「やれやれ、これでようやく打ち止めですかねぇー」
「ふむ……結局、鼠は」
「仕留めたのは約二十。何人かは逃げられましたが、そいつらも含めて、全ーっ部黒脛巾でしたね」
「………伊達の小童めが。よほど必死とみえる」

 嘲笑も露に紡がれた信玄の台詞に、佐助は表に出ないように苦笑した。

 姿を隠したままの報告――相手が幸村ならば別だが、名実共にこの甲斐の盟主たる信玄とは大っぴらな『内緒話』など出来ないことが多い。
 そんな時は、大抵このような形での報告となる。傍から見れば、信玄が部屋で独り言を言っているように見えるだろう。

 こういった形での報告には慣れている佐助だったが、こういう時にこれほど口数の多い信玄は初めてだった。

(それだけ、姫さんが可愛いってことかねー)

 そのを政宗の前から攫うようにして連れて来た時点で、あの負けず嫌いの独眼竜から何らかの追手がかかることは想定していた。
 故に、躑躅ヶ崎館の警護をいつもの倍以上配し、トラップを築き、万全の状態で備えていたのだが――
 追手としてやって来たのは、伊達秘蔵の忍集団・黒脛巾組の総戦力だった。
 これには流石の佐助も慌てたが、それでも何とか撃退できたのは、一重にここが自分たちの城で地の利を生かせたからに他ならない。

 奥州の王・独眼竜は本気だ――
 そう思うと、佐助などはぞくりと身震いしてしまったのだが、信玄は違うらしい。
 流石は甲斐の虎――そう思ったりもしたのだが……

(これはどっちかって言うと、可愛い娘についた変な虫を全力で叩き潰そうとしてる父親――みたいな?)

 伊達政宗が本気でを取り戻そうとすればするほど、信玄の怒りは深くなるという訳だ。

 米沢でのの様子を知り、そしてここに来てから直に話したを知った佐助は、複雑な苦笑を零すしかなかった。

(ご愁傷様、――)

 それは心からの同情なのか、それとも安堵なのか――
 どちらにせよ、幸村に雇われ、武田に仕える忍頭である佐助のやるべき事は変わらない。

「……さぁーて、お仕事お仕事っと」

37.姫君の資格

 ――感覚が鋭くなることは、必ずしも良いことではない。

 ここ最近、はそのことを実感していた。

 最初の頃は、今までよりも遠くのものが見えたり、音がよく聞こえたり、気配で人を判別できたりと、新鮮なことばかりで心を躍らせていた。
 だが例えば、警護の為かいつも床下に潜んでいる忍や、遠巻きに向けられる好奇の眼差し、他愛無い誹謗中傷は、決して気持ちの良いものではない。
 人の心は、悪意にはとかく弱いものだ――

 しかし、それらは役に立つこともあった。

「……ふーん、私って『嫁き遅れ』で『傷物』なんだ……」

 口さがない家人たちの噂話、と彼らを責めることは出来ない。
 信玄が選んで傍に置いているだけあって、彼らは礼儀作法も行き届いているし、根は善良な人たちばかりだ。
 噂話も、純粋にを案じてくれてのことのようだった。
 曰く、姫様はこの年になって嫁にも行っておられないが、今まで独眼竜の元に居た娘を貰おうという奇特な者はこの先も現れないだろう――お可哀相に。

 まだまだこちらの世界の常識に疎いだったが、武家の娘としての役割くらいは分かる。
 家の為の婚姻――時には、敵国に人質のように嫁ぐことさえある。
 だが、『傷物』などという認識が広まっていては、その人質の役割さえ果たせないということだ。

 米沢に居る時は、自分が生活していく為に、常識を知りたいと思った。
 逆を返せば、知らなくても自分一人が困るだけだったのだ。

 だが、今は違う。
 は、という個人であると同時に『武田信玄の娘』なのだ。
 ――先日の米沢行きを言い出したことで証明された通り、知らないということは罪悪ですらある。

 武田の姫としての役割を果たす為に――
 として、この場所に在る為に――

 俯けていた顔を上げて、その場から腰を上げた。







「……容赦がありませんね、父上」
「なに、勝敗は時の運と言えど、わしとてまだまだ若い者には負けぬわ!」

 正午を過ぎて唐突に父の部屋を訪れたを、信玄は何も言わずに笑顔で迎え入れ、そして何も言わずに碁盤を持ってきた。
 囲碁は米沢で政宗と打って以来だったので余り進んでやりたくなかったのだが、打ち始めて数分後には、もうすっかり熱中してしまっていた。
 そして我を忘れるようにのめりこむこと更に数分――やはり経験の差がありすぎるのか、短時間の間に盤面はとうに趨勢を喫しているようだった。
 投了のタイミングさえ読めないは、むっと悔しさいっぱいにそれを睨むしかない。

「……はぁ、これってもう駄目ですよね?」
「うむ、勝負は決しておるのう。しかし、負けを認めるか否かはお主の自由ぞ。さて、どうする?」
「勿論――次は違うもので勝負です!」
「ほぅ……?」

 楽しそうに笑った信玄に、もにこりと笑いかけた。

「一つが駄目だったからといって、全部を諦めるのは早すぎると思うんです。――ですから父上、私を武将として使ってください!」
「ふむ、なるほど武将とな…………なっ…将…と申したのか!?」

 信玄の手から碁石がぽろりと落ちて転がった。
 はそれを拾って元の場所に戻す。

「力不足だということは分かっています。でも、一生懸命鍛錬して、きっと父上や武田の為に力になってみせます。いきなり将というのが無理なら一兵卒からでも構いませんから、どうか――……」
「ま…待てぃ、。わしが言いたいのは将がどうのということではない。お主、女子の身で戦場に立つと申すか」
「はい」

 きっぱりと頷いたに、信玄は絶句する。
 その様子に、これは思ったよりも落とすのが難しそうだと判断したは、盤面の碁石を片付け、改めてその真ん中に一つの黒石を置いた。

「ここが、いま現在だとします」

 次にその左側の直線状に更に何個かの黒石を置いた。

「そして、これが平安、鎌倉、室町――この戦国乱世以前の過去です。父上、私は未来に飛ばされたと言いましたが、それは厳密には少し違うみたいなんです」
「……未来では無い…とな?」

 呆然としていた信玄も、の話に耳を傾けるべく、碁盤の上に視線を落とした。
 は曖昧に頷いて、最初の黒石から離れた右側に、一つの白石を置く。

「ここから四百年以上先の時代であることは間違いありません。けれど、私が居た未来は、織田信長が明智光秀に奇襲されて死に、その明智を討った豊臣秀吉が天下を取り、秀吉の死後は徳川家康が将軍となり関東に幕府を開いた――」

 言葉の度に直線状に白石を配して、は信玄を見つめた。

「――そういう歴史の上に成り立った未来なんです」
「……じゃが、徳川は既に……」
「そうです。それを聞いた時、私も怖くなりました。私の知る歴史では、徳川家康の開いた幕府は三百年に渡って太平の世を築きます。ところが、ここにはもう家康は居ない……そして、独眼竜は『遅れてきた戦国武将』と呼ばれていました。父上と独眼竜が同じ時代で覇を競うことは有り得なかった……私は勤勉じゃありませんでしたから未来の歴史に詳しくはありませんが、知り得る限り、この時代までの歴史は同じです。ですが、ここから歴史が食い違って来ている――私も知らない未来……この先、それを切り開いていくのは今この時に生きている私たちだと……そう、割り切ることにしたんです」

 盤面の黒石は、既に動かない過去――そして白石は、いまだ定まっていない未来。

「――おもしろい。おもしろい話ぞ、! それによると、お主の知る未来では天下を取れなんだこのわしも、その働き如何によっはまだまだ勝機はあると言うことじゃな!?」
「その通りです、父上!」
っっっっっ!!!!」
「ち…父上……!!」

 この流れは、もしや殴り愛……!?

(……それはいくら何でも無理っっ!)

 即断したは、その場にがばりと跪いた。

「私は父上の娘として……普通の武家の女子としては、お役に立つことが出来ない身。ですからどうか、臣下として使っていただきたいのです!」
「なれど、……」
「私は前田のまつ様を良く知っています。女でも、とても強く戦場での働きも目覚しい方でした……まつ様のようにとは言いませんが、私も伊達では伝令隊として戦に出たこともありますっ!」
「な…なんと……!?」
「全然嬉しくはありませんが、豊臣の竹中半兵衛からは、軍略の才…のようなものも見込まれました」
「……小僧共めが……」
「ですから、父上、どうかお願いしますっ! 私が未来と行き来したことに本当に何かの意味があるなら、私はこの身をもって見届けたいんです!」
「う…うぬぅ……」

 尚も渋る信玄をまっすぐに見つめて懇願することしばし、父は深々と溜息をついた。

「頑固な所はわし譲りじゃな……良かろう。己が心の思うままにやってみよ、! ただし、時が来てもわしが認める腕に達しておらなんだら、出陣は許さぬぞ!」
「はいっ! ありがとうございます、父上!」
「うむっ! 精進せぃ、っっ!!」
「………は…はい」

 殴り合いとまではいかなくとも叫び合いはしたいのだと、は父親の心情を正確に察したが、気づかない振りで深く頭を下げた。






 信玄から許可を貰ったその足で、は鍛錬場に向かっていた。

 武田の人々が、の存在に戸惑っているのは分かっている。
 振って湧いたように現れた『姫君』――それも、長年行方知れずで奥州に囚われていたという認識があるのだから、簡単には受け入れられないのも当然だろう。
 それは時間が解決してくれるだろうが、少しでも父親の役に立ちたいは、そんなに悠長に構えるつもりは無かった。
 最初こそ疎外感を感じるだろうが、積極的に兵や傍仕えの人たちと交わって、一日でも早く受け入れてもらわなければ――

 その為には、やはり少しは姫君らしくすることも必要だろう。
 話し方や立ち居振る舞い、礼儀作法、お茶やお花、楽器や詩歌といった教養も必要かもしれない。
 弓や馬は勿論のこと、刀も使えた方が絶対に良いし、兵法も勉強してみたい……
 やりたいことは数え切れない程あるが、どこから手を付けるか――

 ぶつぶつと考えながら館の裏手に回ってきたは、角を曲がった所で騒ぐ声を聞きつけた。
 何事かと走って辿り着いた井戸端に、数人の兵たちと忍隊の姿が見える。
 普段姿を見せない真田忍隊が居るということは……

(侵入者……!?)

 いまだ暴れているらしい侵入者を取り押さえようとしているのか、激しい剣戟が聞こえて来る。
 動態視力が格段に向上したの視界に、それが映ったのはほんの一瞬だった。

(赤い髪の毛……まさか……っ!!)

 相当な手だれと思しき相手も、忍隊に囲まれてとうとう地に押し付けられた。
 そこではっきりと見えた赤毛と見慣れた装束に、の目が大きく見開かれる。

「やめて……」

 赤毛を取り押さえた忍隊の腕が上がり、手にしたくないが振り下ろされる――

「……やめよっっ!!」

 は無我夢中で懐の短刀を投げつけていた。
 それは振り下ろされる最中であった忍のくないに命中して、弾き飛ばす。

「……はぁ…はぁ………疾風……」
「………

 米沢で否応無く別れた友の一人との、思いがけない再会だった。






070108
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