22.contrary -意地っ張り-

 前田が伊達に下って約十日――織田の忠実な譜代と思われていた前田の離反という驚きの報は、瞬く間に天下に知れ渡った。

 各国は、天下の趨勢を大きく揺るがすその事態に揺れ動き、それぞれに行動を開始する。

 そんな中、当の伊達本拠・米沢では、政宗の凱旋から三日後には、慌しくも賑やかな日常が戻ってきていた。






「全治二週間じゃ、この小娘めがっ!!」

 城の一郭で軍医の見立てを受けたは、その大声に耳を押さえて苦笑した。

「完全に治るまでは、弓を取るなどもっての外じゃ。普段もなるべく使わんように心がけるようにせい、この阿呆が! 女子が怪我なぞこさえてきよって! 力も無い癖に突っ走るなど馬鹿の見本じゃ! 一遍死んでくるがええぞ、馬鹿娘!」
「……ごめなさい、翁」

 本名は知らないが、皆から翁と呼ばれるこの軍医の老人には、が初めてこの城に来た時からずいぶんと世話になっている。
 口の悪さは天下一だが、その分腕は確かで、毒舌も心配の裏返しだと分かるだけに、皆からも慕われていた。
 その翁に治療してもらう時の最善策……それは、ひたすら低姿勢で謝ることだ。

 しかし、付き添いで来ていたいつきには難しい注文だったらしい。子供らしい素直さで牙を剥いて、食ってかかった。

「じいちゃん、そったら言い方は無いべ!? だって、好きで怪我したわけじゃねぇだ。こんなに痛そうでねぇか!」
「あー? なんじゃ、クソガキ。そういうのは自業自得っちゅーんじゃ。同情の余地なんぞあるか! ガキの癖にボケでも来ておるのかお前は」

 純粋ないつきが、口でこの海千山千の老人に敵うわけが無い。
 やり込められては顔を赤くして悔しがるいつきを何とか宥めすかし、翁から薬を受け取ったは早々に退散した。
 翁のことは個人的におもしろくて好きなのだが、あの毒舌に付き合っていると、悪気は無いと分かっていても神経を磨耗する。

! なして黙って聞いてるだ! 離してけろ、おらはまだ言いたいことが……」
「い…いつきちゃん! これから予定ある!?」
「……別に無ぇだが……」
「私、これから馬の様子を見に厩に行くんだけど、良かったら一緒に行かない?」
「馬?」

 どうやらいつきの注意を引くことに成功したようで、はほっと息をついた。
 厩に行かなければならないのは本当だし、丁度良い。

 怪我の為に当分訓練にも加われないは、内勤と雑務をこなすことになっていた。戦明けで怪我人が多く、手が足りないのはどこも同じである。
 毎日、体に負担が掛からないような机仕事が主で、朝早くから夜遅くまで忙しい日々を送っていた。
 仕事中は集中し、家に帰ったらほとんど寝るだけ――普段なら早々に音を上げそうだが、今のにとっては、ゆっくり考える時間が無いことの方が有り難い。

 しかし、今日はデスクワークでは無く、軍馬の世話をする厩番が足りないとのことで助っ人を割り振られた。
 戦から戻ったばかりで馬たちは皆興奮が治まりきっていない。
 神経過敏になっているから、念の為に目を離さないでくれということらしい。
 ただ厩の見張りをしているだけなんて……そんなぼんやりとした時間は、何か考えてしまいそうでとても危険だ。不安に思っていたのだが、いつきが一緒に居ればその心配も無いだろうと心が軽くなった。

「馬は好き?」
「好きだべ!」
「私もよ」

 更に、大好きな馬の近くにいられるなんて、実は物凄くオイシイのではないかと思えてきた。
 上昇した機嫌でいつきと些細な会話を交わし、厩舎へとたどり着く。
 広い厩には、飼葉も水もたっぷりやってあったが、誰もいなかった。

「――あ、白斗! 久しぶり!」

 ぐるりと見渡して政宗の愛馬である白い馬を見つけると、思わず駆け寄る。
 ヒヒンと鳴いて鼻面を寄せてきた首の辺りに抱きついて、大きな体を撫でた。
 こうして馬と接していると、とても落ち着く――物心ついた頃から馬と触れ合ってきた為だろう。

(……ん? 物心ついた頃……?)

「そこの者! その馬に何をしている!」

 頭に浮かんだ考えに疑問符を浮かべた瞬間に、その声は投げ掛けられた。
 唐突に後ろから誰何されて、といつきは驚いて振り返る。
 そしてそこにいた人物に、の目は見開かれた。

「それが城主の馬だと知っての振る舞いか!」
「小次……梵天丸様……!」

 胸を反らせて立っていた少年は、の言葉に、む、と眉を寄せた。

「それは私の名では……そなた! 以前に庭で会った者か! 確か、と言ったか」
「はい。本日は厩の手伝いを言い付かっております」
「む、そうか……ならばしっかり働くが良いぞ」

 相変わらずの背伸び口調に、は苦笑した。
 小次郎に会うのは、随分久しぶりだ。
 母親と二の丸の奥で暮らしているらしく、表に出てくることはほとんど無いという。
 だが、前回といい今回といい、やんちゃ盛りの若君には、そういった生活は少々窮屈らしい。

 上に立つ者らしく労いの言葉を口にした小次郎だったが、立ち去る気配は見せず、じっと白斗を見つめている。
 それに気づいたは首を傾げたが、思い当たることがあった。

(もしかして……)

 しかし、その問いを発する前に、傍らのいつきが、ずいと前に進み出る。
 そして胡乱な目を向けて相手を睨みつけた。

「この偉そうなのは一体誰だべ?」
「!」

 一瞬にして空気が険悪になったのが、には分かった。
 いつきと小次郎は年齢は近いが、面識はなかったらしい。

「お前こそ誰だ!」
「男から名乗るのが礼儀だべ!」
「礼儀知らずはどっちだ! 私はこの米沢城城主の弟だぞ!」
「へ? 政宗の弟?」
「なっ…兄上を呼び捨てにするとは何事だ!」

 早速の口喧嘩に、はため息をついた。
 どうやら二人の相性はあまり良くないらしい。それとも、すごく良いのだろうか。

「梵天丸様、こちらはいつき様と仰って、以前北の一揆衆を束ねていた方です。今は伊達軍の将として、政宗様の信頼も厚くてらっしゃいます」

 取り成すように告げたの説明に、小次郎は目を見開き、いつきは照れくさそうに鼻の下を擦った。
 悔しそうにいつきを睨み付けていた小次郎だったが、このままでは不利と悟ったのか、ふんと鼻を鳴らして視線を背けた。

「一度は伊達に弓引いた分際で威張るなどとは、いかにも浅はかな者の考えそうなことだ。……それよりも! こちらへ来てあの歌を歌え!」
「歌…以前歌ったものですか? でも、私は……」

 言い淀んだの手を引いて、小次郎はずんずんと厩から連れ出した。
 すぐ傍の木陰に座り込んで、大きな目で見上げてくる。

「叱られたら私が庇ってやる――駄目か?」

 美少年の懇願に、は思わず言葉に詰まった。
 生意気でも無垢な瞳と、文句の付けようがない美貌……抗える筈が無い。
 溜息をついて潔く白旗を上げた。

「……分かりました。少しだけなら」

 厩が見渡せるこの場所なら、馬たちに何かがあれば、すぐに気付くことが出来るだろう。
 そう思い直して腰を落ち着けたのだが、いつきはとことん小次郎が気に入らないらしい。

! こんな奴の言う事なんか、聞いてやることねぇだ!」
「こんな奴とはなんだ、下郎が!」
「オラたち農民を馬鹿にすると許さねぇだぞ!」
「なんだと!?」
「なんだべ!!」

「――二人とも!」

 は強い語調で二人の間に割って入り、交互に見つめた。

「馬の傍で大声を出すなんて、非常識ですよ。――さあ、いつきちゃんもここに座って。下手糞な歌だけど、少しだけだから一緒に聞いてくれる? 梵天丸様も、それで構いませんよね?」

 これ以上子守は勘弁だ、とでもいうニュアンスを感じ取ったのか、実年齢よりもずっとプライドの高い二人は渋々折れて沈黙した。

(まったく……でも、二人ともまだ本当に子どもの年だもんね)

 同じ年齢の子どもと口喧嘩なんて、二人とも今まで無かったに違いない。
 はほっと息をついて表情を和らげ、両脇に座った二人の為に、うろ覚えの歌を歌い始めたのだった。







「Ohー、こんな所で歌ってるcarefree person(暢気者)は誰かと思えば、my kittyじゃねぇか」
「――げ、政宗さん」

 歌い始めてやや後、声を掛けられて振り向けば、そこには軽装の政宗が立っていた。

「――相変わらずイイ度胸だな、。その嫌そうな顔は照れ隠しか? いくら俺に会えたのが嬉しくても、背負い投げはもう勘弁してくれよ?」

 投げ飛ばして草むしりさせられた朝以来に会う政宗は、嫌がらせのようにそれを蒸し返すのを忘れなかった。
 ここで会ったが百年目――不当な罰の文句を言ってやろうと口を開きかけたが、膝元にあるものを思い出して慌てて噤む。

「…お静かに。あまり大きい声を出すと、起きちゃいますよ?」
「アァン? ……What!? 小次郎じゃねぇか!!」

 言ってる傍から大声を上げる政宗に、静かに、と人差し指のゼスチャーを示すと、不機嫌そうに口を噤んでの隣に腰を下ろした。

 逆隣には木を背にしたいつきが眠っており、の膝元には、膝枕で眠る小次郎の姿があった。
 確かに、政宗が不思議に思うのも無理の無い構図である。

「んで? 何やってんだよ、厩の前で」
「――政宗さんこそ、何してるんですか? お仕事が溜まってるって小十郎さんも嘆かれてましたが」
「…んなもん、本気になればすぐ終わる。ちっと白斗で気晴らしにでも行こうと思っただけだ」
「……またサボリですか」
「またってのは何だ」
「サボリは否定しないんですか」

 あまりにも子供っぽいことを言う政宗に、は思わず笑ってしまった。
 怒っているのをアピールしようと思ったのだが、中々うまくいかない。
 諦めのため息をついて、政宗に視線を向けた。

「今日は厩舎で馬の様子見が仕事だったんで、いつきちゃんと一緒に来たんですけど、たまたまそこに弟さんが通りかかられて」
「A-han……母上が過保護で外に出させて貰えねぇらしいから、コイツも暇なんだろうな。それにしても、小次郎がここまで懐くとは……いつの間に俺の弟まで誑し込んだんだ?」
「相変わらず人聞き悪いですね……。この前会った時に歌を気に入られちゃったみたいで、今日も強請られて歌ってたんですよ。ものの数分で二人とも夢の国でしたけどね」

 小次郎に至っては、そのままコテンと倒れて眠ってしまったので、慌てて膝枕したのだ。寝心地は保障出来ないが、固い地面で寝て体を痛めるよりはいいだろう。

「それにしても、可愛い寝顔ですよね~。普段もまさに美少年ってカンジで。厩の仕事もあるのに、この顔で頼まれたら断れなかったんですよねー」

 小次郎の寝顔に微笑んで頭を撫でると、政宗と似た性質の髪が、サラサラと手から零れ落ちた。
 やっぱり兄弟だな、と思って笑っていると、不意にその手を掴みあげられた。
 驚いて顔を上げると、自身も驚いた風の政宗と視線がぶつかる。

「政宗さん?」
「アア、いや……そう言やぁ、疾風が余計なこと吹聴して回ったらしいな」

 嫌な話題に、は思い切り眉を顰めた。

「苦労したのは私ですよ。それに、元はと言えば悪いのは誰ですか?」
「投げ飛ばしたのはお前だろうが」
「そこが、そもそも間違ってたんです! あの時は一方的に私が責められましたけど、そもそも無理やりあんな体勢で……」

 何やら誤解を招きそうな発言と、あの時のことを思い出したのとで、は赤くなった顔を隠すように口を噤んだ。

「Un~? なんか言ったか、チャン? 赤い顔で一体ナニを思い出してんだ?」
「!! ~~政宗さんって、前から思ってましたけど、セクハラ親父発言多いですよね!」
「セクハラ?」
「sexual harassment! 力が強くて優位な男がか弱い女の子に性的な嫌がらせをすることですよ! 政宗さんは権力もあるから、二重に最低ですね」
「最低ってのは聞き捨てならねぇな。まるで俺が力に物言わせて無理やり手ぇ出してるみたいじゃねぇか」
「その通りじゃないですか」
「誰がお前みたいな色気も慎みも無ぇ女になんか手ぇ出すか!」

 カチン、と自分の頭で音がしたような気がした。
 むくむくと湧き上がる感情には覚えがある。先日の酒席で感じたものだ。
 あの時は酔っ払って前後不覚だったので訳も分からず喚くという醜態を晒したが、今ならはっきり分かる――これは怒りだ。

「色気も慎みも無い――しかも嫌がってる女を、無理やり抱いて寝るなんて、随分と悪趣味ですね! 伊達男の名が泣きますよ!」
「HA! あんなのはただの枕代わりだろーが! 丁度あの日は肌寒かったしなァ。大体、あれしきのことでギャーギャー喚くんじゃねーよ。騒ぐほどの体つきでもねーくせに」
「!!!! ……いくらなんでもひどい言い草じゃないですか!?」
「It's propriety(妥当だろ)! お前は俺に無条件で信じてくれと言い、俺は信じると答えた。あれぐらいで文句を言われる筋合いはねぇ!」

 は目を見開いて動きを止めた。
 それこそ、ここ数日ずっと考えないようにしていたこと――
 しかし、政宗の言葉ではっきりと思い知った。
 逃げていたって、起きた事実は変わらない。そして、政宗の中でもあれは不審なシコリとして残っているのだ。

 苛立たしげに髪をかきあげた政宗は、の様子に気付かないまま続ける。

「お前だって俺にしがみ付いてぐーぐー寝た癖に、俺が無理強いしたみたいに言いやがって……そんなに嫌だったってのかよ!」
「嫌……? 嫌……に、決まってるじゃないですか!」
「アァ!?」

 怒気の篭った政宗の睨みに些か怯えながらも、は思った。
 まつは、が政宗のことを好きだとか、恋する女だとか言っていたが、そんなことは絶対に有り得ない――!

「私だって、寒かったから暖を取っただけです! 別に政宗さんじゃなくたって、小十郎さんでも成実さんでも綱元さんでも疾風でも同じことです! 好きでも無い男の人に抱きしめられて喜ぶ趣味はありませんから!!」

 政宗が大きく目を瞠った。
 はなぜか自分が悪いことをしたような気分になった。
 心臓が締め付けられて、目を逸らした先には、膝元で無邪気に眠る小次郎の姿があった。
 ……罪も無い少年の上に涙を落とすわけにはいかない。

「――白斗で出かけられるんでしたよね? もう行ってください。これ以上大声出してたら、小次郎さんといつきちゃんが起きちゃいます」

 誤魔化すように小次郎の頭を抱いたの耳に、政宗の低い声が聞こえた。

「離せ」
「え?」
「そいつを離せって言ってんだ!」
「えっ…ちょっ……」

 ぐい、と手を引かれて、は慌てた。
 小次郎を落とすわけにはいかずとっさに抵抗すると、政宗は眦を吊り上げた。

「オイ……チッ、小次郎っ! テメェいつまで寝てやがる! とっとと起きねぇか、クソガキ!!」
「っっっ……あっ…兄上っ!?」

 乱暴に蹴られた小次郎は、地面に体を打ちつけた衝撃で目を覚ました。
 突然兄が目の前に現れ、憤怒の形相で睨んでいたら、それはびっくりするだろう。

「ちょっと、政宗さん! 何するんですかっ!」
「Shut up! 黙ってろ!」
「兄上? ? 一体……」

 大きな目を瞬かせている小次郎に、政宗は鋭い一瞥を向けた。

「小次郎、テメェ誰の許しを得てこんなとこをうろついてやがる。馬は戦の要、軍属でも無ぇガキが遊びに来ていい場所じゃねぇ!」

 びくり、と小次郎の体が震えたのが分かった。

「大体お前は――」
「やめてください」

 とっさに小次郎を庇うように割って入ったは、政宗の殺気にも似た眼光に晒された。
 それでも、大きく広げた手を下ろす気には到底なれなかった。

「どけ、
「嫌です。小次郎様は、私が引き止めて、私が勝手に膝枕してたんです。私のことが気に入らないのに、弟君に八つ当たりするのはやめてください!」
「コ……コラ、!」

 背中からの焦ったような小次郎の声にも、はそこを動かなかった。
 政宗に言った通り、政宗は八つ当たりで小次郎に罵声を浴びせている。
 ただでさえ厄介な兄弟関係をのせいで悪化させるわけにはいかない――後悔するのは、政宗なのだから。

「もう一度だけ言うぞ、。――退け」
「退きません」
「……イイ度胸だな。俺に逆らうつもりか?」

 すっと抜かれた刀が、の首元に当てられた。
 そのひやりとした感覚に、の心に一瞬の闇が入り込む。

 哀しみ、苦しみ、もどかしさ――それらを合わせたような、絶望。

「……こんなことで、政宗さんは私を殺せるんですね」

 政宗の冷たい瞳が戸惑うように揺れたが、はもう何も感じなかった。
 心に蓋をしてしまわなければ、壊れてしまうような気がしたから――

「手打ちになさりたいのなら、ご随意に」

 もうどうでもいい――
 目を閉じて、淡々と紡いだ言葉に、政宗は舌打ちを漏らした。

 憎々しげに悪態をついて、刀を収める。
 そのまま無言で踵を返した後姿を、はぼんやりと見送ったのだった。









061002
CLAP