浅井の拠点・小谷城から半里ほど離れた琵琶湖の畔――
そこに、元親の待ち合わせ相手――『元就』は小さな陣を張っていた。
元就は身形と隙の無さから見て大名クラスであることは間違いないが、旗印が出ていないのは、これが秘密裏の行動であることを示している。
「で、守備はどうだ?」
呆然としている所を一緒に連れてこられたの隣で、元親はこの野陣の主――緑の衣装を着た『元就』に気軽に尋ねた。
陣内は一種異様な厳粛さが漂っていたが、元親の一言は違和感も無く溶け込む。
その横柄な態度は、旧知の気安さのような調子を伴って相手に受け入れられた。
「そう急くでないわ」
元就は元親に殊更冷たい視線を流し、それを隣のに向ける。
何となく、その冷たい双眸にドキリとした。
興味の無い人間には欠片も向けられないであろう視線がを探るように射抜く。
「その前に、その娘は何者だ。伊達の忍と親しい『』――鬼よ、貴様本気でその娘を我が陣に入れるつもりか?」
「アァ、コイツは俺の恩人だ。南蛮モンにも詳しいし、おもしろい奴だぜ」
「……フン、例え知識があろうと、厄介事を引き寄せる駒など使い道も無いわ」
駒――随分な言い様に呆気に取られただったが、言い終わった直後、元就が表情を変えないまま丸い武器を一振りしたことで我に返る。
に向かって一直線に放たれたそれは、まさに光速の衝撃波となって目前に迫った。
足元を狙ったその攻撃はとっさに身を引くことで免れたが、第二波として真横から出現した光輪に元親から貰った小刀を抜く。
体の奥から引き出した力を解き放つように刀を振るうと、それは炎の壁となって光輪を弾き返した。
一瞬の力の鬩ぎ合いの後、霧散した炎と光の余波に身体を炙られながら、互いの間合いで対峙する。
「伊達の忍を見知り、炎の属性を使う『』――甲斐の虎姫がこんな所で何をしている?」
「……流石は、智将と名高き毛利元就殿」
双方の皮肉交じりの言葉は、戦い独特の高揚感を伴っていた。
しかし、睨み合うと『元就』――毛利元就の緊迫感を無造作に破ったのは、些か暢気すぎる大きな笑い声。
「ぶぁははは! やっぱりな、お前ら似た者同士だぜ!」
の正体にも、が元就の正体を見抜いたことにも驚かないばかりか、心底おかしそうに笑っている元親――それを見ている内に、はすっかり毒気を抜かれてしまった。
元親と一緒に居ると、こういうことがままある。
彼の大きすぎる度量の前で小さなことばかり考えている自分が無意味に思えると言うか――それを認めるのは、余りに情けなくて癪なのだけれど。
ふと視線を上げると、こちらも毒気を抜かれた――と言うより呆れているのだろうか――元就と目が合った。
……なるほど、確かに自分と似ている所があるかもしれない。
そう思うと、元親と同様に元就にも妙に親近感が湧いた。
一つため息をついて苦笑し、軽く礼を取る。
「――毛利殿、私は確かに武田信玄の娘にて、武田軍で一軍を預かる身です」
本当は過去形なのだろうが、詳しいことを話すとややこしくなる。
重要なのはその後だった。
「ですが、今は故あって武田家とは関係なく動いているところで――…」
「俺が睨んだ通りじゃねーか。やっぱり家出かよ!」
「――元親さんは黙っていてください」
「――鬼は黙っていろ」
同時に言ったと元就は顔を見合わせた。
はぷっと吹き出し、元就は無表情のまま視線を逸らす。
それをからかう元親をあしらって、冷たい眼の智将はため息をついた。
「まあ良い。虎姫よ、武田と関係が無いと言うのが嘘でも真でも、我の策に支障は無い。好きにするが良い」
「ありがとうございます。ですが、私は虎姫では無く、です」
「そうだぜ、元就。んで、独眼竜のコレだ」
「違いますっ!」
小指を立てて示した元親を、は即座に否定した。
しかし元就は、「ほぉ…?」と言ってを見る。
元就は表情に乏しく、感情を読むのも難しいが、会ったばかりのでもこれくらいは分かる。
「……毛利殿。その目はアレですか。独眼竜の女なら少しは駒の価値が上がるとかそういうアレですか…」
いい加減振り回されるのにも疲れてそう投げやりにぼやけば、二人は目を瞬かせ、次いで全く逆の反応を示した。
元親はおもしろそうに笑い、元就はおもしろくなさそうに渋面を作る。
「やっぱお前はおもしろいぜ、。見ろ、普段見抜かれることに慣れてねぇ元就が不貞腐れてるぜ」
「――馬鹿どもには付き合いきれぬわ!」
図星なのか何なのか、元就はたちに完全に背を向けて陣の中央に戻って行った。
その後を悠々と追う元親についても後ろから顔を覗かせる。
元就が座った首座の床机には、この辺りの地形図が開かれていた。
「貴様らがもたもたしている間に、小谷城は竹中の手に落ちた」
「え……!?」
淡々と語られた言葉に、は瞠目する。
言葉の温度とは対照的に十分な衝撃を持っていたそれに、思わず耳を疑った。
「浅井はどうしたんだよ?」
が最も知りたいその質問を元親が口にすると、元就は小ぶりの軍配で地図の東端を示す。
「我には理解できぬが、どうやら甲斐へ兵を進めていたらしい」
「へぇ…?」
「竹中の奇襲を聞いて慌てて取って返して来たらしいが、この街道を通り帰城したのがつい昨日だ」
二人の視線を受けても、は地図から目を上げなかった。
元就は東から通じる大きな街道を示していた。
甲斐へと通じる正規の街道なのだろうが、そこを通ってきたということは、が指示した忍隊の道案内が機能しなかったのか、それともそれが通じないくらいの状況にあったか――だ。
「竹中が城に入ったのも昨日の未明……浅井が戻った頃には一足違いで城は落ちていた」
昨日―― 一足違いと言うなら、それはのせいだ。
が政宗のことで騒ぎ立て、軍内に無用の混乱が生じ、忍隊は残っていた伊達軍の誘導も含めて総勢で事に当たらねばならなかったのに、更に取り乱して暴れたりもして……
そうで無くとも、もう二日…いや一日半でも早くがここに来ることが出来れば、市たちの城を守れたかもしれないのに。
「――オイ、。お前また変なこと考えてんだろ」
「え……?」
「陰気な面してんじゃねーよ。じめじめしてんのは元就一人で十分だぜ」
「……殺されたいか、馬鹿鬼が」
「おぅよ。やろうってんならいつでも受けて立つぜ。チャチな盗賊ばっかで丁度体も鈍ってたとこだ」
すこぶる楽しそうに(にはそう見えた)口喧嘩する二人は、いつかの自分と政宗に重なって、はこの時初めて、政宗を思い出しても苦しさを感じない自分を自覚した。
闇など自覚しなかった米沢での生活……それは近くに揺るぎない政宗という存在があったからだ。
それを愛しむならともかく、苦痛を感じるのはおかしい。
(悪い癖だな…)
自分を落ち着けるように、何度か大きく深呼吸した。
そうすると心が落ち着いて、頭にかかった黒い靄が晴れていくようだ。
考えすぎて身動きが取れなくなることもあれば、慎重に動かなければいけない場面で衝動のままに動いてしまうこともある。
その見極めを間違うのは悪い癖だと自覚しているけれど、そう簡単には直らないもののようだ。だからこそ、常に冷静でなければならない。
――「大局を見誤るでないぞ、」
父である信玄が常々口にしている言葉が、思い出された。
今更どれだけ嘆いたとしても、起こった事実は変わらない。
の件が無くても小谷城を半兵衛が落とすという事柄は変わらないかもしれないし、その逆かもしれないし、全く別の結果になったかもしれない。
過去の『もしも』に捕らわれて未来を見失うのはいかにも愚かだ。
――「ただ――俺に、が、必要なだけ…だ!」
甲斐を出ると決めていたあの時にあっても、政宗のその言葉はどれほど嬉しかったか知れない。
を必要だと言ってくれた……その為に、わざわざ国同士の争いになるのを覚悟で連れ戻しに来てくれた。
行動も言葉も、政宗の真意を示すには十分で……
泣きたいくらいに嬉しかった。
……だから尚更かもしれない。が政宗の手を取らなかったのは。
今の自分に、政宗の手を取る資格は無いと思った――正確には自信が無かった。
けれど、少なくとも、政宗ならばこんな所で立ち止まりはしない。
例え離れていても、会えなくても、彼に笑われるような生き方だけはしたくない。
(私は――政宗さんが好きだから)
だからこそ、この想いを汚すような行動は何があっても出来ない。
今、がするべきこと――したいこと。
それを精一杯為す為に。
「毛利殿、長曾我部殿――お二人は何故近江に来られたのですか?」
あわや一触即発という状態で睨み合っていた二人は、それぞれの視線をに向ける。
元就はの質問に、元親は今更のような呼び方が気に入らないのか、眉を上げた。
「私は西の動向には詳しくありませんが、お二方の国が織田と豊臣に脅かされていることは知っています。そんな時に、なぜ領主自ら近江へ――?」
ある程度の推測は出来るが、本人の口からはっきりと聞いておかなければならないことだ。
しかし、二人はそう簡単に答えをくれなかった。
「……答えを知っている者に我がわざわざ教えてやる義理など無い」
「今更そんな他人行儀にする奴の頼みは聞けねぇなぁ」
は苦笑した。
流石は大国を束ねているだけあって、中々難しい人たちのようだ。
「そこを何とかお願いします――もう巻き込まれてるのに教えてくれないんですか、元親さん?」
元の呼び名に戻して、崩しやすそうな元親に尋ねると、彼はあっさり答えと笑みをくれた。
「よし、いいぜ教えてやる。織田も豊臣も脅威だが、ウチと元就・九州の島津が同盟組んで防いでるから問題ねぇ。特に四国・九州を攻めるには船がいるが、瀬戸内と外海は俺の部下と元就んとこの水軍が押さえてるからな。後は、中国の東さえ守ってりゃ良い。ただ問題なのが……」
「尾張のうつけと豊臣の猿が手を組んだ場合だ。あやつらが馬鹿の力押しで来れば、我が策を持ってしても防ぎきれぬ」
不機嫌だが答えてくれた元就の頭に笑って手を置いた元親は、だからと締めくくった。
「そうさせない為に、俺たちが来たのよ。織田の怒りを買った浅井を手土産に、豊臣が織田に同盟を持ちかけるって話を元就の忍が仕入れてきたからな」
「浅井を手土産に――……」
いかにも半兵衛らしい計略だと思った。
豊臣と織田が手を組む――それは、周辺諸国にとって…いや、日本全国にとって、大きな脅威だ。
だが、思い返してみて、伊達や武田に現れた半兵衛と森蘭丸の動向を考えれば、もう同盟の口約束程度は出来ているのかもしれないとも思える。
何はともあれ、は気を引き締めて顔を上げた。
国と民を憂えていた浅井長政、そして兄の――死の影に怯えていた市の姿が脳裏に甦る。
「……よく分かりました。ありがとうございます。でも、最後に一つだけ確認させてください。お二人は、豊臣が浅井を落とすのを防ぐために来られた。既に落ちた今、どうするつもりですか?」
「フン、知れたことよ」
「おうよ、取られたもんは取返しゃいいだけの話だ!」
この辺りは息もぴったりな二人の武将に、も不敵に微笑んだ。
「では、浅井に味方するということですよね? 豊臣の策謀を防ぐ為なら、野心無しに浅井に力を貸すことも止む無し――と?」
「それは向こうの出方次第だな。変な仏心出して、こっちが裏かかれたんじゃ洒落にもならねぇ」
「既に間者を忍ばせてある。浅井軍もここから離れた場所に野陣を敷いているが、我らよりも猶予は無いのだから、すぐに動きもあろう」
「では、時間も勿体無いことですし、こちらから出向きましょう」
一瞬、何を言われたのか分からないという顔で元就と元親は視線を返した。
「悠長に出方を見る必要はありません。私が責任持って仲介します」
流石にこれは予想外だったのか、軽く目を見開く二人に、はにっこりと笑みを見せた。
「直接会った方が早いですよ。疾きこと、風の如く――です」
070610
番外.三本の矢