意外なことに、が連れてこられたのは城の奥座敷だった。
 だが、両手を縛られたままであることには変わり無く、急き立てられる度に手首が擦れて痛みを伴う。

 やがて小ぶりの一室の前に着いて、その襖が開けられた。
 座敷牢と言うことも無く、本当にただの部屋である。

 力任せに引っ張られた腕がようやく離されたかと思うと、今度はぞんざいに体を放り投げられ、は打ち付けた左腕に顔を顰めた。

「痛っ……、ちょっと、捕虜の扱い方に問題があるのでは無い? 私は甲斐の虎姫よ?」

 せいぜいアピールしようと居丈高に言って睨みつければ、相手は簡単に怯んで身を引いた。
 しかし、良い気味だと思った直後、相手の後ろから涼しい声が割り込んできた。

「僕の兵を苛めるのもそのくらいにしてやってくれたまえ――虎の姫君」
「こんな場所で会うことになるとは思わなかったわ、竹中半兵衛」
「こんなに早くまた君に逢えて嬉しいよ――?」

 畳の上に転がされた姿勢のの目の前に、半兵衛が身を屈めて視線を合わせる。
 その瞳は、楽しそうに笑っていた。

54.糸の湖

「浅井殿、市さん――お二人がご無事で何よりです」
「――…? 本当に、なの……!?」

 半兵衛との対面から遡る事、一日――

 どこに豊臣の密偵が潜んでいるかもししれず、夜陰に乗じて毛利の陣から浅井が構えた野陣へと元親・元就両名を連れてやって来たは、すぐに浅井長政と市に目通りすることが出来て安心した。
 よく考えれば、陣に集った浅井の兵たちは甲斐へ来ていた軍と全く同じ顔ぶれであり、全員がの顔と市たちとの関係を知っていたから当然ではある。

 浅井陣に着いた直後から丁重な扱いで奥に通され、元親たちは戸惑っていたが、市が会うなりに抱きついたことにもっと驚いているようだった。

「虎の姫よ」

 市の後ろから、近江の国主である長政がゆっくりと歩いてきた。
 市は身を起こし、涙の光る目を擦っての横に並ぶ。

「まずは甲斐での言葉通り、助太刀に来てくれたことに感謝しよう。だが、聞きたいことはある」

 も市から手を離し、真面目な顔で頷いて正面から長政を見つめる。

「武田の忍も奮闘してくれたが、我らは豊臣によって仕掛けられた罠を抜け、ようやく昨日戻って来たばかりだ。その上、追手がかからぬように道のほとんどは塞いで来た。二、三日もあれば復旧できようが、後から甲斐を発った貴殿が辿り着くには早すぎる。それに、そっちの二人は……」

 長政の疑問は尤もだった。
 城が半兵衛に奪われた今、手元に軍のほとんどがあろうとも、長政の圧倒的不利は自明である。
 既に勝敗は決し、後は滅ぼされるのを待つかどこかへ落ち延びるか――城を取られるというのは、それぐらいの大事である。
 その中で、唐突に甲斐で伊達軍に足止めされた筈のが、只者ではない見知らぬ武将を二人も連れて現れれば、警戒しない方がおかしい。

 は自分でも理解出来ない体験から始まったここまでの道のりを、相手に真実だと分かって貰えるように説明しなければならないのだ。

「浅井殿の懸念も尤もです。ですが、まず最初に、私たちは当面浅井家の敵では無いと申し上げておきます」

 隣の元親・元就にも牽制の意味を込めてそう告げる。
 そして、その二人を紹介した。

「ここに来た経緯は後にして、まずはこの方々をご紹介します。四国を統べる長曾我部元親殿、ならびに中国を統べる毛利元就殿です」
「我は毛利元就、日輪の申し子なり」
「鬼ヶ島に鬼てぇのはこの俺よ、長曾我部元親よ!」

 流石に予想だにしない名前だったのか呆気に取られた浅井夫妻を前に、西国の武将たちは堂々と胸を張ったのだった。







 浅井夫妻との甲斐での出会い、そして元親・元就との出会いを両陣営を交えた四人に話したは、長政が不審がっていた移動日数の件についても正直に話した。
 ただし、政宗との経緯や、武田での立場、到底理解してもらえるとは思えない未来の異世界と行き来したことがあることは伏せて――である。
 この世界ならではというか、四人は意外にもあっさり信じてくれたようだった。

「すごいわ、…! 甲斐から畿内まで一瞬なんて!」
「へぇ……属性か何かか? おもしれぇ!」
「む……ワープ!というものか?」
「長距離を飛ぶ力か……駒としての使い道は興味深い」

 誰が何を言ったかは推して知るべし。
 ともかくも、力の性質などについて質問されても答えようの無いは、信じて貰えただけでも良しとして話を進めた。

「先ほどお話した通り、豊臣と織田が敵という点で、私たちの利害は一致しています。この先のことはともかく、いま近江が豊臣に落とされれば、織田と豊臣の同盟が成って中国・四国・九州の地は脅かされ、関東へもより一層奇禍が忍び寄りるでしょう」
「俺は浅井が頭下げるなら手を貸してやってもいいぜ?」
「我も、異存無い。貸しを作っておくのは悪くないからな」
「……浅井殿と市さんは、いかがですか?」

 の言葉に、長政と市は顔を見合わせた。

「我らには元より選択肢も無いが、どうせ手を借りるなら確認しておきたい。我らの望みは三つ。城の奪還、竹中半兵衛の率いる豊臣軍撤退――兄者の織田への牽制」

 最初の二つはともかくとして、最後はこの場で即答出来かねることだった。
 ただでさえ、織田は浅井を敵と捉えているだろう。そこに浅井側でも敵対姿勢を取り、織田と繋がりのある豊臣を退けたとなれば、向こうがどう出るか分からない。
 しかし、それはまだ先の話だ。とにかく今は豊臣である。
 後に織田と敵対したとしても、浅井が武田や上杉と同盟を結べればそう易々と攻め込まれることも無いだろう。

 には実権が無いので口約束さえ出来ないが、その方向で何とか説得するしか無いと口を開きかけた時だった。
 意外にも、大丈夫だ!と言ったのは、こういうことが不得手そうな元親だった。

「城と豊臣のことは勿論、織田のことも心配すんなって! 奴らの同盟さえ防げれば、後は俺たちで本州なんて目に入らないくらい引っかき回してやるからよ! なぁ、元就!」

 元親の大きな手でばしばしと背を叩かれ、元就は今にも血管が切れそうなほど不機嫌な顔をしていた。

「馬鹿は単純すぎて、羨ましいわ」
「はっは! そーか、羨ましいか!」
「始末に終えぬな。しかし――我の策をもってすれば、鬼が言う道も不可能では無い」

 思わぬ援護射撃に、はほっと息をつく。
 長政も元親の頼もしい言葉、さして智将と呼ばれる元就の太鼓判に納得したようだった。

「承知した。虎の姫――殿、毛利殿、長曾我部殿、頼む。我ら浅井に力を貸してくれ」

 こうして、暫定の浅井・長曾我部・毛利連合にが加わって、近江での対豊臣同盟が発足したのである。






 その翌日、は一人、浅井の陣地から出て小谷城へ向かった。
 丸腰で、ご丁寧に髪や服装を乱して、背後を気にしながらひた走る。

 そのままで、本街道に関を築いていた豊臣の陣に飛び込んだ。
 わざと獲物が無いことを示しながら気合と共に番兵を薙ぎ倒し、一目散に奥の責任者の元まで駆ける。
 この場を任されているらしいまだ若い武者が何事かと腰を浮かしたところに傍の雑兵の剣を奪って取り付いた。

「我は甲斐武田信玄が娘、! この男の命を助けたくば、竹中半兵衛に会わせなさい!」

 名前には怯んだものの、武田は豊臣にとって表向き一時的な同盟を結んでいても、それは半兵衛の策によるまやかし――本来は敵である。
 到底要求を呑めないと判断した若武者は自分を気にせずを捕らえよと命じ、も剣を片手に奮迅したが、多勢に無勢で捕らえられてしまった――作戦の通りに。

 ちなみに、この辺りの策は元就のものである。
 としてはあっさり捕まりたかったのだが、それでは真実味に欠けると言われては反論できなかった。
 これで、本当はただの嫌がらせだと言われればキレる――そう言いたくもなる程痛めつけられ、小谷城に連行され、そして牢でも大広間でも無く奥の一室で竹中半兵衛と対面したのである。

 半兵衛と会うのは、甲斐の対浅井の戦場以来だから、たった十日ぶりである。
 あの時、半兵衛が戦のどさくさに紛れて甲斐・越後・近江の地までも奪おうとしていると見抜いたに、「この僕の策がこれだけだなんて――、君ならまさか思わないだろう?」などとふざけた事を言った。
 その口ぶりで戦場に姿の無かった浅井本隊が武田軍留守の甲府を襲撃すると察したのであるが、慌てて駆けつけたものの、浅井夫妻に捕らえられてしまった――それ故に、信玄も浅井に追手を差し向けなかった――というのが、対豊臣同盟としての筋書きだ。

「さて、――なぜ君がここに居るのかな? 今頃甲斐で政宗君との再会を喜んでいるか悲しんでいる頃だと思ったのに」
「政宗さん――?」

 は目を瞠って問い返した――芝居であるが。

「おや、君は彼に会わずにここに来たのかい? 僕たち豊臣が引き上げた頃、伊達の軍勢が甲府に向かっているとの報告があったけれど」
「生憎、私は甲府で浅井に捕らえられ、ここまで連れて来れられたから、その後何があったかなんて知らないわ――それもこれも、全て貴方のお陰でね」

 憎しみを込めて半兵衛を見ることは、芝居で無くとも簡単だった。
 伊達で初めて会った時には思い切り侮辱されたが、憎いというよりも悔しいという思いが強かった。
 だが、の存在一つで伊達と武田の間に争いを起こし、浅井を嗾けて信玄が愛している甲府の町を焼いた――更に言えば、織田と繋がりがあって森蘭丸も半兵衛の差し金なのだとしたら、政宗に大怪我を負わせたのも目の前の男が原因ということになる――到底許せない。

「そう言われると返す言葉も無いな。確かに君は、僕の策の被害者だ」

 悪気も無くいけしゃあしゃあと言ってのける半兵衛にも、今は我慢だとは耐えた。
 ここでバレたら、作戦云々以前に元就から何を言われるか分かったものではない。
 しかし我慢しすぎても不自然なので、は思い切りそっぽを向いた。

「白々しい言葉は聞きたくないわ!」
「そう言えば最初に会った時にも言われたんだったね、『虫唾が走る』だったかな? 僕も随分嫌われたものだ」
「あれだけのことをしておきながら好かれていると思うなら、ただの変態だと思うけど?」
「まあ、それはそうだろうね。では、虎の姫君――その大嫌いな僕にわざわざどんな御用かな?」

 ニヤリと、半兵衛が勝ち誇った笑みを浮かべた。
 この男のこういう所に虫唾が走るというのだ――

「誰かさんのお陰で、私はこうして近江くんだりまで連れられて来たのだけれど、浅井は直接的に甲府の町を焼いた憎い相手――このまま捕まっていては武田の威信にも傷が付くわ」
「なるほど……かと言って、一人では甲斐まで逃げ切ることは出来ないと踏んで、それで僕の所へ?」
「まだ豊臣の方がマシだと思って、浅井の陣から逃げ出してきたのよ。武田と豊臣も、表向きは同盟関係にあることだし」
「言いたいことは分かったよ、。つまりは、武田の体面を保つ為に、大嫌いなこの僕と組みたいと――そういうことだね。伊達政宗君と絆を持ち、甲斐の姫君でもある君が?」
「……いけない? 以前は豊臣軍に勧誘してくれたと思ったけれど?」

 半兵衛は、なぜかのことを高く買っている。
 それ故に、下手な芝居は通じないということは分かっていた。
 軽く冗談めいたジャブを入れた後、溜息をついて観念したという風に本音――と思われるように言葉を落とす。

「何も知らずに伊達に居た頃ならまだしも、今の私は武田の娘――父の為にも、家のことを第一に考えなければならない。それに、西で貴方が仕掛けている策らしきものを、耳にしたの」

 声を低めた後半に、半兵衛はピクリと眉を動かした。
 は内心だけで笑みを刷く。
 勿論、大嘘である。
 西の情勢を最近知ったばかりのが、半兵衛の策など知り得る筈も無い。
 疚しいことをたくさん持つ人間に『あの事バラすぞ』とカマをかけるようなものである。

「一体何のことか、僕には分からないね」
「――ええ、勿論そうでしょうね。気にしないで。ただ、不本意だけど、どうせ付くなら勝つ側に付きたいと――そう思っただけだから」

 悔しそうに眉を顰めて言えば、半兵衛の口元が吊り上がった。
 半兵衛が評価しているが、半兵衛の策を知ってその全貌を推測し、豊臣の勝利を確信していると思わせることがミソだった。
 そんな芸当が出来て当たり前だと思われている点からして、本当に高く買ってくれているらしい。

 どうやら無事にこちらの思惑にハマった様子の半兵衛は、笑みを乗せたまま最後まで余計な一言を口にした。

「政宗君も可哀相に。まあ尤も、力押しばかりの彼は所詮君を繋ぎ止められるような器では無かったということだね」

 それは、まさにに対しての地雷であった。
 政宗がに相応しくないのでは無く、が政宗に相応しくないのだ。

「お褒めに預かり、ありがとう――と言っておくわ」

 綺麗な微笑みを浮かべた裏側で、は、この作戦が終わる頃には絶対にこの手であの仮面を剥いで痛め付けてやる――と心に刻み込んだ。

 こうしてが半兵衛の注意をひきつけている間にも、長政・市・元親・元就は、それぞれの役目を果たす為に動き出している。
 二日後の夜明けには、対豊臣同盟による小谷城奪還戦が幕を開けるのだ。

 湖の畔に建つ城を中心に、様々な思惑が錯綜する糸のようにして琵琶湖の水面を覆っていた。






070702
小谷城は本当は琵琶湖から結構離れてるんですが、イメージ的に湖の畔の方が分かりやすいので、そういうことにしといてやってください。
CLAP