19.宴の夜

 しゅるり……

 歩く度に響く衣擦れの音に、はどうにも落ち着かない心地を味わっていた。

「あの……まつ様、本当に変じゃ無いですか?」
「よくお似合いですよ」

 政宗に、余興として『女装』しろと命じられ、その着付けを引き受けたまつと共に広間を後にしてから約半刻(一時間)……
 先程から同じような質問ばかりしているに、前を歩くまつは嫌な顔一つせずに答えてくれる。

「きっと皆様、首を長くしてお待ちでしょう」

 その言葉には同感なのだが、としてはだからこそ余計に行きたくない。

(っていうか、ちょっと考えたら分かったのに、私って馬鹿……)

 まつは政宗の前で「わたくしの予備の着物」と確かに言ったのだ。
 この世界に来てから日も浅く、物事に疎いでも分かる――には馴染みの無い『身分』というものは、ここでは何よりも重視され、そしてそれは服装を見れば一目瞭然なのである。
 大名・前田利家の正妻であるまつの着物となれば、それは身分の高い豪華絢爛なものであると、本人を目の当たりにして分かっていた筈なのに……

 戦以来で顔を合わせたことに頭がいっぱいで、あれよあれよと着替えさせられ、気付けば美しい着物に"着られた"が居た。
 ――完全に衣裳負けしている。

(当たり前よね……はは……)

 鏡は見ていないから分からないが、いくら化粧までしてもらったとは言え、元が違いすぎる。
 決して美人でも無い一般人のに、大名の奥方が着るような衣裳が似合わないのは自明の理だった。

 長く待たされて、短気な政宗はかなり苛立っているだろう。
 他の三人だって、時間がかかった分期待しているに違いない。

「さあ、殿、参りますよ?」

 いつの間に広間の前に着いていたのか、襖の前でまつがそう言った。
 教えられた見よう見真似の裾捌きで足を止め、せめて見苦しく無いように顔だけは上げていこうと決めて深呼吸した。
 すると不思議なもので、ただ背中をぴんと伸ばしただけなのに、妙に気持ちが引き締まる。
 何だかこんな衣裳を着る日が来るなんて、と妙な感慨まで覚えてしまった――根拠も無い、自分でも分からないような胸の奥で。

「……えぇい、女は度胸よ!」
「まあ、良い心がけにございます!」

 うっかり口に出した気合の声に、思いがけずまつの合いの手を貰って、はふ、と微笑んだ。
 そうだ、こんな機会はまたと無いのだし、どうせなら楽しもう――気持ちを切り替えると、笑みはますます深くなった。








「独眼竜殿、お待たせいたしました」
「おう、まつ。待ちくたびれたぜ? こんだけ待たせたんだから、ちょっとは見られるように仕上がったんだろうなぁ?」

 まつだけが先に入っていった襖の前で、中の会話を聞いていたは、ぴくりと顔が歪むのを耐えた。
 野郎共の女装よかマシだろうがな、と言って笑っている政宗が憎らしい。
 完全に酒の肴に笑い者にするつもりの殿様に、対抗心が芽生える。

(そっちがその気なら……)

「きっと独眼竜殿も驚かれまする。かぐやも斯くやと言わんばかりでごさいますれば」
「へぇ……かぐやねぇ……そいつぁ大きく出たな。OK、もし言葉通りなら褒美をやるぜ?」

(褒美、ね……)

「そのようなことを申されては後悔なさいますよ?――殿」

 まつに呼ばれて、襖の戸が開けられる。
 大きな檜扇で顔を隠したは、政宗の前まで来て三つ指つくと、深く頭を下げた。

 まつは特別としても、この場に不釣合いな派手な衣裳が目立ったのか、いつの間にか、先程まで騒がしかった広間はしん、と静まり返っていた。
 周りからいくつもの視線を感じる。
 変に目立ってしまったことに焦りと不安を抱いたに、政宗の声が掛けられた。

「Hey、こいつは余興だ。そう畏まらず、その仮装で酌でもしてくれよ」

 酒の席に相応しい砕けた口調――主君のそれに、広間の空気も大分和らいで、また話し声が聞こえ始めた。
 政宗の配慮に感謝しながら、はゆっくりと顔を上げ、背筋を伸ばしてにこやかに微笑む。

「――かしこまりましてございます、政宗様」

 目を瞠った政宗の手から、ぽろり、と飲み掛けの猪口が転がった。

 その脇には、小十郎、成実、綱元も居たが、皆同じように呆然としている。
 反対隣には、微笑んだまつと、口を大きく開けた前田利家と思われる好漢が並んで座っていた。
 
 ずっと硬直したままの政宗に視線を戻し、は内心で眉を顰めた。
 恰好に合わせて口調も丁寧にしたのだが、変だからと言ってそんなに驚かなくてもいいのに、と一人ごちた。

 一礼して所作に気を配って立ち上がり、裾を持って政宗の隣に進む。
 失礼いたします、と声を掛けて腰を下ろし、置いてあった銚子を持ち上げて……首を傾げた。

「政宗様?」

 今ようやく我に返ったのか、はっとなった政宗がようやく猪口を取り落としたことに気付いて、何やら顔を顰めた。

「――政宗様」
「あ…ああ、悪ぃな、小十郎」

 絶妙なタイミングで新しい猪口を差し出した小十郎からそれを受け取り、の前にずいと差し出す。
 がそれに無言で酒を注ぐと、政宗は一気に飲み干して口の端を吊り上げた。

「馬子にも衣装、ってやつだな」
「――それって、貶してらっしゃるのですよね?」
「HA、立派な誉め言葉じゃねーか」
「…………それは恐縮にございます」

 が無理やりに笑みを作って言った直後、後ろから急に誰かに抱きつかれた。
 けらけらと聞こえてきた笑い声に、脱力するのを堪えて振り向く。

「重ぅございます、成実様」
ちゃん、超キレイじゃーん! 普段からこういう恰好してればいいのに勿体無いー! ね、綱元殿!」
「まことに。そのような話し方だと、本当にどこぞの姫君のようですぞ」

 笑い上戸の成実の横に綱元が座り、その横に小十郎が腰を下ろした。
 三人共が、広間を背にしている形で、様々な好奇の目からが隠れるような位置である。

「しかし、本当に驚きましたね。口調と言い作法と言い、一体どこで覚えて来たのですか?」

 素知らぬ顔でそう言った小十郎ににっこりと笑みを返して、は三人にも酌をした。

「ただの見よう見真似にございます。『女装せよ』との主命には抗えませぬ故、どうせなら思う存分楽しもうかと」

「――まことに天晴れでござりまするわ、殿!」
「! まつ様!」

 驚いて顔を上げると、先程分かれたばかりのまつとその夫の利家が立っていた。
 は慌てて政宗の後ろへ下がり、側仕えが政宗の隣に二人分の座を調える。

「いやー、邪魔をして申し訳ないな、独眼竜殿。まつがどうしても某にかぐや殿を紹介したいと言うのでな」
「へぇー? 別にそいつぁ構わねぇが、随分とコイツを気に入ったもんだな、まつ?」

 政宗手ずからの杯を受けて、まつは華やかに微笑んだ。

「女の友情にございますれば」
「剣を交えて友誼を結ぶ、か。アンタもコイツも、女にしとくのは惜しいな」
「女であっても、とくと働いてみせまする。そうでございましょう、殿」
「勿論でございます」

 まつの視線に笑みを返したは、政宗に視線で了承を取って、少し前へ進み出た。

「利家様、お初にお目にかかります。伊達軍の末席、と申します」
「某は前田利家! まつの夫だ!」
「まつ様には数々の無礼を働いたにも関わらず、ご温情を賜りました。宜しければ、御一献お注ぎさせていただきたく存じます」
「おう! これはかたじけない!」

 まずは利家に、次いでまつにと酌をして、短い会話を交わす。
 利家は、流石まつが惚れこんだ夫君だけあり、温厚で優しげな好漢だった。

 やがて話が途切れて、そろそろ席を立とうかとが首を巡らせた時だった。
 ふと政宗と目があって手招きで呼ばれる。
 何やら機嫌の悪そうな彼は、空の杯を上げてみせた。
 いつの間にか、小十郎らも席を立ったらしい。
 政宗一人で座しているその隣に腰を下ろし、は手に持った酒を注いだ。

「どうされました? 何か御気分を害するようなことでもおありでしたか?」

 が聞くと、政宗は不快そうに目を細めて、銚子を差し出した。

「いいから、お前も飲め」
「……はい、ありがとうございます」

 そう言って口を付けて、は思わず噎せるところだった。
 何とか堪えて嚥下すると、涙目で政宗を睨む。

「政宗様、これは……」
「アァン? 俺の酒が飲めねぇってのか?」

 更になみなみと注がれ、は顔を引き攣らせた。
 それはいつも政宗が飲んでいるもの以上に強い酒で、毎回政宗と同じものさえ飲めないには拷問に等しい。

「……わたくしに対してお怒りなのですか?」
「五月蝿ぇ、黙って飲め」

 が強い酒を飲めないことを知っていて無理やり飲ませるのだから、嫌がらせ以外の何ものでも無い。
 何か怒らせるようなことでもしただろうかと控えめに聞いたのに、返って来たのは不機嫌な拒絶だけだったから……
 も思わずにっこりと笑みを浮かべた。

「では、政宗様もどんどんお飲みくださいませ」
「Shut up! 俺に指図すんじゃねぇよ」
「あら? 利家様はもっと豪快に飲んでくださったのですが……流石に利家様は天下の豪傑。政宗様がああいった飲みっぷりが出来ぬのも道理でございましょう」

 ぴくりと政宗の米神が波打つのを、は確かに見たと思った。

「……上等だ。この独眼竜にそんなチンケな挑発するなんざ、よっぽどの命知らずか馬鹿かのどっちかだぜ?」
「……わたくしの事なら如何様にも。お手打ちになさりますか? それとも、放逐なさいますか?」

 自分でも驚くほどの冷たい声と言葉だった。
 言った直後に目を瞠って、俯く。
 大きな戸惑いが、波のようにを包み込んだ。
 その感覚は、初めて政宗と会った時と同じだった。
 頭の片隅の妙に冷めた部分が、その程度の器なら見切りを付けようと冷静に観察している。

 沈黙に耐え切れず政宗の杯に酒を注ぎ、しばらくはお互い黙々と飲み続けた。
 やがて、政宗が深い溜息をつく。

「後悔するくらいなら、言うんじゃねーよ」
「え……?」
「どうもお前は、人のことを試すのが好きみたいだな」
「そ…んなつもりは……」

 無いと言い切れなくて、は息をついた。

「……申し訳、ありません」

 項垂れた直後、頭がぐらぐらと回って、手をついた。
 そう言えば、気まずくて味など分からなかったが、あの強い酒をもう随分と飲んでいる。
 酔って当然だ――そう自覚すると、独特の酩酊感で一気に思考が乱れた。
 政宗の声も、少し遠くで聞こえるような気がする。

「――それだ。それが気に食わねぇ」
「ど…れで、ございます…か?」
「その喋り方だ。気持ち悪ぃんだよ!」
「……ひどい……」

 よよと顔を覆うと、やめろ気色悪いと言われた。
 実は、吐き気などの気持ち悪さで顔を俯けたのだが、少なからず傷付いて、再び顔を上げる。

「そんな恰好も動きも喋りも、似合わねぇっつってんだよ!」

 吐き出すように言われたその言葉に――の中で何かが弾けた。
 熱い塊が胸で燻って、頭と喉の奥を焼く。
 感情が破裂するような感覚だった。

「…どい……ひどいです、政宗さん! そりゃ私は美人じゃないし、可愛げも無いし、ここに来てからは化粧どころか女物の服さえ着たことはありませんでしたけど、これでも一応女なんですよ!? 似合ってないのなんて私が一番分かってます! そんなにはっきり言わなくたって……」
「お…おい、……」

 肩を掴まれた感覚と、狼狽したような政宗の声が聞こえたが、頭の中も視界もぐちゃぐちゃに歪んでいて、もはや意味を成さなかった。
 ぽたぽたと落ちた涙も、びくりと震えた政宗の手も、全て遠い世界のことのように感じる。

「……らい、きらい。政宗さんなんて、大嫌い…!」

 苦しさを吐き出すように、そう叫んだ直後――
 ぷつりと糸が切れたように、の意識は途絶えた。

 何もかもが、遠くて曖昧に薄れていく。

 音も光も無い世界を、深い暗闇に落ちていくようだった。









060918
CLAP