3.旗印

 朦々と上がる土煙と狂気じみた熱気に、はますます瞳を歪めた。

 戦場に入ってからどれだけ経っただろうか。
 数時間にも、数分にも思えて、時間の感覚が完全に麻痺していた。

「白斗、もう少しだから頑張って…!」

 身を伏せたままの不安定な体勢で白馬の首の辺りを擦ると、ブルルと返事が返ってきた。

「本当にいい子ねぇ」

 感嘆するように呟いた途端、白斗がいきなり大きく右に跳んで、は慌てて足に力を入れて耐える。
 その直後、すぐ左手――先ほどまでたちが走っていた場所を矢が掠めて行った。

「あ……ありがとう、白斗」

 戦場に入ってからというもの、ずっとこんな調子では白斗に助けてもらっている。
 普通は乗り手が危険を察知して馬を誘導してやるものなのに、これじゃあ丸っきりただのお荷物だ。
 せめて白斗よりも視界が自由な分、安全そうなルートや近道を探そうと思うのだが、初めての地形、初めての戦場で、ただ振り落とされないように身を屈めて掴まっているのがやっとだった。

 矢に当たらないように姿勢を低く保つの目に、すぐ手の届く場所で生死をかけて戦っている人たちが映る。
 彼らにも家族や友人……帰りを待つ愛する人たちが居るのだろうな、と当たり前のことを考えた。


 の脳裏に甦るのは、幼い日の自分だ。
 何が悲しいのか、泣いてばかり居た自分。
 両親は、そんなを辛抱強く慰め、慈しんでくれた。

 には八歳より前の記憶が無い。
 両親が本当の親では無いと知ったのは、引き取られて一年後。
 自分が捨て子で、子供の無かった両親が引き取ったと彼らの親族から聞かされたのが更にその一年後だった。

 拾われた時にが持っていたのは、という名前と、今は守り袋に入れているものの二つだけだった。
 両親は泣いてばかりのを哀れみ、動物とふれあわせようと乗馬を習わせてくれた。
 それが功を奏し、すんなりと馬に懐いたは、本物の愛情を注いでくれる義理の両親の元で今日まで何不自由無く育ってきた。

 その両親は今頃どうしているかと想いを馳せる。
 ここで目が覚めて半日……家から出て何日になるのか分からない。
 いなくなったを、あの優しい両親は、心から心配してくれるだろう。
 そう信じているのに、その端から「本当に?」と自問する自分が居る。
 本物の親にさえ要らないと捨てられてしまったは、人を信じ切れない自分がひどく嫌いだった。
 信じて、裏切られるのが……怖い。


 やがて、政宗から聞いた通りの道筋を抜けると、左右の視界も開けてたくさんの旗が立っている場所が見えた。
 何やら想像していた揃いの旗では無くて、色とりどりの大きな旗のようだが、場所からして間違いは無い。
 あれが、伊達軍の本陣なのだろう。

「白斗、あそこね?」

 軽く嘶いた白斗に力を得て、は考え事を振り払うべく、ぐっと力を入れて馬足を急がせた。

 しかし、ようやく目的地が視認できたというのに、今までの非では無いほどに兵の数が多くなる。
 敵か味方かも分からなかったが、両者入り乱れての戦闘中で、彼らにとっては敵と識別されるだろう。 
 案の定、こちらに向かってくる矢や槍の数も増え、白斗も必死に走ってくれたものの、その内の1本の矢がとうとうの左の肩口に突き刺さった。

「あぅっ……ぐ……!」

 熱い痛みと共に飛びそうになった意識を必死に繋ぎ止め、悲鳴を噛み殺す。
 何とか落馬は避けたものの、右手だけでは手綱も持てず、バランスも保てないことから、白斗の背に抱きつくように手を回した。

「ごめん、白斗……やられちゃった。本陣まで、お願い……!」

 今意識を失ったら、間違いなく振り落とされる。こんな戦場のど真ん中で落馬などしようものならば、間違いなく死ぬ。
 は胸元の守り袋を握りしめた。

 の本当の親への唯一の手がかり……いつか、必ず見つけなければならない。
 それは、幼い頃からの自分との誓い。

「こんな所で、死ねない……!」


 そこからは、ほとんど記憶に無い。
 ただ必死に白斗の背にしがみついていたが、いつの間にか白斗は足を止め、物々しい雰囲気の中で無数の槍に囲まれていた。

 はっとしてが身を起こすと、周囲の槍の包囲が一層狭くなる。
 一瞬息を呑んだものの、覚悟を決めて、は懐から預かった眼帯を取り出した。
 肩の痛みを必死で耐えて、それを掲げてみせる。 

「私は敵ではありません。政宗という人から頼まれて、片倉小十郎という方に伝言を持ってきました!」

 大声を出すのは傷に響いたが、そこは気力でぐっと耐える。
 その甲斐あってか、ざわりと兵たちは動揺し始めた。
 少しは槍の矛先が減ったというものの、その場に待たされての額を冷たい汗が伝う。
 傷の痛みを何とか紛らわそうと辺りを見回してみれば……なぜか漁師が持ってるような大漁旗が種類豊富にたなびいていた。
 また違う場所に来てしまったのかとも思ったものの、政宗が「coolな旗が立ってるからすぐに分かるぜ。あれは遠くからでも目立つからよ」などと得意げに言っていたのを思い出した。

(――cool? これが?)

 しかも大漁旗には、『天下上等』やら『戦場我命』『奥州夜露四苦』などと書かれている。
 が思わず、一昔前のヤンキーかよと心中でツッコミを入れても無理からぬものがあった。

 それから間も無く、兵たちの合間を縫って、物々しい出で立ちの男たちが進み出てきた。
 普通の兵と違って、立派な鎧に兜や烏帽子……多少着崩して独特なセンスを醸し出しているが、位の高い武将たちなのだろう。
 先頭を歩いていた少し小柄の若い武将が馬上のに目を止めて口を開いた。はごくりと固唾を呑む。

「殿からの言伝だって!? マジで!? 女の子じゃん!」
「ご無事か……真にようござった。のぅ、小十郎殿!」
「本当に……全くあの方は何度申し上げたら……!」

 尚もそれぞれに言葉を上げて一気に賑やかになったその予想だにしない展開に、は思わず口を開けた。

 ここは昔の日本では無かったのだろうか。じゃん…?
 しかも、こんな見ず知らずの女の言うことを素直に鵜呑みにしてもらえるとは思っていなかった。
 それはもちろん、信じてもらえなくても何とか信じて貰うしか無いのだから、こちらの方が非常に有り難いのだが、拍子抜けの感は否めない。

(それにしても、殿……?)

 恐らく政宗のことだろう。偉い人とは思っていたが、まさかあの若さで殿様だとは……そう思いながらも、は取り敢えず下げられた槍を確認して馬を下りた。

「片倉小十郎様ですね?」

 どうやらの肩に刺さったままの矢に気を取られていたらしい小十郎は、がそう尋ねると驚いたように視線を上げた。そして、敵意を込めた剣呑な目を向けてくる。

「――如何にも、俺が片倉小十郎だが、なぜ分かった? それに、その腰のは政宗様の……」
「貴方のことは、政宗さ…様から特徴をお聞きしていましたので。それからこれは、護身用にとお貸しいただいたものです」

 流石に訝しんだ様子の小十郎に説明して、は口早に伝言を伝えた。

「政宗様からのご伝言ですが、急ぎとのことですので、ご無礼を承知でそのまま伝えます。――『俺は生きてる。魔王の犬はトンズラした。北条の首だけ取ってとっとと終わらせろ。とにかくhurry!ぐずぐずすんな!』」

 小十郎を含む三人は呆気に取られたように一瞬立ち尽くし、次の瞬間にはその内の一人が大爆笑した。

「すっげぇ! 怒ってる殿に超似てるよ! 今度モノマネのコツ教えて!」
「成実殿!」
「はいはい、分かってるよー。――聞け、皆のもの! 殿のご下命により、こちらから打って出る! 急ぎ陣容を整えよ!」

 成実と呼ばれた男が先ほどまでとは打って変わった様子で檄を飛ばすと、陣内は慌しく動き始めた。

 役目は果たしたと安堵したは、がくりと力が抜けるのを感じた。
 しかし、地面に倒れる事無く、誰かに支えられる。
 力なく顔を上げれば、一番近くに居た小十郎だった。

「すみません……片倉様」
「いや、構わねぇが……かなり深く刺さってるな。すぐに軍医を呼ぼう。……本来なら我が殿の恩人に対して礼を尽くすのが筋ってもんだが、こんな時代だ……殿が戻るまで一先ずは捕虜という扱いにさせてもらう」
「はい、構いません……それより、あの、さっきから『殿』というのは……」

 朦朧とする意識で聞いた質問に帰ってきたのは、誇らしげな笑顔と的確で十二分な答えだった。

「ああ、政宗様のことだ。我らが主…米沢城城主、伊達藤次郎政宗様。広大な奥州を筆頭でまとめられている御方だ」

 は目から大きな鱗が落ちる思いだった。

 そう言えば、彼はちゃんと、伊達軍の政宗と言っていたではないか。
 ほとほと自分の鈍さに呆れ果てるしかない。
 あの歴史上有名な伊達政宗――……戦国時代の大武将にあんなに気安く接していたとは。

(ああ、だから……)

 はイメージしていたよりもずっと若い彼を脳裏に描いて、その隻眼に納得した。

「竜……独眼竜…政宗………」

 自分の声をひどく遠くに感じながら、の意識は深く沈んでいった。






060615
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