闇の中に浮かび上がるようにして目に入った壮絶な戦場――
ようやくそこに辿り着いた政宗は、白斗の馬上から瞳を険しくした。
「豊臣……!」
暗闇の中で時折明かりに照らされて垣間見えるその旗印を見て、腕の中のに視線を落とした。
この豊臣・今川の奇襲を報せる為に、は命懸けで単騎伝令として駆けてきたのだ。
成実の駿馬を乗りこなすだけでも並大抵のことではない。
随分無茶をしたのだろう……大きい怪我は見られなかったが、あちこちに傷を付けられており、体力が限界を超えていたのかずっと眠り続けている。
政宗の腕の中で気を失ったを、政宗は白斗に同乗させて国境まで戻ってきた。
最速での馬の移動は体に障るだろうが、放棄した小田原にあのまま置いてくる訳にもいかないし、他の人間に任せるのは政宗自身が我慢できそうになかった。
目を覚ます気配の無いの顔を見つめて、泣いた跡の残る目元をそっと拭った。
「奥州に土足で踏み込んだこと……をこんな目に合わせたこと……、嫌と言うほど後悔させてやる…!! ――Ha!!」
強く手綱を握り締めて、政宗は一気に駆け出した。
決着が着くのに、そう時間はかからなかった。
神無月某日、夕刻――豊臣・今川連合軍が伊達領内西の国境に武田領から侵攻。
事前の密約から武田はこれを黙認。
伊達側は当主政宗不在であった為、伊達成実を大将として迎撃。
また、時を同じくして伊達領内となっていた小田原北部へ豊臣別働隊侵攻。
小田原城に滞在していた伊達政宗・片倉小十郎以下少数でこれを迎撃。
両戦場とも豊臣優勢のまま膠着状態に陥るが、翌日未明に伊達政宗の元へ西の国境襲撃の報が届けられ、政宗は小田原を放棄してただちに帰還。小田原に在中していた兵力も国境に投入する。
伊達は政宗等の帰還により国境の豊臣・今川軍を撃破、全勢力を注いでいた今川氏は大将今川義元討死に伴い滅亡。
伊達の撤退した小田原と潰えた今川領地は、その日の内に豊臣が制圧した――
「豊臣の軍師・竹中半兵衛の策だ」
小田原の戦場からとって返し、国境の敵を退けてようやく米沢城に帰還した政宗に、成実は忌々しそうにそう告げた。
国境の砦で前田夫妻と死闘を繰り広げていたという竹中半兵衛は、政宗が駆けつけた時には既に姿を消していた。
直後にガラ空きになった小田原を取られたことを考えると、全て計算の内だったということだ。
(いや、それだけじゃねぇ……)
伊達と前田討伐をも目論んでいたに違いない。
奥州・小田原・今川・前田――四重もの利を狙った作戦は、いかにもあの小賢しい男のやりそうなことだと政宗は瞳を険しくした。
相手にとっての誤算は、政宗が早々に小田原を放棄して国境に向かったことだろう。
あの時、が報せに来るのがもう少し遅ければ、少なくともこの米沢は落とされていたかもしれない。
「竹中半兵衛――気に食わねぇな」
「当たり前だ! あの変態仮面、奴自身が時間稼ぎの為の囮だって気付いたを勧誘までしやがったんだぜ?」
「何だと…?」
半兵衛とは、政宗も一度だけ面識があった。
一年ほど前か……奥州を制圧する戦いの途中、半兵衛自身が豊臣との同盟を持ち掛けて接触してきたのだ。
政宗は、こちらの選択の余地を潰してから出向いてくるそのやり方が気に食わず、きっぱりと跳ね除けた。
だがそう簡単には引き下がらず、伊達の戦いぶりを見て『智の小十郎』を執拗に欲しがったが、小十郎がそれに靡くはずも無く、それ以来豊臣軍の噂もぱったりと絶えていた。
「小十郎だけじゃなくにまで手ぇ出すたぁ……」
今度は、伊達の領地を奪ったどころかにまで目を付けたと聞いて、政宗は眉を吊り上げた。
しかし成実はニヤリと口元を歪めて愉快そうに笑う。
「安心しろよ、殿。豊臣に来いって言われてはどう答えたと思う?」
「…What did say?」
成実はニヤニヤと笑ったまま、右手を振りかぶる動作をした。
「平手で一発! んでもって「虫唾が走る」だぜ?」
「…そいつはまた……」
「あん時の竹中の顔っつったら、殿にも見せたかったぜー」
政宗は笑おうとして失敗し、言うべき言葉を見失った。
自分らしくない感情に顔を歪める。
案の定、成実にも不審がられた。
「……殿? 政宗? どうしたんだよ、んな顔して。らしくねぇぜ? いつもだったら口笛の一つでも吹いて、「流石この俺が見込んだ女だぜ」とか言う癖に」
「いや……別に何でもねぇよ」
そうは答えたものの、成実が退出した後も、ずっと胸の靄は晴れなかった。
夜になり、ようやく時間が空いた政宗は、やっとのことで自室に戻ることが出来た。
音を立てないように入った部屋の真ん中には、気を失ったままのが眠っている。
刀を置いてその脇に座り、政宗はじっとその寝顔を見下ろした。
「……お前は……何なんだ」
ここ最近ずっと考えていたことだった。
突然目の前に現れ、傍に居るのが当たり前になり、目の前に居なくても自分を苦しめる――
逃げられてもすぐに会いたくなり、かと思えば自分から飛び込んできたりする。
大恩ある訳でも無い政宗や伊達の為に命懸けで駆けてきて……
政宗にとって、そんな相手は初めてだった。
怒りと焦燥に駆られてに刀を向けたあの日――それが醜い嫉妬という感情だと自覚していた。
自分を見ない瞳――自分以外に向けられる瞳――
それは幼い頃から慣れ親しんだ感覚であった……それ故に、許せなかった。
しかし、絶望の色を浮かべて冷たく凍ったの瞳を見た時――
自分がに対して致命的なことをしてしまったのではないかと感じた。
我ながら女々しい。
たったその一件だけで、に会うことが出来なくなった。
会えないという気持ちは強く、しかし会えないことに苛立ちは増していく。
小田原への視察で数日留守にすればまた、その分だけあの笑顔から遠ざかる気がして……我慢できずに気が付けば足が動いていた。
逃げられて、追いかけて、捕まえて。
ようやく見れた瞳は随分と辛そうだったが、久しぶりにその温もりを傍に感じてやっと安堵できたというのに――
――「――――政宗さんっ……!!!!」
小田原の地で受けた奇襲の戦場でその声を聞いた時、幻聴だと思った。
けれど一心に自分の名を呼ぶ声に視線を巡らせると、そこにはぼろぼろになって駆けて来る――
自分に向かって伸ばされた手に、胸の奥を鷲掴みにされたような感覚を覚えた。
とっさに受け止めた小さな体は、あちこち傷付き、信じられない程に熱かった。
息も絶え絶えに国境襲撃の報を告げ、その場で気を失った――
華奢な体を抱えて国境へ向かう間も、また消えてしまうのではないかとずっと抱きしめていた。
政宗に向かって走ってきたは、またあの赤い光に包まれていたから――
「Shit……全く俺らしくもねぇ……」
小さく悪態をついて髪を掻き揚げた。
は何者なのか――もうそれはどうでも良いような気がしている。
ただ気になるのは、という存在が自分にとって何なのか――
「小十郎……俺は、甘いか……?」
部屋の外で控えているだろう小十郎に、政宗は問い掛けた。
返ってくるのは、沈黙のみ。
「だが、俺はコイツを死なせたくねぇんだ……」
成実からと竹中半兵衛のことを聞かされた時、その機転や度胸に感心するのではなく、感じたのは危険を顧みない言動への不快だった。
その場には成実や前田夫妻、疾風も居たというから滅多なことは無いと踏んだのかもしれないが、半兵衛が本気になれば、を傷つけることなど赤子の手を捻るよりも容易い。
力は無いくせに度胸だけは据わってる……政宗はそういう人間は好きなくらいだったが、ことに限ってだけは歓迎できない。
「……ならば、ずっとお傍に置けば良い」
不意に言われた言葉に、政宗はぴくりと顔を上げた。
背後から、障子を開けて頭を下げた小十郎が続ける。
「貴方は天下人になられる御方――望んで手に入らぬものなど、ありますまい」
望んで手に入らぬもの――
小十郎の言葉を聞きながら、の寝顔を見つめる。
まさに、この娘にぴったりの言葉だった。
「戦になど出さず、側室として娶って常に政宗様の隣に在るように閉じ込めておけば……」
「そういうんじゃねぇ!」
声を荒げて小十郎の言葉を遮った。
それ以上は聞きたくない。
自分の思い通りにならずにとった行動で、政宗はを傷つけたのだ。
(なのにどうして、無理やり閉じ込めるような真似が出来る……?)
「……そういうんじゃねーんだ、は」
そもそもが、側室だとか、傍に置いて閉じ込めるとか……そういった簡単なものでは無いのだ。
そんなことをすれば、はで無くなってしまう。
無理やりに傍に留め置いても、その心が政宗を見ないのであればそれは政宗にとって全くの無意味だ。
「――――」
傷つけたくない――
それなのに、身も心も、政宗はを傷つけてばかりだった。
己の不甲斐なさを責めるのに精一杯な政宗は、だからこそ気付かなかった。
眠っている筈のが微かに瞼を動かしたことに――。
新たな争乱が迫る中、持て余された心はいまだ晴れない――
061022