「……ま、……様!」
まつ達と共に米沢を発つ日の朝――いや、まだ暗い真夜中に、は肩を揺すられて目を覚ました。
「う…ん……、……疾風?」
「はい――起きて下さい、様」
体を起こした布団の脇に、なぜか黒ずくめの忍が跪いていた。
家に無断侵入した彼に起こされるのは、初対面の時と合わせて二度目である。
「疾風……どうしたの? それに、もう私は貴方の監督係じゃないんだから様付けや敬語はやめてって言ったじゃない」
「……ならば、。時が無い。急いで城へ――ここも直に危ない」
律儀に口調を改めた疾風だったが、ようやく彼の様子が緊迫していることに気付いたは眉を潜めた。
「一体何が――」
聞きかけた時に、遠くで爆音のようなものが響いた。
立て続けに小さく聞こえたのは銃声だろうか。
「国境が何者かに奇襲を受けている」
「え……!?」
は自分の耳を疑った。
――政宗は、現在留守である。片腕である小十郎も然り。
そんな時に、国境を侵す奇襲とは……
ここまで音が聞こえるということは、一番近い西の甲斐との国境だろうか。
「どうする?」
疾風は短く聞いた。
前田攻略から戻ってしばらくして、もう任務も一人前にこなせるだろうと評価され、疾風の教育期間は終了した。
所属も違うし、疾風にとってはもう上司でも何でもない筈だったが、どうにも懐いてくれたようで、訓練中などに助けられることもあった。
その疾風が……本来なら黒脛巾として真っ先に動いているはずの疾風が、わざわざの元に来て、どうすると……どうしたいと、聞いてくれている。
元教育係としては嗜めなければいけない所だが、それは後にしようと思った。
正直、彼がここに来てくれて……の心を汲んでくれて、嬉しかったから。
「城へは行かないわ……私も国境に連れてって。それと、知ってるだけの情報を教えて――あくまで友人としてのお願いよ、疾風」
即答して、両手を合わせたに、疾風は数瞬の後くすりと笑った。
「受けよう、――友として」
その滅多に見られない貴重な微笑みは暗くてほとんど分からなかったけれど……頼もしい友人の手を取って、は夜闇の中を国境へと急いだ。
「――成実様!」
「? ちゃん!?」
疾風に抱えられて風のような速度で駆けること半刻――
たちが国境に建てられた簡素な砦に辿り着くと、既に戦闘は激しくなっていた。
砦の上に指揮を取っている成実の姿を見つけて、急いで駆け寄る。
突然のの登場に彼は驚いているようだった。
「どうしてここに? 今日は夜番の日じゃ無かっただろ?」
「疾風に連れてきてもらいました――それよりも成実さん。今は政宗さんも、小十郎さんも確か……」
声を低めたの言葉に、成実もいつになく真剣に頷いた。
「そう、二人とも小田原だよ。夜番で城に詰めてた伝令隊に急使は命じたけど、戻るにはまだしばらく時間がかかる」
「……手薄になる時を突かれたってことでしょうか。相手は甲斐の武田じゃないって聞きましたけど、一体……」
「さあね……でも、前田たちが発つ前で助かった。そこまで数も多くないし、大した敵じゃねーって」
「………」
は無言で松明の灯だけが頼りの暗い戦場を見回した。
戦場には付き物の敵の軍籍を示すような旗や鎧兜の特徴は見られない。
国境を接する武田軍と考えるのが一番妥当だったが、武田は上杉と川中島で睨み合っている筈だった。
そうでなくても、格式高い武門である武田・上杉が正体を隠してまで夜襲というのは考えづらい。
「成実さん、敵に心当たりは?」
「有り過ぎて分かんねーよ。俺たちゃ、あちこちに恨み買ってるからなー」
政宗が家督を継いでわずか二年で奥州を平らげ、更に小田原含む関東までをも落としたのだから、成実が言うのも尤もだった。
だが……
(大した敵じゃ無い……本当に……?)
城攻め用の大男と鉄球兵――こちらを消耗させるように少数ずつ次々と押し寄せて確実に門を破壊していっているその戦法は、とても隙無く、用意周到なものに感じた。
そんな相手が、調べを怠って戦力的不利を招くだろうか。
「! 成実殿!」
そうしている間に、まつと利家も駆けつけてきた。
流石に米沢城も空にする訳にはいかないから、非番の者の内の一部をここに召集し、残りは城の守りに入ったという。
伝令隊は、夜番の者は既に戦場を走り回っており、後から来たのは一人だった。
「戦況はどうなってるんだ!?」
口癖の「まつ~腹減った~」も出る事無く、利家もぴりぴりと緊張していた。
それだけこの状況が逼迫しているのだろう。
それとも、別の何かが――?
どこか様子がおかしい前田夫妻を見つめている内、不意に一つの考えが浮かび上がってきた。
「もしかして敵は、伊達と一緒に前田も潰そうと……?」
「――その通り。頭の良い人間は嫌いじゃないよ」
突然割り込んだ第三者の声に、ぞわりと総毛だった以外が一斉に武器を構えた。
こちらと同じように砦の防壁に立っていたのは、抜き身の剣を手に持った細身の男――
松明の灯でちらりと見えた顔には、マスクのようなものが付けられており、肩までの波打った髪が風に揺れていた。
「お前は……! ここを伊達の領地と知っての狼藉ですか!?」
まつの薙刀の気迫にもその男は口元を歪めただけだった。
「愚問だよ。前田の奥方は賢妻と聞いていたけど、見込み違いだったようだね……それに、もう僕を忘れたのかい?」
利家とまつに向けられた言葉のようだったが、二人はただ不快そうに顔を顰める。
変わりに、疾風がその男の名を口にした。
「竹中半兵衛――」
「竹中!? 豊臣の軍師とかってやつ!?」
成実の驚きに、男は――半兵衛はくつりと喉をならした。
「伊達成実……伊達三傑の斬り込み隊長か。片倉君と違って、君は馬鹿だからやり易そうだよ」
「何だと!?」
明らかな挑発だったが、成実は激昂して刀を構えた。
利家とまつまで頭に血が上っているようで、は慌てる。
「ちょっ…ちょっと待ってください、成実さん! 豊臣の軍師がわざわざ姿を見せたってことは、きっと何か思惑があるからです。相手の挑発に乗ってやることはないですよ!」
「ほぅ……?」
おかしそうに見下して笑ったその表情に、なぜかは寒気を感じた。
しかし、悔しさのままにその瞳を睨み返す。
「利家様、まつさん……竹中半兵衛と、何か因縁があるんですか?」
「ど…どうしてそれを……!」
「犬千代様!」
認めたも同然の利家の言葉にも、の視線にも、半兵衛は笑みを崩さなかった。
遠くで鬨の声が聞こえる。
成実がそちらを見やって顔を歪めた。
「チッ、新手の兵だって!? いつの間に豊臣はそんな兵力を!」
「違う……あの旗印は……今川――」
「今川!?」
夜目の利く疾風は、正確に新手の特徴を伝えた。
豊臣に、今川――情勢に疎いでも分かる。
昨日までは両者の間には何の接点も無かったはず――水面下で、同盟を結んでいたというのだろうか……誰にも気付かれずに?
それもこれも、この日の為に……伊達と前田を攻める為に画策されてきたことだというなら……
「へぇ……大名でも武将でも無い脆弱そうな君が、今の状況を一番分かっているみたいだね。名は?」
戦況に顔が強張ったを見遣って、半兵衛は目を細めた。
それに対してが口を開く前に、疾風がずいと庇うように前に出る。
「おやおや、弱さは番犬で補填と言う訳かい?――犬じゃなくて、北条の亡霊……死に損ないの屍食い鴉のようだけど」
手裏剣を構えた疾風の背がぴくりと揺れた。
「まぁ、いい――所詮は女。守られるだけの存在など、何の価値も無い。君が為すべきことが何なのか、分からないなら教えてあげるよ」
「何を……」
「嫁いで子を産み、男の邪魔をしないように家で静かに待っていれば良いんだ。こんな所までしゃしゃり出て来ずにね」
嘲りも露に言った半兵衛の台詞は、の中の何かを刺激した。
指先がちりりと熱くなるのと反対に、頭が急激に冴え渡る。
怒ることを「頭に血が上る」という言い方をするが、どうもの場合は逆のようだと思った。
怒りは頭に巣食った熱を冷まし、視野が開けて神経が研ぎ澄まされていく。
「女子を侮辱するつもりですかっ!」
「――まつさん」
風の闘気を発して今にも飛び掛りそうなまつを、はぐっと押し留めた。
目線は半兵衛など見向きもせずに、眼下の戦場に注ぐ。
「安っぽい挑発文句しか喋れない男に何を言われても、私は全く気になりません。それよりも――多分これは時間稼ぎです。あんなの無視して、はやく加勢しましょう。相手をするだけ時間の無駄です」
本当に無視して背を向けたに、一同は唖然としたようだった。
これ以上は本当に時間の無駄だ――が行けば、恐らく成実も利家もまつも、それ相応に戦況を気にかけてくれるだろう。
しかし、それはいきなり目の前に飛んできた鞭のようなもので遮られた。
来た先を辿ると、煌々とした目で睨みつけてくる半兵衛が居た。その口元は笑みで覆われている。
「この僕を無視するとは……くくく、ははは! 前言撤回しよう! 気に入ったよ、僕も時間を無駄にするのは嫌いなんだ」
その言葉が終わらない内に身軽に跳躍した半兵衛は、一気に距離を詰めて手に持っていた剣を一振りした。
突然伸びて何個かに分かれた刃が鞭のようにしての弓に巻き付く。
「なっ…!?」
予想も出来ない軌道に目を見開いたの目の前に優雅とも言える動きで舞い降りた半兵衛は、着地を狙って飛び掛った疾風の攻撃を避けてその体を蹴り飛ばし、の腕を強く掴んだ。
「豊臣に来たまえ。君の考えとその威勢……僕が存分に生かしてあげよう」
どこか禍々しい笑みでそう言われ、は一瞬も迷わなかった。
人間を道具や駒としてしか見ない――自分の価値観に全てを収めようとするその傲慢さ――
パン…!
乾いた音を立てて、半兵衛の頬を思い切り張った。
「離して――虫唾が走る」
「殿!」
「!」
とっさに間に入った利家とまつの息の合った攻撃により、半兵衛は舌打ちして大きく後ろに後退した。
弓と腕を開放されたに、二人がちらりと視線を寄越した。
「この男とは確かに因縁がある……ここは某らに任せてくれ!」
「すぐに片付けて参りまする!」
それだけ言って半兵衛との戦いに入った利家とまつに、は顔を歪めたが止める事は出来なかった。
彼らの事情が分からない以上は口出し出来ないし、伊達として優先させなければならないことは他にある。
成実と視線を合わせて頷きあい、たちは今にも城門が破られそうな門前に急いだ。
(政宗さん――……)
自分があまりにも無力だった。
利家とまつのことも無事を祈るしかなく、竹中半兵衛にも何も言い返せない。
もう二度と呼ばないと決めた名を無意識に呼んでしまい、苦笑を零した。
月も隠れた深更――闇は、深まるばかり……
戦場は目まぐるしく揺れ動いていた。
061015
BASARA1の「国境防衛戦」ステージ。でも相手は半兵衛