が目を覚ますと、視界に暗い天井が映った。
視線を巡らせて、明かりも付けずに一人で酒を煽る男の姿を見つける。
月明かりに照らされる憂いを含んだ美貌の横顔に、思わず見惚れてしまった。
「政…宗さ……」
その瞳を自分に向けたくて呼びかけた声は、ひどく掠れていた。
辛うじて届いたらしいその声を拾った政宗が、弾かれたようにこちらを振り向く。
から何かを口にする必要も無く、すぐに酒を手放すと、背を抱き起こして水を飲ませてくれた。
「ここは……」
「心配すんな。今は何も考えずに寝てろ」
諭すようにそう告げた政宗の瞳が柔らかい色を湛えていて、は胸が詰まった。
何か、とても大変な事があった気がするのに、今は何も思い出せない。
ぎゅっと締め付けられたかのように熱を持った胸の奥から、じわじわと安心感が広がっていく。
「政宗さん……」
「ン…?」
聞いたことも無いような優しい声だと思ったのは、自分の贔屓目だろうか。
ぼんやりと見上げた視界に大きな手が下りてきて、謝罪も礼も言う機会を逸した。
だから、仕方なく残された言葉を口にする。
「――おやすみなさい」
ああ、と応えた口元が弧を描いたのを見届けて、は瞼を閉ざした。
夢も見ない穏やかな眠りに、体も心も……どちらの傷も癒されていくような気がした。
「秀吉殿とは、昔から親交があったのだ」
「親交? 前田と豊臣がか?」
隣室から聞こえるやり取りに、も布団の中で首を捻った。
城で目が覚めて療養二日目――西の国境襲撃が収束してから三日が経っていた。
小田原に向かう途中で政宗に会った所から記憶が曖昧なは、政宗自ら米沢城まで連れ帰ってくれたという話にも驚いて恐縮したが、更に目を覚ましたら政宗の部屋で、そのままそこで療養しろと告げられた時にはもっと驚いた。
怪我自体は大したこと無く、疲労困憊による発熱だけだから自宅で静養すると食い下がったが取り合って貰えず、本来の部屋の主である政宗の方が隣室を仮の部屋として使っているという有様だ。
米沢を去ると決めた身で……尚且つ、政宗のことが好きだと自覚した今となっては、その政宗と顔を合わせるのは落ち着かないことこの上無く、その相手の部屋で療養などととんでもないと言いたかったが、仕事に追われて忙しそうな政宗に聞く耳は無さそうだった。
本来なら今頃政宗に無断で前田に向かっている筈だという後ろめたさも手伝って強く拒否出来なかったとしては、こうなったら一刻も早く体を治して家に帰ろうと割り切るしかなかった。
そして、今日――
いつもなら、自室で政務に追われているはずの政宗は、隣室で二人の客を迎えていた。
政宗と顔を合わす時間が減ったことに対する安堵とも寂しさともつかないものを感じながら、も隣室から聞こえて来る話に自然と耳を傾けていた。
盗み聞きのようで良心も咎めるが、聞かないようにしても聞こえてしまうのでどうしようもない。
それに客とは前田夫妻で、竹中半兵衛との一件を説明しに来たとなれば、両者の確執を目の当たりにしたとしても気になるというものだった。
「正確には、秀吉殿と某の甥が、だが。某やまつも甥を通じて誼を交わしていた」
秀吉はかつて前田と同じように織田信長に仕えていたことがあるらしいとは知っていたが、元は百姓の出だった筈だ。
対して前田は由緒正しき譜代の家臣――その両家に親交があったというのは、なるほど不思議だった。
利家の甥というのは、どのような人物なのだろうか。
政宗もと同じく怪訝そうな顔をしていたのか、利家の言に、まつが説明を加えた。
「甥の慶次は幼い頃から奔放に育ちました故、織田家の中にあってどこか傲岸不遜な空気を発していた秀吉とは気があったようで……身分に隔たらず友誼を結んでおりました。何があったのか、ある時を境に二人の間に亀裂は入ったようでしたが、我ら前田はそれ以降も変わらず親交を続けていたのです。ところが……」
「――竹中半兵衛か?」
政宗の質問に、利家が是と答えた。
「あの男を軍師に迎えてすぐ、秀吉殿も天下へ名乗りを上げた。我が家にも誘軍の使者が来たが、某は殿を裏切れぬと断ったのだ。それをあの男が……」
「フン……大体想像はつくな。大方策を弄して搦め手を仕掛けられたんだろ」
「家中の離間を画策して脅しを掛けるなど、武士の風上にも置けませぬ!」
憤慨するまつの言葉に、もなるほどと溜息をついた。
が知る歴史では、秀吉は武よりも智と人を纏める和に秀でていたはずだが、この世界ではどうやら竹中半兵衛が軍師としての分を遺憾なく無く発揮して汚れ役を一手に引き受けているようだ。
「I see……大分前に前田が正体不明の軍勢に奇襲受けたって聞いたが、それが奴か」
「おぉ、流石は独眼竜殿! 隠していたのに良く分かったな!」
「殿」
諌めるようなまつに無邪気な利家が項垂れる様が目に浮かんで、は苦笑した。
それにしても……と考える。
あの一分一秒の時間まで策で成り立っていそうな竹中半兵衛は、大らかな前田夫妻とさぞかしソリが合わなかったに違いない。
豊臣がその前田に対しても、離間策などを進めた上に、今回の伊達のように奇襲をしかけたというなら、国境に駆けつけてきた二人の様子にも納得がいく。
織田から離反した豊臣……そして前田。
前田が加わった伊達。
伊達を攻めて今川と小田原を手中にした豊臣。
戦場に入り込んでいる織田の犬……
豊臣も織田も、今や天下統一の最有力候補だ。
その二強が、伊達を狙っている……。
伊達の領地とその兵力――二者の目的は、まずそれと見て間違い無いだろう。
大阪以西の動向は分からないが、豊臣に領地を通らせたことになる武田や、その武田と敵対する上杉……僧兵総本山である本願寺は織田に敗れたという話もあるし、どこもかしこも、キナ臭いことこの上なかった。
考え込む内、いつの間にか隣室は静かになっていた。
まつ達は帰ったのだろうか……そう思うと同時に襖が開いて、政宗が大股で入ってきた。
布団の上に起き上がっていたに向かって、開口一番問い掛ける。
「どう思う?」
「……何がですか?」
「Ha! 聞いてたんだろ? あのいけ好かねぇ仮面野郎だ」
どうやら、お見通しだと言いたい様子の政宗は、じっとを見つめてくる。
「お前も小技の効いた姦計はお手のもんだろ。豊臣の軍師は何を考えてる?」
本気で質問しているらしい政宗に、は深々と溜息をついた。
「私にあんな変態の考えてることなんて、分かる訳無いじゃないですか」
「――HAHA! It is also so. (それもそうだ)」
疲れを滲ませたの言葉に愉快そうに笑った政宗は、唐突にの横に身を屈めたかと思うと、ごろりと無造作に横になった。
――の膝を枕にして。
「ちょっ…ちょっと、政宗さん!?」
驚きの余り声が裏返ったのも無理は無いと言いたい。
「Ah?」
「な…何してるんですか、一体!」
「何って、見て分かんねぇか? それとも、小次郎は良くて、この俺は駄目だとか言うんじゃねぇだろうな?」
いたいけな小次郎とは訳が違うと声を大にして言いたかったが、これ以上こじれては小次郎が可哀相だと思い直して、じっと堪える。
それでも、到底平静ではいられず、言い訳めいたものを口にしてしまう。
「でも、私の膝なんて、別に寝心地良く無いですよ……色気も無いし……」
「まぁなぁ……お前ぐらいの年の女に比べりゃ……」
「――Pardon?」
思わず自分の膝の上を睨んだが、目を閉じている政宗には効果が無かったので、言葉に言い換える。
「それなら、わざわざここで寝なくてもいいじゃないですか!」
「いいから、しばらくの間おとなしく枕に徹してろ」
「大人しくって……」
一応自分は熱のある病人なのに……そんなの思いも空しく、なんと政宗はすぐに規則正しい寝息をたて始めた。
その穏やかな寝顔を見つめて、は顔を歪ませる。
――「側室として娶って常に政宗様の隣に在るように閉じ込めておけば……」
――「そういうんじゃねーんだ、は」
夢と現の狭間で、ぼんやりと聞こえてしまった話……政宗にとってのが"そういう"対象ではないと、自身も分かってはいたが、本人の口から聞かされるとやはり胸が痛む。
身分だ何だと気にする前に、自分の想いを自覚した途端に失恋したようなものだ。
はぼんやりと政宗の髪に触れてみた。
羨ましいほどさらさらと指を零れ落ちる色素の薄い髪は、弟のそれよりも柔らかいようだった。
親兄弟に対しても日頃の交流が無いに等しい奥州の主は、の膝の上で無防備に眠っている……
"そういう"対象では無くとも、無条件で救いの手を差し伸べてくれる程には、のことを大切に思ってくれているということなのだろうか……友として?
そう言えば、豊臣秀吉と利家の甥の前田慶次は幼馴染だと言っていた。
秀吉と竹中半兵衛は強い信頼を寄せ合った友だとも聞いたことがある。
は、彼らと違って余りにも無力で、政宗の力になど到底なれない。
それでも、政宗が"友"としてを必要としてくれているというなら、傍に……近くに居たいと、思ってしまう。
(惚れた弱みってやつかな……)
以前のように二人で過ごしても、もう今までのように楽しいだけの気持ちではいられないだろう。
時は止まる事無く流れ続け、そして人の心は変化するのだ。
二度と戻らないもの。
取り返せないもの。
望むことが、出来ないもの――
は政宗の髪から離した手を上げて、その掌をじっと見つめた。
ほんの数日前、この手で、確かに人を斬った。
もう血の臭いなど知らなかった頃の、綺麗な手では無い。
その事実に本能的な恐怖はあっても、後悔は無かった。
「政宗さん……私は、まつさん達と一緒に、米沢を離れるつもりでした」
貴方と離れるつもりでした――眠っている政宗に、小さくそう告白した。
「でも、やめます」
例え、ろくな戦力になれなくても、少しでも役に立てるなら――
恋心故に。それが報われないものだとしても――
(それに……きっと、長くは無い……)
光って消えかけたという体、戦場で感じた奇妙な熱、それらが導く『予感』――
なぜかそれは、確たる事実のようにの中で存在していた。
そう遠からず、政宗と離れる日が来る。
「だったら、少しでも長く……」
否応無く訪れる別離があるのなら、それまでの残された時間は少しでも長く政宗の傍に居たい……
口にしかけて、その未練がましさに……
溜息を堪え、は物憂げに瞳を伏せた。
061103