「――申し訳ありませんでした!」
「――すまなかった」
改めて別室で向かい合った父と娘は、久しぶりの再会で、両者開口一番に謝罪し、頭を下げた。
互いに、相手が何について謝っているのかも分かっている。
室内には、父娘の他に幸村と佐助、そして甲斐から駆けつけてきた知恵袋の山本勘助も傍らで控えていたが、とても軽々しく口出し出来る雰囲気では無い。
微妙な気まずい空気が流れる中、意を決して更に口を開こうとしたを、しかし信玄が制した。
「いや、まずはわしに謝らせてくれ。――十年以上に及ぶ愚かな父の懺悔を聞いてくれるか」
悔恨に満ちた父の声。
それだけでの心も重く沈んだが、意を決して頷いた。
なぜなら以前、が武田に戻ったばかりの頃……
信玄は十年前の件をこう説明した。
――「十年前……わしがこの館を留守にしておった日じゃ。その頃小競り合いをしておった氏族が、奇襲を掛けてきおっての……留守警護の者らも少数ながら奮闘して、女や他の子どもたちを守ったのだが……独り離れで眠っていたお主だけが、何処とも知れず連れ去られてしまったのだ」
――「わしが手勢を連れて戻り、すぐに鎮圧はしたのだが、方々に忍隊を放ってもお主の行方は要として知れず……虜となったのなら、何かしらわしへの要求があるだろうと待ったが、それも無かった。どこかで命を落としたか……生き延びたとしても、余命幾ばくも無い体では長く生きれまい、と……」
だから、行方不明となったはもう死んだと思っていたと。
その頃の記憶が抜け落ちていたは、家族に捨てられたわけではなかったのだと安堵し、自分を案じてくれていた父との再会に涙した。
しかし、明智によって思い出させられた記憶によると、それは嘘だったということになる。
「仁なき行いの上に偽りまで重ねたこと、今更詫びる言葉も無い」
そう言いながら、信玄は再び頭を下げた。
倣うように深く額づいた勘助が、信玄を庇うように必死に言い添える。
「以前お館様が語られたことが全て偽りだったわけではございませぬ……! お館様が不在の時に奇襲され、姫様だけが連れ去られてしまったのは真実。その後、手を尽くして捜索されていたのも真にございまする」
「……もう一度、父上の口から聞かせてもらえますか」
――今度こそ、本当の事を。
言外の言葉に目を閉じて応じ、信玄はゆっくりと過去を紐解くように話し出した。
「お主が拐かされた数日後、織田家の明智光秀の名で、お主を質に取っての要求があった。領土の要衝地いくつかと家宝の盾無し鎧、その他金品を差し出せとな。――家宝や金品はともかく、その他の要求はどれも埒外。数多の民が暮らすこの土地をわしの一存で娘可愛さに魔王に差し出すことはできなかった」
それはそうだろう。
はどこか客観的に思いながらも、思わず握りしめた拳に血が滲んだ。
「死んだものと心得よと、おぬしの母にもわし自身にも言い聞かせた。母は寝食が儘ならなくなり、床に臥せるようになった」
「……お館様が病がちになられたのも、その頃にございます」
信玄が自分で言わないならと勘助が言い添えたが、信玄は首を横に振って制する。
は悲しみで胸が突かれ、耐えるように胸元を握りしめた。
自分が絶望に落ちていた間に、父も母も苦しんでいた……それが堪らなく遣る瀬無い。
「しばらくして、織田に黒炎を操る鬼子がいると聞こえてくるようになった。数多の戦場で無慈悲に命を奪う武将だが、まだ幼い女子であると。まさかと思いながら探り、その者の特徴が――お主と一致すると知ったのよ。何とか織田から取り戻そうとしたが、当時は甲斐と尾張の間にも複数の国があった……あの頃の武田が離れた織田へ手を伸ばす力は無かった」
自分でも朧気なあの残虐な日々を父にも知られていたのだという事実も、麻痺した心に重く積み重なる。
「周辺諸国をまとめ、同じく力を付けた織田とも対等に渡り合えるようになった頃には、既に数年が経ち、鬼子の噂も絶えていた。わしは、病を抱えていたお主はもう生きてはいまいと……」
「――ところがある日、ウチの忍が噂を仕入れてきたんだよねぇ」
空気を変えようと敢えてなのか、いつも通りの口調で佐助が言った。
幸村も頷いて低い声で応じる。
「伊達に『』という風変わりな女子がいる。しかも近頃突然現れて、伊達政宗の近くにいるらしいと」
「ほら、伊達って聞いてウチの旦那が黙ってられる筈無いでしょ? 一度様子見にってんで俺様と旦那で城下に潜入してたんだけど、あちこちから聞いた話で、「に相違無い!」って旦那が断言するもんだから、正式に迎えにお邪魔したって訳」
ようやく繋がった自分の記憶と本当の家族との事情――
悲しみの中でもストンと腑に落ちた気がして、は一つ頷いた。
その拍子にポロリと涙が零れる。
「……」
偉大な父の狼狽えた声が遠くで聞こえた。
泣くまいと思っていたのにと戸惑う中で、思い出された記憶の声がこだまする。
――「使者にこうも言ったそうですよ。……「そのような娘は知らぬ」、とね」
――「つまり、この病に冒された薄幸な姫君は、実の父にも捨てられたのです」
「っっ……うっ……」
耐えきれない嗚咽が漏れた瞬間、馴染みのありすぎる青い気配が物凄い勢いで近づき、勢いよく障子を開け放った。
そして室内を一瞥して、と目が合うとバチリと雷撃が信玄の近くで爆ぜた。
「――Hey, 何を人のhoney泣かせてんだ。fatherだからって容赦しねぇぜ?」
「政宗さっ……!?」
が驚く間も無く、横抱きに抱えあげられて悲鳴を飲み込む。
途端に気色ばんだ幸村を制した信玄と政宗の間に今度は炎と雷の両方が爆ぜた。
「……何をしに来よった」
「決まってんだろ。こいつは貰ってく」
用は済んだと、政宗はを抱えたまま跳躍して部屋を出た。
「っっお館様っ!!」
幸村は慌てて信玄を見たが、去って行く青い背中を睨んだ視線は不機嫌そうながらも動かない。
「っっっ待てっ!!!」
業を煮やした幸村は単身物凄い速さで飛び出していった。
「――よろしいのですか、お館様」
「旦那もキレてたし、ヤバイんじゃないんですか? ……俺様もキレそーだけど」
勘助と佐助の言葉に、信玄は部屋が振動するほど特大の溜息をついた。
「……詰られることも責められることも覚悟しておった。だが……もう泣かせてやることも叶わぬとは。…………娘の父というのは、まことに辛いものぞ、勘助、佐助」
信玄が見上げた櫓の上を、先ほどまで泣きそうになっていたが何がしか大声で抗議しながらも小さくなっていく。
思わず顔を見合わせた知恵袋と忍頭は、それ以上何も言うことは出来なかった。
「ちょっと政宗さん!」
「Uh-nn? なんだ、honey?」
「ハニーじゃないですって! 待ってください、私は父上と話が……!」
政宗にお姫様抱っこなどという恥ずかしい抱えられ方をされたのは初めてではないが、何度されても慣れるものではない。
ましてや有無を言わせず、猛スピードで拉致されている真っ最中としては抗議して当然であるが、体制的に顔が近くて、先ほどまで止められなかった涙などすぐに引っ込んでしまった。
だが、折角捕まえられた父との対話を途中で投げ出せる筈もない。
「……話をするのはいいが、お前が泣くなら話は別だ」
移動中だというのに抱えられたまま抱きしめられ、そのぬくもりにまたしても涙が溢れた。
「私は…泣いてなんて……」
「ああ…そうだな……怒ってんのか」
「怒ってもないです……」
「そうか? 怒って当然だろ」
抱きしめられながらの囁くようなやり取り。
事情も、の性格さえ熟知している政宗の言葉に、自分でも無自覚の本心を言い当てられたようで、は渾身の力で身を捻った。
体制を崩した政宗が城内の外れに着地し、はようやく自由を取り戻す。
ここに来て改めて相手を見遣れば、着物もかなり汚れて、頭に葉まで付けている。
今朝起き抜けに信玄に伊達三傑諸共投げ飛ばされた時、かなり遠くに飛んだように見えたが、相当な苦労をして戻って来たようだ。
は思わず笑って、いま逃れたばかりの政宗に近づき、頭の葉を取った。
洒落者の彼が、身なりも気に留めずに駆け付けてくれ、が泣いたことを怒ってくれた――
そのことに、どうしようもない愛しさが溢れる。
同時に、父に怒っているという指摘が事実だと自覚もさせられて、ぐちゃぐちゃの感情のまま目の前の胸にしがみ付いた。
「私だって分かってるんです……! 父上だってツラくてっ……甲斐の領主としてしょうがなくそうしたって……!」
今や隠しようもないほど溢れて来た涙を見られないように政宗の胸に押し付ける。
頭や背を撫でて来る大きな手にますます涙が止まらなくなったが、そのタイミングで背後から幸村が来たのが分かった。
「……」
しかし、息せき切った幸村の呼びかけにも、彼がそこにいるという事実にさえ頓着せず、一度決壊した感情は止められない。
「父上は間違ってない……正しいことをしたんだって……だから怒ったり悲しんだりしちゃダメだって……」
「……ああ……そうだな。だが、お前は怒っていいし、俺の前なら泣いていい」
「っっっ怖…かった……悲しかった……つらかった……死んじゃいたいほど……でも死ぬのも怖くて……助けて…ほしかった……!!」
ずっと心の底にあった……封じ込めてきた幼子の感情が破裂したように、は初めて、声を上げて泣いた。
微塵も揺るがず背を撫で続けてくれる相手に安心して。
深く巣食った闇を吐き出すように。
疲れ果てて眠るまで、そのまま泣き続けた。
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