「そっか!――毛利元就って、『三本の矢』の人だ!」
突如閃いた事柄に、思わず声を上げてしまったは、両脇から寄せられた眼差しにはっと我に返った。
「――何のことだ」
「三本の矢って……確かにコイツん家の紋は『三』だけどよ、矢ってのは何だ?」
相変わらず不機嫌そうな毛利元就本人と、その幼馴染だという長曾我部元親である。
「あ……あはは……」
この二人に笑って誤魔化すなど通用する筈も無く、はがっくりと項垂れた。
我ながら、失態以外の何ものでも無い。
は未来の異世界できちんと学校に通っていたし、成績もそこそこだったが、歴史はどちらかと言うと苦手な部類だった。
その為、学校ではほんの表面しか習わない戦国時代のことも、有名な事柄しか覚えていない。
しかし、『毛利元就』という名前は、そんな歴史に疎いでも知っていた。
政権を握った人物でも無いし、大きな戦いを起こした訳でも無い……では、なぜ知っているのか――
それが元就に会ってから密かにずっと気になって、胸中でもやもやと漂っていたのである。
そして先ほど、突如その答えを思い出して、思わず声を上げてしまったという次第だ。
「ええと……ですね。異国に…そう、異国に居た時に、噂で聞いた話なんですよ!」
何とか誤魔化そうと頭をフル稼働させるが、そもそもが、毛利元就が三人の息子に諭した話である為、まだ子どもの居ないこの元就には全く当て嵌まらない。
「へぇ、何だよ元就、異国にまでお前の噂が流れてるんだとよ!」
「……例え異国であろうと、我の名が轟くは当然のことだ」
元親の言葉に反発しないばかりか、ちょっと嬉しそうに見える元就など、大変貴重だ。
ここは、『煽てて持ち上げて有耶無耶にしよう作戦』にしようと決め、は口を開いた。
「元就さんも元親さんも、異国では日の本を代表する大名として有名でしたよ」
「分かってるじゃねぇか、異人さん達もよ! まあ、俺たちは海の民でもあるしな……異国との交易も力入れてんだから、当たり前だよな。信玄公よりも俺たちの方が名が知れてただろーが」
「え……ええ、まあ」
は心中で、「ごめんなさい、父上!」と謝罪した。
「こ…交易だけじゃなくて、元親さんの人徳や元就さんの智略もそれは高く評されてました」
「そうか。それで、『三本の矢』とは何のことだ?」
「おっ、そうだ、忘れるとこだったぜ」
忘れてくれてよかったのに……と項垂れながらも、顔には出さずに笑顔のまま続ける。
「異国で流れていた逸話です。元就さんは人が力を合わせることの大切さを説いた人格者だっていう……」
「アァン? 人格者だぁ? 兵を捨て駒だっつって憚らねぇコイツが?」
……そんなことを言っているのか、と若干呆れて元就を見遣れば、フンとあからさまに視線を逸らせていた。
だが、そこに僅かに罰の悪そうな心情も垣間見られたことから、今ではそれを悔いているのかもしれないと思った。
そうさせたのは、他ならぬ元親なのかもしれない……と。
「元親さんっていう友達を持ってるんですから、やっぱり元就さんは逸話に違わない人です」
「誰が鬼などを友と……」
すぐに捻くれ者よろしく反論してきた元就を抑えて、は自分の矢櫃を開いた。
「元就さんが説いたと言われていた説話はこうです」
櫃から1本を取り出して二人の前に示す。
「ここに一本の矢があります。この矢は外から圧力をかけられればすぐに折れてしまう」
少し力を加えて、矢を真っ二つにへし折る。
そして更に3本を取り出した。
「ですが、こうして三本だと中々折ることは出来ません」
「アン? こんなの一本だろうが三本だろうが変わんねーよ。簡単に折れるぜ」
がわざと折らなかった矢を元親はいとも簡単に折ってしまった。
そんなお約束の屁理屈を言いそうだと分かってはいたが、実際やられると思わず言葉に詰まってしまう。
それでも負けるものかと気を取り直そうとしたのに、二人は更に想定外の追い討ちを掛けてくれた。
「力押ししか能の無い野蛮な鬼め。例え話の何たるかも分からぬとは哀れだな」
「何だと、コラ。俺にだって三本の方が折れにくいっていう意味だってのは分かるぜ。――つまりアレだろ。一本の矢を射るよりも、三本同時に射た方がいいっつーことだろ?」
何をめちゃくちゃな……と思ったが、直後に「もそれくらいやってるしな?」と振られて、自分が訓練の賜物で五本まで同時に撃てることを思い出した。
そうだった……ここはそういう世界だった……
「馬鹿が。いい加減もっと頭を使ってみてはどうだ? 折角三本ある矢を全て同時に使ってしまってどうする。別な方面から攻めた方が有効に決まっておろう」
「どういう意味だよ」
「矢は例え話だと言っている。つまり――駒は多いに越したことは無いという話だ」
二人での論議の結果が出たところでじっと視線を向けられて、はたじろいだ。
なぜ素直に考えず、捻くれるのだろうか。
「お…惜しい…です。――元就さんの方が近いですね」
どちらかと言えば、というレベルだったが、辛うじてそう言うだけで精一杯だった。
どうだ、合っているだろうとばかりに期待の眼差しを向けられたのでは、呆れている顔も出来ない。
「アァ? なんでだよ!?」
「…我が間違っているというのか?」
納得が行かない様子の元親は自分が折った矢を見ながらぶつぶつと何事か呟き、元就はずいとに詰め寄った。
「あー…矢が人の例えだっていうのは合ってるんですけど」
苦笑いのの言葉に、元就は、ム、と眉を寄せた。
――「アンタ、昔のアイツに似てるぜ、」
不意に、元親の言葉が甦ってきた。
自分が抱える闇のルーツに触れて、動揺して頭の中が闇に侵食されそうになっていたあの時――元親は、そんなを昔の元就に似ていると言った。
『昔の元就』に――であって、『現在の元就』にではない。
つまり……
「元就さんって……」
「何だ」
「…………いえ、何でもありません」
聞ける訳が無い――「闇を克服したんですか?」などと。
不審そうに眉を顰めている元就に、は無理やりに笑顔を作って話題を振った。
「やっぱり聞いちゃおうかな。……元親さんと友達になったきっかけは何だったんですか?」
「友などでは無いと……」
「そ…そうですよね。それじゃあ、今みたいに一緒に戦うようになったきっかけってあるんですか?」
「ただ利害が一致しただけだ」
にべも無い返答に、も二の句が継げない。
しかしそれに何を思ったのか、元就は続けるように口を開いた。
「不本意だが、国が近いせいであの鬼とは昔から面識があった。数年に一度顔を合わせる程度だったがな。だが、そんなことはこの戦乱の世に関わり無い。一年前、我は四国に攻め入った」
は純粋に驚いた。
長宗我部と毛利に元々そんな交流があったことを知らないのは勉強不足だとしても、一年前に両氏が一戦交えたなど聞いていない。
そんなを見て、元就はフと笑う。
「結局、戦らしい戦は起こっておらぬ故、我らはこの衝突を隠蔽した。故に、甲斐・奥州までは広まっておらぬだろう」
「戦は起こっていない…? 隠蔽?」
どういう意味なのかと言葉の意味を図りかねたをおいて、元就は音も無く立ち上がると木漏れ日の下まで歩いて「おぉ、日輪よ……」と呟いた。
早くも慣れつつあるこの異常な光景は、元就にとっては空気を吸うのと同義であるらしく、今日だけで何回も目にしている。
緑の衣装なだけあって、光合成のように見えて内心笑いを耐えていることは内緒だ。
「我は策を練り、我が毛利の兵を捨て駒として投入し、鬼の戦力を殺いでから直接叩くつもりでいた」
戻ってきた元就は打って変わった真面目な顔でそう言った。
「我も所詮は駒の一つ――だがあの鬼めは、我の駒を一つも潰すことなく退け、あまつ我を哀れんだ。……到底許せぬ」
は思わず目を瞬く。
とても『許せない』という顔ではなかった。
実際にどんなやり取りがあったのかは知らないが、元就にとっては元親の言葉が大きく影響したのであろう。
それこそ、心の闇を取り払うほどに。
「元就さんは――幸せですね」
「……なに?」
一年前に、長宗我部と毛利が同盟を結んだという話は、予め聞いている。
この元就が攻め込んだ先であっさり同盟を結んだというのが、元就に与えた影響の大きさを示していた。
兵や自分を駒と言う元就と、部下や鳥を家族だと言う元親……正反対の性格だからこそ持ち得る絆が、この二人には確かにあるのだろう。
そして、毛利の兵たちの様子を見ても、元就のことを恐れていこそすれ、疎んでいるような気配は見られず、それどころか……
「皆、元就さんのことが好きなんですね」
「! …世迷いごとを……」
「本当のことです。戦で兵を駒と呼ぶのも、情けが行動の妨げにならないように、最小の被害で済むようにという配慮でしょう?」
「そのような甘い考えでは無い。一兵でも多く残った方が戦の勝者……我の策はその為のものよ」
「それも、国と民のことを考えているからこそ――それくらいのこと、皆分かっています」
元就が、言葉に詰まったように眉を顰めた。
「だからこそ、皆は元就さんを放っておけない。元親さんも……僭越ながら私だって」
大きく目を瞠った元就に、はにこりと微笑んでみせる。
闇を克服したというだけで――自分に向けられる想いを受け止めてしっかりと立っているというだけで、にとっては尊敬に値する。
それ故に、もっと幸せになって欲しいと思うのだ。
皆、幸せに――この戦国の世では、夢物語なのかもしれない。
けれど、諦めてしまったら全ては終わり。
さしあたっての悲劇を回避する為に……毛利や長曾我部、浅井の民……ひいては武田や天下万民の為にも、信じた道を貫くしかない。
は、はた、と自分の手に矢が握られたままなのに気付いた。
そう、丁度この場にはを含め力を合わせるべき三人が揃っている。
「さっき言っていた『三本の矢』の話の本当の意味ですけど――」
言いかけて、ふと元親に視線を向けたはその場に固まった。
元親の周りには、最初の三本だけで無く、折られた無数の矢の残骸が海のように広がっていた。
瞬時に悲鳴を上げて、まだぶつぶつと呟いている当の本人から矢櫃を取り戻しただったが、中にはもう1本の矢も残されていなかった。
ひくり、と片頬が引き攣る。
「……どういうつもりですか、元親さん? これから戦だって時に……」
「ア? ああ、悪ぃな。何本くらいあったら折れなくなるのかと思って試してたんだ。まあ、やるだけ無駄だったけどよ。何本あったって、この俺様にかかれば朝飯前よ!」
悪びれない元親に、の手の中で持っていた矢がバキィッと音を立てて折れた。
「……『三本の矢』は、一人では敵わない敵でも、三人が協力すれば対抗できるという訓話です」
冷静に冷静に……と自分に言い聞かせながら説明したの前で、元親の顔が引き攣った。
「今の私たちにピッタリじゃありませんか? それを――……」
「――このような頭の弱い鬼相手に、お前の手を煩わせることは無い」
気が昂ぶって思わず一歩前に出たは、後ろに居た元就に引き止められた。
「輪切りにするなら我の力を貸してやろう」
「え……それじゃあ、お…お願いします」
「その期待に答えぬわけには行くまい」
「っ………!」
一瞬……ほんの瞬きをする間に、微かに笑ってみせた元就の表情が普段からは考えられない程に柔らかなもので、は虚を突かれた。
「なっ…お前ら、いつの間に……っ」
慌てて逃げ出した元親に、元就の環状の武器が迫る。
は、赤くなった頬を隠すように手で押さえて、その二人に背を向けた。
正直言って、アレは反則だと思う。
普段、淡々と人間を駒扱いしたり、突然光合成を始めたりする癖に、あんな人を惹き付ける笑みを見せるなんて……
やはりいくら異世界とは言っても、彼も『三本の矢』の『毛利元就』という偉大な人物には変わり無いということだろうか。
そんな風に少し見直しかけただったが、直後に背後から「消え去れ!」とか「その死も我が手の内よ」とか、あまつ「日輪よ……」だとかいう掛け声が聞こえ、しばしの空白の後、深々と溜息をついた。
遠い未来とこの一風変わった戦国乱世の世界との隔たり――それを、再度つくづくと実感したのだった。