ゆらゆらと揺れる感覚に目を覚ますと、目の前には青空が広がっていた。
(あ…れ……?)
以前にも同じようなことがあった気がする……
はっきりしない頭でそんな事を思って、首を動かした時だった。
「おぅ、! 目ぇ覚めたか! 気分はどうだ?」
頭上から掛かった声に視線をめぐらせると、自分を運んでくれている戸板の一端を持った男を見つけた。
それが伝令隊の同僚でもある顔見知りだと知って、は数回瞬きする。
「え……伊衛門さん…? それに三郎さん? あれ、どうして……」
不意に、初めてこの世界に来た時もこんな風に運ばれていたと思い出した。
そして、足元で戸板を持っている方の同僚にも気付いて、首を捻った途端、まつと戦って政宗に助けられたことを思い出す。
致命傷は無かった筈だが、血を流しすぎたのか、倒れてしまったのだ。
「あぁ! ごっ…ごめんなさい! すぐに降りますから…!」
慌てて、がばりと起き上がったのはいいものの、くらりと眩暈がして慌てて手をつく。
貧血の典型的な症状に、はしまったと顔を顰めた。
「おいおい、無理すんなって! 俺たちが運んでやっからよぉ、いいから寝てろって」
「い…いえ、でも本当に大丈夫です。歩くくらいなら出来ますから」
「そうか…? なら、小十郎様に報告してくっからな」
正直に言うと、まだ体は辛かったが、同僚の好意に甘える訳にもいかない。
彼らはが女だということで基本的に優しくしてくれるが、そういった差別は軍全体にとって良く無いと思う。ただでさえ、小十郎や政宗と親しいと噂され、特別視されることもあるのだから。
言葉通り降ろして貰って、水を貰い、自分の怪我の具合を確かめる。
手足に軽い裂傷と、肩口の打撲……肩は動かすとかなり痛いから、骨に異常でもあるかもしれない。
けれど、どれもきちんと手当てされていたし、無理すれば歩けなくはないだろう。
そう思って足を踏み出した瞬間――
「様」
「疾風! 無事だったのね、怪我は無い?」
「はい」
「良かった――ごめんなさい、倒れてしまって」
いいえ、と相変わらず言葉少なに答える忍に微笑む。
彼とは、政宗の命令で『織田の犬』を探しに行くのを見送って以来だから、仮の上司であるが倒れている状態では迷惑をかけたに違いない。
しかし疾風は、相変わらず表情が読めない顔で、唐突に「失礼します」と言い、あろうことかを抱き上げて高く飛び上がった。
「なっ……なななななな何っっっ!?」
近くに居た者でも、恐らくは突風が吹いたくらいにしか思わないであろう、刹那の跳躍――
疾風は無言でを抱えたまま近くの木の枝を何本か経由して物凄いスピードで駆け、あっという間に着地した。
余りの唐突さと恐怖に、思わず疾風の首根っこに抱きついていたは、しばらく地面に下ろされたことにも気付かなかった。
「いつまでそうやってんだ、アァン?」
その声に反応して振り向けば、そこには白斗に跨った政宗と、栗毛に乗った小十郎が佇んでいた。
周りには他の人間の姿は無いが、足音は聞こえるから行軍ルートから少しだけ逸れた場所なのだろう。
は疾風に抱きついたままだった身体を慌てて離し、二人の前に膝をついた。
「、傷は大丈夫か?」
「は…はい、小十郎様。敵陣でご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。政宗様にも、助けていただいて有難うございました―――前田攻略、おめでとうございます」
とにかく一息に言って頭を下げたものの、混乱して、話の順序が逆だったと後悔する。
政宗は深く溜息をつき、白斗から降りたようだった。
怒られる――と身を硬くするの頭に、ぽんと手が置かれ、傷に障らないように腕を持ち引っ張り上げられる。
「様付けすんなって何度も言わせんな」
「え…でも……」
「でももクソもねぇ。ここには他の人間はいねぇだろ」
怒ったように言われ、困って小十郎を見上げると、同じように馬から下りた小十郎はまじまじとを見つめて溜息をついた。
「そうだな、はこういう奴だ」
「え……?」
「いや、何でもねぇ。――ここには確かに俺たち以外は居ねぇから、いつもみたいに話しな。政宗様がお前が目覚めたって報告聞いた途端、こっそり連れて来いって疾風に命じられてな――随分心配されていたんだぞ」
「小十郎!」
その言葉に、の目が見開かれる。
助けに来てくれた時の政宗の真剣な顔を思い出して、胸が熱くなった気がした。
顔まで赤くなっているんじゃないかと思い、慌てて頭を下げることでそれを隠す。
「ご心配おかけしたみたいですみません、政宗さん」
心配してくれた――そして、が危ないところに……助けて欲しいと思ったところに、本当に助けに駆けて来てくれた。
純粋に嬉しい。
熱くなった胸が震えて、喉が詰まる程に。
しかし、少しでも落ち着いた今、別の疑問も首を擡げる。
あの時、政宗は前田利家と戦い、勝って、前田を伊達に下らせたと言った。伊達は既に勝利していたのだ。
だが、はまつとの戦いに必死だったものの、戦が終わったという報せ――勝鬨は上がっていなかったと断言できる。
こちらの常識として学んだ限りでは、一軍の将たる者が戦中、その前後に負うものはとてつもなく大きい。
いくら型破りな政宗とて、それは良く分かっているだろう。
その政宗が、なぜあんな忙しいはずの時に、勝鬨も上げずに、あの場所に居たのか――
を気にかけてくれたからと言って、自分に課せられた責任や背負った命を放り出してくるような男では無い――それが分かっているだけに、は疑問を感じた。
その疑問を図ったかのようなタイミングで、政宗は、ところで……と言葉を継いだ。
「、お前にゃあ、ちっと話を聞かなけりゃならねぇ。なんで伝令隊のお前が、敵将のまつと戦り合うことになったんだ?」
前田は伊達に下って、伊達軍の傘下に入る――前田家の領地は、そのまま安堵して利家らに任せることにしたが、前田を引き入れたことを知らしめる為にも、利家とまつの夫妻は差し当たって米沢城で暮らすことになったらしい。
配下に下ったとは言え、軍の規模的に見ても、前田家の格においても、前田家をいつきたちのように扱うわけにはいかない。
半ば客人のように、丁重に扱いつつも隙を見せてはならないのだと――そう小十郎から説明され、も納得した。
自分がまつと戦うことになった経緯を、奥州の筆頭として政宗は知っておかなければならないのだろう。
は少し前の記憶を振り返って、事情を掻い摘んで話した。
しかし、話し終えた途端に激しい叱責を受ける。
「――この、fool girl(馬鹿女)! 一体何考えてんだ、生き残れっつったのに、自分から死にに行くたぁ、俺に喧嘩売ってんのか!?」
力任せに胸倉を掴みあげられて、政宗の怒りに染まった瞳に射抜かれた。
咄嗟の恐怖に慄きそうな身体にぐっと力を入れて、はその瞳を見つめ返す。
「政宗さんたちが戦ってる場所に、敵将のまつさんをあのまま行かせられるわけありません!」
「敵の一人や二人増えた所で変わらねぇよ! 俺たちゃ強い!」
「それでも、私だって伊達軍の端くれです」
「HA! その心意気はcoolだが、自分の実力無視してんじゃお話にもならねぇな!」
「確かに私は弱いですけど、そんな言い方しなくていいじゃないですか!」
「万に一つも勝ち目が無いのに敵に立ち向かうなんざ、ただのsuicide(自殺)と変わらねぇって言ってんだ!」
「私だって死にたくなんかありません! ただ……」
「アァ? 何だってんだ、テメェの命を捨ててまで動く理由に何がある!?」
「ただ……私だって政宗さんを守りたいと思ったから……」
「っ………、…HA! に守られるほど、俺は弱かねぇ……」
「……………」
「……………………」
子どもの喧嘩のような言い争いが、尻すぼみして沈黙に変わる。
何だか気まずいような恥ずかしいような重い沈黙を破ったのは、小十郎の溜息だった。
「オイ、」
「はっ…はい…!」
凄みのある声に慌てて顔を上げれば、困ったように苦笑した小十郎の顔に出会った。
「俺も政宗様の意見に賛成だぜ? 信念と力は、必ずしも釣り合いが取れるもんじゃねぇ。何が何でも押し通したいなら、それだけの力を身に付けてからにするこった。でねぇと、周りが迷惑する」
「……はい」
小十郎の言葉は尤もだった。
結果的に迷惑を掛けたのはだ。
項垂れたの頭に、ぽんと大きな掌が置かれた。その温かさと同じ声音で、小十郎は続ける。
「だが、政宗様や俺たちを守りたいと戦ったお前の気持ちは嬉しいぜ。戦場で政宗様を呼び付けるなんて小言でも言ってやろうと思っていたが、それに免じて今回は許してやるよ」
小十郎に誉められた――思わず顔を綻ばせただったが、言葉の一部に引っ掛かりを覚えて首を傾げた。
「呼んだ? 私が、政宗さんをですか?」
そんなを見遣って、政宗と小十郎は顔を見合わせる。
「疾風に言付けたんだろ? ちゃんと疾風から聞いたから、俺が出向いてやったんだ」
「…………………………疾風」
は、後ろに控えている忍をゆっくりと振り返った。
疾風は微動だにしないまま、その場に跪いて顔を伏せている。
事情を聞こうと口を開いたが、この場で聞けば疾風に叱責が及ぶと気付いては口を閉じた。しかし、政宗はそんな様子にも気付いたらしい。
「……一体どういうことだ? 疾風が俺に言ったことは嘘だったったのか?」
「いえ、あの――……」
「そうです」
このままでは疾風が一方的に責められる――そう思って咄嗟に庇おうとしただったが、それを遮るように疾風はきっぱりと言った。
「様が殿を呼んでいると言ったのは、嘘でした」
「何だと…?」
政宗の声が低くなって、は慌てて疾風の前に身を屈めた。
「は…疾風! どうしてそんなことを言ったの? …………もしかして、まつさんと戦ってた私の為に……?」
可能性に気付いてそう問い掛けると、疾風は少し躊躇って、別のことを口にした。
「様は『私は大丈夫だから行け』と言いました」
「……疾風が、政宗さんに命じられて『織田の犬』を探しに行った時のこと…?」
「はい」
あの時は、状況が切迫していたのもあって、早く疾風を行かせようと口にした台詞だった。深く考えて言った訳ではない。
それが、疾風の心にどう作用したのだろう。
疾風には、戦の行軍中も、時間が空けば近くの町や村で『人間ウォッチング』の鍛錬を続けるようにと言っていたから、また余計な知恵をつけたのかもしれない。
今までの経験から心配になっただったが、次の台詞に思考は停止した。
「女というものは、危機の時の強がりほど、間逆を言う傾向があります。そして、口では何と言っていても、男に助けて欲しいと思っている――特に好意を寄せる男に」
「………What?」
その場の全員の驚きは知らぬ気に、疾風は淡々と続ける。
「そして男も、口では何と言っても、愛しい女の危機には自分が一番先に駆けつけたいもの――ただプライドの高い人間ほど自分から動くことを厭うようなので、相手が呼んでいる、と私の一存で嘘を言ったまでです」
「………え?」
「様との日々の鍛錬で段々分かってきました。人間とは真に難解なもの……時に逆のことを口にする。けれど、それこそが人の情というものなのだと」
最早誰も口を開くことは出来なかった。
多大なる勘違いに突っ込むべきなのか、そこに至るまでに見た人間ウォッチングの経緯を聞きだしていつものように講釈するべきなのか――それよりも、疾風の飛躍的な成長を喜ぶべきなのか。
気持ち的には一番後者だったが、それだけは出来なかった。
なぜなら、それをすれば、疾風が言った『好きな男に助けてもらいたかった』というのを肯定したことになる。
だから、は、そのどれでも無い行動に出た。
「や…やだー、疾風ったら! またどこでそんなの覚えてきたの!? 何だか誤解があるみたいだけど、後でゆっくり聞くから、そろそろ行軍に戻りましょう! ね、政宗さん!」
「あ…ああ、そうだな! 行くか! The misunderstanding is let alone!(誤解はさておいて)」
裏返りそうになる声でそう捲くし立てれば、政宗も何かに慌てたようにそれに同意した。
それに少しほっとして、ギクシャクと歩き出したは、突然引き寄せられて馬上に座らせられる。
「ま…政宗さん!?」
その後から自分の後ろに跨ってきた政宗に驚いただったが、彼の頬が少し赤くなっているのを目に止めて視線を逸らした。
「その怪我で歩くのは無理だろーが」
「で…でも、他の人の目が……」
「じゃーこれでも被って、荷物の振りでもしてろ」
「えっ……ちょ………」
急に大きめの羽織を掛けられ、視界が利かなくなったは、馬上でバランスを崩しかけたところを政宗の胸元に引き寄せられ、今度こそ完全に言葉を失くした。
「そうやって大人しくしてな、kitty! 俺と白斗が、最速で奥州まで運んでやるよ! なぁ、白斗!」
高く嘶いた白斗を器用に片手で操り、政宗は「Go!!」という掛け声と共にその場を駆け出した。
その場に残されたのは、小十郎と疾風のみ。
「全く……疾風、お前中々見所あるぜ? 中々真理をついてる」
小十郎が心中で、むしろ誤解でもなく、まさにその心理分析通りだと思う――などと賞賛していることなど知らず、疾風もまた、二人の主の後を追いかけるように風に消えたのだった。
060911