34.過去の証

「――今から言うことは、嘘や冗談のように聞こえるかもしれませんが、本当のことです」

 賑やかで心温まる朝食が済んだ後、一同は場所を信玄の居室に移っていた。
 凛と背筋を伸ばして座ったは、こちらの真剣さを示すために、強い眼差しで目の前の信玄を――部屋の端に控えている幸村と佐助を見つめる。

 体調も回復し、ようやく長い話をする時が来たのだ。

「私は十年前、捨て子としてある夫妻に拾われました。場所は関東――ただし、今よりも四百年先の未来です」

 唖然として驚く一同に、は淡々と自分の十年間を話した。
 伊達でも話さなかった真実を話すことに、多少の躊躇もあったが、十年間自分のことを心配し続けていてくれたという『父親』の言葉に、真実を話そうと思ったのだ。
 例え荒唐無稽で、信じてもらえないような……混乱の火種になりそうな話だとしても、それがの真実だから。
 そして、信玄と家族同然である幸村と佐助にも聞いて欲しいと思った。

 は淀みなく、脳裏に思い描いた元の時代のことを話す。
 家族、学校、友達、馬と弓道が好きだったこと……
 そして、突然の両親の死と、目が覚めたら戦場だったこと、独眼竜との出会い――

 奥州での生活は、詳しくは話さなかった。
 が話すことで、伊達の不利になるようなことは避けたかった。
 政宗や小十郎たち伊達の人々は、間違いなくの命の恩人なのだから。

「私は、佐助から言われるまで、自分が武田の娘だということを忘れていました。今も、十年前に失った記憶は戻っていません。ただ断片的に、時々昔の情景が頭によぎるだけです」

 信玄のことも、幸村のことも、ほとんど覚えていない――申し訳なく思いながらもそう締めくくったは、じっと静かに信玄を見つめた。
 しばらく無言で目を閉じていた信玄は、やがてゆっくりと目を開ける。
 表情が強張ったままのを見て、何度も頷いた。

「何とも、途方も無い話よ………だがわしはそれを信じよう」
「え……?」
よ――覚えておらぬやもしれぬが、十年前、お主の体は病に侵されておったのだ」

 唐突な話に、思考が止まる。
 沈黙が、流れた。

「お…お館様! それは……!」
「よい、幸村」

 やがてはっとしたように言った幸村を、信玄が制する。
 幸村も知っていることなのかとが見遣れば、目が合った幸村はぐっと言葉に詰まって俯いた。

「肺病じゃ。どんな医者に見せても、後一年はもつまいと匙を投げられた不治の病だったのよ」
「肺……病……」

 は呆然と呟いて、自分の胸元を押さえた。
 勿論、今はそんな兆候など微塵も見当たらないし、記憶の中には、そんな大きな病気をした覚えなど無い。
 無い、が………

「確か……、昔よく病院に……お医者さんの所に、連れて行かれていました。よく咳をしていて……苦い薬をたくさん飲んだような……」

 あまりに薬が苦いので、その頃からすっかり薬嫌いになったのだが……いつの間にか病院にも行かなくなり、自分がなぜ病院に行っていたのかも教えられていない。
 そのことに思い当たってが信玄を見上げると、一つ大きく頷き返された。

「先程の話では、先の世とは今とは比べ物にならぬほど文明が発達した世の中のようじゃ。――よ、再会叶うてから、お主は一度も肺病の影など見せぬ。不治の病と宣告されたお主が今こうして元気でいることこそが、先の世と行き来した証となろう」

 ただ呆然とするしか無いに、幸村が小さく、姫……と呼びかけた。

「姫は、幼き頃から明るく朗らかで……よく某を外に連れ出して下さった。だが病で伏せられる日も多く、それでも某にその日の話をお聞きになる様子が、子供心にもひどく痛ましゅうござった。その姫がこうして元気になられたのなら、姫は行くべくして、先の世に行かれたのだと……某は、思いまする…!」
「幸…村……」

 それらは初めて聞く、失くした『』の記憶の断片だった。
 ――幼い男の子の手を引いて池の周りを駆け回った。
 ――布団の中からでも、元気な男の子の話を聞くのが好きだった。
 ――苦しくとも、暖かな愛情で満たされていた日々……

「うむ、幸村の言う通りじゃ! よう言うた、幸村っ!!」
「姫のご快癒、おめでとうござりまする、お館様ぁぁぁ!!」

 またもや掛け合いの始まった二人だったが、は混乱する記憶を宥めるのに手いっぱいだった。
 肺病や、ましてや不治の病などと言われてもピンと来なかったが、確かに、よく寝込んでいた気がする。
 元居た時代……いや、未来でも、小さい頃に外で遊んだ記憶はあまり無かった。義理の両親は、女の子があまり外で遊んではいけないなどと言っていたが、あれはもしかしたら病気のせいで医者に止められていたのかもしれない。
 未来は、不治の肺病……結核なども完治できる時代だったとは言え、義理の両親は、を拾ってくれただけで無く、何度も病院に連れて行って病気を治してくれたのだ。
 どこの誰とも知れない――ましてや病気持ちの子供を、慈しんで育ててくれた……

 そこでふと、の思考は止まった。
 義理の両親からは、を拾った経緯は何も聞かされていない。
 が覚えているのは、何も分からない世界で目を開けて最初に見たのが、義理の母の顔だったことくらいだ。

「佐助――」
「はいよ。何です、姫さん?」
「十年前、私がどうやってこの館から消えたか、知ってる……?」

 そもそも、なぜ、どうやって、この時代から未来へ行くようなことになったのか。
 殴り合い寸前まで行っていた信玄と幸村も、ぴたりと動きを止めてを見た。
 二人とも再びその場に腰を下ろし、幸村が畳に拳を叩きつける。

「某のせいでござる! 某が……某が不甲斐なかったばかりに……!」
「やめよ、幸村。悪いのはこのわしじゃ」
「しかし、お館様!」
「――、十年前……わしがこの館を留守にしておった日じゃ。その頃小競り合いをしておった氏族が、奇襲を掛けてきおっての……留守警護の者らも少数ながら奮闘して、女や他の子どもたちを守ったのだが……独り離れで眠っていたお主だけが、何処とも知れず連れ去られてしまったのだ」

 信玄も幸村も、当時のことを思い出しているのか、ひどく辛そうな顔だった。

「その日、某も離れにおったのです。ですが、姫を助けに行くどころか、自分の身を守ることすら満足に出来ず……!」

 十年前と言うなら、幸村とてまだたったの六~七歳だ。
 そんな年で、武装した大人相手にどうこう出来る訳が無い。

「わしが手勢を連れて戻り、すぐに鎮圧はしたのだが、方々に忍隊を放ってもお主の行方は要として知れず……虜となったのなら、何かしらわしへの要求があるだろうと自らに言い聞かせて幾日も待ったが、それさえも一切無かった。どこかで命を落としたか……生き延びたとしても、余命幾ばくも無い体では長く生きれまい、と……」

 信玄も幸村も、ひどく打ちひしがれていた。
 自分は末娘だそうだから、末っ子が病弱だったなら、昔から父母には多大な心配をかけていたに違いない。
 その上、敵に誘拐されて……両親の心痛が如何ほどだったか、今の信玄の様子を見れば察することが出来た。

「母もわしも、それでもお主がどこかで生きていてくれたらと……そう思い続けて弔いはしなかった。――すまぬ、! お主が連れ去られたは、この父のせいじゃ!」
「いいえ、某のせいでござる!」

 がばりと物凄い勢いで畳に手をついた似た者主従に、は驚いて目を丸くし……そして苦笑した。
 昔からずっと欲しかったもの……それこそ、喉から手が出るほど欲しかった。
 愛されていたという、確かな証――

「謝る必要はありません、父上、幸村殿」
「じゃが……」
「しかし……!」

 言い募る二人を、首を横に振って黙らせ、困ったように笑う。

「父上は出かけていたのですし、幸村殿はまだ小さな子どもだったんですから、しょうがないじゃないですか」
「それはただの逃げ口上ぞ。病の身で刃を持った者共にかどわかされ、幼かったお主がどのような恐ろしい想いをしたか……」
「――そこです、父上」

 は、ぴっと指を立てて信玄の言葉を止めた。

「確かに怖かったでしょうが、私はそれを覚えていないんです。話の流れからして、攫われてすぐに未来へ行ってしまったようですが――さっき幸村殿も言ってくれたように、私は未来に行ったお陰で病気を治すことが出来ました。つまりは結果オーライってことですよ」
「結果……おおらい?」
「えっと……雨降って地固まるっていうか……終わり良ければ全て良し、みたいな」

 言ってからたっぷり数秒後、信玄は豪快な笑い声を上げた。

「ははは、天晴れじゃ、! お主、昔から肝の座った女子であったが、ますます磨きがかかったようじゃのう」
「くくく……ホント、流石は虎の姫君だ。姫さん、格好良すぎ。旦那よりよっぽど豪胆なんじゃないの?」
「なんだと、佐助っ!」

 葬式のような空気がようやく明るくなり、ほっと一息ついたに、笑いを収めた信玄は言った。

よ、確かに先の世へ行き、病を克服したは事実。思えば、お主は昔から運強い子であったし、お主が目を覚ましたつい先ごろも、冬枯れの桜が一斉に花を咲かせた――お主には、神仏の特別な加護があるのだろう」
「……はい」

 未来で育ったには、神仏に対する信心は馴染みは薄かったが、時代を行き来したという奇跡のような事実がある限り、神や仏の力とでも思うしかない。

「それはお主の人としての徳であるのだから、喜ばしきことぞ。だが、お主の度量と徳によって全て丸く治められては、わしの気が済まぬのだ」

 だから、何か償いをさせてくれ――そう言われて、は苦笑した。

「父上、そんなものは……」

 いらない――そう言いかけて、はたと口を噤む。

 本当の『家』に戻ってこられた。
 血を分けた父親との再会を喜ぶことが出来た。
 それ以上に望むものなど無い筈だが、それでも一つだけ。
 一つだけ……望めるのだとしたら。

「……いえ、一つ、お願いがあります」
「うむ! 何なりと申してみよ」
「秘密裏に数日……いえ、一日だけで構いません。もう一度、奥州に――米沢に行きたいんです」

 瞬時にして、信玄の顔から笑みが消えた。
 しかしも必死で、その意味を考える余裕は無かった。

「……行って、何とする?」
「政宗さんや伊達の人々は命の恩人――再びこちらに飛ばされてからの半年もの間、本当に良くしてもらいました。もう一度会って……一言だけでも、ちゃんとお礼を言いたいんです!」

 信玄はしばらくじっと瞑目し、やがて短く「よかろう」と言った。

「佐助、悪いがもう一度、を連れて米沢へ行ってくれ」
「それは構いませんが、でも大将――……」
「分かっておる。だからこそ、お主に頼んでおるのよ」
「――――分かりました。手筈を整えますんで、数日待ってください」
「良いか、?」
「はい!」

 伊達の皆に――政宗に、会える。

 そのことだけに気を取られて、信玄や幸村、佐助の暗い表情に、この時は気付かなかった――。






061218
CLAP