33.一家団欒

「お館様ぁぁっ!!」
「幸村っ!!」
「お館さむぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「幸村ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 朝まだき躑躅ヶ崎館――

 体調も全快には至っておらず、ぐっすりと熟睡していたは、突如として館全体に轟くように響き渡った声に跳ね起きた。

 聞こえる声は二つ。
 両方とも聞き覚えのある声だったが、声と共に何やら鈍い音まで聞こえる。
 一体何事かと、は近くにあった着物を羽織代わりに引っ掛けて部屋から飛び出した。

 そして見た光景は……

「お館さまぁぁぁぁぁ!!」
「ぃ幸村ぁぁぁぁぁっ!!」

 まだ日も昇らない空の下、
 館の中庭で、
 暑苦しい汗を撒き散らして、
 ――殴り合いをしている二人の男。
 しかも、至極楽しそうに生き生きしているようにさえ見える。

「……………………何コレ」
「あーらら、姫さんも早起きだねぇー」

 流石武田の血。などと言って突然真横に現れた忍に、は驚く気力も喪失して溜息を落とした。
 そして一言だけ返す。

「おはようございます、猿飛佐助さん」

 佐助は驚いたように目を見開いて、にやりと笑った。

「おはよー、姫さん。だけど、俺のことは佐助って呼んでよ。敬語も無しね」

 ニコニコと笑って告げる佐助に、は完全に覚醒してしまった頭を傾げた。
 佐助の立場は良く知らなかったが、信玄のことを『お館様』と呼んでいたし、のことは昨日から『姫さん』と呼ぶ。

「それって、私が父上の娘だからですか?」

 ただ単にそういうものなのかと聞こうとしただけだったが、佐助はきっぱりと否定した。

「いんや? ただその方が俺にとって嬉しいだけ」

 この答えに、今度はが驚く。
 第一印象こそ最悪だったが、この佐助とは気が合うかもしれないと思った。

「――分かった、佐助。じゃあ私のことも名前呼びの敬語無しね?」
「………それって、君がそうして欲しいから?」
「ううん、命令」

 驚く佐助に、は笑った。
 からかうのもそこそこにしておかないと、佐助相手では後が怖いかもしれない。

「それは冗談だけど、今みたいに周りの目が無い時だけでもそうして貰えると嬉しいなと思って」
「……こりゃ一本取られたな。りょーかい、。姫君の命令じゃあしょーがない」

 何やらおもしろそうにこちらを見て笑った佐助に、はついこの間まで隣にいた人物を思い出した……思い出してしまった。

(全然似て無いのに……)
 強いて似ている箇所を挙げるなら、飄々としている所や俺様主義な所だろうか。

 馬鹿な考えを振り払うように、は佐助に背を向けた。
 誤魔化すように、欠伸の振りをする。

「それじゃあ佐助、私もう少し寝るね。本当は朝は弱いの」
「あれ、? 飛び起きて来た癖に、何にも聞かないの?」

 佐助がアレ、と指差す先には、いまだこちらに気付かずに殴り合い……殴り愛?継続中の赤い主従。
 ちらりと視線を流したは投げやりに答えた。

「あの二人の様子だと、これっていつもの事なんでしょう? 佐助も止めないってことは止めても無駄なんだろうし……無駄に体力使うよりも、温かいお布団の方が魅力的だもの」
「……、今日から師匠って呼ばせて貰っても良い?」
「――嫌」

 短いやり取りの後に、は宛がわれた部屋へ引き上げた。
 本当にもう一度眠るつもりではなかったが、止む事のない雄叫びを聞いていると、自然と睡魔が押し寄せてくるのが不思議だった。








「某は、武田家家臣・真田源二郎幸村にござる! ここに居るのは真田忍隊の長・猿飛佐助」
です。先日はごめんなさい……改めて宜しくお願いします、幸村…殿、佐助」

 早朝の一件から二時間後――
 昨日の約束通り、朝からの部屋を訪れた信玄は、幸村と佐助も伴っていた。
 既に顔見知りではあったが、お互い改めてということで挨拶をした所で、人数分の朝食が運ばれてくる。
 どうやら、今日はの部屋でみんなで朝食を取ろうということらしい。

「さっ…佐助、今日の飯も美味いな…!!」
「うわっ、ちょっと旦那、物食べてる時に喋んないでよ。ほら、米が飛んだだろー」
「う……す…すまぬ…! どこだ? どこに付いて……」
「あーあー、ほらまたー。だからそっちじゃなくてこっちだって……」

 目の前で繰り広げられる光景に、はとうとう堪えきれずに噴出した。
 利家とまつ夫妻と一緒に食事をした時にもその新婚のようなやり取りに苦笑したものだが、こちらはどちらかというと……

「お母さんと子どもみたい……!」

 くすくすと笑うと、幸村と佐助はそれぞれ別の反応を示した。

「母親って……ちょっと姫さん、流石の俺様でも傷付くんだけど……」
「子ども……!」

 心底嫌そうに抗議する佐助と、打ちひしがれたように畳に手をつく幸村。
 それを見て、更に佐助はあーあ、と溜息をつく。

「ほら、ウチの旦那も今日は姫さんが一緒だから舞い上がっちゃってたのに、そんな直球で打ち落としてやんなくても」

 それがまた、子どもを庇う母親のようで、はますます笑いがこみ上げる。
 救いを求めるように隣の父を見上げれば、悠然と食事を進めていたので、ごほんと笑いを堪えて話しかけた。

「父上、食事中に五月蝿くしたりしてごめんなさい」
「いや、賑やかなることは良きことよ! のぅ、幸村!」
「その通りにございます、お館さま!」
「幸村…っ!」
「お館さまぁぁ!!」
「幸む……」
「――――父上、この魚は何という魚ですか?」
「む…? おぉ、これは鰤よ。煮ても美味いが、わしはこうして焼いたのが好きでな」
「そうですね~私も焼いた方が好きです。幸村殿はどっちが好きですか?」
「そ…某も、焼いた方がすっ…好きでござる!」
「佐助は?」
「んー、俺も焼いた奴かな」
「そうですか、それじゃあみんな一緒ですね」
「はっはっはっ、そうじゃな。ではまた焼き鰤を出すように申しておこう! 嬉しいか、?」
「はい、父上」
「うむ!」

 まさに一家団欒と呼べるような和やかな食事に、は心が満たされるのを感じていた。
 顔も自然に綻ぶ。

 義理の両親と暮らしている時にも、奥州での生活でも、感じたことの無い安心と充足感だった。

 ――……、やっぱ師匠って呼んでいい?

 そんな佐助の視線には気付かない振りをして、はその日の食事の間中笑みを絶やすことは無かった。






061210
CLAP