で――…政宗と共に出た、対豊臣の国境防衛だろうか。
 しかし、は伊達でも兵法などに触れたことはほとんど無かったし、自分の考え方も特に意識したことは無い。
 あらゆる兵法に精通してそうな半兵衛が変わっていると言うなら、それは未来の異世界の――あの時代で染み付いた考え方なのだろうと思う。

「私は特に意識したことは無いけど……しばらく異国に居たから、その影響かもね」

 適当に誤魔化したつもりだったが、半兵衛は「異国に!?」と強く反応を示した。
 どこの国に居たのか、どれくらいの期間居たのか、そこはどんな場所なのか……根掘り葉掘り聞かれては顔を引き攣らせたが、別に教える義理は無いのだと思い直して適当にあしらう。
 そうしていると半兵衛も冷静さを取り戻したのか、いつもよりは柔らかい声で話し始めた。

「僕には夢がある。大切な人と同じ夢を見るという夢だ」

 ドキリとの心臓が跳ねた。
 大切な人と同じ夢――見られたら、どれだけ幸せなことだろう。
 あの隻眼と同じものを見続けることができたなら。

「秀吉の夢が、僕の夢だ――この日の本の国を統一し、一刻も早く国を強くする。そして諸外国に侵略される前にこちらから打って出なければ、いずれこの国は滅び去る」
「……それが、豊臣秀吉の夢?」
「そうだ、秀吉はこの国の為に自分の全てを投げ打ってきた。自分の幸せも、尊敬する主も、愛しい女性も。僕はそんな友の為に、少しでも長くその横で同じ道を進みたい」

 言い切れる半兵衛が、には羨ましかった。
 も、ただの友達としてでもあの人と同じ道を進めたなら……そうしたら……

「貴方が羨ましいわ、竹中半兵衛」

 理由など話すつもりも無くそれだけ言って目を伏せたに、しばらく視線を注いだ後、半兵衛は静かに言った。

「僕には君の方が羨ましい。才も地位も……時間も、持って居ない人間がいくら望んでも持ち得ないものを、君は持っている」
「時間……?」

 はその言葉に眉を顰めた。
 豊臣秀吉が言う富国強兵策は、確かに膨大な時間が掛かるだろう。
 の知る歴史では、秀吉は天下を統一した後、朝鮮や中国にまで手を伸ばし、手ひどく負けて諦めたのでは無かったか。
 だが、半兵衛の言う『時間』とはどうもそういうことでは無いらしい。

 そう言えば、どこか聞き覚えのある咳をしているなと思った矢先だった。
 立ち上がった半兵衛が突然咽たように激しく咳き込み、体を折って崩れ落ちる。当てられた手に、鮮血が垣間見えた。

「! 竹中半兵衛、貴方……!」

 は反射的に慌ててその背中を支えて、息をのんだ。
 結核――昔で言う労咳、肺病だろうか。
 子どもの頃のがかかっていたというのと恐らくは同じ病気。

「ふっ……よりによって、甲斐の虎姫に知られるとはね。けれど、知った所で問題無い。僕の死に場所は戦場と決めているからね……この病が影響するものなど、何も無い…」

 あってはならないのだと言うように笑った半兵衛に、は懐紙を差し出した。
 この時代、結核は不治の病――ましてや喀血するような段階となれば、もはや回復は望めまい。
 残された時間の最後までを秀吉の為に使いたいと言う半兵衛の瞳は、重い病状とは裏腹に強い生気を湛えていた。

 聞くのでは無かった――それがの本音だ。
 敵の事情になど耳を傾けるものでは無い。それでうっかり同情などしようものなら目も当てられないではないか。
 けれど――……

「私も、幼い頃肺病を患っていて、医師にも匙を投げられていたの」
「!」
「だけど、私は根性で治したわ」

 本当は未来の医療技術のお陰で助かったのであるが、それをここで言っても仕様が無い。
 それよりも、大きく目を瞠った半兵衛の青白い顔に苛立ちが募った。

「貴方も本当に貫きたい信念があるなら、何としても病を捻じ伏せる!ってくらいの根性見せたらどうなの!?」

 半ば自棄での言葉に、半兵衛は完全に面食らっているようだった。
 驚いているのはこちらの方だと思いながら、は嘆息した。
 同情は禁物だ――だが、自らの全てを信じたものに預けるというその志は尊いものだと思ってしまった。

「……まさか、君に背中を押して貰える日が来ようとはね」

 驚きから立ち直った半兵衛は、口の端を拭いながら笑った。
 その笑みがまた癪に障るもので、の米神に青筋が浮く。

「恐ろしいくらい前向きな捉え方ね」
「後向きな考えなんて非効率だからね。君も時間を無駄にするのは嫌いだろう?」
「普通の人はそうだと思うけれど?」

 睨み付けるようにそう言うと、半兵衛は微苦笑して口を閉ざした。
 その一瞬の表情で悟ってしまったは、今度は深々と溜息をついた。

 半兵衛は、自分が余命幾許も無いのを悟って、わざと人と関わりを持たないようにする為にこんな憎まれ口を叩いているようだ。
 もうすぐ死んでしまう半兵衛が、関わる人物とお互いに心を残さないようにするのは確かに効率的だが、それの何と寂しいことだろうか。

 一瞬の苦笑の中にそれを感じ取ってしまったは、相手が半兵衛だけに、わざと悟られるようにした確信犯では無いだろうなと疑ってしまう。

「――って、もう…!!」

 今しがた喀血して顔色の悪い病人相手に、あれこれと考えても仕方が無い。
 いくら敵とは言っても、こんな状態の相手を放っておいたら寝覚めが悪いというものだ。

 自分の中の靄を振り切るように声を発すると、力無く蹲っていた半兵衛の腕を取って、力任せに引き寄せた。

「なっ……っっ…!!??」

 これ以上は無いという程の驚きを見せる半兵衛に、はじろりと鋭い一瞥を投げる。

「いいから、今はぶつくさ言って無いで休みなさい! ちなみに、固いとか居心地悪いとか、苦情は受け付けないわよ」

 上からと下からの視線が合わさる。
 無理やりの膝に頭を乗せられた状態の半兵衛は、尚も驚いたまま瞬きを繰り返し、ようやく硬直が解けて綻ぶように微かに笑った。

「君には敵わないよ、。君の言う通り、有り難く膝を借りよう。ついでに、このまま豊臣に来ないかい?」
「謹んで辞退するわ。余り調子に乗らないことね」
「ははは……手厳しいね」
「――言っておくけど、今はこうしていても、次に戦場で敵として見えた時は、手加減なんてしないわよ?」
「望む所だよ、。僕も、君に同情されるのは御免蒙るからね」

 珍しく不敵に笑った半兵衛が、隻眼の面影に重なって――……
 それから目を背けるように、半兵衛の目を片手で塞いだ。

「眠るなら、私の気が変わらない内に早く眠って」

 我ながら無茶な言い草だったが、半兵衛は苦笑しただけで大人しくそれに従った。

 ――「小次郎は良くて、この俺は駄目だとか言うんじゃねぇだろうな?」

 子どものようなことを言って、無理やり膝枕させられた日がとても遠く感じる。
 あの数日後、は敵側の人間として米沢を離れることになった。

 今また、今度は完全に敵である半兵衛に膝枕をしているのは、何の因果だろうか。

(大丈夫――私は、迷ったりしない)

 こんな同情で、敵を見誤ったりしてはならない。
 自嘲の笑みを吐き出して、再び窓の外を見つめた。

 蒼穹が広がっていた空は、既に茜色から紺色へと移り変わろうとしている。
 その苛烈なコントラストに彩られた雲は、複雑な軌跡を描いて大きく空に渦巻いていた。

 ――何かが、大きく動く予感がする。

 は眠る半兵衛を起こさないように、ゆっくりと深呼吸をした。
 夜が明ければ、この城と近江一国……その先の各地の命運をも賭けた――

 ――戦が始まる。






070714
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