「まつ~~!」
「犬千代様ぁ~~!」
敵陣に入るや否や、最初の大門から聞こえてきた場違いとも言える桃色の声に、政宗はさっと片手を上げ、伊達軍は進軍を停止した。
やがて現れたのは、武装した一組の男女――
「我ら二人を邪魔する者はぁ!」
「馬に蹴られて地獄に落ちる!」
「「我ら、最強夫婦!!」」
手を取り合ったままびしりと武器を向けてきた二人組に、は呆然とし、他の面々は「あーーーっ!」と声を上げた。
「あの時の謎の夫婦もんじゃねぇかっ!!」
「てめぇらが前田だったのか!」
「小十郎様の野菜はやらねぇぞっ!」
「――いつぞやはお騒がせ致しました。本日は、あの時のお礼もたっぷりとさせていただきまする!」
「Ohー…やれやれ、Happyな連中だぜ」
「この雰囲気……俺には合わねぇ……かゆくなる」
前田利家と、その妻のまつだというこの仲睦まじい夫婦は、どうやら以前に小十郎特製の野菜を狙って伊達に奇襲を仕掛けてきた二人だと判明したらしい。
脱力したようなおもしろがっているような政宗と心底呆れている小十郎の台詞に、は思わず「happy」と「かゆくなる」の部分には同意した。
「オラオラ、どけやコラァ!」
「イヤッホー! 筆頭のお通りだゼェ!」
「筆頭の前は走らせねェゼ!」
奥州連合である伊達軍が、賎ヶ岳を本拠とする織田の武将・前田軍の領地に侵攻して半刻――
政宗を主軸にした本陣は、まさに怒涛の快進撃を続けていた。
どうやら、開戦早々に敵の総大将・前田夫妻が姿を見せたのは策であったらしく、こちらの油断をついて賎ヶ岳湖畔に撤退――湖の周りに幾重にも張られた厚い陣の中を、それぞれ別方向から巧みに移動し、軍の指揮を上げている。
伊達本陣は、前田利家の方を追っていたが、地の利は確実にあちらに有り、半端ではない進軍速度を持ってしても未だに追い付けていない。
「戦ってのは命(タマ)の取り合いなんだよ!」
「出すもん出さねぇから、そうなんだよ!!」
「死ぬ覚悟もねえのに合戦に来るんじゃねェぜ!」
相変わらず、時代錯誤なヤンキー度全開でメンチを切っている自軍の間を潜り抜け、は意識を集中して馬を走らせた。
二度目の戦場――そして、兵としては初陣である。
以前、伝令の真似事をして戦場を突っ切った時には、白斗という名馬に全面的に助けられたが、今乗っているのは軍馬とは言え、普通の馬である……今度こそ、乗り手であるが上手く誘導してやらなければならない。
「――様、右から銃撃……!」
の左に平行して影のように疾走する忍――疾風(はやて)からの言葉に、は手綱を操って進路を逸らせた。
真横を銃弾が飛んで行き、背筋に冷や汗が落ちる。
「疾風、ありがとう」
「お気を付けください」
そう言いながらも、疾風はの利き手ではない左からの敵を切り伏せながら進んでいる。
本当に、この疾風が居なかったらどうなっていただろうと、思わずにはいられなかった。
「――伝令!」
戦場を掻い潜り、再び本陣に戻ってきたは、馬から下りて政宗の足元に頭を下げる。
「おぅ、どうだ?」
「成実様の隊は一度は前田の奥方と接触されたものの、負傷されて後退。現在は綱元様が追っておられます」
「成実が……? チッ……OKー、mission changeだ。、ご苦労だったな、お前はここに残れ」
「はい」
は返事をして脇に下がる。
政宗は息をつく暇も無く、小十郎を呼んで次の命令を出した。
「小十郎、別の伝令出して各隊へ伝えろ。――全軍停止、近くに居る武将だけに集中しろってな。成実・綱元はその場で前田の嫁さんを迎え撃たせろ。んで、小十郎も成実の所へ加勢してやれ」
「了解致しました。しかし、政宗様はどうなさるのです?」
「Han、知れたこと――この場で、前田利家を仕留めんだよ」
「お一人では危険です!」
「だーれに言ってんだ、小十郎?」
「しかし、前田利家と言えば、天下に聞こえた豪槍……もしもと言う事が……」
「例えどんな奴だろうが、独眼竜が食らうまでよ!」
政宗の意思は動かないと観念したのか、小十郎は溜息と共に折れた。
「――分かりました。しかし、努々油断なされぬよう! お前ら、政宗様を死ぬ気で守れよっ!!」
「Yeah! 任せてください、小十郎様!」
その場に残る護衛隊らに声を掛けて、小十郎は慌しく駆けて行った。
追跡はせず、あちらが近づいてくるのを待つことにした政宗は、その場に急ごしらえの陣を作らせ、腰を据える。
も今の内にと、周りの兵たちと共に休息の為に水を配りながら、ふとよく見渡せる湖畔に目を向けた。
今まで必死だったので気付きもしなかったが、澄み渡った大きな湖面は、太陽の光を浴びてきらきらと輝き、まるで鏡のように青空を映している。
「Hey、。何を呆けてるんだ?」
「政宗さん…!」
慌てて竹筒に入った水を差し出したが、ぼんやり湖を見ていたのはバレているらしい。
「あっちに何かあったのか? それとも、怪我でもしたか?」
「い…いえ、怪我はしてません! 大丈夫ですからっ!」
ぐいと腕を引っ張られ、は悲鳴のようにそれから逃れた。
しかし、からかっているだけでは無く、心配もしてくれているようなので、易々とかわせずに白状する。
「本当に何でも無いんです。ただ――綺麗な所だな、と思って。戦場になるには不釣合いなくらい」
「……初めての戦でビビってるかと思やぁ……Haaー、お前みたいに暢気な奴は初めて見たぜ」
「――伝令!」
呆れる政宗が溜息をついた時、走ってきた伝令が膝をついた。
「前田夫妻合流! 敵陣営に奥方のおにぎりが配られ、異様な程に指揮が上がっております!」
「………おにぎり?」
「は…はぁ。皆口々に、まつ殿のおにぎりは最高だと咽び泣き、具が大きいと歓声を上げておりまして……」
「……………………」
おにぎりと綺麗な湖、青い空、白い雲……
「……まるで、ピクニックみたいですね」
それにしても、戦の真っ只中におにぎりが配られるというのも凄いが、それで指揮が鰻上りというのは、流石は野菜の為に奇襲を掛けて来るだけはあるといった所なのだろうか。
「一番暢気なのは、私じゃないような気がします……」
思わず口にした言葉に、政宗は否定しなかった。
しかし、ゆっくりしていられたのも、ほんの一時……すぐに陣内に緊迫した空気が張りつめる。
「前田利家接近!――来ます!」
物見の兵の言葉の後、地響きと共に雄叫びが聞こえてきた。
叫びながら駆けてきた大きな体躯の男は、政宗たちの前で足を止め、地面を踏みしめる。
「うぉぉぉぉ!! この前田利家の天下一の豪槍! 受けてみろっ!!」
「筆頭に会いたきゃ、俺たちを倒してから行くんだな!」
「オラァァ、ブッ込んでくぜぇ!!」
政宗の前に居た兵たちが果敢に挑みかかったが、利家が槍を一閃した刹那、穂先から噴出した炎に一瞬にして呑み込まれる。
は思わず目を瞠った。
人間が炎を出した……いつきの氷も驚いたが、一体どうなっているのだろうか。
「――退いてろ、お前ら!」
雑兵では命を無駄にするだけだと悟ったのか、政宗は兵を下がらせ、自ら前に進み出た。
「よう、また会ったな。飯は腹一杯喰ってきたのか?」
「まつの飯で某は元気だ! 負っけんぞぉ!!」
「Ha! 上等ォ……Let's party!!」
叫ぶや否や、政宗が抜いた刀にビリリと小さな雷が落ちた。
それは刀に留まって、ジリジリと帯電している。
(政宗さんが、雷――!?)
初耳だっただけに、の驚きは大きかった。
しかし、そう言っていられたのもそれまで……二人の戦いが始まると、こちらも護衛隊同士の戦いとなった。
「我らが殿をお守りするのだ! 恩に報いよ!!」
「舐めた真似してんじゃねぇぞ、アァン!? 筆頭の邪魔は誰にもさせねぇぇ!!」
双方が叫びながらぶつかっていく。
は何時でも伝令に走れるように馬に駆け寄ろうとしたが、それよりも前に槍を持った敵兵によって馬をやられてしまった。
「くっ……疾風、援護して!」
「は」
この場に留まって戦うしかないと腹を決め、が矢を番えた時だった。
ギンッ!と間近で重々しい音がし、相手に押されたのか、政宗がザザと押し飛ばされてきた。
「政宗さんっ!」
慌ててその傍へ行き、矢の先を利家に向ける。
しかし、後ろからぐいと引っ張られ、思わずたたらを踏んだ。
「退いてろ、! こいつは俺の獲物だ」
「でも…!」
「心配すんな、それよりもお前は自分の仕事をしろ。伝令だ――小十郎に、敵の兵糧ルートを断てと伝えろ。それが無理なら、前田の嫁をさっさと仕留めろとな」
「何っ!? まつをどうする気だっ!!」
激昂して斬りかかってきた利家の槍を、政宗は両手で一斉に引き抜いた六本の刀で止める。
指の間に器用に挟み、がっちりと相手の獲物と噛み合ったそれに、は目を瞠った。
「それから、疾風! テメェは頭領たち黒脛巾と一緒に、ここに潜り込んでる織田の犬を探せ!」
織田の犬――そう言えば、政宗と初めて会った北条戦の時にもそんなことを言っていた。恐らくは政宗がそれに急襲された為に、はあの時殺されずに済んだのだ。
だからと言って、今は敵以外の何者でも無い――前田は元々織田の傘下だが、『潜り込んでる』ということは、それとは別口で政宗の命を狙って送り込まれているのだろう。
「疾風、急いで! 私は一人でも大丈夫だからっ!」
「――了解しました」
ザッと一瞬で消えた疾風に続いて、もぎゅっと弓を握り締めると踵を返した。
「私も行きます!」
「待て、――白斗を使え! その方が速いだろ!?」
それが気遣いだということは、にも分かった。
疾風を別の任務に付かせた今、は文字通り身一つだから――戦いながらもそんな気を回す政宗に、は苦笑する。
しかし、到底頷く訳にはいかない。
が白斗を使ってしまっては、いざという時の政宗の足が無くなってしまうのだから。
「大丈夫です! それよりも政宗さん! 負けたらしばらく私の家には出入り禁止ですからね!」
「――――Ha、おもしろいjokeだ。テメェこそ死んだらただじゃおかねぇ…!」
「――頑張ります」
死ぬ――ここは戦場だ。一瞬でも気を抜けば、も政宗も、当然の如く命は無い。
政宗と会えなくなるかもしれない――
頭では分かっていても、実感としていま初めて理解したは、懐の守り刀を握り締め、振り返らずに駆け出した。
060904