13.STUDY

 本日のお仕事終了を知らせる刻限の鐘が鳴り、ははっと顔を上げた。
 城の外れにある書庫の一室である。
 室内を埋め尽くす勢いで散らかしてしまった本の山に気付いて、深い溜息を落とした。

 全ての事の発端は三日前……何の罪も無いはずのが無駄に被害にあったあの忍騒ぎの日だった。



「そもそも、何の用で私を呼んだんですか!?」

 問題児忍を任せたと言われた後のことである。
 詫びだと言って振舞われた政宗の朝食に絆されそうになっていたは、その疑問を思い出してじろりと相手の隻眼を睨みつけた。
 問われた政宗は、ああと頷いて大きな巻物を広げる。

「……日本地図?」

 そこには、大きな日本地図が描かれていた。
 ただし、そこに墨やら朱やらで膨大な書き込みがされており、元の陸地の線すら分かり難い状態だったが。

「黒脛巾に探らせて作った、今のこの国の勢力図だ」

 政宗の説明に、巻物を見つめながらなるほどと思う。
 織田、豊臣、上杉、毛利………歴史が得意で無かったでさえも知っている名が各地に記されている。

「もうすぐ戦がある」

 唐突で――しかし静かなその言葉に、はゆっくりと視線を上げた。
 覚悟していたことだ。
 政宗から、天下を取る為に力を貸せと言われ、その手を取ったその時から。

「はい」

 凪いだ隻眼を見つめて返事を返したに、政宗はちらりと笑った。

「Good――その分なら大丈夫そうだな。んじゃあ次だ。、お前は異国から来てこの国のことをほとんど知らねぇだろ。だが、まあ、仮にもこの伊達軍に身を置いてんだ。天下の情勢くらいは当然知ってるよなぁ?」

 半分脅迫めいた言葉に、は顔を引き攣らせて地図に目を走らせた。
 とて気にはなっていたことだったが、今までそういうことをきちんと調べるゆとりが無かったのだ。
 地図の名前と先日聞いたいつきからの情報を元に頭を整理する。

「えぇーと……徳川が武田に敗れたと……そして先日の戦で伊達が北条を破ったんですよ…ね?」
「Yes、それから?」

 曖昧な記憶で口にした言葉を肯定されたのは嬉しかったが、その先を促されては完全に停止した。
 試しに背後に控える忍に目配せで援護を要求してみたが、当然彼がそれに気づく筈もない。
 どのみちこれ以上はどう考えても分からない為、は敗北感を感じながらも最後の抵抗とばかりに政宗の横の小十郎に頭を下げた。

「申し訳ございません、小十郎様。私に各地の情勢をご教授いただけませんか?」
「私は別に構いませんが……」
「Wait、。…なんで俺に言わねぇんだ?」

 不機嫌そうに眉を顰める政宗に、はにこりと笑った。

「政宗様に教えを請うなど恐れ多い。それに私は小十郎様の陣におりますれば」
「お前の主は俺だろうが」
「はい。ですから、多忙な殿のお仕事を邪魔することは出来ません」

 その後は早々に政宗とのやり取りを切り上げ、小十郎に大まかな情勢を教えてもらった。
 昼を過ぎ、仕事をしなければならなくなった小十郎から細かいことはこの本を読んでみて下さいと言われ――三日間、は少しでも時間があると書庫の一室に積み上げられた本を読みふけっていたのだが……

「はぁ……ほとんど頭に入んない」

 当然と言うか、本は印刷などでは無く手書きのそれで、筆で書かれている。眠気が襲ってきたらミミズのようにしか見えないそれらは、更に悪いことに授業でも習ったような古文調なのである。
 分からない漢字や単語が多々出てくるのだが、ここには古語辞典も漢和辞典も無い。
 取り敢えずは出てくる人名と地名・家名を関連付けて覚えるのだけで必死だった。
 それに――……

 はがばりと起き上がって本を片付けると、帰り支度をして部屋から出た。
 城を出て自宅へと戻る道すがら、本丸と二の丸の間にある間道を抜けて、人気の無い物見台に出る。
 先日見つけた独りになれるその場所で、石垣に腰掛けて空を仰いだ。
 橙色の夕焼けがとても美しい。

「徳川家康が負けて、織田信長と明智光秀が戦ってる世界――」

 ぽつりと呟いて、大きな溜息をついた。
 歴史音痴のでも知っている。
 織田信長は明智光秀の突然の裏切りによって本能寺の変で死に、その後は豊臣秀吉が、秀吉亡き後は徳川家康が天下を取った。

 しかし、小十郎に教えてもらった話はそれと違うという。

 明智光秀は先日早々に織田信長に反旗を翻し、織田軍と明智軍は現在戦の真っ最中――場所は本能寺では無く天王山だそうだ。
 最終的に天下を取り、その後三百年に及ぶ太平の江戸時代を築いた筈の徳川家康は、武田信玄に破れ戦死――徳川家は潰えたらしい。

 はずっと、自分は過去に来たのだと思っていた……いつきの力や政宗の刀や言葉遣いや髪の色等の容姿や……、おかしいと思う所は多々あったものの、過去だということは疑っていなかった。
 だが、実際はそれとは少し違うらしい……いや、この戦国までの歴史はの調べた限りでは知っていたものと同じだった。
 この戦国時代からずれ始めているのだ。
 平行世界――というものを聞いたことがある。
 どこかで何かの選択肢が生まれた場合、そこから別の、交わらない世界――平行世界が生まれる。そうして無限に枝分かれしていき、同じ時間に交わらない別の世界が無数に存在している。
 ここは、そんな異世界の一つなのかもしれない。

 徳川家康がいない――つまり、江戸時代は訪れないということだ。
 の知るものと別の未来が待っている……いや、未来人のにとってもその未来はまだ決まっていない。

 ぶるりと、は震えた。
 それでは、元の時代――元の世界に帰ることなど可能なのだろうか。
 夕焼けは同じなのに、世界が違うなんて……時代も次元も違う別の場所から無数にある内の特定の地点に移動する――それはひどく難しいことのように思われた。

 今までは空を見上げる度に、の時代に続いていると思ったものだったが、実際にはこれから四百年先の未来はが居た未来では無いのだ。

「……どうしよう、泣きそう」
「泣くのですか?」
「…っきゃぁぁっ!」

 ぽつりと漏れた呟きに、突如目の前に黒い物体が降って来て、はとっさに悲鳴を上げた。
 しかし、相手が見知った忍であることに気付いて深い溜息を落とす。
 ――彼の存在をすっかり忘れていた。

「急に目の前に降ってくるのはやめてって言ったでしょう! もう……私が泣くと、何か問題があるの?」
「……殿が申されました。様を守り、決して泣かせるなと。主命は絶対故」
「政宗さんが――?」

 は驚いて目を瞠った。
 あの政宗が……と思わずにいられない。
 しかし、妙に納得していた。
 彼はああ見えて大きな人だ。そしてとても優しいと思う。
 嬉しいと思う気持ちを咳払いで誤魔化して、は目の前の忍に問い掛けた。
 何となく、そういった感情は人に見せてはならないものだと思う。

「もしかして探してくれた? ごめんなさい、考え事をしていて……今日の訓練は終わった?」

 毎日の"訓練"の報告が終わるまでこの忍は帰ることが出来ない。
 詫びたに、忍は、「いいえ、今来たところです」と答えた。

「……使い方を間違えてるわよ。どこで覚えてきたの?」
「城下の店先で、立っていた商人の男が、走ってやってきた町娘に対して、申しておりました」

 は米神の辺りを押さえて溜息を耐えた。
 政宗からこの問題有りまくりの忍を任されて、が忍に課した"訓練"は――所謂、人間ウォッチング。
 聞いたところ、今まで極端に人と関わることが無かったようで、どうやら彼は普通の感情や思考というものを理解出来ないようだった。
 そこで、いろんな人の行動や言葉をその時の状況と共に観察していれば、次第に分かっていくのではないかと思ったのだ。
 その甲斐があったのか、三日間で少しは成長したようだが……覚えたパターンを自分で使ってみようという試みは評価できる……まだまだ見当違いだった。

「うーん……それは、きっと恋人同士ね。デート…一緒に出掛ける為に、待ち合わせをしていたんだわ。それで、男の人の方が先に来てて、娘さんは遅れてきたのね。娘さんは謝っていたでしょう?」
「……確かに」
「それじゃあ、どうして待っていた男の人が、「いいえ、今来たところです」と答えたのだと思う?」
「…………娘の罪悪感を減らす為…ですか?」
「そう! そうよ! すごいわ! ――あ、もしかして、だから貴方もさっきそう答えてくれたの? 私が謝ったから罪悪感を減らしてくれようとして?」

 の質問に、忍はしばらく考えて、曖昧に頷いた。
 その反応に、は笑みを浮かべる。
 素直に嬉しい……この分だと、この忍が人並みになるのもそう遠くないかもしれない。

「ありがとう。気遣ってくれてすごく嬉しいわ」

 礼を述べてから、それでも使い方が間違っていることを説明し、他にどういうやり取りが心に残ったのか、疑問を感じたことは無いのかと聞いて、報告という名の人間レクチャーを終えた。

「それでは、私はこれにて」
「あっ、ちょっと待って!」
「何か?」

 相変わらずの無表情で振り向いた忍を、はまじまじと観察した。
 赤い髪と頭部以外は黒ずくめの忍服で覆われいる。
 脛には、黒脛巾組の由来とも言える黒革の脛当て。
 と共に政宗の前に顔を出した三日前に茶を出してくれた女中から聞いたのだが、寡黙な所が『くーる』だというので、女中らで騒いでいたらしい。
 なるほど、そう言われてみれば、中々整った顔立ちをしている。無表情なのが映える容姿だ。氷の美貌とでも言おうか。

様?」

 声を掛けられ、は我に返って苦笑した。
 余計なことを考えている場合ではなく、確かめたいことがあるのだ。

「頭領から聞いたんだけど、貴方が大きな手裏剣を武器にしているって……少し見せて欲しいの」
「………」

 は真正面から相手を見つめた。
 何の感情も窺えないこげ茶の瞳が伏せられ、どこから取り出したのか、身の丈の半分はあろうかという巨大手裏剣を出してに差し出す。
 自分の武器を相手に渡すということは信頼している証だ――取り敢えず第一段階はクリアと息をついて、はそれを受け取った。
 かなり重量のあるそれを、うっかり自分の手を切らないようにと気を付けながら観察する。

(――これは、やっぱり……)

「………ありがとう」

 礼を言って、返した手裏剣を忍が受け取ろうとした時だった。
 は反対の腕を伸ばして、相手のそれを掴む。

「伊達に――政宗さんに仕える気持ちは、本物?」

 初めて、この忍の表情に驚いたようなそれが走った。

「政宗さんに敵意は無く、忠誠を誓っていると、そう断言できる?」

 重ねて言った言葉に、相手は短く、明確に答えた。

「はい」
「そう――それなら、……疾風(はやて)、なんてどうかな?」
「は?」
「貴方の名前よ」
「疾風……」

 繰り返す忍に、は微笑んだ。

「十字手裏剣を持つ腕利きの忍――"風"の字を入れてみたんだけど、滅多なことでは気付かれないだろうし、良いんじゃないかと思って」

 再度、忍の目が見開かれた。

「それに貴方は、風がすごく似合うから」

 それともやっぱり別の名前が良い? と問い掛けたは、初めて相手の顔に小さくとも、笑み……のようなものがちらりと浮かんだのを見た気がした。
 すぐにその場に跪いてしまった為に隠れてしまったけれど……

様、この疾風、伊達の為に力を振るいます」
「うん……うん! よろしくお願いします、疾風!」

 破顔しながら、は黒脛巾組頭領の言葉を思い出していた。

殿、あやつは、里から連れてきたとは申しましたが、実際に里に来たのは、あの北条との戦の後でしてな。いや、あっしが連れてったという方が正しいんですが……」
「北条との戦……一月前のですか?」
「そうです。北条の忍・風魔小太郎を倒した帰りにたまたまあっしが拾いましてな、あやつの馬鹿デカイ手裏剣を見た時には肝を冷やしたもんですが」

 それ以上は何を聞いても答えてくれず、最後に「若はあやつを殿に任せると言った。若にどう話すかも貴女次第でさあ」と言った。

 その後、は小十郎に聞いたり自分で書物を読んだりと、北条のことや忍について出来る限り調べた。
 そこで見つけた、風魔小太郎の記述――十字手裏剣を持つ腕利きの忍……伝説とまで謳われる最強の戦忍、無口で声を聞いたものはいないという。

 頭領は、風魔小太郎を倒したと言った。戦の記録からもそれは間違いなさそうだ。
 では、彼は誰だ?
 武器を見せてもらって、本にあった十字手裏剣だと確信した。
 悉く風魔小太郎と似通った特徴を持つ彼は?

(恐らく――縁者)

 風魔小太郎は風魔一族の頭領で、世襲制だ。そうして代々、古くから北条に仕えていたという。
 ならば、彼は、風魔小太郎の近くに在った一族の者なのでは無いかと思った。
 そうだとしたら、黒脛巾頭領に拾われた時期も、武器のことも納得出来る。
 そして、先ほどのやり取りで確信した。――彼は、風魔小太郎に近しかった者――敵方・北条の者だ。

「……でも、関係ない。私は貴方を信じるよ、疾風」

 疾風が去った物見台で、はそう呟いた。
 政宗に使える気持ちに偽りは無いと――伊達の為に力を振るうと言った瞳は本物だったから。

 沈んでいく夕日を見つめ、は微笑んだ。
 疾風という荷物が増えたお陰だろうか……先ほどまで考えていた未来への不安、元の世界に帰れないかもしれないという心細さが消えている。

「政宗さん……まさかですよね」

 ここまで計算していたとしたら、ある意味怖い。
 は自分の言葉に苦笑して、その場を後にした。
 もう二度と、空を見ることを恐れないように、心に誓いながら。







060823
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