124.ひかり

 目を覚ますと、夕暮れの空が目に入った。
 頭が重く痛んだことで周りを知覚すれば、傍らの温もりにようやく状況を思い出す。

 泣き疲れて眠ってしまうなど子供のようだと自己嫌悪しながらも、はそっと隣を見つめた。

 声を上げて泣いたをあやす様にずっと抱いていてくれた政宗は、そのままの態勢で大木に凭れて眠っていた。

 思わず、間近からその寝顔を見つめる。

「…………」

 自然と手が動き、顔に掛かった色素の薄い前髪をさらりと払ったが、閉じられた一眸は開かない。
 気配に敏感な彼の珍しい様子に驚きつつも、今はその目が開かないのが寂しく感じられた。

 思い返せば不思議なものだと思う。

 最初に会った時からこの目に引き寄せられ、目が離せなくなった。

 この口から出る言葉は乱暴で不遜なものも多かったが、こちらを翻弄する癖に欲しい言葉をくれた。

 重ねられた唇は、いつも突然で、強引で、悲しくて……

 思い出しながらその唇に目がいき、触れかけた所ではっと我に返った――その瞬間、相手のそれが弧を描いた。

「……なんだ、kissしてくれねぇのか?」

「っっっっっいつから起きてっ……!」

 真っ赤になって飛び退ったに、政宗はくくっと楽し気に笑う。

 自分でも何をしようとしていたのかと頭を抱える行動なのに、相手にも知られていたのかと思えば恥ずかしさで死にそうだ。

 生粋のサディストに隙を見せたことを悔やんでも後の祭。散々目の前で泣いた後では今更だった。
 更に、どんな状況でも政宗に笑顔を向けられただけでこんなにも胸がいっぱいになってしまうのだから我ながら末期である。

「……ありがとうございました」

 本当に今更ではあるが、顔の赤さと泣き腫らした瞼を隠すために深く頭を下げて言えば、ちらりと苦笑された気配が伝わった。

「No Problem. ……ちっとは吐き出せたか?」

「はい……かなりスッキリしました」

 それは、他でもない政宗が受け止めてくれたからだ。
 同じ領主の目線で仕方のないことだったとしつつも、親子としては怒って良いと、肯定してくれたから。

 ずっと自分の奥深くに抱えていた絶望の闇が薄れていることに、目が覚めた時から気づいていた。
 それは、もう随分前――まだ伝令隊として米沢に居た頃に暗闇の中を単騎で伝令に駆けた時にも感じた感覚……政宗の存在を、自分の闇に射す『光』だと感じた感情と同種のものだった。

 呆れたことに、もう既にあの頃から唯一無二の掛け替えのない相手だと、心が決めてしまっていたということだ。

 途端に恥ずかしさがこみ上げて、は誤魔化すように、そう言えば――と顔を背けた。

「……もしかして、幸村にも聞かれちゃいましたか…?」

「Ah-……半分くらいな」

 涙も感情も止まらなくなった頃に幸村の声を聞いたと思ったが、やはり勘違いではなかったらしい。

 政宗は顔を顰めて、ため息をついた。

「しかも、お前が泣いてる間に殴りかかって来やがった」

「えぇぇ!?」

「まあ、お前を抱いてたからか本気じゃ無かったがな。大人しく殴られる気はねぇから止めたら、睨みながら黙って帰ってったぜ」

 あの幸村が無言で去ったということに違和感を感じるが、そんなことがあったのに全く気付いていなかったも大概だ。

 その後、幸村は父の元に戻ったのか、父は今頃どうしているだろうかと、本丸の方に視線を向ける。

 しかし不意に手を取られて振り向けば、政宗がの手を引いて歩き出していた。

「政宗さん……?」

「――ちょっと、付き合え」









 流石に泣き崩れたボロボロの顔や格好を何とかしたくて井戸に寄ってもらい、顔を洗ったりとそれぞれ簡単に身繕いを整えた二人は、そこから少し歩いて広大な庭にやってきた。

 小田原城も広大だったが、この大坂城は更に輪を掛けて広い。
 巨大な天守閣に、幾重にも張り巡らされた堀と石垣、櫓、そのあちこちに点在する庭や池。
 まさに、内外にも権威を示す為の城。

「派手なのは悪くないが、ちぃとcoolさが足りねぇな」

 歩く道すがら、この城の様子を話題にしていれば、政宗がそんな風に言うものだからも笑った。

「確かに、政宗さんは庭木の一本まで妥協しませんもんね」

「Ya-、当然だろ。自分の城に粋じゃねーものなんざ置けるか」

「ふふ……なるほど。それじゃあ私も、この城が住処になったら、武田道場出張所でも建てますか」

「Oh……冗談だろ。暑苦しいのは御免だぜ」

 そんな話で笑いながら庭の中央にある大きな池のほとりに差し掛かった時だった。
 政宗が足を止め、じっと水面を見つめる。

「政宗さん?」

「…………」

「……池に何かいるんですか?」

 大きい魚や珍しい生き物でも居たのだろうかと思い、小さな橋の中ほどから覗き込んでみたが何も見えないし、気配も感じない。

「あー……shit!」

 首を傾げたが見つめると、何かを考え込んでいた様子の政宗は唐突に悪態を付いて、を追い越して行った。
 そのすれ違いざまに髪を束ねていた例の赤い髪紐を取られ、ばさりと結っていた髪が解ける。

「! 何するんですか!」

 折角先ほど結い直したばかりの髪を乱されて、当然の抗議を向ければ、政宗は何故か視線を逸らせたまま告げた。

「この髪紐は返せ」

「……え?」

「もっと良いやつ選んでやるよ――今度は…米沢の露店では買えねーようなやつをな」

 言われた言葉がゆっくりと脳に浸透し、更にそれの意味する所を理解するのにたっぷり数秒。
 はゆるゆると目を見開いた。

 政宗が記憶を無くして以降、この髪紐を貰った経緯を話したことは無い。
 それどころか、小十郎や成実にも、まつやいつきにさえ、誰にも言ったことがない。

 ――つまり、あの弓隊長屋へ引っ越した日に、米沢の露店で買ってくれたことを知っているのは、くれた本人以外に――記憶を無くす前の政宗本人以外にありえないのだ。

 見開いたままのの視界が潤んで、目の前がぼやける。

「……米沢にだって、素敵なお店はありますよ。山代屋さんとか」

「Ha, あんだけ城下誑し込んでたんだから、秘蔵の品も出てくるかもな……最初は金の数え方も知らなかったってーのに」

「……戦も買い物も同じだなんて言って城下走り回るお殿様に言われたくないです」

「……その殿様に荷物持ちさせた奴の言う台詞じゃねーな」

 政宗の口から出てくる、米沢時代の思い出……無くしていた筈の記憶。

「っ……いつ……からっ……?」

 堪えきれず、大粒の涙が関を切ったように溢れて来る。

 平気なつもりでいたけれど、好きな人の記憶から自分だけが消えて――それがどれだけつらかったか、取り戻したいと切望していたか、白石以来何度も切実に突きつけられたことだった。

「いつから……記憶が戻って……!」

「……松永の罠にやられた時から、断片的に知らない筈のお前がちらつくようになった。……完全に戻ったのは、昨日だ」

 昨日と言えば、豊臣家後継を宣言された日だ。その後、三傑含めて酒宴となったのだから、いくらでも話す時間はあった筈――
 カッとなったは、橋を渡った浮島に佇む政宗に詰め寄った。

「っっっどうして黙ってたんですかっ……人がっどんな想いでっ……!!」

「外野が五月蠅くて二人になるtimingも無かっただろうが」

「こんな時までカッコつけなくてもっ……!」

「っっそんな余裕なんざあるか!」

 平素から洒落者を気取っている彼に袂を掴んで抗議したが、逆に肩を掴まれて真剣な視線に捕まえられた。

 言葉通り余裕無い様子に目を瞠ったの前で、政宗は自嘲気味に笑う。

「……Ha, moodもへったくれも無くて悪いな。竜と言えど男だ。惚れた女相手に平静でいられる程できてねぇ」

 目を瞠ったまま、が何とか絞り出せた言葉は震えて落ちる。

「……いま、なんて……」

「……だから! お前に惚れてるって言ったんだ、

「……もう一度」

「お前……っっ」

 何度も言わされて流石に音を上げた政宗は、しかしぽろぽろと止めどなく流れるの涙に怯んだのか、深く溜息をついてその涙をぬぐった。

に惚れてる。好きだ。――これで分かったか? You see?」

 真っすぐ見つめて来る隻眼にただ頷くだけで精いっぱいだったが、自然と互いの目が伏せられ、ゆっくりと唇が重なる。

 角度を変えて繰り返し次第に深くなっていく口づけは、初めて互いの気持ちが伴ったもので、頭の奥がじんと痺れた。

「――また泣いたな」

 生理的に浮かんだ涙さえ唇で絡めとられて、は抗議するように間近で睨む。

「誰のせいだとっ……」

「ああ、俺のせいだ。それ以外は認めねぇ」

「そんな、勝手なことっ……」

 本気ではない抵抗ごと再び口づけに攫われ、合間に交わされる言葉でさえ理性を奪っていく。

「……もうどこにも行くな」

 しかし、その一言を聞いた瞬間、脳裏に政宗との別れの場面が思い起こされた。

 米沢で、甲府で、大和の山道で……その度に胸を抉られるような痛みを感じて来たが、問題は何も解決していない。

 ははっと我に返り、政宗の胸を押し返した。

「……私は武田の娘です……」

 拒絶されて目を瞠った政宗の目が、静かに獰猛な色を湛える。

「もう気にすんな。そんなのは全部どうとでもなる」

「どうとでもって……」

「この独眼竜がやるっつってんだ。お前は心のままに頷きゃいい」

 これには、の方が目を細めた。

「……それだけじゃ、答えは"NO"です」

「Ah……?」

 怒気を孕んだ声と共に小さな雷が宙で爆ぜる。

 も負けじと睨み返し、不満をぶつけた。

「独眼竜と虎姫が揃えば何でも出来る――そう、言ってください」

 虚を突かれたような沈黙は一瞬。すぐに弧を描いた口元から笑いが零れた。

「……Ha, Excellent! そうだ。それでこそ、俺が惚れた女だ!」

 政宗に褒められるといつだって誇らしいし、笑って貰えると無条件で嬉しい。

 は、誤魔化しきれない自分の胸の内にしばし瞑目した。

 ――政宗と共にいる。共に生きる。その意味にきちんと向き合わなければならない。

 そして、観念するような心地で口を開いた。

「米沢で長い間喧嘩したことを覚えていますか?」

「――Ya」

「あの時、私は米沢から出ていくつもりでした」

 政宗の瞳が見開かれる。

「政宗さんから馬で逃げて、あの見晴らしの良い丘に連れて行ってもらった時……あの時には、既に小十郎さんにもお伝えして、小十郎さんの計らいで三日後に加賀へ戻るまつさん達に同道する隊に入れて貰うことになっていました。もう二度と……あなたと会わないつもりでした」

 あの時の喧嘩の発端は些細な口論だったが、今なら分かる。
 と政宗、それぞれのトラウマに触れたことが原因だったのだと。

「言い合いになって、政宗さんが怒って刀を抜いた時、暗い闇のような絶望を感じたんです。捨て鉢になって闇に落ちていた幼い頃と同じように。また大切な人に捨てられるのかって、記憶が無い癖に無意識に考えちゃったんでしょうね」

 政宗さんと父上は違うのに、政宗さんは本気じゃなかったのも分かっていたのに、どうしようもないですよね――

 自嘲気味にそう付け加えると、強く抱き寄せられた。

「……俺も似たようなもんだ。お前が小次郎を庇った時、またかと思った。情けねえことに、小次郎を抱いて俺を否定する母上とでも重ねたんだろうよ。……しかも、もう少しでお前を殺すとこだった。よりによってこの俺が」

 抱きしめられた体が震えているのを感じ、の胸も締め付けられるように痛んだ。

「いえ、あれは私が飛び出したせいです。……ごめんなさい」

「それで小次郎を斬らずに済んだ。――謝るのは俺の方だ」

 米沢の……小田原のあの時、二人とも自らの闇に振り回されるだけの子どもで、お互い自分のことに精一杯だったのだ。



 いつの間にかすっかり日も落ち、明かりも持たない二人の周りは濃い闇に沈んでいる。

 ふと、親に捨てられたと孤独に泣いていた子どもが二人、こうして抱き合っているような錯覚を覚えた。

 ――では、互いに闇を抱えた者同士が一緒に居ても無駄なのか? 傷のなめ合いをすることしか出来ないのか?

 自問して、すぐに否だと強く思った。

 闇の中でも政宗だけが眩く感じたのは、この想いがあったからだ。

 そして、これほど愛しく想う相手と想い合えるなら、何にでも――闇を従えた第六天の魔王にだって立ち向かっていけるだろうと思えた。


 抱きしめられている逞しい体を抱き返し、は自分の中に生まれた闇とは真逆の光を解き放った。

 それは真っ暗だった池を一撫でして広まり、水面からいくつもの仄かな光が浮かび上がってくる。

「……こいつは………」

 周囲の様子に驚く政宗から手を離して、意を決して見上げる。

 辺りに次々生み出される光が自分の想いを表しているようで、勇気づけられた。

 一つ深呼吸をして、ずっと胸にしまっていた想いを口にした。


「……政宗さんが好きです。どうしようもなく。どうしても。」

 見開かれた瞳に周囲の光が映りこみ、揺れている様が綺麗だと思った。

「……once again」

「っ……だからっ、……好きです!……もう貴方無しではいられなくなっちゃったんですから……責任、取ってくださいね」

 一世一代の告白を繰り返し要求されることの羞恥を身をもって痛感しつつ、やけになって言い捨てれば、愉快そうに笑われた。

 無邪気に笑う瞳から確かな想いが伝わり、胸が甘く締め付けられる。

 引き寄せられるかのように再び重なった口づけは理性も容易く焼き尽くし、二人は互いの熱に身を委ねたのだった。





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CLAP