以前、政宗から聞いた。
「小十郎は、俺の傅役だからな」
「傅役?」
「ガキん時からの守り役だな。予め決められた俺の右腕ってこった」
耳慣れない言葉の説明は受けたが、この時代の常識を知らないにとっては、それがどんなものであるのか正確には理解できなかった。
だが、普段からの政宗と小十郎を見ていれば、少しだけ分かるものもある。
「……悪く思わないでいただきたい。私は政宗様の傅役ですから」
話の前に言われたその言葉に、聞く前から内容の見当がついたのも、その為だった。
傅役―― 一言に言ってしまえるその言葉の中に、一体どれほどの絆が詰まっているのだろう。
政宗と小十郎の間にある、見えなくとも確かな信頼。
それの前には、などはいかにも小さな存在だった。
「まぁ、真でございますか?」
「ホントだべ」
天候に恵まれたその日は、見事な秋晴れの空が広がっていた。
気持ちの良い陽気につられて、まつといつき、の三人は、宅の縁側でおしゃべりに花を咲かせていた。
まつたち前田家が伊達に下って半月以上……一介の平弓兵である筈のの家で出会ったまつといつきも今では随分仲が良くなり、まるで姉と妹のようである。
聞けば、まつと利家は以前にいつきたちの村にも食材を探して赴いたことがあるらしく、面識があるようだった。
美味しい米に関しての情熱に通じるものがあったのか、二人は一瞬で打ち解けてしまったほどだ。
最近では、三人でお茶をするのは数日空けずの日課になっている。
「二人とも、今日のお菓子はちょっと自信作ですよ?」
声を立てて笑っている二人の元に、は手作りの菓子を差し出した。
まつもいつきも料理は得意で、近頃、お茶請けの菓子は交代で持ち寄ることになっていたのだ。
今日はの番だったので、二人を見習って思い切って手作りにしてみた。
「へぇ~! もしかしてこれ、が作っただか!?」
「初めて見るお菓子ですわ……異国のものですか?」
えぇ、まあ。と曖昧に返して、お茶を注いだ。
本当は自分の好物でもあるシフォンケーキでも作りたかったのだが、どうしても材料が揃わず、団子屋の主人に相談して切り替えたのがこれだ――
題して――蒸しパンケーキ・もちもち風味。
卵白のメレンゲともち米を主な材料にして、砂糖やあずきで誤魔化したシロモノである。
プリンのように茶碗で蒸したそれは、思ったよりも美味しく出来て、自分では大成功だと思っていた。
器が見慣れたシンプル茶碗なので所帯染みているが、かつての自分だったらレトロだと喜んだだろう。元居た時代風に言うと、立派な『和スイーツ』である。
「! もち? ふわふわの赤飯みたいだな!」
「珍しい食感でございますね……でもとても美味しゅうございますわ!」
「うん! おらも好きだ!」
「――良かった。ここでは珍しいだろうし、もしかしたら口に合わないかなって心配もあったから……」
再び花を咲かせ始めた会話に参加して、はほっと息をついた。
こうして、何も考えずに笑っていられる時間が、心から有り難かった。
厩の前で政宗と喧嘩してから約半月――政宗とはあれから一度も会っていない。
この世界に来て、こんなに長い間あの顔を見ないのは初めてだった。
政宗がここにふらりとやって来ることもなければ、が城の彼の部屋を訪ねることも無い。
以前は馬場でばったり会うということもあったのだが、今では姿を見かけることさえ無かった。
政宗の方から手を伸ばしてくれなければ、顔を見ることも出来ない距離――は改めて、その遠さを思い知った。
ふとした拍子に沈みがちになるを心配したのか、まつといつきが頻繁に家に来てくれるようになり、あの日のことが気にかかっていたのか、一度など小次郎にまで捕まった。
「! お前、その……兄上から罰を受けたりとかしておらぬか…?」
そう眉を下げて不安気に聞いてきた小次郎に、は罪悪感でいっぱいになった。
は政宗から何の咎めも無かったし、あっても構わないと思っているから別にしても、小次郎は本当にただ、巻き込まれただけである。
いきなり寝入っている所を大好きな兄に足蹴にされて、ひどい言葉を投げつけられたのだ。
「私は全然大丈夫です。それよりも、本当に申し訳ありませんでした……あれから政…兄君からは何かありましたか?」
「いや……」
否定はしたものの、その沈んだ表情が雄弁に物語っていた。
どうせあの政宗のことだから、自分の八つ当たりに対して何のフォローも行っていないに違いない。
それに、厩に軍属で無い小次郎が近づいたとの叱責は、一応理にも適っていた為、小次郎も余計に落ち込んでいるのだろう。
「軍馬に悪戯したと言うならまだしも、梵天丸様はただあの場を通りかかっただけなんですから、兄君も本当はそれほど怒ってらっしゃいませんよ。機会があれば私からも申し上げておきますから、梵天丸様もお気になさらず、たまには兄君に甘えられてみてはいかがです?」
「なっ……誰が兄上に甘えるなどと……!」
顔を真っ赤にして即座に否定した小次郎は、むっとこちらを睨んできた。
「――小次郎」
「はい?」
「お前、最初から私の名前を知っていただろう! それなら、いつまでも違う名で呼ぶな!」
その困ったことを怒って誤魔化そうとするところなど政宗にソックリで……は小さく微笑んだ。
「はい、小次郎様――」
小次郎ともそれきり会っていないが、本当に彼のことだけはどうにかして政宗に取り成したいと思っている。
本当の家族を知らず、義理の両親にも他に子どもはいなかったので、には兄弟というものがどんなものかは分からなかったが、こんな誤解で壊れて良い絆では無い事は確かだろう。
問題は、仮に話す機会があったとして、が言ったのでは政宗に対して逆効果になりはしないかということなのだが――
以前と今の、彼との距離を考えて、それでもこうなることは必然だったのかもしれないと考える。
離れてみて思い知ったのだ――きっとこれで良かったのだ、と。
「……? ?」
「あ、はい!」
呼ばれて、は不意に我に返った。
まつといつきが心配そうな目を向けてきている。
いつの間にか、手の中の湯飲みまで冷たくなっていた。
そんなに長い間ぼんやりしていたのだろうか、と呆然としてしまう。
「……、大丈夫ですか?」
「――おら、もう我慢なんねーだ! が元気無いのが政宗のせいだって言うなら、おらが力づくで引っ張ってきてやんべ!」
「い…いつきちゃん…!」
憤然と立ち上がってどこからとも無くハンマーを取り出したいつきに、は慌てた。
そのハンマーで何をするつもりなのか……いつきの体から発せられる氷の闘気に身を竦ませる間でもなく分かる。
(……いや、ホントに無理だって!)
例えいつきが政宗を殴り倒して連れてきたとしても、はどんな顔をして会えば良いか分からない。
顔を見るなり逃げ出してしまいそうな気さえした。
「――、……」
そう呼んで何事か続けられようとしたまつの言葉は宙に浮いたまま止まった。
突然羽音を響かせ、すごいスピードで大きな鷹が飛来したのだ。
「まぁ、太郎丸! どうしたのですか!? まさか、敵!?」
太郎丸と呼ばれたその鷹は、以前に紹介されたことのある、まつの頼もしい仲間たちの長兄(?)だった。
この辺りの見張りを頼んでいたのか、頭上を旋回する太郎丸に、まつは敵が近づいているのかと警戒する。
だが、次いで響いた声は、馴染みのあるそれだった。
「敵とは些か酷ぅございますぞ、まつ殿」
「小十郎殿!」
苦笑して立っていたのは、政宗の右目とも言われる片倉小十郎その人だった。
そもそもこの辺りは小十郎の武家屋敷なので、姿を見かけることもたまにあったのだが、今日のようにの家の庭先にまでやってくるのは初めてだった。
随分くつろいだ恰好だったので、非番なのだろう。
偉丈夫で目立つ傷痕も多く着流し姿でも十分迫力があったが、戦の時とは違って穏やかな空気を纏っている為、近寄りがたさは感じ無い。
「その鷹は、まつ殿の鷹ですか。立派なものですね、私が来たのを主に知らせるとは」
柔らかく笑って近づいて来た小十郎に、は常とは違うものを感じた。
笑顔の下に緊張を隠しているような……僅かな空気の差。
「突然伺ってすみません」
三人の視線を受けながら小十郎は歩みを止めた。
こちらが用件を問う前に、ぺこりとの友人たちに頭を下げた。
「実は折り入ってに話がありまして。まつ殿といつきには申し訳ないのですが……」
小十郎らしからぬ強引さに、は二人が何か言うよりも早く頷いた。
「承りました――小十郎様」
「ここの生活にもすっかり慣れましたね」
気を利かせたまつがいつきを引っ張って帰っていった後――
それを見送ったは、小十郎を奥の部屋に通してお茶と茶菓子を出した。
不躾で無い程度に部屋を見ていた小十郎が、それに目を落として苦笑する。
「はい、お陰様で」
確かに、初めてこの世界にやってきた戦の夜――あの地獄のような夜からは考えられないほど、今は平和な毎日だった。
は軍属である為、戦となれば戦場に行かなければならないが、訳も分からず抗う術も無いまま殺されかけたあの時と比べると雲泥の差だ。
「まつ殿といつきとも、あれほど親しかったとは驚きました」
「お二人とも、本来なら私なんかが口をきける人でも無いんですけど、友だと言って気楽に付き合ってくれます」
それは、友人の二人に限らず、小十郎たちや――政宗に対しても同じことだ。
身分社会で、上下の別を考えないで接していられるのは、上に居る者が手を差し伸べているからに他ならない。
苦い笑みを浮かべたをどう思ったのか、小十郎は台所の戸棚にあった徳利に目を止めた。
「あれは――が飲むのですか?」
「あ、いえ。あれは、政宗…様が……」
それを持って笑う政宗の姿をまざまざと思い出して、は慌てて目を逸らした。
「……悪く思わないでいただきたい。私は政宗様の傅役ですから」
不意に小十郎の声が真剣になって、はゆっくりと瞬きした。
「…………悪くだなんて。ここに置いて頂いただけでも有り難いことです。そのご恩に報いたいとこそ思え、政宗様や小十郎様にご迷惑をかけるのは、私も本意ではありませんから」
了解しているという響きを滲ませてが告げると、小十郎は眉を寄せて俯いた。
言い辛そうな小十郎の優しさに、思わず苦笑してしまった。
「当ててみましょうか――政宗…さんが何て言ったか」
わざと気安く呼んで、は悪戯っぽく笑って見せた。
「私に会いたくない。とか、もうここには来ない。とか」
小十郎が驚いたように目を見張る。
やっぱり――と思うと溜息が漏れた。
「だいぶ、嫌われちゃったみたいですね」
「嫌いだなどとそんなことはありません! 政宗様はただ、今はには会えないと――」
不意に声を荒げた小十郎は、自分を落ち着かせるように一度溜息をついて、座り直した。
「なら知っているのでしょうが――政宗様の様子が、半月前からおかしいのです。以前なら決して手を抜くことも無かった政も頭に入らないようで……その上、外に抜け出すことも無く、一日中部屋でぼんやりと過ごしておられる」
は眉を寄せた。
それではバッタリ会うことも無いわけだ……それ以前に、体を壊してしまうだろう。
との一件が、そんなにも政宗に影響を及ぼしているとは思いも寄らなかったので、何やら複雑な気分だった。
「私も長年お傍にいるが、あんな政宗様は初めて見ます。私としてはしばらくそっとしておいて差し上げたいが、近隣諸国も不穏な昨今、そうも言っていられません。政宗様も分かっておられるからこそ、真面目に部屋に居るのでしょうが、そうなった原因はいくら聞いても教えてくださらない」
だから、――
そう言われる前に、は自ら口を開いた。
政宗のことを心から心配している小十郎が動いたということは、本当にギリギリなのだろう。
伊達家の危機を前にして、自分の恥ずかしさやプライバシーを守ろうとするほど、の自尊心は高くない。
「本当につまらないことなんです。宴の夜のことで私が文句を言ったことがきっかけで……」
あの一件の後、自身も何度も思い出した会話の内容、そして小次郎まで巻き込んでしまったことなどを詳しく話した。
聞き終えた小十郎は目を見張る。
「政宗様が、に刀を抜いたのですか?」
それは、本当に心からの驚きのようだった。
は自嘲気味に頷く。
「それだけ、私の態度が頭に来たってことでしょう。私は政宗さんに対して……その…友人のような感情さえ抱く時があったので、殺したいほどの憎しみを向けられて……」
その感情が上手く言葉に出来ずに言い淀む。
悲しかった。
悔しかった。
腹が立った。
――相手が他ならぬ、政宗だったからこそ。
「……そうですか」
唇を噛んで俯いたにそれ以上の説明は求めず、小十郎はそう言って溜息した。
そしてしばらくの沈黙の後、の名を呼ぶ。
「小次郎様のことは、私から言っておきましょう」
「あ……、よろしくお願いします! 白斗に乗りたがっていた、と伝えてあげてください」
「承知しました」
小十郎の好意に微笑んだまま、は畳に手をついて深く頭を下げた。
「短い間でしたが、お世話になりました」
小十郎が小さく息をつめた気配が伝わった。
今日、小十郎自らがここに来たのは、政宗の変調の理由を知る為と、にこのことを伝える為だろう。
この優しい人に、疚しさを感じることを言わせたくなかった。
「戦の絶えない軍の中で生活するのは耐えられなくなりました。別の土地へ行って国に帰る方法を探します――――そう、言っていたと……政宗さんには伝えてください」
顔が歪まないように力みながら何とか笑みを作ったに、小十郎の方が思い切り眉を顰めて、ずい、と身を乗り出した。
「、政宗様の側室となる気は無いか?」
「え?」
側室――妾。正式の妻とは別の、側女。
一瞬何を言われたのか分からず、呆然とした。
「異国から来たには分かりにくいことかもしれんが、政宗様のお年になって妻を娶っておられぬというのは、この戦国の世では異例のこと……数年前にまとまりかけた良縁を無理やり破談にして以来、正妻はおろか、側室さえ迎えようとなさらない」
――確かに、少しずつ学んでいる各国の情報などを見ていても、大名などの武家は皆異様に結婚が早いようだった。
大名だけでなく、時代的にも早婚の風潮があるから、などはもしかして既に『いき遅れ』なのかもしれない。
「母上様のことで、政宗様は女性に対してどこか頑なな拒絶を抱いているようにも見受けられる……だが、『友人』のように接することのできるなら……!」
政宗が女性不審というのは中々信じ難いものがあったが、自分の辛さを簡単に表に出すような人では無いことを思い出した。
広く浅くの遊びならまだしも、色恋沙汰になると駄目なのかもしれない。
そんな政宗には、心を痛める――幸せになってほしいと思うから。
だが……
「小十郎さん……私はそれこそ、ただの『友人』です。それに、政宗さんは私を一瞬でも殺したいと思うほど嫌ってるんですよ? ……有り得ませんよ」
その言葉を言う事で感じる胸の痛みには気付かないフリをするしか無い。
「――政宗様の気持ちに関わらず、伊達家には政宗様の血を継がれたお子が必要だ。遅かれ早かれ、いずこかの姫君を迎えることになる。は、それでも良いのか――?」
……良いも悪いも、無い。
「……………私とは、違う世界のことです……」
今度こそ、痛みは隠しようが無かった。
小十郎がここに来た時から分かっていたことだ。
こんな状態のままでがここに居ることは、政宗にとってマイナスでしか無い。
例え以前の関係に戻れたとしても、も一応女だ――政宗の妻となる人が来れば、無用な火種になり兼ねない。
政宗にとって、は傍に居ない方が良い。
本能的に、そう感じた。
だから、ここを出て行かなくてはならないと、もう数日前から考えていたのだ。
今日まで決心が付かなかったのは、まつやいつきや、心配してくれる優しい人たちが周りに居たから。
「――前田利家殿と、まつ殿が、あと数日で領地に戻ることは知っていますね?」
「? はい」
「前田の戦力を伊達に常駐させる代わりに、伊達からも数隊をあちらに派遣します。もそれに加わってください」
「で…でも――」
本当は最初から、自分一人で生きていかなければならなかったのだ。
それなのに、戦力の欠片にもならないを召抱えて、衣食住を与えてくれた。
米沢を離れるならば、今度こそそこまでして貰うわけにはいきません――そう言おうとしたの唇に、そっと小十郎の掌が触れていとも簡単に沈黙させられた。
「せめて、安心できる場所に居てください。私も、成実殿も綱元殿も、勿論政宗様も、のことを心配しているのは事実なのですから」
近くから優しい瞳で微笑まれて、は赤くなったまま頷くしか無かった。
優しさを、有無を言わせぬ迫力と強い意志で包み込んでいる人――
竜の右目――こんな人が片目を補ってくれるなら、政宗は何があっても大丈夫だ。
去りゆく今そう確信できたことが、何よりも嬉しかった。
「後のことは全て私が責任を持ちましょう。発つのに入用なものがあれば、出来る限り揃えます」
「――はい。宜しくお願い致します」
は深く頭を下げた。
――あと五日……はまつたちと共に、この住み慣れてきた米沢を後にする。
三日後からの数日間を、政宗は小田原へと視察に出かけることになっているらしいので、は彼の居ない米沢と別れることになるのだ。
(政宗さん――……)
意識もせず、は心中でその名を呼んだ。
呼ぶだけで締め付けられる胸の痛みを持て余す。
そんなをじっと見ていた政宗の傅役は、晴れない表情でゆっくりとその場を立ったのだった。
061007