24.Play tag -鬼ごっこ-

 その日、は久しぶりの非番を持て余すように城の書庫に篭っていた。
 がここを去るまで後三日……政宗は明日になれば小田原へ発つ。

 ぼんやりしていると何やら鬱々と考え込んでキリが無いので、それを忘れる為にも読書に集中していた。
 以前に小十郎に薦められた本はまだまだ読みきれていないし、新しい環境に移るに当たって知っておいた方が良い知識は尽きない。

 大分慣れてきたミミズのような達筆に苦戦しながら、何とか理解できる箇所だけでも拾い上げて読み進めていく。
 パラパラと一心に頁を捲って、ようやく一冊読み終えて一息をついた時にその声は掛けられた。

「――読み終わったか?」

 はびくりと身を竦ませた。
 自分一人だけだと思っていたせいもあったが、その声が良く知ったものだったのが原因で――
 一体いつから居たのか、障子の脇に背を預けて座っていたその人は――……

「なっ……どうして……!?」

 もう二度と会うことは出来ないかもしれない――そう覚悟していた相手の登場に、頭は一瞬真っ白になった。
 彼――政宗は、ただじっとこちらを見つめている。
 その眼差しに恐怖にも近いものを覚えて、は思わず立ち上がった。

「おっと、人を無視してどこに行こうってんだ?」

 の行動を見越していたのか、座ったままの政宗が出入り口を塞ぐようにしてじろりと見上げてきた。
 何をした訳でも無いのに、その視線だけで動きを縫いとめられる。

(に…逃げなきゃ……!)

 ぞくりと危機感を感じたは、そう直感した。
 何が何でもこの場から逃げたい――その欲求に従うべく腹を括り、はっとしたように外を見遣った。

「――あっ、すっごい良い馬!!」
「なに……?」

 思惑通り、政宗の顔がまんまと外を向いた一瞬に、はダッシュでその場を走り抜けた。
 礼儀や常識などかなぐり捨てて、そのまま廊下を全速力で走った。
 すると、物凄い足音を響かせて後ろから粉塵が上がる。

「待て、! テメェ、イイ度胸してんじゃねぇか、アアァン!?」
「うそっ……!!」

 鬼の形相で追って来た政宗は、有り得ない程のスピードでその差を縮めてきた。
 はあまりの恐怖に顔を引き攣らせて、半泣きになりながら庭に飛び出した。
 狭い生垣に入ってぐねぐねと曲がり道を通って追跡をかわし、いつも使っている勝手口から外にまろび出る。
 その後は一直線に進み、やがて見えてきた厩に飛び込んだ。

「すみませんっ! ちょっとお借りしますっ!!」
「アァ? あっ、おいお前! !?」

 入口に置いてあった鞍と手綱を取ると、顔馴染みの厩番がブラシをかけていた馬に置いて、素早く跨る。
 普段なら考えられない行動だが、この時はそんなことを考えている余裕など皆無だった。
 当然ながら驚いて棹立ちになった馬を根性で宥め、強く腹を蹴って勢い良く走らせる。

「~~すみませんっ!!」

 道行く人に謝りながら城を一気に駆け降りて、大路を横切って町の外に飛び出した。
 しかしどこに逃げようかと思案している所に後ろから力強い蹄の音が聞こえ、震え上がる自身と、怯える馬を必死に誤魔化し、後は無心で当ても無く走り続けた。 







「待ちやがれ、! 人の話を聞けっつってんだ!」
「っ……嫌です! 来ないでください!!」

 なぜこんなことになったのか……
 は誰にとも無く毒づきながら、ちらりと横を窺った。

 政宗を乗せた白斗はとっくに隣に追いついていたが、物凄い速度で駆けている馬上では流石にどうしようもないらしい。
 先程からずっと、同じような会話の繰り返しを続けている。

 もしかしたら、お互いにさしたる理由など無いのかもしれなかった。
 追いかけられるから逃げて、逃げられるから追いかけるという、簡単な図式――

 しかしは、絶対に捕まりたくない。
 捕まって、そして政宗の話とやらを聞いて、それで決心が鈍ったら堪ったものではないからだ。

(でも、このままじゃ……)

 だらしなく上がる息に、眉を潜めた。
 こんなスピードでこんな長距離を走るのは、にとって初めてだった。
 馬も疲労しているし、も体力が尽き掛けている。
 現実問題として、このまま無理に走り続ければ、落馬の危険があった。

「おい、! いいから止まれ!! もうそれ以上は無理だ!」
「――嫌、です!!」

 とて分かってはいたが、素直に頷ける筈も無く、政宗から離れるように大きく右に逸れた。

「! この馬鹿! そっちは――!」

 焦った政宗の声は届かず、は勢いに押し出されるように飛び出し……そこで目を瞠った。
 見通しの悪い森の中で皆目気付かなかったが、が飛び込んだそこは崖になっており、ただぽっかりと青い空が浮かんでいたのだ。

「キャ…ッッッッ――」

 声にならないとは、まさにそのことを指していた。
 馬ごと宙に飛び出した形になり、一瞬の空白の後、ぐんと重力に従って落下し始めた体が声にならない悲鳴を上げる。
 風圧に煽られて、完全に鞍から体が離れたところに、強い声で命じられた。

っ! こっちに来いっ!!」
「っっっ――――」
 
 同じように白斗ごと宙を舞った政宗が、必死な顔で手を伸ばしていた。
 差し出された大きな手が、の網膜に焼き付く……
 それが眩しくて、涙が弾けたような気がした。

「政宗さ……!!」

 こちらからも伸ばした手が空中で捕まえられて、あっという間に引き寄せられる。
 途端に包まれる温もりと安心感に、胸が詰まった。

「しっかり掴まってろよ! HA!!」

 頷く暇も余裕も無いまま、はただ政宗の体にしがみ付いた。
 そのすぐ後に衝撃が来て、ガッガッと岩を蹴る振動の後にしばらくしてようやく止まる。

「……の、馬鹿女!! 一体何考えてやがる! こっちの心臓止める気か、テメェは!!」

 鋭い一喝を受けて、はやっとのろのろと顔を上げた。
 ひどく懐かしいその声と瞳に思わず涙が溢れて、慌てて目を逸らした。

 すぐ間近で激怒している政宗……そして白斗と、近くに留まっていた乗ってきた馬と、最後に自分を見下ろして、落ちたと思しき場所を見上げる。
 それは遥か上方にあって、は涙も乾くほど呆然とした。
 ようやく働き出した思考で、やっと状況を理解する。
 信じられないことに、とんでもない高さの崖からダイブしたにも関わらず、人間も馬も全員無傷らしい。

「……助かった……?」
「当たり前だ! あれぐらいの高さで死ぬか!」
「……普通は死にますよ……」
「奥州の馬が、んなヤワな訳ねぇだろーが!」
「そういう問題じゃ……」
「戦じゃ、アレより高い崖から降りて奇襲しかけたこともあんだ。一々ビビってんじゃねぇ!」

 ここが常識が通用しない世界だと改めて実感したは、考えても無駄なことだと切り捨て、自分を落ち着けようと深呼吸した。
 そして、自分の両手がいまだに政宗の服を強く握り締めたままなのに気付く。

「やっ!…うわっ…!」

 慌てて大袈裟な程にバッと手を放し、背中から落ちそうになって政宗に助けられた。

「何やってんだ……」

 呆れる声に自分でも同感して顔を上げると、予想に反して真面目な顔の政宗と目があった。

「やっと捕まえたぜ、? tag ended.(鬼ごっこは終いだ)」
「………参りました」

 は仕方なく降参して、ふいと視線を俯けた。

「…………」
「…………」

 そして、二人の間に不意に沈黙が訪れる。
 としては、あの日のことや、ここまで追いかけてきた理由や……その他のことやいろいろと聞きたかったが、結局何一つ言葉に出来なかった。

 小十郎から何か聞いて来たのだろうか……
 が米沢を去ることを聞いたから来たのか……
 政宗は一体どう思ったのか……
 なぜ何も言わないのか……
 何を、考えているのか……

「………………」

 纏まらない思考と重たい沈黙に耐え切れなくなった時、政宗が無言のままに白斗を歩かせた。
 が乗ってきた馬に近づいて、馬上からその鼻面を撫でる。

「お前は先に帰ってろ。城はあっちだ。分かるな?」

 ブルルと返事のように反応したのを確認して、白斗の腹を蹴って城とは別の方向に走り始めた。

「政宗さん……?」
「――、お前はちょっと付き合え」
「……はい」

 いつもよりも低い政宗の声に、は短く頷くことしか出来なかった。








 政宗が馬を止めた目的地らしいその場所に着いて、は少し目を瞠った。

 そこは、が米沢に来た当初、牢から出されてすぐに連れてこられた、城と町を一望できる丘だった。
 米沢を去ろうという今になってまたここに来たことに、因縁めいたものを感じずにはいられなかった。
 思えば、あの時、この場所から見た米沢が眩しい程の活気に溢れていて……政宗ならこの町のような天下を作ることが出来るのではないかと思った。
 それが、始まりだったのだ――そして今またこの場所で、今度は終わろうとしている。

「――明日から数日、俺は小田原へ行く」

 諍いのことなど何も触れずに、政宗は唐突にそう言った。
 は瞬きした。
 知っている――その間に、はこの地を離れるのだ。

 ここで、先日の一件について自分から謝るべきだと思った。
 政宗は主で、は臣下で、いくら気安くしていてもそれは事実なのだから、無礼を働いたが謝るべきだ。
 でも、それを言えば何かが壊れてしまう気がして――だから、も政宗と同様に何も言わなかった。

「……そうですか」

 今日も米沢の町は、あの日と変わらず美しかった。
 それが一層、の胸を締め付ける。

「帰ってきたら……」

 政宗のその言葉に、は息をつめた。
 続く言葉を待って、心臓が早鐘を打つ。

 政宗が帰ってくる頃には、は賎ヶ岳へ向かっている道中だ。
 恐らく、もう二度と会うこともあるまい。
 ……会ってはいけないのだと、思っている。

 今日で最後――政宗はそれを知っているのか。
 知った上での、言葉なのだろうか……

「……帰ってきたら、またお前の好きな甘い酒を持っていってやるよ」

 は前を向いたまま自分の手を握り締めた。

 ――知らない。
 政宗は知らないのだ。
 が米沢を去ることも。これが最後だということも。
 小十郎からは、まだ聞いていないのだろう。
 だったら、に会いに来たのは、しばしの留守を言う為……そして仲直りの為だったのだろうか。

 政宗に気付かれないように、こっそりと、苦い笑みを浮かべた。
 仲直り……最後にそれが出来たのは、幸なのか不幸なのか……

(今更だけど…ね……)

「…………はい。楽しみにしてます」

 小田原から戻ってきて、の家に来て、そこで初めて政宗は知るのだろうか。
 嘘付きと罵られるか、なぜ言わなかったのかと怒られるか。
 いっそのこと、そのままのことなど忘れてくれたら良いと思う。

 目頭が熱いのは、米沢の町が美しいからだと自分に言い訳して。
 はそっと、その光景を焼き付けるかのように瞼を閉じた。









061009

もうお忘れかもしれませんが、この連載では最初に小田原の北条を伊達が破りましたので、小田原城は伊達の管轄となっております。次回から政宗さんは視察出張。
CLAP