「そろそろ教えてくださいよ、元親さん」
元親と出会って四日目――甲斐を出て七日目にして、ようやくは琵琶湖が臨める場所まで来ていた。
地名を聞いたからこそ大きな湖だと分かるが、一見すれば海のようである。
未来とはまた少し違ったあの世界でも、琵琶湖は何回か見たことがあったが、そう思うと不思議な気分だった。
視界の遥か先には、米粒のように小さく浅井の本拠である小谷城も見える。
あの世界では決して有り得ない光景――が生きる現実の世界。
なぜかあの過去を垣間見た日から、元居た時代のことを思い出すようになっていた。
しかし、そんな思い出に浸っている暇など無いのが現状だ。
「知らない方がお前の為だぜ、」
数日前から繰り返している問答に、は無理やり思考を戻した。
いまだ元親の正体に知らぬフリをしてはいるが、その目的だけはなるべく早く把握しなければならなかった。
だからそれとなく探ってみたり、直球で聞いてみたりもしているが、元親は全く尻尾を出さない。
確か四国の長曾我部は織田と豊臣の勢力に脅かされている筈……それなのに、その当主がなぜ一人で浅井に?
「…こういう時には、ピーちゃんの恩人だって言ってくれないんですか?」
「それとこれとは話が別だ。何も好き好んで物騒なことに巻き込まれなくてもいいだろーがよ」
「聞いたからって、巻き込まれるとは限らないじゃないですか。疾風が調べてたことが何なのか気になるし、ただの好奇心ですよ」
「好奇心は身を滅ぼすっつー言葉知らねぇのか? 大体、お前はな……」
出会って四日目とは思えないほどの説教モードに、は自然と腰が引けた。
それだけ打ち解けたという証拠かもしれないが、説教されて喜ぶ人間は居ない。
「――元親さん。教えてくれないと、破廉恥アニキって呼びますよ?」
「おぅよ…って、オイ! 何だその破廉恥ってのは!」
無事に説教を回避できたことよりも、幸村の口癖と元親の反応を比べて、は思わず笑ってしまった。
上半身ほとんど裸の上にジャケットを着ているという奇抜な格好は同じなのに、幸村なら元親を指差して必ずそう叫んだだろう。
まして、その相手に抱きしめて慰めて貰ったなどと言ったら――……
――「弱く脆いを守るのは俺でありたい」
――「この幸村の熱き想い、覚えていて欲しい」
弟のように思っていた男の真剣な顔を思い出して、顔が熱を帯びた。
言われた時は政宗のこともあってまともに頭が働かなかったが、よくよく考えれば熱烈な告白である。
というよりも、プロポーズだろうか。
何気に、父にも了承を得たと言っていなかったか。
そもそも、どこかへ嫁がせるとかどうとか……
「が洗いざらい吐いたら、俺も教えてやるって言ってんだろーが」
「……吐いたらって、人を犯罪者みたいに。まあ、あながち間違いでも無いですけど…」
何を考えても頭が痛いことばかりだ――納得はしていることだが、は溜息をついた。
甲斐に戻ったら、伊達と通じていたとして罪を問われるだろう。
例え父の温情で不問に付されても、は自ら罪を負う気でいる。
「何だぁ? 本当に罪人なのかよ。奥州で何かやらかしたか?」
やらかしたかどうかと聞かれれば……やらかしたことになるのだろうが。
はおかしくなってきた話の雲行きを誤魔化そうと、首を巡らせた。
「……それにしても、本当に大きな湖ですよねー。まるで海みたいで……元親さん、西から来たなら懐かしいでしょ?」
「まぁな、俺は生まれながらの海の男だからよ。そろそろ船に戻りてぇ頃合だが……って、誤魔化されるか!」
「あー……ああ、そうそう! 普通武家では、父親が許したら結婚…婚姻って成立するものなんですか?」
「アァ? 何だよ、藪から棒に。当たり前のこと言い出しやがって……」
我ながら無理のある話題転換だったので、元親が眉を潜めたのも当然だが、その表情がすぐに楽しそうなものに変わる。
「ははーん、さては。テメェ好きでもねぇ野郎のとこに嫁がされそうになって、家出して来たんじゃねぇのか?」
はパチパチと目を瞬かせた。
言われてから気付いたが、世間一般ではそういう風に取れるのかもしれない。
の自覚する『家を出た理由』とはあまりに掛け離れているが、甲斐の誰かと結婚する気が無い以上、それもある意味本当と言える。
(……私ってば、こんな状況で何て暢気な…)
長曾我部の真意を探ろうとしていたのに、いつの間にか自分の結婚に思考を飛ばすなんて……どうも、元親と居ると気が緩んでしまうようだった。
頼り甲斐のある分、自然と甘えてしまっているのかもしれない。
こんなことではいけないと自らを戒めて、もう一度先ほどよりはほんの少し近くなった小谷城を見上げた。
「……失礼な。相手が元親さんなら私も逃げ出したでしょうけど」
「――テメェの方が大概失礼だな、コラ。こんなイイ男捕まえてよく言うぜ。それとも、『政宗』じゃないと嫌ってか?」
今度は動揺を表に出さないように細心の注意を払って、は近くの雑草を踏み分けながら進んだ。
政宗のことは好きだ――それは恋愛感情としての『好き』だし、ずっと傍に居たいとも思う。
だが、結婚だとか……前に小十郎に言われた側室だとか、そういうものは考えられなかった。
独りも怖いが、自分にとって誰か絶対の人を決めてしまうのも怖い……その人が居なくなった時、どうやって生きていけばいいというのだ。
「私は独身主義者なんですよ。お嫁さんなんて似合わないし」
「……、お前ちっと肩の力抜け」
「え……?」
唐突の言葉には傍らを見上げて瞬いた。
長身の元親を見上げるのは疲れるが、この距離にも大分慣れた。
ずっと会話が尽きず、友達か兄妹のように心を許しているせいかもしれない。
こちらを見透かす…と言うよりも、丸ごとくるんでくれるような…大きな船のような瞳で元親は言う。
「俺はお前の事情も、何もんなのかさえ知らねぇが、性格なら大体分かるぜ。どうせくだらねぇことぐだぐだ考えてんだろ。もっとテメェの思うままに行動してみろよ」
「………私は元親さんみたいに単純じゃないんです」
素直に頷けないの言葉に、元親は大きな声で笑った。
「言うことまでアイツと同じとはな……お前ら絶対気が合うぜ」
「アイツって、元親さんの友達?」
「まぁな、この先で落ち合うことになってるからお前にも会わせてやるよ」
元親の待ち合わせ相手と聞いて、もっと詳しく聞こうとしただったが、突然頭を押さえつけられてその場に伏せる。
また山賊かと思ったが、遅れて感じた気配は全く違っていた。
「元親さん、これって……」
よくよく意識を研ぎ澄ませれば、まだ遠い木陰に複数の気配――しかし、その手前に感じたことの無いような緊迫した空気が張り詰めている。
「チッ……マズイな」
元親の毒付きに、も意識を引き締めた。
今まではずっと守ってもらうばかりだったが、元親に余裕が無い以上、死にたくなければ自分で何とかしなければならない。
山道はなだらかな下りの一本道……琵琶湖の岸まで続いている。
その岸沿いを行った先に、小谷城。
「……あのお城に、浅井のお殿様が居るんですよね?」
「――多分な」
突然のの言葉に、元親は驚きながらもそう返した。
「元親さんは、お城に行くんですか?」
「そのつもりだったが、この調子じゃ無理みてぇだな。取り敢えず迂回して城と反対側に……」
元親の言葉を聞きながら、辺りの様子を探る。
潜んだ敵の気配と、そして何処かから視線……妙な緊迫感。
罠だと言っているようなものだが、としてもこのまま黙って帰る訳にはいかない。
まずは浅井夫妻に会わなければ意味が無いし、この道を避けて遠回りしていたら間に合わなくなる可能性だってある。
「――私もあのお城に用があるんです。でも、迂回している時間が無いので、元親さんとはここでお別れですね」
「アァ? いきなり何言って……」
「いろいろとお世話になって、本当にありがとうございました」
「おいおい、ちょっと待てって、一先ずここは迂回しねぇと……」
「私一人でも行きますから!」
気が急いていた――と言う他は無いだろう。
が自分の迂闊さを悔いた時には遅かった。
一歩足を踏み出した瞬間、左手から強烈な殺気が生まれ、ぞくりと背中を悪寒が走る。
「ッ、!」
――「――っ!!」
引き寄せられた強い力
包み込んだ温かいぬくもり
自分の代わりに衝撃を受けた大きな背中
泣きたくなるほど愛しい、煙草の匂い――
「……危ねぇ」
一瞬のフラッシュバックの後、間近から聞こえたのは、記憶の中の声とは別のものだった。
は呆然としたまま相手の――元親の視線の先を辿る。
とっさに元親が腕を引いてくれたお陰で、は無傷だった。
目の前を紙一重で掠めて行ったのは光の輪のような衝撃波で、まともにぶつかった大木が数本まとめて折れている。
「……元就の野郎、本気じゃねぇか」
「――なぜ我が鬼を相手に手加減などせねばならぬのだ」
「げ」
元親のぼやきに答えたのは、気配も無くそこに現れた男だった。
緑を基調とした衣裳に身を固め、大きな円形の変わった武器を持っている。
「このような罠にかかるのはお前くらいと思ったわ」
大きくも無いのにその場に朗々と響いた声は、湖のように静謐にの耳を打つ。
山道の先に立っていたその人の眼は、冷たい温度を凪いだ海のように宿していた。
――「……kiss」
甲斐で別れたあの夜、一瞬触れた唇の熱さとは反対に、静かに凪いでいた鋭い隻眼――
再び背中を這い上がってくるような闇の気配を感じながら、は対峙した冷たい瞳から眼が離せなかった。
070603