「何これ……」
相変わらず療養中の政宗の部屋で、用意してもらった袴に着替えていたは、鏡を見て呆然と呟いた。
元々右肩にあった四角い大きな痣……それは記憶を失くす前からあったものだが、痣と言っても少し変色している程度だったので、記憶に関する手がかりにはならないと思っていた。
しかし、今こうして鏡を見たは、初めてその異常に気付いた。
皮膚よりも少し黒ずんでいただけの十年以上前の痣が、突然赤くなっていたのである。
その奇怪な光景に気持ち悪さを覚えながら、は恐る恐るそこに触れてみた。
痛みは無い。腫れているということも無い。
ただ、判を押したように赤くなっているだけである。
「……気持ち悪い」
思い切り顔を歪めて、そう吐き捨てた。
がこの異世界に来て、既に三ヶ月以上――
気付けば戦場の真っ只中で倒れていて、直前に見た育ての両親の事故がきっかけになっているとは思うものの、なぜ異世界に来るなどということになったのか具体的なことは皆目分からない。
ここに来た方法も、理由も、そして帰り方も。
そんな中で、体が光るなどという得体の知れない現象が起こり、最近では頭痛まで感じるようになっていた。
それらに裏付けるように日増しに強くなる、政宗との別離の予感……
そして、突然赤くなった奇妙な痣――
「……私は、私」
は震える手でその痣を隠すように上衣の合わせを閉じて、自分に言い聞かせるように口の中で呟いた。
政宗が好きだ――……
例え報われない想いでも、そしてがもうじきここから離れなくてはならないのだとしても、それまで少しでも長く傍に居て、些細なことでも力になりたい――
そう決意したばかりのには、政宗よりも先に話さなければならない人物が居た。
務めて無心で着替えを終えた頃に、丁度その人物が訪れる。
「――、私です。入ってもよろしいか?」
いまだ震え続ける体を止める様に、は一度ゆっくりと深呼吸して、部屋の障子を開けた。
「どうぞ――お呼びしてすみませんでした、小十郎さん」
「先日のお話を取り消させていただきたいんです」
ずばり本題を口にしたに、小十郎は穏やかな表情のまま視線を上げた。
本来のこの部屋の主である政宗は外出しており、これを好機だとばかりに部屋から出ることを禁じられているが小十郎を呼んだのだ。
国境での豊臣の奇襲で衰弱していた体もほぼ元通りに回復し、そろそろ自宅に戻ることを切り出そうと思っていたので中々良いタイミングだった。
突然呼びつけられた小十郎は、それに怒ることもの言葉に驚くこともせず、ゆっくりと問う。
「それは、なぜ、と聞いても?」
小十郎の意思もあったとは言え、米沢から去ると言い出したのは自身だ――豊臣の夜襲があった為にまつ達も出発を見合わせて留まっているが、予定が延びるだけで彼らはいずれ領地に帰る。
一旦決めた以上はもそれについて行くのが妥当なので、小十郎の疑問も尤もだと言えた。
「小十郎さんには軽蔑されてしまうかもしれませんが、理由はとても曖昧なんです……」
政宗の片腕として多忙を極める小十郎に時間を割いてもらっておきながら、納得のいく説明の出来ない自分には視線を落とした。
「あの時言った言葉は嘘じゃありません。政宗さんには本当に良くして貰っていますが、住む世界が違うと――今も思っています」
身分の差だけで無く、本当に違う世界から来たのだと言えばどう思うだろう……
今更ながらにそんなことを思って内心で自嘲した。
小十郎はしばしの沈黙の後、口を開く。
「……これは政宗様も感じていることですが、は我らに素性について隠し事をしている――だからと言って疑うわけではありませんが、せめてそれを話してはもらえませんか」
思いもよらない小十郎の言葉に、は目を瞠った。
口を開きかけて……そのまま固まる。
素性について……隠していることと言えば、未来の異世界から来たということだが、今更そんなことを言っても言わなくても何も変わらず、悪戯に混乱させるだけだ。
だが、それ以外の体が光るなどといった奇妙な現象は、幼い頃の記憶の無いには説明のしようも無かった。
自嘲が漏れて、表情が歪む。
「私が何者なのか……私にも分からないんです。得体の知れない自分を信じてくださいと言うだけなんて、情け無いですけど」
は瞳が熱くなっていくのを自覚したが、それにはっとした小十郎が何か言いかけたのをとっさに遮った。
「でも、私は私です。例えいつかここを離れるとしても、今はここに居たいと思いました――これだけは信じてください」
ここ・米沢に――政宗の傍に。
真っ直ぐに見つめてそう言うと、小十郎はやや驚いたようだった。
「……政宗様のことを好いているのですか?」
予期せぬ図星にの顔が赤くなった時――それは唐突にやってきた。
「……様! 小十郎様! どこにおられます!?」
「――ここだ!」
城内で――それも本丸の奥座敷で大声を張り上げるなど只事では無い。
律儀にに断りを入れてから廊下に出た小十郎の元に、すぐに声の主が駆けつけてきた。
「伝令! 南の国境に敵襲! 竹中半兵衛率いる軍勢と思われます!」
「何だと!?」
の同僚である伝令隊士の急報に、思わず腰を浮かせたと小十郎は視線を見合わせた。
南の国境と言えば、先日失くした小田原との境だ。
あの戦いからまだ十日ほどだというのに再び仕掛けてくるとは……
「小十郎さ…様、竹中には何か奇策があるのでは……?」
「ああ……なるほどな。大方そんなとこだろう。だが、だからと言って手をこまねいている訳にもいかん。――オイ、黒脛巾頭領に、総勢で迎撃に当たれと報せろ! それから各将を大広間に召集! 誰か別の者を政宗様への伝令に……」
「私が行きます!」
後半は伝令隊の男へ飛ばしていた命令に、はすかさず割り込んだ。
先日の襲撃で、伝令隊の半数以上が戦死――流石にそれでは機能しないために補充はなされたが、まだ十分に機能していないのをは知っている。
それに、黒脛巾組が全員迎撃に出るなら、伝令の数は余りにも足りない。
「足の速い馬を貸していただれば、すぐにでも」
「だが、お前はまだ床払いできてねぇだろう。政宗様からもここから出るなと言われてたんじゃ……」
「そんなこと言ってる場合じゃありません! 体も大丈夫ですし、どうか私に命じてください!」
立ち上がってそう言い募ったに、小十郎は溜息をついて口元を綻ばせた。
「政宗様の命令を『そんなこと』とはな……」
「あ…いえっ、そういう訳では……」
「行って来い! 俺は将が揃い次第、城から打って出る。追って政宗様の甲冑と刀も届けさせるから、そのまま出られても構わねぇとお伝えしてくれ」
「――はい!」
伝令隊の男の横で同時に頭を垂れ、は戦場モードに切り替わった小十郎に背を向けた。
ほとんどを聞かずに黙認してくれたその優しさに感謝しながら。
病み上がりで荒く弾む自分の呼吸と馬の蹄の音を聞きながら、大木茂る林の一本道を駆け抜けた。
やがて見えてきた豪壮な門の前で手綱を引いて、声を張り上げる。
「伝令! 我は伝令隊・! 米沢城より政宗様へ火急の伝令!」
慌てた僧たちによって、その扉が開かれるなり中に飛び込んだは、内門の手前で馬を降りて政宗の元へ走った。
松島・瑞巌寺――
政宗自らが伽藍を建てた荘麗な大寺院である。
特にその本堂は城の本丸にある大広間を模して作られたもので造りも似ているので、迷う心配は無かった。
は庭から真っ直ぐに、上段の間がある本堂の右手に回る。
この日、政宗は先の戦死者の弔いの為にこの寺院を訪れていたが、法要は朝の早い時間からであったので、午後のこの時間は本堂で寛いでいる頃かと思ったのだ。
「政宗様! 伝令にございます!」
果たして、の読み通り上段の間に居たらしい政宗が中から勢い良く戸を開けた。
勢いの余り、木戸が鈍い音を立てて外れる。
「!? お前部屋から出るなっつったのに、こんなとこで何してやがる!」
声を荒げた政宗は、そのまま自ら庭に下りてきて、跪いているを引っ張り上げた。
眉を吊り上げている政宗の背後に、何事かと驚いている近習たちを見つけて、は政宗の陰になるように移動して声を潜めた。
「許可なら小十郎さんから貰ってます。それよりも火急の伝令です――南の国境が急襲されたと。相手は竹中半兵衛の軍だそうです」
「何……!?」
途端に厳しくなった政宗の気配に、も気を引き締めた。
「小十郎さんが黒脛巾を迎撃に向かわせ、各将が揃ってから打って出ると言ってました。政宗さんの甲冑は後から届けさせるから、ここから出陣しても構わない、と」
「――OK、流石は小十郎だな。それにしても竹中半兵衛……こうも矢継ぎ早たぁ何考えてやがる……」
ようやくの腕を放して考え込んだ政宗に、気付かれないようにほっと息をついては言った。
「負ける可能性のあるような戦をする人間じゃないでしょう。きっと何かまた良からぬ奇策があるんですよ……例えば……」
更に声を落として告げたその続きに、政宗はニヤリと口角を上げた。
「なるほどな……おもしろい。ならどう出る?」
「私だったら……」
「Ahー…やっぱいい。お前、体はもう大丈夫なのか?」
「――はい、お陰様で。いつまでもお世話になりっ放しじゃ悪いですし、今日にもお暇しようと……」
「なら、お前に疾風率いる黒脛巾の中隊を任せる」
「え?」
「俺について来い。竹中に奇策ありっつーなら、傍に居てそいつを阻んでみせな」
眩しいほどに自信に溢れた政宗の笑みに、は胸が熱くなった。
頬の赤みを見つけられたくなくて、頭を下げる。
「――お任せください、政宗様」
「Good、そうと決まればすぐにでも出るぜ! Hey Guys! 南の国境に竹中の襲撃だ! 俺たちゃここからすぐにでも打って出るぜ――Are you ready!?」
「Yeahーー!!」
五人ほどの護衛が雄叫ぶ中を、は政宗に腕を引かれて大広間に上げられた。
こんな状況なのに繋いだ手が温かくて、胸が詰まる。
不意に、先日のまつとの会話を思い出した。
「まつさん、恋って何で苦しいんでしょうか……」
「――まあ、…!」
「あっ…いや、別に深い意味は無くてですね……!」
ふふ、分かっています。
見舞いに来てくれたまつに思わず本音を零してしまっただったが、まつは皆まで言うなとばかりに微笑む。
「わたくしたちの甥の慶次は、常々こう申していますわ――「命短し、人よ恋せよ」」
「……それを言うなら、「命短し、恋せよ乙女」じゃあ……」
「私もそう言いましたところ、恋は女子だけの特権では無いと言いまして……人に与えられた幸せなのだと」
「幸せ……」
「ええ。身内自慢になりますが、中々良いことを申すと思いませぬか?」
命短し、人よ恋せよ――
自分の手を引いて先を歩く政宗の横顔を見つめて、は暗くなってきた空を見上げた。
政宗の傍で少しでも力になりたいという、想いを改めて心に刻んだ。
061106
松島の瑞巌寺を出してみました。
しかし、もう年代も地理もバラバラ……笑ってスルーしてくださるとありがたいです。
ちなみに、「命短し恋せよ乙女」はもっと後生の歌なので、この時代には無いんですが……スルースルー。