ひどくぼんやりした夢の淵からが目を覚ましたのは、日も傾いた頃だった。
眩しいくらいの青空と対面するハメになり、鮮やかな色彩が目に沁みる。
ゆらゆらと快適とは言い難く揺れ続ける振動にしばらく意識がはっきりしなかったが、次第に自分の置かれている状況を思い出した。
(そうだ……ここは家じゃない。確か昔の日本で…あの伊達政宗に会って……それから……そう、矢が、刺さったんだ……)
長年弓道部に在籍していたとは言え、自分自身が射られるなど勿論初めての経験だ。
そうと思い出すと、焼けるように疼く痛みが襲ってきた。
傷口は真新しい布を巻かれ、丁寧に手当てされているようなので、実際にどうなっているかは見えない。
ただ、恐らく傷のせいで熱が出ているのだろうということは分かった。熱く気だるい体は、現在タンカのようなものに仰向けに寝かされており、それを年若い兵が二人がかりで担いで運んでくれている。
彼らに申し訳ないとは思いながらも、到底自分で歩けそうも無かったは、再び遅い来る睡魔に仕方なく身を委ねたのだった。
それから更に一晩を費やして、伊達軍の凱旋団に混じって移動したは、翌朝ようやく大きな城の門を潜った。
天守閣は見えず、平城のようだったが、その広大であろう敷地は延々と続く堀だけで想像できた。
兵たちの弛んだ表情や雰囲気から、この巨大な城が彼らの本拠地なのだろう。昨日小十郎が言っていた米沢城というところだとあたりをつける。
いくつも潜った頑強な鉄扉とその防壁にただただ圧巻されていただったが、タンカから下ろされて手荒く立たされるとすぐに移動させられた。
どこに連れて行かれるのか……勿論不安は大きかったが、好奇心もあった。
しかし、それが視界に映ってくると、怪我のせいだけでは無く、思わず足が竦んでしまった。
一先ず捕虜と同じ扱いになると小十郎から聞いていたので、ある程度の覚悟はしていたが、連れて行かれた先は罪人の収容所――牢獄だったのだ。
しかも、それはご丁寧に地下の深いところに作られており、空気が淀んでひどい悪臭が鼻につく。
「お前もここだ! ……悪く思うなよ」
「えっ……ちょっと待っ……!」
最終的に突き飛ばされるようにして入れられたのは、大きな共同牢だった。
の背をひやりと冷たい汗が伝い落ちる。
そこには、既に一足先に収監された捕虜たちがひしめいていた。
つい昨日の戦で五体満足な者はほとんどいない――しかも、彼らは敗軍であるのだから尚更だろう。
手当てもされず放り込まれて苦しんでいる者もいて痛々しく、またそれは恐怖心を煽るものでもあったが、それよりもの問題は別のところにあった。
同じ牢に入れられた捕虜の彼らは、当然というか、全員男だ。
戦というのはただでさえ気が高ぶるというから、怪我人とは言え、彼らに倫理や理性を求めるのには無理がある。
まして、ここは現代ではなく、男尊女卑の昔なのだ。
鬱憤の溜まった男ばかりの閉鎖空間の中に、若い女が一人で放り込まれる……それがとてつもなく危険であることくらい分かるし、何よりも今現在の空気からそれが痛いくらい伝わった。
「女……!?」
「女だ……!」
「まだお嬢ちゃんだが上玉じゃねーか」
「アッチの方は慣れてなさそうだぞ」
「馬鹿、そこがいいんじゃねーか」
「俺たちがたっぷり教えてやるぜ」
「おい、俺にも回せよ。片足動かねぇが、こっちは元気だからよー」
あけすけに下品な言葉と視線を投げてくる男たちを見回して、の背中を悪寒が走り抜ける。
「だっ…誰か……! 助けてください! 片倉様!」
試しに大声を上げて片倉の名前も出してみたが、看守が降りてくる様子は無かった。
単に黙殺されているのか、聞こえていないのか……
(う……恨みますよ、片倉さん!)
体を汚されても死ぬわけじゃ無い。
自分に言い聞かせてみたが、死んだ方がマシということだってあるだろう。
それでも、決して心まで屈服することだけはすまいと、は震える体を叱咤して男たちを睨み付けた。
更に下卑た笑いを深くする男たちの伸ばす手が妙にゆっくりに感じた。
「っ!……くっ…は…はぁ……shit!」
何百回見ても慣れることなど無い幼い頃の夢から目が覚めると、政宗は自室の布団に横たわっていた。
体調が悪いと、必ず夢見も悪くなる。
条件反射にでもなっているのか、忌々しい癖がついている自分がひどく煩わしい。
大量にかいた汗を夜着の袖で拭い、深い溜息をついて髪を掻きあげた。
体調と腹具合からして、随分と長い時間寝ていた気がする。
「小十郎」
軽く声を上げると、小さな返事と共に障子が開かれ、呼んだ男が静かに入ってきた。
「お目覚めになりましたか。安心いたしました、政宗様。何かお召し上がりになりますか?」
「Ah~~そうだなと言いたいとこだが、俺は何日寝てた?」
「城に着いて丸一日にございます」
「アァ? なんで起こさねぇんだよ!」
ただでさえ戦後は勝っても負けても、事後処理に忙殺される。
特に勝ち戦で相手の領地を獲得したなら、そこを治めるべく片付けなければならない仕事は山積みだ。
そんな中で丸一日も無駄にしたとは……こちらの性格を知り尽くしている筈の小十郎には珍しい不手際に、政宗は思わず声を荒げた。
だが、そんなことで怯む相手でもない。
案の定、深い溜息をつかれ、説教モードに切り替わる。
「何を仰っているのです。典医の見立てでは、平気な顔で歩き回っていたことの方が驚きだというほど、胸の骨に損傷があったのですぞ! 全く、いつもいつも無謀なことばかりなさって……どうせあの女子が居なかったら、あの怪我でも戦場を駆けてきたんでしょう! 貴方はもう少し自重というものを……」
「Stop! Hold your tongue. あの女子ってのは、のことだな。アイツはどうした? 無事か!?」
「――はい、確かにそう名乗って……」
そこまで言って、ぴしりと小十郎が固まった。
「……What's matter?」
「――政宗様、しばし御前を失礼……」
唐突に鬼気迫る顔でそう言ったかと思うと、小十郎は慌しく襖を開け、大声で小姓を呼んだ。
現れた少年に政宗の前だというのにその場で何事か問いかけて、返ってきた答えに顔を青くする。
「Hey、小十郎。一体何だってんだ」
「申し訳ございません!! 私の不覚です!」
いつも冷静沈着なこの男らしくない動揺ぶりに驚いていた政宗は、小十郎が突然土下座したことで更に目を瞠った。
そして、語られた内容に思考が一旦停止する。
「先ほどお尋ねされた殿ですが、本陣にて手当てしました後は一時的に捕虜という扱いにさせていただいていたのです。城に着きましたら政宗様にご確認いただこうと思っておったのですが、つい…諸々のどさくさでそのままに……。今ようやく確認いたしましたら……そのまま、他の捕虜と一緒に地下の大牢に入れられている、と」
「……何だと?」
「政宗様の恩人に申し訳ございません! 全てこの小十郎の不手際にございます!」
畳に額を擦り付けて謝る小十郎をそのままに、政宗は盛大に舌打ちして立ち上がった。
枕元の愛刀の一本を無造作に掴んで大股に部屋を出る。
「政宗様! いけません、まだお体が…!」
「うるせぇ!」
尚も追い縋る小十郎を従えたまま、政宗は怪我の痛みを無視して足を急がせた。
――突然本陣の真裏に現れた、謎の少女。
そこまで近づかれる直前まで、戦で鋭敏になっていた政宗の感覚をもってしても気配を掴むことができなかった。
タイミングは奇しくも、南の北条との決戦――小田原城攻めが篭城戦の様相を呈して来た為に、挑発して引いた伊達をまんまと北条が追って来た戦場だった。
そんな時に、政宗の傍にやってくる者など決まっている。
凶手(暗殺者)か草の者(密偵)……いずれにせよ、敵だ。
気配を気付かせず近づき、あまつ政宗の一撃さえかわしてみせ、隙をついて逃げた女――別口の敵襲でその時は追えなかったが、次に姿を見たら仕留めようと思っていた。
だが次に会った時には自分は怪我でろくに動けず、信じ難いことに相手に手当てされていた。
敵ではなく、ただの通りすがりだなどとふざけた事を言っておきながら、異質な空気を隠そうともしなかった。
異国語を操り、気難しい馬を手懐け、的確な状況判断をし、独眼竜政宗を試した――
おもしろいと思った。敵か否かを置いておけるくらいには、おもしろいと。
政宗の代わりに本陣へ伝令として赴くと言った時には、出会いの不審さ故に信じきることが出来なかったが、こうして見事その役割を果たして見せた。
は文字通り、その一命をかけて、敵ではないと――政宗に味方する者だと証明してみせたのだ。
今の彼女は不審人物では無く、政宗と伊達軍の恩人――そのが、敵の捕虜として大牢に入れられているという。
「……shit!」
牢には、怪我人も時には死人も、まとめて放り込まれる。
一見して無力なように見えたあの少女など、見るだけで失神するような場所だ。
しかも、戦で気が立っている敗軍兵が、閉鎖空間で少女を前に大人しいわけが無い。
城へ着いてすぐ牢に入れられたとして、既に丸一日――
良くて、男たちの慰み者になって心身ボロボロ、最悪の場合……死――
不吉な考えを振り払いながら城の裏手にある地下牢までやって来た政宗は、入口で慌てる見張りの横を通り抜け、蹴り破るようにして最下層の扉を開けた。
「っ!」
鼻につく死臭に眉を顰めて大声を出す。
ざわりと揺れた空気の中、薄暗い牢内の光景に目が馴染んでくると、政宗は隻眼を大きく瞠った。
「政宗様っ、どうですか、殿はご無事で――――これは……!?」
後から追いついてきた小十郎も思わず声を上げる。
大牢と言っても三十人程が収容されて狭い牢内――その隅に、ぽっかり空いた空間が有り、そこに長い髪で袴姿の華奢な人影が丸まっていた。顔は見えないが、服装から見てもに間違いは無い。
目を覆わんばかりの惨状を想像していただけに、どういうことかと訝しんだ政宗は、取り敢えずに駆け寄ろうと牢に入った所でその足を取られた。
「あんた……頼む、ここから出してくれ!」
「ア?」
視線を下に向ければ、獄中の男が政宗の足首を掴んでいた。
「出してくれ、お願いだー!」
「別の牢に移してくれー!」
「まだ死にたくねぇー!!」
「おら、てめぇら! この方をどなたと心得てる!!」
途端にわらわらと縋ってくる捕虜たちを小十郎が遠ざけたが、彼らの視線がちらちらとに向けられていることが気にかかった。
政宗は眉を潜めながらも、の傍に膝をつく。
「オイ、! 無事か!?」
「………だ…れ……?」
答えた声は、ひどく掠れていた。
しかし、しっかり服も着ているし、新しい傷も見えない。
やはりこの少女はどこかの間者で、並々ならぬ力の持ち主なのか――再度疑念がもたげた政宗と顔を上げたの視線が合わさった。
「……あ、政宗さ…様…?」
そこでようやく意識が覚醒したのか、は勢い良く起き上がった。
しかし怪我をしているのか、肩を押さえてすぐに呻く。
「うぅっ…く……!」
「殿! 大丈夫ですか、怪我が痛むのですか!?」
後から来た兵たちと共に捕虜を押さえつけながら、小十郎が尋ねた。
「片倉様……」
喘ぐように呟いたは、はっと何かを思い出したのか、急に胸元を握り締めた。
よくよく見れば、着物の合わせが所々裂けている。
「……とにかく、ここを出るのが先決だな。……自分で立てるか?」
触れようとした体が震えたのを目に止めて、政宗はそう聞いた。
小さく返事をして、は壁を支えにゆっくりと立ち上がった。
そのまま先導するように政宗が先に立ち、牢の扉を潜る。
その際に、後ろから捕虜たちの声がかかった。
「その女は早く殺した方が身の為だぞ!」
「あんたらも精々気を付けろ」
「病持ちの女などさっさと殺せ!」
病持ち――?
政宗が驚いて振り向くと、その視線に気付いたは僅かに口の端を上げた。
「嘘つきは…泥棒の始まりと言いますが――処世術というヤツです」
覚束無い足取りで階段を登りきったは、呆気に取られる政宗と小十郎に力なく、けれどはっきりと笑ってみせた。
「なんと気丈な……」
小十郎は感嘆するようにそう言っていたが、政宗は反対に顔を顰めた。
とっさの機転で難は逃れたものの、あの男たちに襲われかけたのは事実なのだろう。
着物の合わせ目を掻き抱いて震えていたのは、どこの誰なのか。
「――無理すんな」
「! 無理なんて……」
すぐに言い返したに、政宗は舌打ちした。
そもそも、あんな場所に周りは全部敵だらけの中で丸一日も放り込まれたら、大の男だってツラい。怪我をしていたなら尚更だろう。
更に襲われかけた女の身で、本当は震えていたくせに、何でも無いように笑ってみせるなんて――……
「…面倒くせぇ女だな」
「え?」
驚くに拒絶する暇も与えずその体を肩に担ぐと、政宗は厩に向かって歩き出した。
「小十郎、ちと出掛けるぜ」
「はい。――――は?」
「ちょっ……政宗さ…ま……!?」
丁度食事時で外に出ていた白斗にすぐに鞍を着けさせ、政宗はと共にその馬上に跨った。
「Ya-Ha-! 落とされたくなきゃ大人しくしてろよ!」
騒ぐを無視して一方的に言うと、政宗は思い切り馬の腹を蹴った。
馬で走る振動は傷に障ったが、走り抜ける風は心地良かった。
060615